村井茂×村井布美枝
珍しく、藍子の寝かしつけを茂が任された夜。 藍子は小さな布団に頭から包まり、茂はその横でごろりと腹ばいになって、 ふたりで囲む絵本はなるほど、1月の真冬らしく「雪女」だった。 「『…そうして、お雪は吹雪の中に消えていったそうな。』おしまい」 ぱたりと本を閉じると、藍子はきょろりと大きな瞳で茂を仰いだ。 「どうして?いなくなったの?」 「自分が雪女だってことを誰にも言ってはいかん、という約束を破ったから、 怒っていなくなったんだろ、…多分」 「ごめんなさい、言っても?許してくれないの?」 「うーん、そういう次元の話ではなくて」 「ジゲン?」 時折、子どもの素朴な疑問に、本気で頭を悩ますことがある。 特に3歳になりたての藍子はここのところ、「どうして?」症候群に取り付かれている。 そうしてあれこれと問いかけられると、意外と答えに窮することがあったりで、 自分でも普段知らず知らずに、訳もわからず納得「させられている」ことが多いという事実に気づかされる。 茂は寝転んだまま頬杖をつき、顔をしかめてウンウンと考えた。 「確かに、なして出ていく必要があるんだらか。惚れあっとるなら別に妖怪でもなんでも 一緒におったらええ話だわな。イマイチよくわからん女だな、雪女って」 「ホレアットル?」 「好きで結婚しとるということ」 「おとうちゃんとおかあちゃん?」 「え?」 布美枝ゆずりの、大きな印象的な目玉が、茂をじっと見つめた。 「好きだからケッコンしたの?」 「…」 一段と答えに詰まる問いかけを投げられた。 自分と布美枝の場合、好きだのなんだのという以前に一緒になったわけで。 かといってそんな大人の事情を3歳児に理解できるはずもなく。 しかしそういう感情が皆無かといえば、そんなはずはない。 現にお前自身がその感情のもたらした結晶ではないか、などと。 これまた子どもに説明するには高等すぎる。 答えは単純な二文字なのだけれど…。 また茂が頭を掻きむしりながらウンウン呻っていると、 「藍子、よー寝とりますね。だんだん」 控えめな声で布美枝が現れた。 えっ、と思って藍子を振り返ると、既にすやすやと規則的な寝息を立てていた。 答えにかなり窮する難問を投げかけておきながら、憎らしいほどの安らかな顔。 独り真剣になっていた自分が、いつの間にか取り残されていたことに、少しだけ照れた。 「雪女?…ふふ、おとうちゃんらしい」 枕元の絵本を手にしながら、布美枝がぱらぱらとページをめくる。 その緩やかな微笑みに、少しの間見蕩れた。 茂の視線に気づいたように、顔を上げた布美枝が「ん?」と目をぱちくりさせる。 藍子の目玉は、心底こいつの遺伝だ、と思った。 ぱっと顔を背けて、茂は自分の布団に横になった。 「その絵本の雪女、お前に似とると藍子が言っとった」 「そげですか?」 「白くて、ひょろっとしとって、…薄っぺらいとことかな」 「あ、もうっ!」 膨れ顔の布美枝を、からかうように笑って布団をかぶった。 「消しますよ」背中で布美枝の声がしてから、やがてふっと暗くなった。 …そろそろ、かなと茂は思う。 先週から、女性の「理」が布美枝の身体に訪れていたのだが。 日数的にはもうそろそろ解禁されても良いはずだった。 とはいえ、自分からまだかまだかと催促するのも卑しい感じがして、 いつもこのタイミングを見極めるのは難しい。 目を閉じれば眠れないこともないのだけれど。 「…おとうちゃん」 どきっと一瞬鼓動が反応した。 「…寝た?」 「…いや、なんだ」 「…………そっちに…行っても…ええ、です、か」 ―――きた。