しのだ妻
村井茂×村井布美枝


さすような師走の風がボロ家に吹きつけ、すきまから入り込んでくる。
妹の家を訪れている暁子は、本来ならぶしつけにあたるが、あまりの寒さに
コートを着たままフミエと話し込んでいた。美容院で整えた髪にイヤリング、
上等のウールのコートから香水の匂いのする姉は、この陋屋にあまりにも
不似合いで、フミエは申し訳なさに小さくなっていた。

「フミちゃん。輝子おばちゃんからの手紙、読んだでしょ?・・・どげ思うの?」
「え・・・。どげ思うって・・・。」
「私もね、まだ別れてもおらんのにどげなもんかとも思ったけど、輝子おばちゃんが
心配する気持ちもわかるのよ。」
「お父さんは、わかってくれたよ・・・。」
「お父さんは男だし、女の苦労はわからんよ。お母さんも心配はしとるけど、
お父さんの言うことにはさからえん。おばちゃんが一人でがんばっとるんだよ。」

昨日着いた輝子おばからの手紙の内容は、こんなところだ。

『フミちゃん、元気でやっとる?
義兄さんの話では、貧乏だが明るく暮らしとるというけど、暁子に聞いたら
ずいぶん困っとると言うだないの?姉さんも、義兄さんには言えんけど、
内心ではずいぶん心配しとるのよ。
東京でのことはなかったものと思って帰ってきなさい。ええ縁談もあるのよ。
昔、お話のあったにしき屋さんね、あの後お嫁さんに先だたれて、小さい子を3人も
抱えて後添いをさがしとるの。本人がイヤで断ったわけではないけん、フミちゃんさえ
気にせんのだったら、ええ話だと思うのよ。こちらも出戻りになるけど、あちらも
子持ちのやもめだから、つりあいも取れとるしね。
とにかく一度、安来に帰ってきなさい。』

フミエは、輝子からの手紙とお見合い写真を前に、ため息をついた。

「縁談なんて・・・。私は結婚しとるのに・・・。」
「だから、帰って来いって言うとるのよ。」
「私は今のままで、じゅうぶん幸せです。」
「何言っとるの。一日じゅう家事と茂さんの手伝いに追われて、そのうえ毎日の
暮らしにも不自由して・・・。お父さんが持たせてくれたお金、嫁入り道具買う前に
生活費に消えてしもうたんじゃないの?」
「・・・今は、ちょっこし仕事が少ないけん。仕事が入れば、お金もできるよ・・・。」
「そげに・・・茂さんのことが好きなの?」

真っ赤になって黙ってしまったフミエの表情が、その答えだった。
二十九にもなって、やっと嫁いだ妹・・・。初めて添うた男に、そんなに心を奪われて
いるのか・・・。暁子たちの心配をよそに、自分はしあわせ、と言い切るフミエの様子は、
どこかあぶなっかしくて、暁子はそんな妹が不憫でならなかった。
まわりあわせとは言え、ふたりの姉が嫁いだ後、年とった祖母や病弱な母にかわって
家事や家業の手伝いにフミエを便利に使ってしまった・・・という長女として申し訳ない
気持ちも暁子にはあった。

「親に心配かけたくないけん、ここで我慢しとるのかと思っとったけど、あんた・・・。
女だけん、初めての人と添い遂げたい、言う気持ちはわかるよ。でもね・・・。
茂さん、あんたを本当に幸せにしてくれるの?」
「・・・駆け落ち夫婦でもないのに、なんでそげなこと言われんといけんの?」
「そりゃあ、お父さんが気に入って嫁にやったんだけん、文句は言われんかもしれん。
けど、フミちゃんだって、こげな生活とは思わんだったでしょ?だまして連れてきた
ようなもんだわ。」

