河童の嫁とり
村井茂×村井布美枝


「あれ?今、鳴いたようですな・・・・・・コーンと。」
「えっ、そげですか?」

茂にならって目を閉じ、狐の声に耳をすませてみたが、何も聞こえない。
傍らの茂はといえば、窓にもたれて寝息をたてている。

(ええ〜っ?困ったな。私では運べんし・・・。)

「こんなところで寝たら風邪ひきますけん。布団に入ってごしない。」

フミエは必死で茂を起こして布団に向かわせた。

お見合いで初めて出会ってからたったの五日、あわただしく婚礼を挙げた
二人の、これが初めて一緒に過ごす夜だった。

窓を閉め、自分も茂の隣りの布団に入って横になった。
夫婦になったとは言え、ほとんど知らないと言ってもいい男と、
夜、ひとつ部屋で隣り合って寝ていることが信じられない。

(でも、今日は飲めないお酒で気分が悪うなっておられるけん・・・。)

少し猶予を与えられてホッとしたような、拍子ぬけしたような。

(結婚したんだし、私もええ年なんだけん、覚悟はできとるけど・・・。)

複雑な気持ちで、目を閉じて眠ろうとした、その時。

「・・・そっちに行っても、ええですか?」
「・・・は、はい。」

ドキンと飛び上がった心臓は、落ち着いてくれないどころか、ますます
暴れ出して、のどから飛び出して来そうになる。
気がつくと茂はもう、上からフミエを見下ろしていた。
じっとみつめられ、思わず目を伏せると、下からすくいあげるように
口づけられる。
初めての感触に身を固くしていると、前で結んだ帯はいつの間にかほどかれて、
浴衣の前をはだけられ、あらわになった胸へと口づけが下りていく。

(ふ、夫婦になったんだけん。誰でもすることだけん・・・!
茂さんに恥をかかせたら、いけん・・・!)

フミエは必死で恥ずかしさや恐れと闘った。

下ばきを脱がされ、固く閉じていた両腿を、茂が膝で割った。

「・・・!」

うるおいを確かめられるだけでも、死ぬほど恥ずかしいのに、指はさらに
奥を探りはじめる。
受け入れる場所を探り当てると、茂はフミエの目をのぞきこみ、

「・・・ええな?」

とささやいた。フミエがかすかにうなずくと、茂はおのれの昂ぶりを
フミエのうるおいに何度かなじませてから、ゆっくりと進みはじめた。
今日まで大切に守ってきたその場所を、男の力でじりじりと押し開かれてゆく。
泣くまいと思っても、自然に涙があふれた。

「そげにガチガチにならんと、もうちっと力をぬいてごしない。」

涙でぼやける目をあけると、まぢかに茂の顔があり、またじっとフミエを
みつめている。ふ・・・とその目が微笑んだ。

「全部・・・入ったけんな。」

フミエはホッとしたが、

「このままでは終われんけん、ちょっこし動くぞ。もうちっとがまんしてごせ。」

茂が律動を開始すると、痛みはますますつのり、しまいにはしびれたように
なってしまった。
敷布をにぎりしめ、ひたすら耐えていると、茂は動きを速め、身を固くして
何度か腰を打ちつけると、ぐったりとフミエの上におおいかぶさった。

(終わる・・・ってこういうことなのかな?)

フミエはホッと安堵すると、そっと目を開けて、今結ばれたばかりの
男の顔を見た。
・・・またもや眠っている!しかも今度は熟睡だ。
フミエはあっけにとられた。いくら夫婦とは言え、大切な最初の夜に、
事を済ませたら、即、爆睡とは・・・。

「お、おもい・・・。」

フミエは必死で茂の下から抜け出し、正体のない茂に浴衣を着せかけた。

(今日は、お疲れかもしれん。明日は長旅だけん、いろいろお話も
できるよね・・・。)

フミエはあじけない思いをなんとか封じ込め、眠りについた。

翌朝、ぎりぎりまで寝ていたくせに朝ごはんはしっかり食べようとする茂を
イカルが追い立て、二人は大急ぎで駅に向かった。
見送りに来てくれた家族との別れに、フミエは涙を流したが、
茂はなんだかボーッとしており、その後の車中での会話もかみあわなかった。

東京に着いて数日がまたたく間に過ぎ、フミエは茶の間のちゃぶ台の前で
ぼう然としていた。夢に描いていた新居は想像を絶するボロ家、
集金人をおそれて居留守を使う生活、貯えもいっさいないと言う。
下宿代のためとは言え、新婚早々得体の知れぬ男に部屋を貸すことになり・・・。

だが、それよりもフミエの心に重くのしかかっていたのは、

「一週間も帰省したのが、致命的でした。」

という茂のひと言だった。

(茂さんは、結婚などしたくなかったのではないか・・・?)