図らずも、向こうから。 待ってましたというのが正直なところだが、そんなことはおくびにも出さずに、 ただ黙って布美枝を振り返ると、そっと布団を持ち上げた。 すすす、と滑り込んでくる細い身体を、布団と一緒に抱きしめた。 「ふふ…あったか」 「うわっ、冷た」 抱きしめた布美枝の身体は、まるで氷のように冷たい。 「雪が降っとったんです」 「どうりで寒いはずだな」 「キレイだけん、ちょっこし見蕩れとったらこげなってしまって」 ぴたっと両手を茂の首に宛てた。 「冷…っ!こら!」 「ふふふ」 悪戯っぽく微笑む布美枝をじろりと睨む。 布美枝は微笑んだまま、茂の首に腕を絡めてそっと自分の方に引き寄せた。 ちゅ、と軽く触れ合って、それからぱくりと食べるように包まれて、 すぐに舌が伸びてきて、互いの口唇を行き交った。 名残惜しそうに唇は離れて、少し余った息を吐く。 「…ええのか?」 問いかけに、小さく頷く答えが返ってきた。 布美枝の手が、腰のあたりで適当に結んであった茂の帯を解き始めた。 時々こうして茂よりも積極的な布美枝になる夜がある。 特に禁を解かれたあとの日などは、その傾向が顕著だ。 女の生態は未知の領域。 異様に引き潮の日もあれば、思いもよらず荒波の日もあり。 穏やかな波が打ち寄せていたかと思えば、満ち満ちる満潮の思いが伝わる日もある。 本当に女の心理は不可解。 『嗚呼、永遠の女なるもの…』などと、ゲーテの言葉が思い浮かんだが、 背中に這った布美枝の冷たい手に、ぞくっと震えて続きは忘れた。 「寒い…ですか?」 さすがに申し訳なさそうに布美枝が問いかけた。 「まあ、ええ。風邪ひかんようにしぇ」 気を取り直して、今度は茂が布美枝の寝間着に手をかけた。 藍子が絵本の雪女を布美枝に似ていると言っていたのは本当で、 暗闇の中、白く映える布美枝の身体は、本当にあの絵の女のようだった。 外からの明かりに、ぼんやりと浮かび上がる白い乳房の先端に、 花の蕾のように小刻みに震えるピンク色を、包み込むように咥えた。 「ふっ……ぁ…」 まるで甘い菓子のような、ふわりと鼻腔をくすぐる香りがあった。 舌で包み、ざらりと舐めまわしたあとに、甘く噛んでみる。 一瞬、肩をすくめて小さく喘いだ反応を愉しんで、 今度は指で硬く尖らせ、柔肉とともに揉みしだいた。 相変わらず冷たい布美枝の身体は、熱くなっていく自らの身体と合わされば 逆に丁度良いのかも知れないな、などとぼんやり考えながら、 細い首に口づけたり、長い髪を弄んだりしてみる。 布美枝の小さな口づけも、時折茂の肩や胸に吸い付いて、 遠慮がちな紅の痕を付けてみたりしているのが微笑ましい。 硬直して先走る自身の下半身を押さえ込みつつ、布美枝の愛撫に目を細めた。 今一度、深い口づけを絡ませながら、下腹を通って秘所を探る。 すると布美枝は、茂の右手を両腿で挟んで、べーっと舌を出してみせた。 くすりと苦笑してから、耳に齧り付く。 「ゃんっ…」 ねっとりと舌を這わせて囁く。 「ここだけは、温いな」 「ん…あ…」 弛緩する腿から右手を引き抜き、直接下着の中へ指を忍ばせた。 ぴちゃり、と音がする。 「…あ、…っっ…ん」 吸い込まれるように中指を挿し入れると、溢れた愛液で掌が濡れた。 茂の視線から逃げるように、顔を背けて恥らう布美枝に、 わざと聴かせるように音を立てた。 「や、あ…っ…!」 掻きまわすたびに溢れる淫液が、やがてぐっしょりと滴るほどに茂の手を覆う。 「ほれ」 意地悪く布美枝の眼前に掌をかざして、羞恥を誘った。 「やっ!」 不意に布美枝がその手を握り締め、がばりと起き上がり、茂を組み敷しいた。 