村井茂×村井布美枝
![]() 棚の上のラジオと、出窓に置かれた時計が同時に0時を報じる。 昭和37年の始まり。 新旧の年を跨いで深く交わされる口づけは、こみち書房のキヨからお裾分けでもらった甘酒の味。 安来から送られてきた出雲そばを、茂が年越しそば代わりに食べていた、 その丼もまだ片付けていないのに、もう背中の方でしゅるしゅると帯が解かれる音がしている。 ラジオからは賑やかな音楽が流れてきて、新年を祝う人々の声。 「っ…ん――っ…」 じたばたと、やや抗ってみる。 その抵抗に少しだけ顔を離した茂が、しかしまた不敵な笑みを浮かべて口を塞ぐ。 「んっ、も…」 既に半分顕わになってしまっている素肌に、滑り込んでくる指がこそばゆい。 「待っ、ちょ…んっ、あな、た」 どんどん奪われていく理性が、瀬戸際のところで攻防している。 背中を支えられて、突き出すような姿勢になった乳房を舐り吸われて、 自分でも驚くほどの甘ったるい嬌声が、布美枝の喉からこぼれた。 「あっ……っ、ゃっ…んっ」 細い首筋から、胸の谷間へ、そして乳輪に円を描くように舌は這いまわり、 背筋はむず痒く、鳥肌が起つ。 「貴方…待っ…てって…」 「なんだ」 返答するのもおざなりに、茂は布美枝を貪るのを止めない。 今日の愛撫は、いつもの激しさとはまた違った趣がある、と布美枝はふと思った。 その理由も何となく判る…。 ―――さすがに正月ということもあって。 間借り人の中森は、どこから工面してきたのか、故郷への電車賃を捻出し、 昼間に軽い挨拶をすると、ほくほくと家族の待つ大阪へ戻っていった。 「気をつけて」 気のない見送りの言葉を投げたあと、茂が意味ありげな視線をちらりと布美枝に寄越した。 そのときの眼差しの「意味」が今夜のこの激情だとしたなら。 (助平なんだけん…) 中森に恨みこそないけれど、いくら存在感の薄い同居人とはいえ、 ふたりにとって二階の住人の存在は、睦事の際の最大の気がかりではあった。 それがここにきて結婚以来初めて、この家にふたりきりになったのである。 布美枝は茂への抵抗を諦め、その情熱に身を預けることにした。 寝間着を奪われ、寒さと羞恥に咄嗟に掛け布団をかぶると、 「こら」と軽く怒られた。 「だって…寒い」 「…ったく」 自らも厚い胸板を晒して、茂は布美枝を抱きしめ、今一度愛しげな口づけをくれた。 もともと布美枝は冷え性で、特に冬場は手足がいつも冷たい。 けれど茂は逆にいつでも温かく、普段から戯れでアンカ代わりに身を寄せると、 怒りながらも抱きしめて温めてくれる。 愛しい男に包まれる幸せは、身体の温もりよりも布美枝の心を温めてくれる。 「ふ…」 硬く尖った乳房の先端を甘噛みされながら、秘部へ右手の侵入を赦す。 会陰を楕円になぞられ、突端の陰核を摘み弾かれる。 やがて花弁の奥に包み込まれた入り口へ、長い指が入り込み、何かを探るように蠢いて進む。 快感に震える腰に力が入らず、身体の支えを求めて茂に縋りついた。 顎をのけぞらせてぎゅっと目を閉じると、耳元で低い声が囁く。 「もっと啼け」 「え?あっ!…やっ」 左脚を抱えられ、ひょいと簡単に腰が持ち上がった。 股の間に埋めた茂の顔が、しっかりと見える。 「…あぁっ…!」 何とも言えない痺れが全身を貫き、ずくずくと疼く場所から液が溢れ出す。 甘い蜜でも吸い取るかのように、それを舐め吸う夫の猥らな顔を、直視することなどできなかった。 「あ、…っ、なたっ…!