ゆびきり
村井茂×村井布美枝


「おとうちゃん、お土産の羊羹まだ余っとるよ。食べますか?」
「おう」

境港の両親(というより絹代)から、ずっと催促を受けていた里帰りを
やっと終わらせて今朝戻ってきたばかりの布美枝である。
たった1週間足らずの里帰りだったが、
結婚以来この調布の家を、こんなに長い間離れることはなかったので、
既にどこか懐かしい想いさえ抱いてしまう。
そして、茂とも。
勤め人ではない夫はいつも家に居て、その傍に自分が居るのが当たり前だった。
茂と離れている時間はともすると、布美枝にとっては永遠より永かったかも知れない。
いつまでも、恋に堕ちたままの初心な女房だった。

「はい」

風呂上りの洗いざらしの髪を、耳にひっかけながら
茂の横に座って羊羹を差し出す。
原稿に向かって真剣な眼差しを落とす夫の、その男ぶりのよさに布美枝は目を細めた。

「あん」
「え?」

真剣な横顔に見蕩れていたので、急なその挙動に一瞬意味が分からず固まる。
右手にペンを持ったまま、口を開けて羊羹と布美枝を交互に見る茂は、
さながら巣で餌が落ちてくるのを待っている雛鳥のようで。
思わず噴きだしてしまう。

「ほれ、早く。なにしとるんだ」

どうやら本人は至って真面目にそうしていたようだ。

「あはは、ああ、はいはい」

やっと餌にありつけた雛鳥が、満足して原稿に顔を戻す。
しばらくしてまた「あん」と口を開けて、布美枝からの餌を待つ。
布美枝はにこにこしながらそれに応じて、茂の口に羊羹を運んでやりながら
ぽつりぽつりと里帰り先での出来事を話し始めた。

安来での藍子の様子や、源兵衛の孫に対する溺愛ぶりを話すと、茂は苦笑する。

(藍子ビー玉呑みこみ騒動については伏せておいた。余計な心配はかけたくない)

いずみの東京への「恋」にも似た憧れや、貴司の意外なほどの熱愛を語れば、
ふっと柔らかい笑みを浮かべて、うんうんと頷いてくれる。
境港では修平が何やら妙な事業に手を出そうとして、絹代にしたたかに諭されていたこと。
布美枝がイカルの口調をオーバーに真似してみせると、声をあげて笑った。

「ははは、おかあちゃんもイトツに影響されとるのか、役者染みてきたな」
「ええ?」
「イカルの口ぶり、よう似ちょう」
「そげですか?」
「ずいぶん機嫌がええんだな、珍しくさっきからええ調子でよう喋る」
「えっ…あ…すんません…邪魔して…」
「構わん」

布美枝は俯いて赤くなった。
茂の傍で、ふたりきり、こうして居られることが嬉しくてたまらなくて
知らぬ間に調子付いてお喋りになっていた自分が恥ずかしくなった。

さすがにお茶だけは自分の手で呑んだ茂が、空の湯呑みを布美枝に差し出す。

「あ、そうだ。あたしがおらん間に、どなたかいらっしゃいましたか?」
「ん?」
「お客様用の湯呑みが出してあったもんだけん」
「ああ…」

茂は思い出したように頷いて、少しの間、目で空を仰いだ。
そして布美枝の顔を見てから、にやりと口の片端を上げて言った。

「俺の漫画の熱心なファンだという女性が来とった」
「え…」

どきり、布美枝の心臓が嫌な音で高く跳ねた。
流しに向かおうとしていた足を止めて、茂の方に向きなおり、ぐっとその懐まで近づく。

「女の…ひと?」

壊れそうなほどに高鳴る鼓動と格闘しながら、声を絞り出す。
茂は今にも泣き出しそうな布美枝の顔をじっと見つめていたが、
やがてふるふると肩が震えだし、耐えきれなくなって

「…ぶっ…はははははは!」

大笑いし始めた。

呆然とその爆笑を見つめていた布美枝が、やがてはっと気づいて

「からかったんですか!」

真っ赤になって口を尖らせる。

「はは、いや、嘘というわけでもないんだぞ」
「え?」
「河合さんだよ。また缶詰やら色々持ってきてくれた」
「あ…」

茂の漫画の熱心なファンの女性…それがはるこなら、確かにそれは嘘ではない。
ほっと脱力した。

「どこから嗅ぎつけてきたのか、あとからイタチが来てな、
 騒々しくなったもんだけん、さっさと引き上げてもらった」
「そげですか」

見てもいないのに、布美枝にもその場面が思い浮かぶ気がして苦笑した。

「それにしても今の顔っ…くっくっく…」

思い出して笑う茂に、布美枝は膨れて「もうっ」とそっぽを向いた。
嘘でからかったわけではなくとも、明らかに布美枝の反応を伺っていた感がある。
狙い通りに反応してしまった自分が恥ずかしくて悔しくて、歯がゆさのやり場がない。

すると、茂の右手が伸びてきて、顎を引かれてそちらに向き直される。

「もいっぺん見せてみ?」

意地悪そうな笑みを浮かべて布美枝を見つめる。
恨めしそうに睨み返してみたが、ふとその接近に、布美枝は甘いひとときの訪れを予感した。

やがて薄ら笑いを浮かべた茂の唇が、そっと布美枝のそれと合わさった。
合わさってのち、深く触れ合って、触れ合ってのち、隙間から息が洩れる。
洩れた息を吸い込むように茂の舌が割って入ってきて、
息と一緒に、舌も唾液も全てを吸い込んで、音がするほど深く口づけられた。

左頬を撫でていた右手が、するすると胸まで降りてきてそこを弄り始めると、
離れた唇が、首の筋を辿って降下していく。
ちらと茂の背中越しに、机上に放っておかれた原稿がひらりと揺れるのが見えた。

「…お仕事は…ええんです…か…」

半ば力が抜けかけていた布美枝が、小声で問いかけると「うん…」と篭った声がする。
名残惜しむように胸の谷間にひとつキスを落とすと、茂は体勢を元に戻した。

「ほんなら先に横になっとけ。あとちょっとだけん、終わったらすぐ行く」
「…はい」

火照る顔を両手で覆いながら、そう返事をするのがやっとだった。

あとちょっとと言いながら、もう小一時間は経っている気がした。
寝返りもしないで熟睡する藍子を見ていると、布美枝もうとうとし始める。
そうすると、夢と現の間で先ほどの愛撫を思い出し、また少し胸が高鳴り始める。

たった1週間足らず離れていただけで、これほど茂への愛おしさが増すとは
出かける前までは全く予想だにしなかったことだった。
そっと指で唇をなぞり、茂の感覚を手繰り寄せると、じわりと何かが溢れてくる。
恐る恐るその源泉へ指を進めると、ひたと冷たい水を確認できた。

想い出すだけで濡れる救いようのないその場所を、茂がいつもしてくれるように
そうっと指でなぞってみてから、尖りに行き当たり、それを摘んでみた。

「…は…っ」

目を閉じて茂を想像してみるが、稚拙な自分の指では何かが違う。
蜜の溢れる場所へもゆっくり挿し込んでみるけれど、小さく水音がしただけで
あの、背中がぞくぞくするような快感は得られない。
このまま独りで朝を迎えるのだろうか。布美枝がきゅっと目を閉じた瞬間。

「…独りで先に始めるな」

耳元で低い声が囁いた。
驚いて目を開けて振り返った瞬間、また目の前が真っ暗になる。
唇を塞がれて、息も出来なくなった。

「ふ…ぅ…っ」

茂の奇襲攻撃に、まどろんでいた神経が一気に目覚めて活動を始める。
全身の脈がどくどく鳴り始めて、心臓が壊れるのかと思うほどに締め付けられる。
激しい口づけの合間に寝巻きの帯が解かれ、大きな手が胸元に侵入してきた。
その手の温度と、指が先端を捉えて弄られる心地よさに刺激され、
ようやく本能的に身構えていた力が抜けていった。
と同時に、怒涛の羞恥心が布美枝を包んで、一気に火照りが身体中を占領する。
茂が2階に上がってきていたことに気づかずに、独り淫らな快感を得ようとしていたことを
果たして彼はどう思っただろうか…。

