待つとしきかば
村井茂×村井布美枝


昭和四十七年元旦。

茂とフミエは、藍子と喜子を連れて深大寺に初詣に出かけた。
ふだんは殺人的なスケジュールに追われる茂も、年末進行とやらを死ぬ思いで
切り抜けた後は、さすがに暮れから三が日くらいは水木プロを休みにした。
アシスタントたちも故郷のある者は故郷に帰り、ひさしぶりに家族水入らずの
正月を迎えていた。
休みとはいえ、新年からの仕事のことを思えば、構想を練ったり資料を見たりと
茂はついつい仕事部屋に遅くまでこもりがちで、朝はそのかわり寝坊し放題。
元旦と言うのに起きたのは昼ちかくで、雑煮を祝った後、子供たちにせがまれて
やっと初詣に出かけたところだった。
おまいりを終え、新春の明るい日差しを浴びながら4人でゆっくりと自転車を
こいだ。茂と自転車で出かけることなどほとんどない子供たちは大喜びで、とりわけ
やっと補助輪つきの子供用自転車に乗れるようになった喜子は必死でペダルをふんだ。
すずらん商店街にさしかかると、

「あけましておめでとうございます。まあ〜おそろいで珍しいわねえ。」
「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」

自転車を降りて歩く一家に、顔見知りの人々が次々に挨拶する。
商店街を少しはずれた亀田質店の前で、店主の亀田をみつけ、茂とフミエが近づいて
笑顔で挨拶すると、

「あけましておめでとう、村井さん。今年もよろしく・・・っつっても、お宅はもう、
ウチにゃ用がないねえ。」
「そげなこと・・・。亀田さんにはお世話になりっぱなしで。」とフミエ。
「そげそげ。またいつお世話になるかわかりませんからなあ。」とは茂。
「またぁ〜。そんなこと言っちゃって。ご商売繁盛なんでしょ?
こないだも、先生が編集の人に追っかけられてるの見ましたよ。
それにしても義理堅い人たちだねえ。苦しい時は頼ってきても、
楽になったら知らんぷり、なんて客ばっかりですよ、この商売はね。
誰だって質屋にやっかいになったことなんか、人に知られたくないもんね。
だから店も目立たないとこにあるの。」

感慨ぶかげに話す亀田に、喜子が無邪気に聞いた。

「おじさんのお店、なにを売ってるの〜?」
「う〜ん。喜子ちゃんにはまだ難しいかな。もうちょっと大きくなったらお父さんに
聞いてね。」

亀田は別れをつげて去っていく一家の後ろ姿を見送りながら、ひとりごちた。

「水木先生、長いおつきあいだが、ウチに用がなくなってよかったねえ。
・・・わたしゃちょっとさびしいけどね。因果な商売だよ、まったく。」

家に帰ると、藍子は習字の道具を出して書初めの宿題を始めた。
練習用の新聞紙に何枚か書いてみて、いざ本番の半紙に向かったものの、なかなか
会心の作とはいかず、たちまち部屋中に失敗作が広がった。

「う〜ん。うまくいかないなあ。」
「なんだ、宿題か?習字なら、お母ちゃんがうまいけん、教わったらええ。」
「へえ、お母ちゃんがお習字うまいなんて知らなかった。お父ちゃん、どこで見たの?
もしかしてラブレターでももらったとか?」
「いやだ、何言っとるの、藍子。・・・お父ちゃん、藍子に話してもええですか?」
「ああ、ええぞ。亀田さんはああ言っとったがな、別に恥ずかしいことなぞ
何もない。親が苦労した話を子供にして悪かろうはずもないしな。」
「・・・あのね、藍子。亀田さんのお店は質屋さんといって、品物をあずかって
かわりにお金を貸してくれるの。お父ちゃんのマンガが売れるようになる前、
亀田さんにはずいぶんお世話になったのよ。質流れといって、ある期間を過ぎると
預けた品物が返してもらえんようになるんだけど、亀田さんはずいぶん待って
ごしなさったり、相場より多めに貸してくれたりしたのよ。」
「ふうん。でもそれが、なんでお習字に関係あるの?」
「おい。百聞は一見にしかず、書いてみせてやれ。」
「いやですよ。恥ずかしい。」
「そう言わずに書け!」

フミエはしかたなく筆をとってさらさらとしたためた。

『たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む』

「お父ちゃんもお母ちゃんの習字は一回しか見たことないけどな、これを
お母ちゃんの着物を質屋にあずける時に、お母ちゃんが紙に書いて、
たとう紙にはさんで入れておいたんだ。」
「何それ?なんかのおまじない?」
「『今、私はとおくへ行くけれど、あなたが待っていると聞いたなら、またすぐ
帰ってきますよ。』というような意味だ。・・・本当は、いなくなった猫が
帰ってくるおまじないなんだが、お母ちゃんは質草が無事に返ってくるのにも効く、
と言い張ってな。お母ちゃんはお父ちゃんと結婚する前は、質屋なんかにゃ縁のない
お嬢さんだったけん。」
「でも、本当に返ってきたんでしょ?おばあちゃんが縫ってくれた着物、
見せてもらったことあるもん。」
「ああ。お父ちゃんは質草を流したことがないのが自慢だけんな。」
「亀田さんがずいぶん待ってくださったんじゃないですかねえ。」

フミエが笑った。

「藍子がお腹におる時でね。生まれた後も、4年くらいは苦しかったけん、ミルク代やら
ずいぶん亀田さんにはお世話になったのよ。だけん、藍子は亀田さんのおかげで
大きくなったようなもんだわ。会った時はちゃんとごあいさつするのよ。」

(ウチって、そんなに貧乏だったんだ・・・。)

藍子はちょっとショックだった。今でも家の暮らしはそれほどぜいたくではないし、
きれいになる前の家のこともうっすら覚えてはいる。

(でも、私のミルク代もないくらい、困ってたんだ・・・。)

藍子は子供心にもなんだかしみじみした。だが一方で、そんなつらい思い出なのに、
なつかしそうな父母が不思議でもあった。

「あ〜っ!!おしゅうじ〜!喜子もやりたい〜〜!!」

階下で遊んでいると思っていた喜子が、いつの間にか後ろに来ていて、藍子の筆を
とろうとした。

「だめ、よっちゃん!これは宿題なんだから、汚さないで!」

筆のとりあいになり、ふたりの顔はスミだらけ、仲裁にはいったフミエもとばっちりで
スミをつけられるやら、しみじみした気分は一転、大騒ぎになってしまった。

茂はネーム部屋にこもって新年からの仕事の構想に早くもとりかかっていた。
ふと手を止めて、さっきフミエが書いた行平の和歌をしみじみと見る。

(ラブレター・・・か。藍子もそげなこと言う年齢(とし)になったんかな。
誰に贈ったうたか知らんが、業平の兄貴だけん、やっぱり相手は女かもしれん。
ラブレターでもあっとるかな。)

艶っぽい和歌の文句とは裏腹に、このうたの思い出はほろ苦いものだった。
もうじき子供が生まれると言うのに、富田書房の手形が不渡りになり、家の月賦も
滞って立ち退きをせまられ、あまりの収入の少なさに税務署に所得隠しを疑われる始末。
そんな時、フミエが取り出してきたのがあの青海波の着物一式だった。

「これは・・・ダメだ。しまっとけ。」

押し返す茂に、

「今、私、これですけん。着る用事ができるまでちょっこし預けとってごしない。」

フミエは大きなお腹をなでて笑ってみせた。
女にとって着物、それも嫁入り道具の着物には男の想像以上の思い入れがあるに違いない。
だが、今は母親として、子供を無事に生んで育てることが何よりも優先する。
茂の男としてのプライドを傷つけないように明るく、さも何気なさそうに着物を差し出す
フミエの、母としてのつよさを、茂はまぶしい思いで受け取った。
着物には、『待つとしきかば』の和歌がはさんであった。

「これは、迷い猫が戻ってくるおまじないでなーか。」
「きっと効きますよ。信じる気持ちの問題ですけん。」

ふたりはなんだかおかしくなって笑った。こんな時に、こんなことをする、
フミエという女が、心底可愛いと思った。

「決して流してはならんと言う、自分に対するおまじないです。」

いぶかしげに和歌をながめる亀田に、茂は自らに言い聞かせるように言った。

(もう決して、フミエにあげな思いはさせん!)

貧乏生活に戻りたくないという一心から、茂は火のタマのように働かずには
いられなかった。来る仕事は絶対に断らないから、殺人的なスケジュールに
ならざるを得ない。忙しすぎて、最近ではフミエとろくに会話するヒマもなかった。

(アイツは、待ってくれとるのかな?)