という恐ろしい疑念が、黒雲のようにわき起こってくるのを止めることが
できなかった。
婚礼の夜以来、茂はフミエに指一本ふれるでもなく、フスマの向こうに
こもったままだ。

(あれは、夢だったのかも・・・。)

そんなはずはない。初めての口づけの感触、身体をひらかれる痛み、茂の
息づかい・・・今もなまなましくよみがえってくる。
本来は、無口な人なのかもしれない。お互いのことを何も知らないに
等しいのだから、話が合わないのはしかたないが、もう少しふれあいが
ほしいと思うのは、はしたないことなのだろうか?
フミエの家族は、両親を始め、兄や姉たちもみなそれぞれ仲の良い、
幸せな夫婦ばかりだった。

(私だけが、とんでもない道を選んでしまったのでは・・・?)

不安とみじめな気持ちが、フミエの心を凍りつかせていた。

それからまた数日がたったある日。原稿が完成し、出版社で原稿料を
もらって来た茂は、帰ってくると、仕事部屋が勝手に整理されていることに
腹を立て、フミエを叱りつけた。・・・フミエの中で何かがプツリと切れた。

「村井さんの考えとること、少しは話してもらえんと・・・。
これから、一緒に暮らしていくんですけん・・・!」

おとなしいフミエの、精いっぱいの訴えだった。
逃げるように買い物に出かけ、暗い気持ちで帰って来たフミエを待って
いたのは、思いもかけないプレゼントだった。
茂がフミエ用の自転車を買ってくれ、深大寺まで一緒にサイクリングに
出かけた。ささやかなデートだったが、フミエは心から楽しんだ。
水の音を聞いたり、いい感じのお墓をさがしたりしながら、ふたりは
さまざまな話をした。ふるさとのこと、子供のころのこと・・・。
ふたりの間を隔てていた暗雲がどんどん晴れて、茂という人の顔が
見えてきた感じだった。

その夜、やっと二人でなごやかに食卓を囲んでいるところへ、思わぬ闖入者が
現れた。だがそれは、茂の大ファンで、後々とても大切な友人となる戌井との
うれしい出会いであった。
貸本マンガ界の将来を憂える戌井に、
「マンガ家は、黙ーってマンガを描きつづけとりゃええんです。」
と言う茂。茂の言葉や態度には、人を納得させ、やすらがせる何かが
あるようだった。

(私もこの場所で、自分にできることを精いっぱいやって、この人を
ささえて行こう。)

フミエも自然にそう思えるのだった。

ようやく静かな時間がおとずれた。
茂がさしのべる手に身をゆだねて、フミエは広い胸に抱きこまれた。
初めてのときは、何もわからないまま抱かれ、ただ必死で耐えていたフミエ
だったが、今は茂に向かって急速に傾いていく心を止めることができない。
茂の指がふれるたび、そこからとけていきそうな自分に戸惑いながら、
唇を重ねる。舌と舌をからめあう大人の口づけに、すべてを奪い去られる。
茂が自分を求めてくれていることがうれしくて、自分もうるおっていく。
フミエを貫きながら、茂がゆっくりと身体を重ねてくる。いとしい重さと
いうものがあることを、フミエは初めて知った。
身体がつながると、茂がフミエをまっすぐにみつめた。やさしい目だった。

(あの時と、おなじ・・・。)