一方の茂は、その再会を喜ぶように、唇と舌を布美枝の乳房へと降ろして行き、
果実にかぶりつくように大きくそれを口に含んで、先端の赤い実を吸う。
舌で形作るように、丁寧に尖らせて、また吸って遊ぶ。

「ふむ」
「…んっ…?」
「おかあちゃんの貧しい胸でも、しばらく見れんと寂しいもんだな」
「…も…もぅ!」

布美枝の反応に笑いながら、茂はまた胸の谷間に顔を埋めて口づけを繰り返す。
そのまなざしが真剣な色を帯びてきたので、布美枝はうっとりと身を任せた。

のしかかってくる茂の重みと、男の匂いをかすかに感じていると
先ほどまで自分で弄っていた場所が、再びにわかに反応してくる。
くすぐったいような、熱いような、奇妙な感覚に腰をくねらせると、
それを合図と思ったのか、茂の右手がすすっとそちらへ伸びて、
下着の上から割れ目をなぞる。

「こっちは…さっき自分で馴らしとったみたいだが?」

またあの意地悪い笑みを浮かべているのが、薄暗い中でも見てとれた。
やっぱり気づかれていたのだ…動揺して目が泳ぐ。

その間も、尻や太ももをくすぐるようになぞられるが、
いつもと違って過敏に反応する深みに入ってこようとはしてくれない。
伺うような視線を茂に向けると、ふふんと鼻で笑ったように見えた。

「どげして欲しい?」
「え…」
「口があるんだけん、言わなわからんだろうが」

言ってから、ぺろりと舌で布美枝の唇を舐めた。
言う?何を?混乱する頭を抱える布美枝をよそに、
茂は相変わらず乳房の果実をほおばっている。
右手はもどかしく、敏感な突起を軽く突ついているだけだ。

強請れということだろうか…。
布美枝は茂の肩に手を置いて、震える声で訊ねた。

「…なして今日はそげに…っ…意地悪…なんですか」
「お前の百面相が面白いけん。もっと見たい」
「…」
「ほれ、どげしたらええのか早よ言わんと、俺もお前も生殺しだ」
「そ…んな…」

茂のそれが既に猛りたって硬く、内腿あたりを突いて催促してくる。
布美枝の泣きそうな表情を見て、また愉しむような笑みを浮かべる。
何度も何度も焦れるように落とされる口づけ。
それもまた茂からの督促状のような気がして、布美枝はごくりと唾を飲んだ。

「…あの…ぇっと…」
「ん?」
「…指…で」
「指で?」
「触れて…ください」

指が下着の中に差し入れられた。
けれどまだ茂みの辺りを散策するのみで、本当に「触れる」だけ。
何も言わずに布美枝を見下ろしている。

「…っ…指…挿れて…くださっ…」

ようやく節ばった指が挿しいれられた。
それだけでびくっと反応する。
自分の細い指では得られなかった快感を、
どうしてこの人にはいとも簡単に与えてくれるのだろう。

「んっ……ぁ…もっと…」
「もっと?」
「…もっと…もっと…」

挿しいれられた指が、神経の集中する1点を攻める。
脚が落ち着きなく暴れ始める。

「あっ…もっと…お願い…は…ぁ」

神経が昂ぶってくる。

「…口で…」
「ん」

想いが勝手に言葉に変換される。

「舌で…お願い…愛して…ください」

茂の顔を見ることはできなかった。ぎゅっと目を閉じたまま身を縮めて横を向いた。
悶える脚の間から、指が抜き取られる感覚があった。
そして次の瞬間には、温く柔い感覚が、布美枝の最も敏感な場所を舐め上げた。