フミエは、茂のことを悪く言われるのは何よりもつらかったが、姉の言うことにも
一理あるうえに、自分を思って言ってくれているのだと思うと何も言い返せなかった。

そこへ、茂が帰ってきた。フミエはとっさに輝子の手紙を座布団の下に隠した。

「お邪魔してます。」

と暁子。

「あ、これはどうも・・・。」

茂は、この義姉が苦手だった。暁子が、妹のフミエに貧乏暮らしをさせている茂に
いい感情を持っていないだろうことは、あまり細かいことを気にしない茂でも
じゅうぶんにわかっていた。それにどうやら、今もその話をしていたようだ。
気まずい雰囲気の中で、フミエが茂の分も茶をいれた。

「それじゃ俺は仕事がありますけん・・・。どうぞごゆっくり。」

茶碗を持つと、仕事部屋に消えようとした茂に、暁子が問いかけた。

「失礼ですけど、フミエにちゃんと生活費を渡してやって下さってるんでしょうか?」
「・・・いや、今月はちっと、出版社が支払いをしぶっとって・・・。」
「それじゃ、どうやって生活していくんですか?フミちゃん、こげにやせてしもうて。
この子はね、こげな生活しとってええ子じゃないんですよ。」
「・・・ウチの暮らしに、口出しせんでもらえますか?」

険悪な雰囲気に、フミエが割って入った。

「あ・・・アキ姉ちゃん、遅くなるけん、そろそろ帰ったら?駅まで送っていくけん。」

不服そうな暁子を押し出すようにして、フミエは外に出た。
並んで歩きながら、フミエは口をひらくと涙がこぼれてしまいそうで、何も
言えなかった。そんなフミエがかわいそうで、暁子もそれ以上何も言わず、だまって
駅まで歩いた。

「何かあったら、言うてきなさいよ。おばちゃんの話も、よう考えてね。」

別れ際にそれだけ言うと、暁子は帰っていった。

ふたりが出て行くと、茂は不機嫌そうにちゃぶ台の前にどっかりと腰をおろした。
座布団の下から、何か白いものがのぞいている。とりあげると、一枚の写真がこぼれ
落ちた。

(・・・なんだ?この男。)

それは、見合い写真だった。茂は思わず輝子からの手紙を読んでしまった。

フミエが帰ってくると、茂は部屋におらず、机の上に手紙が放り出してある。

(しげぇさん!・・・読んだ?)

フミエがあわててフスマを開けると、茂はいつもどおり仕事をしていた。

「あ、あの、しげぇさん、ちがうの、これはただ・・・。」

茂は仕事の手を止め、うつろな表情でフミエを見上げて言った。

「・・・叔母さんの、言うとおりかもしれんな。」
「・・・な・・・にが・・・ですか?」
「ここでの暮らしは、なかったものと思うた方がええのかもしれん。」
「そげな・・・。」
「俺のような男が、結婚なんかしたらいけんだったんだ。義姉さんの言うとおり、
お前にこげな暮らしをさせとくわけにはいかん。」

不甲斐ない自分への憤りが、茂に思いもしない言葉を吐かせた。フミエを手放す
つもりなど毛頭ないのに・・・みじめてたまらなくて、自分をみつめるフミエから
茂は目をそらした。

「結婚せんだったらよかったって言うの?・・・ひどい・・・。」
「今からでも遅くないけん、安来に帰ったらどげだ?」

茂の口から出た言葉は、フミエを打ちひしいだ。

「あ・・・あなたには、ひとの心がわからんのですか?」

見るともなく原稿に目を落としていた茂が、サッと向き直ってフミエの肩をつかんだ。

「っっ・・・!」

フミエはびくっとして身を硬くした。茂はハッとしてその手を力なくおろした。
それからもう一度手をのばして、フミエのほほをそっとつつんだ。
フミエは目を閉じ、その手に自分の手をかさねた。