抱きしめられ、素肌と素肌のふれ合うここちよさに、おずおずと茂の背に
腕をまわすと、息がつまるほど強く抱きかえされる。
まだ本当の悦びというものは知らないけれど、初めて茂と身も心も結ばれた
幸福感にフミエは酔い、しらずしらず涙があふれた。
茂がしだいに動きを早め、フミエをギュッと抱きしめて、果てた。フミエは
その瞬間を感じとり、なんともいえないいとおしさを感じながら、奥ふかくで
茂の精を受けとめた。
強く抱きしめあったまま、ふたりは荒い息をおさめた。
やがて顔をあげた茂は、フミエの涙を見るとあわてて聞いた。

「どげした?・・・痛かったか?」
「いいえ・・・。」

茂を困らせてはいけないと思っても、涙がとまらない。
茂は今日の昼間、自転車をもらって泣き出したフミエを思い出した。
自転車くらいで何も泣かなくても・・・と思ったが、考えてみれば、結婚以来ろくに
話もしてやっていなかった。

(こころ細かったんだろうな・・・。)

茂はそっと身体をはなすと、フミエの涙をふいてやった。

「・・・すまんだったな。ずっとほったらかしにしとって。〆切前のマンガ家というのは
人間じゃないけんな。あんたを思いやっとる余裕がなかった・・・。」
「私と結婚したこと、後悔しとられるんじゃないかと思うちょりました・・・。」

フミエは、今まで聞けなかったことを、思わず言葉に出してしまった。

「何を言っとるんだ・・・。俺はしたくもないことを我慢してするような人間じゃない。
子供のころから、我慢というものはあんまりせんことにしちょる。
婚礼の晩もな、ろくに話したこともないのにいきなりじゃ、かわいそうだとは
思うたけど・・・あんたが欲しくて、ガマンできんだった。」

ドキン!とフミエの心臓が飛び上がった。

「それに・・・早いこと俺のもんにしとかんと、逃げられたら困る、とも
思うとったけんな。」
「・・・逃げる?私が?」
「イトツの方の親戚に、婚礼の晩に花嫁に逃げられたのがおってな。」
「・・・そういえば、私の母も、婚礼の日に父がこわくて逃げ帰ろうと思ってたら、
父が安来節を歌ってくれて、うちとけることができたんですって。」
「ほう。あの親父さんがなあ。」

茂がたのしそうに笑い、フミエも笑った。

「今日は、おしゃべりなんですね。」
「俺は生来、興味のあること以外はそんなにしゃべらんのです。」
「お見合いの時は、気さくでほがらかな方だとみんな言うてました。」
「ああ・・・あの時は特別です。あんたや親御さんに気に入られようと必死で・・・。
河童の嫁とりのようなわけにはいかんけん。」
「あ、その話なら知ってます。小さいころ、おばばがよう話してくれました。
・・・でも私、いつも思っとった。あげに好いてくれとるものを、だまして
殺すなんてかわいそう。私ならお嫁に行ってあげるのに・・・って。」
「やさしいんだな、あんたは。」

フミエは、うす闇の中でもわかるのではないかと思うくらい真っ赤になった。

やがて茂は眠ってしまったが、フミエはなかなか寝つけなかった。
思いもかけない茂のまっすぐな言葉や態度が、フミエの心を打ち抜いて、
布団の上で身体がふわふわと浮いているように夢ごこちだった。
初めてひとつになった時、フミエを見つめていたあの優しい目・・・。
なぜ今まで思い出さなかったのだろう?昨日まで悩んでいたのが嘘のようだった。

翌朝、起きてきた茂の顔を見たフミエは、意識するまいと思えば思うほど、
顔が赤くなってしまうのを止められなかった。

「ん?あんた、顔が赤いぞ。裸で寝るけん、風邪ひくんだ!」
「や、やめて下さい。そげなこと大きな声で。それに、寝巻きならちゃんと
着て寝ましたけん!」

ますます真っ赤になったフミエだったが、それはもうトキメキゆえでは
なかった。フミエは怒りながら、おかしくて笑ってしまった。

「まったく、もぉ・・・。」

(この人と一緒に暮らしていくってことは、ドキドキしたりときめいたり
するよりは、ビックリしたり笑ったりすることの方が多そうだな・・・。
それも悪くないか・・・。ずっとドキドキしとったら、心臓に悪いけんね。)

早春の朝の日差しが射し込む窓に立って、茂がまぶしそうに顔をしかめた。
フミエはそんな夫のとなりに並んで、さわやかな風を胸いっぱいに吸い込んだ。






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