どさり、と意外にも大きな音がしたので、一瞬藍子を振り返った。 こちらには背を向けて、すやすやと肩を揺らしているのが見え、ほっとする。 組み敷かれたとは言っても、片腕でぽいっと容易く投げられるほどの軽さ。 お好きなように、と挑発するように、布美枝を見上げた。 瞬間、その姿態に釘付けになる。 ゆらめく白い肌、長い黒髪が唇に引っかかり、恍惚の瞳が茂を見下ろす。 冷たい手が、すす、と茂の胸板をなぞると、ぞくりと背中に寒気が走った。 妖しい、美しさがそこにあった。 身動きが取れない。まるで妖術にかかったかのように。 妖艶な裸体を見上げて、ただただ固まった。 「雪女…」 「え?」 思わず呟いた茂の言葉に、きょとんとした顔は既にいつもの布美枝だった。 「まだ言う。もぅ、怒りますよ」 「あ…」 大袈裟に、がぶりと首筋に食いつかれて、我に返った。 「ふふ…」 「一瞬、本当に…」 「おとうちゃん…」 茂の言葉を遮るように口づけられる。 目を閉じて、先ほどの妖美な姿を手繰り寄せようとしたとき。 自らの隆起した先矛が、布美枝の胎内へ押し込まれる感覚に再び目を開いた。 「は…っ」 眉をひそめる布美枝の額に口づけ、その腰を掴んで挿入を手助けた。 ぐっと奥まで踏み込んだ瞬間、茂の上の白い身体がのけぞった。 茂は起き上がり、布美枝の背中に腕を回す。 布美枝もその冷たい身体をぴったりと茂に寄り添わせて、腰を動かし始めた。 「あっ、ん…ふ、ぅ、あんっ…」 貫くたびに洩れる嬌声と、揺れる乳房に、茂の支配欲は掻き立てられる。 そういうことを、布美枝は本能で知っている。 そんなあたりが、この女の侮れないところだ。 「し…げぇさ…」 喘ぎに名前が入り込んでくると、自然と口の端が緩む。 いつもは「おとうちゃん」を連呼する布美枝が、自分の名前を口にすることは少ない。 まして、快感に逆上せた嬌声まじりの呼びかけは、それだけで茂の「雄」を刺激する。 氷のような身体とは正反対に、布美枝の中は熱い。 内側の襞が、搾り取るようにして陽根を掻き抱き、亀頭の先が奥壁にぶつかる。 ぬめる卑猥な音を聴きながら、布美枝の唇を貪り喰った。 「しげ…も、ぅ……ん、ぁっ…」 言葉にならない呻きで、茂に絡み付いてくる。 抱きしめる細い身体が、やっと熱を持ってきたことにほっとした。 最後のときが近い。 茂は布美枝をそのまま押し倒し、潤む瞳に口づけた。 「溶けるなよ…雪女」 激しく数度揺さぶって、熱い迸りを膣奥へ注ぐ。 息を整える間、絡まってきた布美枝の足先は、やっぱりひんやりと冷たく。 (本物の雪女かもしれん…) ふうと、ため息をついて苦笑した ― ― ― 布美枝の長い髪で遊ぶのは、少し楽しい。 くるくると指先に絡めてみたり、するすると櫛梳いてみたり。 くすぐったそうに身をすぼめて、寄り添ってくるのもひとつの楽しみだったりもするが。 「雪女はなして、自分から正体明かすようなことして出て行ったんだと思う?」 「そげですね…」 女の生態は女に聞けばわかるのかも知らん。茂はぽつりと問いかけた。 「おとうちゃん、実はね」 「ん?」 「あたし、雪女なんです。だけん、こげに手も足も冷たいでしょう?」 にこりと笑って、こちらを見上げる。 「…と、ある日あたしが言ったらどげします?」 「だら。冗談か」 「あら、本当だと思った?」 くすくすと笑われて、少し癪に障った。 冷たい鼻先をつまんで、うにうにと左右に振ってやった。「痛い痛い」とそれでも笑っている。 「こっちは藍子に宿題出されとるんだ。