んっぁ……っやぁ」 包皮を剥いて入り口を探り当てた舌が、ぬるぬると割り入ってくる感覚に、叫びに近い声で喘いだ。 尻にまで伝う唾液と膣液が、より一層の恥辱を誘って布美枝を昂ぶらせる。 胎の奥のそのまた奥から、放たれる決壊の予感に、しかし抗うことはできずに、 焦らされるようにじわじわと昇らされてから、すとんと一気に堕とされた。 身体中がじんじんして、横たえる姿態が我ながらだらしないとも思ったが、 自身の身体でありながらもうどうにもコントロールが利かない。 俎上の鯉よろしく、茂の成すがままに身を任せるしかなかった。 が、ここまできてやっと、嵐のような茂の攻めがぴたりと止んで、 柔らかく緩く、慈しむようにふわりと覆いかぶさってきて、布美枝の頬を撫でてくれた。 ぼんやりとその顔を、顎から瞳までゆっくりと眺め上げた。 「…意地、悪…」 「なして」 心外だ、という風で、茂は口を尖らせる。 「新年の…挨拶も…させてくれん、で…」 少し正気に戻って、火照った顔を隠しながら背けたが、 うなじのあたりに吸い付く唇に、また内側の燻ぶりを刺激された。 「あんたのそういう律儀なとこ」 空気を震わせることなく直接耳に入り込んでくる声音は、それだけで悦を与えられる。 「親父さんそっくりだな」 父の襲来からこちら、何かにつけて茂は源兵衛を持ち出してきては布美枝をからかう。 けれど夜伽の最中にあの厳つい顔を思い出させられると、少し気恥ずかしい。 くすくすと笑う低調の音と、甘い息を耳に吹き込まれて、目を閉じて小さくのけぞる。 しばらくそうして啄ばむようなじゃれ合いをしていたが、 「…も、ええか?辛抱が利かん…」 ぬめった隆起を宛がわれ、先ほどまでの優しい愛撫は、自分を気遣ってくれていたが故なのだと、やっと悟る。 茂に我慢を強いたことを申し訳なく思いながら、 言われずとも、こちらももう疼きを抑えきれない、というのが本音で。 むしろ強請るように布美枝は頷いた。 茂の首に腕を絡ませ、彼の熱を受け入れる。 狭い経路に割り入ってくる男根に、鎮められた昂ぶりを再度奮い起こされた。 口づけの狭間で零れる茂の官能的な呻きに、心臓が鷲掴みにされたように収縮する。 「……っ…あ…」 布美枝の肩に顔を埋め、ひとときの波をやり過ごしている様子が窺える。 顔にかかる茂の髪がくすぐったくて、首を振り払った。 横を向くと、横目で布美枝を見返す茂が、ふ、と口の端を上げて、眼で何かを予告する。 瞳の中の思惑を読み取ることができずにいると、いきなり大きく腰を引かれた。 「…はっ…!」 充填が外れてしまうかしまわないか、というところから、また一気に突き上げられる。 大きく揺さぶられる、あまりの力強さに床が軋んだ。 「ああっ…っ!」 遠のきそうになる意識を必死で追いかけて、茂に縋る手の力が強くなる。 烈する貫きに思わずぎゅっと目を閉じると、視覚以外の触覚が余計敏感になる。 夫の熱を感じ取り、息遣いを聴き、髪の匂いを吸い、唇の甘さを味わう。 声を枯らすほど喘いでも、「もっと聴かせろ」と耳元で妖しく命じられる。 「あ、あ、っ…ふ、ぅ…んっ、んん…!」 請われたせいでなく声高になるのは、きっと今夜の熱情はあまりにも狂おしいから。 所詮、理性が飛んでしまえば獣なのだと、自らの性に開き直るほどに。 「貴方…ぁ…っも、ぅ…、いけ…んんっ」 うっすらとぼやけていく視界の中に、快感と苦しみの間の表情の夫が見えた。 いつまでも見ていたい、愛しいひと…。 やがて放たれた白熱が胎を潤していくのを、布美枝は恍然の中に受け止めた。 ― ― ― 深夜のラジオから流れてくるのは、歌謡曲のリクエスト集か。 夢見心地で茂の腕枕に寝そべり、軽く口ずさむ。 「朝になったら初詣にでも行くか。深大寺」 「…はい!」 布美枝の笑顔が輝いて、大きく何度も頷いた。 「いつもと違って人がようけおるけんな」 「そげですか」 「あんたはいつまで経っても田舎くさくてぼんやりしとるけん、すぐ迷子になりそうだ」 「む…」 今度は大袈裟に頬を膨らませて、子どものようにふてくされた。 「ははっ、餅が膨らんだわ。美味そうだの」 「もうっ」 恨めしげに下から見上げてみても、微塵も気にしてないようだ。 「…手を…繋いでくれとったら、迷子にはならんのですけど」 「…だら。人前でそげなこっ恥ずかしい真似できるか」 「けち」 ふたりきりになったら、あんなに激しい情を交わしてくるくせに…。 布美枝はまたぷっと膨れてみたが、茂はもう目を閉じて静かになり始めた。 今月末には結婚して1年になる。紙婚式なんて、茂は覚えてくれているだろうか。 そっと手をのばしてラジオを止め、温かな胸の中へ沈む。 窓際の時計が時を刻む規則的な音に、布美枝もやがて眠りに落ちた。 翌朝、晴天に恵まれた初春の空気は格別に清々しい。 自転車を準備して、約束の初詣に出かけようとしたとき。 「あーっ、いけん」 「どげしました?」 茂ががちゃがちゃと自転車のチェーンをいじくっていたかと思うと、悔しげな声をあげた。 「チェーンが外れて直らん」 「あら」 ずいぶん年季の入った茂の自転車は、時折妙にギコギコという音をたてたり、 パンクを繰り返したりと、どうも老衰に近い状態にある。 「歩きますか?」 「うーん」 ぼりぼりと頭を掻いてから、ちらと布美枝の自転車に目線を移し、 「仕方ない」独りごちて、布美枝から自転車のハンドルを受け取った。 「乗れ」 「えっ?…って」 「歩いていくにはちょっこし遠いけんな」 「けど」 「大丈夫だけん、ほれ、早く」 言いながら、サドルに跨る。 布美枝もおそるおそる、後ろの荷台に横乗りして、茂の服を掴んだ。 「しがみついとかんと振り落とすぞ」 「え、は、はいっ」 慌てて広い背中に抱きつくように、両腕をまわす。 「大丈夫ですか?」 「おう、行くぞ」 こぎ始めこそふらついたものの、いったんスピードに乗ると安定し始める。 最初は片腕で自転車というのでも少し面食らったのに、 この人はどこまで器用なんだろう、と布美枝は思った。 やがて商店街にさしかかった辺りで、「まずい」茂がぽつりと呟いた。 「スピーカーだ」 「え?」 ややスピードを上げたような気がして、前方を覗いてみると。 「あーら、先生と布美枝ちゃんじゃない!」 なるほど、商店街のスピーカー三人衆、靖代、徳子、和枝の姿があった。 茂は小さく「どうも」と言うと、ますますペダルを強く踏んで一目散で三人を遣り過ごした。 後ろで三人の甲高い声が聞こえる。 「やーだ、お正月から仲いいことー!」 「ご馳走さまー!」 きゃらきゃらと笑われたのが、布美枝も照れくさくて俯いた。 手を繋いで歩くより、ずっとこちらの方が恥ずかしかったかも。 火照る頬をそのまま茂の背中に擦り宛てて、その温もりに浸った。 新春に吹く風は冷たく、けれどその風の盾になってくれるこの背は温かく。 力強く進む茂に寄り添って、きっと今年も幸せに暮らせますようにと。 布美枝は目を閉じて祈った。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |