村井茂×村井布美枝
「おい」 「あ、ごめんなさい。気づかなくて」 「いや、ええんだ。ええんだが…お母ちゃん、それ、」 「はい?」 すっかり夜も更けた頃、アシスタント達も帰り人気の無い仕事場から居間へ出て来た茂を迎えた 布美枝の手にあったもの。それは茂からすればやや意外だった。 「ああ、お茶ですね。今持って来ます。ちょっこし待ってごしない」 ぱたぱたと台所に引き返す。テーブルの上には、今朝方出版社から届けられた漫画雑誌が何げなく置かれていった。 しかしそれは、茂の作品が掲載されている少年漫画雑誌ではなく、同じ出版社が発行している、 いわゆる青年誌である。 「ふーん…」 茂は雑誌に目を落とし、表情を変えずに表紙の文字を爪先でなぞる。すぐに羅列される描き手の名の ひとつの上で、人差し指がぴたりと止まった。 「おお、これかぁ」 「はい、お父ちゃん」 湯呑み茶碗を手に戻って来た布美枝へ、茂は顔を上げる。 「これ、倉田が描いとるな」 「ええ、倉田さん今この雑誌で連載されとるんですね。最近出版社からの郵便はまとめて光男さんに お渡ししとりますんで、あたしは殆ど見ないようなってしまいましたけん。 でも今日は光男さんがお休みでしたでしょう。これ、ずっと下駄箱の上に置いてあったんですよ。 だから封筒にハサミだけ入れようと思って。でも、そうしたら」 執筆者の中に、懐かしい名前があった。 ようやく世間に広く知られた茂の仕事が爆発的に忙しくなってしまったその頃、集まってくれた三人のアシスタント。 その一人、倉田圭一は懸命の努力の末、水木プロで働いている最中にプロデビューし、そのまま独立した。 茂も倉田もこの稼業である以上そう簡単に時間は取れない。ましてや家を預かる布美枝が 漫画家に会う機会など、向こうから自宅兼仕事場である我が家へ訪れない限りはまずあり得ないのだ。 倉田はデビュー後数度は顔を見せてくれたが、即連載を任されたほどの実力だ。 どんどん仕事量が増えたのだろう、最近は互いの新刊のやり取りのみになっていた。 「あん頃はまだまだ小僧だったなあ。でも人一倍漫画に対して情熱を持っちょった。 ほれ、寝る間も惜しんで描いとったろう。きっと今もそのまんま、頑張っとるよ」 「そげですね」 あの時代は、夫婦にとってもかけがえのない喜びと希望のつまった思い出になっている。 湯気が柔らかく二人の前に立ち上る。布美枝がにっこり笑った。 「ですけどー…」 「うん?」 ソファに腰掛け湯呑みを手に取った茂の代わりに、布美枝が傍らに佇んだまま再び雑誌を手元に取り上げる。 「ちょっこし驚きましたね。倉田さんの漫画、あたしはあんまり詳しくないですけど、昔はSFが多かったと思っとったのに、 今描いてごしなさるのは随分雰囲気が変わった気がします」 ぱらぱらとページをめくり、布美枝は倉田の漫画を探して、 「ほら」 と茂の頭上から見開きのカラー絵を向けた。 「!だらっ」 思わず茂が上げた叱責に布美枝はきょとんとする。が、構わず、 「ねっ。綺麗ですよねえ」 目をきらきらさせて布美枝が見せた倉田の絵は艶かしい女性の裸体であった。 当然茂は同業者として、原作者のついた倉田の作風がエロティックなものであるというのを承知している。 それは極端な程に性を前面に押し出した作品が多いのだ。 「本当に倉田さん、昔から絵が上手だったですけんね。でも今は怖いぐらいに綺麗。何だか洋画のポスターみたい」 素直な感想を述べながら次々ページを繰る布美枝を、茂は何も答えずに見上げている。 「美男美女ばっかり出てくるわぁ、すごいなあ。本当に肌に触われそう」 「ああ?」 「これとか」 「――」 そこには絡み合う男女の一対が画面一杯に描かれていた。 欲望のまま男に奉仕する女。汗ばみ女を貫く男の姿。 赤裸々な人間の生態がエンターテイメントに昇華されている。 