「こげに・・・好きにさせておいて、帰れだなんて、あなたはひどい人です・・・。」

フミエがどれほど自分を好きか、自分がどれほどフミエを手放したくないか・・・。
わかっているのに、心にもないことを言ってしまった。

静かに流れる涙が茂の手をぬらした。茂が顔を寄せ、そっと口づけした。あたたかく
とけあい、なにもかも奪われる・・・茂としかかわせない、いつもの口づけ・・・。

「・・・今、抱いてもええか?」
「抱いて・・・。いま、すぐ・・・。」

ふたりは抱きあったまま倒れ、何度も何度も口づけをかわした。少しでも離れたら、
永遠に会えなくなってしまうかのように強く抱きしめあいながら・・・。

「はぁ・・・は・・・ん・・・んん・・・。」

焦れる手で、お互いに着けているものを脱がせあう間も、唇は離れずむさぼりあう。
それぞれのたかまりを確かめあうと、待ちきれないようにつながりあった。

「ぁあ・・・あ・・・あ――!」

どうして女は、ここが欠けているのか・・・それは、愛する男とつながりあうため・・・。
茂でなければ埋められない空隙を満たされ、心も身体も茂でいっぱいになる。
もっともっとひとつになりたくて、服を着たままの茂のシャツの下に手をさしこんで
肌をまさぐった。

「こ、こら、やめろ。くすぐったいっ。」

茂も、フミエのブラウスのボタンをはずして下着の下から乳房をまさぐり、揉みしだいた。

「あぁぁ――ん・・・あぁ・・・ん。」

フミエが腰をくねらせ、佳境にはいっていく。茂のシャツの下にもぐりこんだフミエの
手は背中にまわり、茂をぐっと引き寄せた。

「あな・・・た・・・もっ・・・と。・・・もっと・・・はいっ・・・て・・・。」

これほどまでに自分を求めるフミエがたまらなくいとおしく、さらに深くうがちながら
きつく抱きしめる。

「あ・・・好きっ・・・しげぇ・・・さんっ・・・すき・・・。」

好き、と言いつづけていないと、声をはなって泣き出してしまいそうだった。
そんな唇を喰らうように奪い、熱情の漏れる隙間をふさいで、激しく責め立てると、
行き場を失った嵐はフミエの中で爆発した。

「うぅ・・・ん・・・ん・・・んあぁぁぁっ――――!」

断続的に茂自身をしめあげる収縮をやりすごしながら、背中をきつく抱きしめている
フミエの腕が次第にゆるむのを待った。そっと手をはずすとゆっくりと上半身を起こす。
まだ余韻にふるえていたフミエは、急に二人の間にあいた空間を哀しそうにみつめ、
茂に向かって手をのばした。
茂はその手に指をからめ、フミエの顔の横に縫いとめると、フミエをいとおしそうに
見つめながら、ゆっくりとまた責めはじめた。

「あぁ・・・や・・・やぁっ・・・だめっ・・・また、いっちゃっ・・・。」

からみあった指にぎゅっと力が入り、フミエが身体をわななかせた。

「く・・・ぅっ・・・!」

全てをからめとられるような絶頂の中に、茂も自らを解き放った。

冬の短い日が落ち、うす暗くなった室内に、フミエのしろい肢体が夢のように
浮かび上がっている。上半身にだけ乱れた衣服を着けたまま、みだらな情交の名残りを
とどめるさまは、もの哀しくも、このうえなくなまめかしかった。
まだしびれている身体を出来る限り茂に近寄せ、彼のにおいに包まれながら、

(まだ、1年経っとらんのだな・・・。)

こうまで、この人を好きになるとは・・・フミエはあの日のことを思い出していた。

「覚えとる?婚礼の日の夜・・・きつねの声を聞いたこと・・・。」
「そげだったかな・・・。」
「あなたは酔っとられたから・・・。」
「初夜なのに、なんもできんだったな。・・・あの日なら、あんたをきれいなまま、
帰してやることもできたんだが・・・。」
「・・・まだ、そげなこと言うの・・・。後悔しとるの?・・・私とこげな風になったこと。」
「俺が、よごしてしもうたけん、あんたは・・・。」
「ふ・・・ふふ・・・そげだわ。もうお嫁に行けんようになってしもうたけん・・・あなたが
一生面倒みてごしなさい。」
「ずっと・・・ここにおってくれるのか?」
「おるも何も・・・私の家はここですけん。ここに置いてごしない。」
「・・・しのだ妻のように、ふいっとどこかへ行ってしまうなよ。」
「・・・しのだ妻?」
「平安のむかし、安倍保名という人がおってな。その人の妻はきつねだったんだ。
ある日、犬に追われて正体がばれ、妻は子供を置いて出て行ってしまった。
『恋ひしくばたずねきてみよいずみなるしのだの森のうらみ葛の葉』
と和歌(うた)を残してな。」
「・・・つらかったでしょうね、子供を置いて出て行くなんて・・・。」
「・・・亭主を置いて行くのは、ええのか?」