女心は俺にはわからんからな」 「好きな人に、自分のことを怖がられとるのが嫌なだけでは?」 「ん?」 「巳之吉は、雪女に襲われて怖い思いをしたことをいつまでも覚えていて、 自分の女房に話したんでしょう?その女房が雪女だと知らずに」 「うん」 「大好きな人に、本当の自分はとても怖れられているって分かったら、つらいですよ。 一緒に暮らすのは毎日つらいと思う。いつか何かのはずみに自分の正体に気づいて、 離れていってしまうのなら、いっそ全てを話して自ら消えてしまおうって思ったんじゃないかなあ」 「そこがわからん。巳之吉の思いは聴かんのか」 「男心はあたしにはわかりませんけん」 「好きなら妖怪だろうが人間だろうが関係ないだろ」 「うふふ」 笑うような答えだっただろうか?布美枝を見やると、ちゅ、と軽く接吻された。 「…なんだ」 「なんでも」 そういって、なにやら含み笑いの布美枝は茂の胸の中で目を閉じた。 永遠の女なるもの、我を「悩み」に導いていく…だったかな。 ゲーテの言葉が、いまいち思い出せない茂だった。 ― ― ― 「おとうちゃぁん…」 小さな雪女が、茂の布団に潜りこんで来た。 「んん…冷たいなあ、藍子、どげした…」 抱きしめた愛娘の冷えた身体に、寝ぼけ眼も醒めようというもの。 眩しい朝の光が差し込んで、きん、と冷えた冷気に吐く息も白い。 「おかあちゃんは?」 「下でおるんじゃないのか」 「いないの」 「え?」 布美枝の寝床は片付けられていたが、それはいつものことだった。 が、階下に布美枝がいないのはおかしい。 藍子を抱えて階段をやや急ぎ足で降りたが、確かに布美枝はどこにも居なかった。 『あたし、雪女なんです』 布美枝の声が蘇ってきた。 いつまで経っても冷たい身体。 一瞬固まって見入ったほどの妖艶な裸体。 正体を明かした途端に消えた女房。 茂の鼓動が、どくどくと嫌な音を立てて内側から胸を叩く。 まさか、本当に本物の…? 藍子を抱えたまま、ぺたりとその場に座り込んだ。 不思議そうに父を見つめて、それから藍子はふと耳をすませた。 やおら、茂の腕から離れて、藍子は玄関の扉へ向かう。 思わず茂も立ち上がり、そのあとを追って扉を開いた。 「あら。起きたの?おとうちゃんまで。めずらしく早いねえ」 白銀の情景の中、雪女がにっこりとこちらを振り返った。 「おかあちゃん!」 「…なに…しとるんだ」 「雪が積もっとったけん、ほら、雪だるま。ちょっこし小さいけど」 玄関先に並んだ小さな雪だるまを見て、藍子は歓声を上げて飛び跳ねた。 そんな藍子を、布美枝はいつもの優しい笑顔で見つめていた。 ほう、と肩から力が抜けていく感覚に、茂は少し戸惑った。 布美枝が本物の雪女で、正体を明かして消えていったのではないか、と。 まるで絵本の通りの出来事に、かなり焦った自分がいた。 「さ、朝ごはんにしよっか。寒いけん、温かいお味噌汁、作ってるからね。 藍子、顔洗っといで。おとうちゃんも」 「はーい」と小さく返事をして洗面所へ向かう藍子。 あとから入ってきた布美枝は、放心したような顔の茂に首を傾げた。 「おとうちゃん?」 その顔をじっと見つめ、茂は思わず口づけた。 「え」 掠めるほどの、軽い口づけだったが、布美枝を驚かせるには十分だったようで。 白い肌が、一気に紅潮した。 「だら」 「な、なんで?」 疑問符だらけの布美枝を残し、洗面所へ向かった茂の顔は、満面の笑み。 藍子、絶対に秘密にするなら教えてやろう。 「好きだからケッコンした」わけではないけれど、 おとうちゃんは、おかあちゃんのことが「好き」みたいだわ。 SS一覧に戻る メインページに戻る |