「このお腹とか、筋肉とか。本当に」 自分もセックスが絡む作品をいくらかは描いた。とは言え近年の自作を振り返ると、 「大人が読んでも耐え得る内容を、子供に向けて真摯に描いている」自覚はあるが、 わざわざそれを主題にすることは殆どなくなっている。 だから、布美枝が普通にこうした漫画に目を通す姿が一種奇妙に感じられた。しかも至極冷静に。 (……十何年も漫画家の女房だけん、どんな内容を読んだところでびくともせんのは当たり前だ) ましてや自分は妖怪やあの世を主に扱っているのだ。新婚当初、幽霊の醜女の絵に涙を浮かべて 驚いていた布美枝の顔を思い出す。 (それに較べりゃ、男と女の営みなんぞ) 布美枝自身も体験していることだ。 「――藍子はどげした」 「藍子ですか?夕方からお友達の家にお泊まりに行きましたよ」 「そげか。確か喜子も…」 「小学校の林海学校ですね」 「それで、イカルとイトツも鎌倉だ言うとったな」 「ええ、今晩だけみんなおらんmpですよ。久しぶりに二人だけの晩ご飯だったでしょう」 「そげだったか」 (えらく夕刊を熱心に読んでいたから、ぼんやりしていたのかな) くすりと笑う。 明日にはお義父さんお義母さんがお帰りです、藍子もですよ、そう言って雑誌を閉じ、 布美枝が自分の分もお茶を淹れようと横を向きかけたのへ、 「おい」 「はい?」 「もう、今日の仕事はしまいだ」 「あらそうですか。〆切、大丈夫ですか」 「仕事のことは、口を出すな。お母ちゃんが心配せんでええ」 「……すみません」 また余計なことを言った自分を責められたと感じた布美枝がしょんぼりとうなだれる。 はっとして茂はかぶりを振った。 「お母ちゃんも、もう寝え」 「は?」 「一緒に寝ろ、言うとるんだ」 「……」 ぽかんと口を開けた布美枝の側でがりがりと頭を掻き、次に布美枝のスカートを 抱えるように座ったまま茂の右手が抱き寄せた。 「きゃっ」 慌てて横向きに両手をソファにつく。勢い余って肘掛けにがくりとよろめくと、 ちょうど茂の額が布美枝の顎に触れた。 「おまえも寝ろ」 「しげぇ、さん…」 続いて吐息が触れる。茂が見上げてくる。目が合う。 「ええな」 囁く声が、夜にいざなう。 「…はい…」 どちらの声も掠れていたのは、情欲の溶け出した証拠だ。 ぎしりとスプリングが二人分の重みを訴える。 ゆっくりと唇を触れ合わせながら、布美枝は目を閉じてうっとりと息を吐いた。 茂の手が布美枝のこめかみから頬、肩、腕、脇腹を辿る。大きな掌、太い指。あたたかな右手。 多くを語らない茂だが、閨での茂の手は雄弁に伝えるのだ。布美枝を欲しいと。 (あたしも、欲しい…) 二人はまだ茂のベッドに並んで腰掛けていた。茂の背に腕を回し、ぎゅっとしがみつく。 意志めいた布美枝の行動に茂はやはり無言で答える。胸元に収まっている布美枝の身体を不意に離した。 「?」 顔を上げた布美枝に構わずその身体をぐいと押しのけ、自分は布美枝の背後に回る。 片膝をベッドに乗り上げ、後ろから抱き込んだ。 ブラウスをするりとスカートから引き出し、みぞおちからなぞり上げた。 「あっ…」 長い黒髪がぱさぱさと軽い音を立てる。下着の上から胸の頂きを弾かれた。 引っ掻いたり、きゅっとつねったり、悪戯な指がそこで蠢き続けている。 あっという間に固く凝ったそこを今度は直接掌が包み込む。 「――こいつは、あいつの絵のボリュームにはちょっこし足りんな」 「え…っ…」 「まあ、お母ちゃんは外人じゃあないけんな。背丈は外人並みだが」 「も、しげぇさ…、!は…ッ」 がば、と布美枝に片腕を上げさせ体勢を少し後ろに振り返させると、 それをくぐって茂の頭が布美枝の胸元に潜り込んできた。着ているものを全てたくし上げ、 乳房をこねるように揉み、剥き出しにした乳首を口に含む。 