「っ…っはっ…!」

たまらず目が見開かれた。息を呑む。

自分で懇願しておきながら、津波のように押し寄せた快感に慄く。
波に押し流されないように、ぎゅっと布団を握り締めて必死に耐えた。
背中がのけぞる。茂の腕がそれを抑えるように右脚を掴む。
まるでそれ自体が生き物のように、舌は布美枝の中まで侵入してきて
強請ったことを後悔させられるほどの痺れを呼び起こす。

「…ぁっ…ああっ…は…あっ…」

それだけで独り、越境しそうになった。
自分の脚に置かれた茂の腕に手探りで触れると、その手を取ってぎゅっと握り返してくれた。
その確かな感覚が、布美枝を呼び戻す。

「挿れて…くださ…もぅ…ぁあ…おねが…」

息も絶え絶え、最後の願いを告げる。
生温かい舌の感覚が消え、じんじんと熱くなった秘所が、ひとときひんやりと静まり返った。

――とたんに、熱い塊がその静寂を破る。

「――――――っ!あ!」

覆いかぶさってきた茂の肩に、思わずしがみついた。
揺り動かされる振動が、布美枝の喉から喘ぎを誘う。
熱い茂の分身が、布美枝の中でますます主張を強めていき、
逆に布美枝の内部では、熱い侵入者を内襞が手荒く押し返す。
互いが互いを刺激しあって、とろとろと液が溢れ出して脚を伝う。
ふたつあったはずの身体が、ひとつになって熱を帯び、
高みに昇っていく快感を必死で追いかける。

「っぅ…あ…あ…ふ…っ、ぁっ…」

見上げた先にあるはずの、茂の顔がだんだんぼやけてきて、
時折、気遣うように落とされる口づけにも、もううまく応じることさえできなくなってきた。
茂も眉間に皺を寄せて目を閉じ、自身の限界を計りはじめた。

「んっ…あ…おと…ちゃ」
「…なんだ…」

何か伝えたくて、けれど思考がままならず言葉にならない。

「…あ…あぁ…」

このまま目を閉じてしまえば、もう茂に会えないような気がした。
それほど遠くまで連れて行かれるような不安があった。
最後の力を振り絞って、布美枝は茂の首に腕を伸ばし、引き寄せる。
自らの唇に茂を誘って口づけると、ぱたりと記憶を無くした。

髪を撫でられるくすぐったい感覚に、おもむろに起こされてぼんやり目を開くと
優しい表情の茂がじっと布美枝を見つめていた。
乱れた布美枝の髪を、おもちゃのようにくるくるといじって遊んでいる。

「大丈夫か」

低音の声が耳に心地よく、自然と微笑んでしまう。
少し腰をずらすと、布美枝の中に放たれた営みの証拠が、零れて脚を伝う。
さっと布美枝の頬が薄紅色に染まった。

「おとうちゃん…」
「ん」
「うん…と」
「どげした」

いまいちはっきりしない様子に、訝しがって顔を覗き込んできた。

「はっきり言え、口ついとるんだろ」
「…おとうちゃんの顔…1日でも見られんと、寂しい」

言ってから、茂の広い胸にぎゅっと顔を埋めた。
恥ずかしさ半分、愛おしさ半分。

しばらく茂は何も言わずに、また布美枝の髪で遊んでいたが、
ふと思い出したように呟いた。

「…安来の家は、古うてなんか住んどりそうだったな」
「え?」
「座敷わらしとか、あずきはかりとか」
「はあ…」
「見合い以来行ってないけん、今度は一緒に行くか」

布美枝の顔がまた嬉しさで紅潮した。
満面の笑みで茂を見上げる。

「約束ですよ?」
「金と暇ができたらな」
「指きり」
「ん」

茂のごつごつした指と、布美枝の細くしなやかな指が、
ふたりの笑顔の前できゅっと結ばれた。






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