間男未満
村井茂×村井布美枝


「浦木さん、浦木さん!」
「・・・かーっ。」
「どげしよう・・・。」

村井家の茶の間で、布美枝は途方にくれる。

少し前まで、ここでは夫、浦木、はるこ、そして自分の4人で、夕餉を囲んでいたのだ。
昼から、はるこが「勉強を兼ねて!」と茂のアシスタントに来ていた。そこへ以前、彼女の予定を聞きだしていた浦木がまた「奇遇ですね!」と偶然を装いやって来た。
すったもんだの末に、気がつけば夜。時間も時間だったため食事を出した、という流れだった。
茂を尊敬しているはるこは、色々と夫に話しかけ、どれが面白くない浦木は、ものすごい速さでお酒を飲み、つぶれた。
今現在、夫ははるこをアパートまで送ってやっている。

「すぐ帰る。」

と言い残して出かけた夫を思い出し、なんだか唇の端が上がった。

「はるこさん・・・。」

むにゃむにゃと呟く声に布美枝はわれに返り、再び起こす作業に入る。

「浦木さん、起きてごしない!」
「んー。」

やっとぼんやり目を開いた浦木に、ほっとする布美枝。

「夜も遅うなりますけん、早いとこ」
「はるこさん!」
「は?」

ぼんやりと自分を見上げていた浦木が、焦点の定まらない目のまま、自分ではない名前を呼ぶ。

「はるこさんー!」
「きゃーっ!」

しゃがんでいる所へ飛び掛られ、布美枝はバランスを崩す。浦木はそのまま、体を押し付け、ぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。

「違います!浦木さん、私は、はるこさんで、ふゃんっ!」

はるこさんではありません、と言おうとした。しかし、浦木が顔を胸にこすりつけたのが、胸の先を刺激し、思わぬ声が出てしまった。
そのまま、胸に顔を埋められ、がっちりと捕獲され、布美枝は焦った。

するり、と何かが尻に触れる。それが浦木の手だと理解して、布美枝は血の気が引く。
そのまま、触れた手は片方の丸みを鷲づかんできた。
怖くて目に涙がにじむ。必死になって、何かを叫ぼうとした時。

「こんの…だらずがぁっ!」

ドカッという鈍い音ともに、上にのしかかっていた重みが消えた。

「あなた!」
「布美枝…。」

いつの間にか帰ってきた茂が、浦木を思い切り蹴飛ばしたのだ。

「無事か。」
「え、ええ。」

確認をとるとすぐ、茂は浦木の襟首をつかみ、ゆすり始めた。

「おい、イタチ!起きろ!」
「う、ぐ、ぅ?」

首が閉まって起きた浦木は、唸り声をあげる。

「おう、ゲゲ。」
「おうじゃ無いわ!貴様、今、何しちょった!」
「何って…夢を見ちょった。」
「ほーう、どんな夢じゃ?」

間男する夢でも見ていたなら、今後出入り禁止にしてやる!と茂は心に決めていた。

「は…はるこさんの夢だ!」
「嘘つけ!」
「本当だ!はるこさんと、甘美なひと時をすごしとったのに、お前が首絞めたせいでだなぁ!」

今度は浦木が茂に詰め寄る。そこで、はたと浦木が気付く。

「って、おい、はるこさんはどげした?」
「お、お前が寝てる間に、帰られたわ。」
「なぁにぃ?!はるこさんをこの暗い中、歩かせたのか!」
「いや、ちゃ」
「こうしちゃおれん!奥さん、ごちそうさまでした!」
「は、い。」

上着をひっつかむと、嵐のような音ともに、浦木は出ていった。

「なんじゃあいつは、本当に騒がしい。」
「そげですねぇ。」
「はるこさんなら、ちゃんと送って行ったっちゅうに。」

と、ここまで普通に会話して思い出す。
さっきまで妻は、イタチに襲われていたのではないか。
幸い、ことに至る前に救えたものの、やはり、胸にいら立ちが募る。

「…すまんかったな、あんな男と二人にしてしまって。」
「いえ、最初から、私のこと、はるこさんと間違っておられたので…。」

しかし、確かに怖かった。
自分の愛する人以外に触られるのがあんなに恐ろしいものだと、初めて知った。
今さら、震えが来る。

「おい!」

ほろり、と涙が落ちたのを見て、茂が慌てた。

「す、すみません、なんか、急に、怖くなって。」

二滴、三滴と、涙はゆっくりと流れ落ちる。
右往左往していた茂だったが、ふう、と深呼吸すると、布美枝を抱きしめた。

「すまんかった。もう、怖くない。」

小声ながら、はっきりとしたその言葉を、夫の腕の中で聞いた。布美枝は身体から緊張が抜けていくのを感じ、頭を茂の肩にもたれさせた。

「ちなみに…何をされた。」
「へぇっ?!」

唐突に聞かれ、布美枝は素っ頓狂な声を上げる。

「イタチにだ。どんなことされた。」

言葉に詰まる。具体的に言うのも恥ずかしいうえ、夫がなぜそんなことを尋ねるのかが分からない。

「えと、その…抱きつかれ、まして。」
「ほーう、それで?」
「そ、それから、うぅ…お、お、お尻を、ちょっこし、触られました。」

言葉にすれば短いものだが、いつまでたっても純情な布美枝には、恥ずかしすぎた。
おずおずと、上目遣いになりながら、茂を見る。

「そうか、そんなことをされたか。なら…」

茂は、なぜかにっこりと笑う。

「消毒せんとな。」
「は?」
「イタチなんぞに触られたままでは、良くないからなぁ。ここはやはり、一晩かけて、俺が消毒してやらんと。」

とてもいい笑顔で茂が言う。しかしその心の中では、俺の嫁に触りやがって!というイタチへの嫉妬が渦巻いている。

「え?え?」

なんで怪我もしてないのに消毒?一晩もかけて?と布美枝は訳が分からない。

「さあ、頑張るか。」
「はぁ?」

疑問符をまき散らす布美枝の手を引き、茂は布団を目指すのだった。


そのころ。

「ったく、ゲゲの奴、思い切り揺さぶりおって。首ががくがくしたわ。」

浦木は終電に揺られながら、独りごちていた。

「しかし、ゲゲの奥さんは、良い反応を返してたなぁ。涙目もこう、ぐっとくるものが…いかんいかん、俺にははるこさんという人があるんだ!」

そうブツブツつぶやきつつも、機会があれば、ちょっと間男の真似をしてみるのもいいかもしれない、と心の隅で思った浦木だった。






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