茂の性急な愛撫に耐え切れず身体は刺激される度にびくびくと跳ねる。 太腿を擦り合せるように身をよじる布美枝に気づき、唇を胸に寄せたまま茂は右手をスカートの内側に伸ばした。 ところが素直に核心へ触れるかと思ったら、内股をこじ開けるように力を込めて来たものだから布美枝はぎょっとする。 「い、いや…なんで、こげな」 「ええんじゃ」 「や、だって」 露にされ、窓越しの月光に照らされる己の脚はおろか下着までもが自分から見える。慌てて反対側に寄せた脚を、 それでは駄目だと言うように再び茂の手が割り開いた。 「うん。これならあいつの描いた女の脚にも勝っちょうわ」 長うて、白い。ひとりごちる茂に布美枝の胸がどきどきと高鳴る。 (そんな、倉田さんのあんな綺麗な絵の女性と較べるなんて、) 確かになまめいた描写が続いていたが、自分は茂の元で頑張っていた青年の活躍を確かめるために、 彼の作品に目を通していただけなのに。 くすくすと笑いが込み上げてくる。 「なに笑うちょる。余裕だな」 「そんな訳ないでしょう」 「ほうだな」 するっと下着の端から二本の指を差し入れ、茂みの奥で既に濡れていた秘部につぷりと押し込んだ。 「うん、ええ塩梅だ」 「ひぁ…」 潤む中を探るように動かされ、太い中指が布美枝を追いつめる。 固くザラザラとしたある箇所を繰り返しなぞられると、たまらなくなった。 「や、あ、ああ」 耐え切れず、ずるずると茂の身体を滑り落ち、布美枝はやがて俯せにベッドに倒れ込んでしまった。 それを良いことに布美枝から上半身から着ていたものを全て取り去り、夜目にも真白いその肌、 真っすぐな背骨がふるりと震えたのを見、茂は己の奥底から滾る疼きを覚えた。改めて布美枝の傍らに左半身を伸べ、 自分も慌ただしく前立てを開く。 「ええわ、このままで…」 スカートの奥から下着を引きずり下ろし細い足首から抜くと開かせた脚の間に自ら入り込み、 猛々しい怒張の先端をぬるりと含ませた。 「ア、ああ…しげぇ、さ…っ」 シーツを両手でぎゅっと握りしめ、目を固くつぶり背後から襲いかかる夫の熱を受け止める。 浅く、深く、自分を貫くものの激しさに布美枝は身も世もなく戦慄いた。 「あ、あ、あ…、だ、だめ…っも…」 白く柔らかなラインを描く脇腹とベッドの間に腕を差し入れられると、腰を上げさせられた。 常なら恥ずかしいと困惑するその格好だったが、余りの快楽に布美枝は我を忘れたように喘いだ。 ぞくぞくとした感覚が茂のいるところからせり上がって来、その返礼として茂のいるところが強く収縮する。 「ち…ッ」 (こりゃかなわん) 理性の吹き飛びそうな脳裏の端で負けを感じながら、茂は細い腰を掴む腕に力を込めると、 込み上げる劣情のままに大きく揺さぶり、互いを求め奪い与え刻み、共に極みを目指した。 「あーあ…」 「何だあ、その気の抜けた声は」 「だって…、洋服がしわくちゃ…。布団も…」 「だらっ。布いう布はしわが寄るのが道理だけんっ」 サイドテーブルに置かれた眼鏡がきらりと光を弾く。 身体を離した二人は双方ごろりとベッドに横たわったままだった。 両腕で自らの身体を抱くように隠す布美枝が茂の喉元に擦り寄って来た。 「寒いか?」 「いえ、大丈夫です」 「だな。お母ちゃんの身体は、がいに火照っとったけんな」 「まあ」 じろりと睨む。 「…でも、倉田さんの漫画の中の人達に負けんぐらい、」 悦かったですけん…、聞こえないような声で呟く。 「何か言うたか?」 「いいえ」 ふんっと鼻を鳴らした茂の腕が布美枝の背まで回された。 「もう寝よう。洗濯は明日せえ」 「わかっちょります」 眼差しを交わし、そっと笑い合う。 時に激しいこの幸福がいつまでも穏やかに続くように。 二人は気怠く蕩ける身体を最愛の伴侶に絡めて委ね、まだ明けぬ夜を惜しむように目を閉じた。 SS一覧に戻る メインページに戻る |