茂の不服そうな顔に、フミエは吹き出した。茂も笑い出し、やっとふたりに
笑顔がもどった。
フミエがいたずらっぽく茂の耳元に口を寄せてささやいた。

「ねえ・・・。もういっぺん、よごして・・・?」
「だらっ。ひと晩にそげになんべんもできるか!」

その夜。

・・・夢の中で、茂は一面の銀の穂がゆれるススキの野原にいた。とおくに、
白い着物を着たフミエの去ってゆくうしろ姿が見える。

「待て!待ってくれ!・・・行くなあぁっ!」

ススキの銀の穂のなかに、白いしっぽがするりと消えたと見るや、ハッと目が覚めた。
あわてて隣りを見ると、フミエはちゃんとそこに眠っている。
結婚したての頃より、こころなしかやつれて見えるそのほおにかかる髪をよけてやった。

「・・・どこへも、行くなよ・・・。」

つぎの日。フミエは買い物のついでに、商店街の公衆電話から暁子に電話をした。

「アキ姉ちゃん。きのうはごめんね。・・・輝子おばちゃんには、私から手紙を出すけん。
あの話は、きっぱり断るよ。アキ姉ちゃんからも、よろしく言っといてくれんかね。
アキ姉ちゃんと、おばちゃんには、心配してもらって本当にありがたいと思ってます。
でも、私、ここでやっていくって決めとるけん・・・。だから、心配せんでごしない。」
「うん・・・。わかったわ、フミちゃん。あんたが覚悟を決めとるなら、私はもう何も
言わんわ。がんばーなさいね。・・・ふふ、本当いうとね、私、フミちゃんのことが
ちょっこしうらやましいんだわ。あげにだんな様のこと好いとるなんてね。
あ、私だって主人のことは大切に思っとるよ。・・・でも、フミちゃんのは、まるで・・・
恋しとるみたいなんだもん。」
「・・・や、やあだ、アキ姉ちゃんたら!・・・そげにええもんじゃないよ。」
「・・・まあええわ。輝子おばちゃんには、フミちゃんはすっごく幸せですーって言うとくよ。
・・・でも、身体だけは気をつけてね。」
「うん・・・。アキ姉ちゃん、だんだん。」

電話を切ると、フミエはポストに輝子への手紙を投函した。

(輝子おばちゃん、いつも心配してくれとって、あーがとございます。
でもね、私、しげぇさんと離れたくないけん・・・。いつか・・・わかってごしなさいね。)

目を閉じて、祈るように心の中でつぶやいた。

(はやく、しげぇさんの赤ちゃんが欲しい、な・・・。)

茂がそそぎこむ愛の証は、いつ実を結んでくれるのだろうか・・・。
師走の風が、身を切るように冷たく吹き付けた。フミエは思わずお腹を守るように
両手でコートをかき寄せた。

(しのだの森のうらみ葛の葉・・・か。だんなさんのこと、好きだったろうに・・・。)

フミエは昨夜の茂の話を思い出してしみじみしたが、ふとひらめいた。

(しのだの森のきつね・・・あぶらげ・・・!お揚げを使った料理に、しのだ〜ってつくのは、
それでなんだ!)

「そうだ!今日はしのだ巻きにしよ!」

私ってけっこうたくましいかも・・・。フミエは何かがふっきれたように微笑んで、
軽い足取りで歩き始めた。






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