茂は、ふと立ち上がると、仕事部屋を後にした。

近ごろでは、藍子が喜子と一緒にお風呂に入って面倒をみてくれるようになった。
ふたりを寝かしつけると、フミエは夜おそくなってから一人でゆっくりお風呂に入った。

(・・・ふたりとも、大きくなったなあ。特に藍子は、すっかりお姉さんらしくなって。
だけど、ラブレターだなんて、藍子もそげなこと言う年齢になったんだね。)

「待つとし聞かば、いま帰り来む・・・か。」

(あの頃は、大変だったなあ。お母さんが夜なべで縫って持たしてくれた着物、
手放す時は本当は涙が出そうだったけど、そげなこと言っとったら、藍子を
無事生むこともできんかったかもしれん。)

フミエの着物を受け取って質屋へ出かけて行く茂のつらそうな後ろ姿・・・。
藍子が生まれてからも苦戦はつづいた。料金が払えなくて電気を止められたり、
安来から贈られた、藍子の初節句のためのお金を生活費にまわしてしまったり・・・。
あの綱渡りのような日々・・・。あの中で子供を持つなんて、ひと様から見たら非常識と
そしられるくらい無謀だったかもしれない。

(でも、精いっぱい生きとった。それに・・・。)

かたわらにはいつも茂の笑顔があった。「なんとかなる。」と思うことができた。

(昔のことを思うと夢みたい。だけど・・・。)

フミエは新しく快適になった風呂場の湯ぶねにつかりながら、思い切りのびをした。
昔は薪でたく風呂で、風呂場は寒く、木製の湯ぶねは古くなって、毎回こすっても
「あかなめ」が出そうなくらいすぐ汚れてしまったものだ。

(昔はよくお父ちゃんの背中を流したもんだったけど・・・。)

今の茂は、いつ寝られるのかもわからないほど忙しいため、真夜中に入ることも多い。

(さびしい、なんて言ったら、ぜいたくだろうか・・・。)

貧乏生活からは抜け出せたけれど、そのかわり、今の茂は家の中にいても
遠いところへ行ってしまっているような気がした。

(私には、待っとることしかできんけん・・・。)

その時、ガラス戸がカラリと開く音がして、誰かが脱衣所に入ってきた。

「おい、入るぞ。」
「え?ちょ、ちょっと待ってください。」

茂はあわてるフミエにかまわず、さっさと衣服を脱ぎ捨てると風呂場の戸を開けた。

「私はもう出ますけん。」
「ええけん、ゆっくり入っとれ。」

フミエは明るすぎる照明の下に裸体をさらすのも恥ずかしく、しかたなく湯ぶねに
つかっていた。茂はそんなフミエにかまわず石けんを泡立てると身体を洗い始めた。

「ん。」

茂が泡だらけのタオルをフミエに渡して背中を向ける。

「冷えるけん、そっからでええ。」

フミエは湯ぶねの中でひざ立ちになって茂の背中を洗った。泡だらけの広い背中を
見ていると、たまらなくなって抱きついた。

「だらっ。泡だらけになるぞ。」

そう言いながらも茂は、フミエの手をつかんで前にまわすと、自らの男の部分に
ふれさせた。

「よう洗ってくれ。」
「もぉ。お父ちゃんのエッチ・・・。」
「エッチはお前の方だろ。背中にあたっとるぞ。」

フミエが泡のついた指でやさしく茂自身を洗うと、柔らかだったものが次第に
充実してくる。

「もうそれくらいでええ。」

茂はお湯をくんでざっと流すと、フミエの手と胸についた泡をぬぐってくれた。
泡をぬぐう時、必要以上に撫でまわされ、フミエは息をはずませた。

茂が湯ぶねに入ってくる。と思いきや、湯には入らず、湯ぶねの縁に腰かけた。
目の前に半勃ちになったものを見せつけられ、フミエは思わず目をそらした。
茂がフミエの肩をつかんで引き寄せる。フミエは羞じらいながらも、素直に顔を寄せた。
そっと手で支えながら口に含むと、さっき洗った時よりもさらに硬度を増した。
自分の行為で茂が感じてくれる、この愛し方がフミエは嫌いではなかった。
次第に熱が入り、頭を上下させる。茂がいとおしそうにその頭を撫でた。

「もう・・・離せ。」

フミエがゆっくりと口を離すと、みだりがましい粘液が糸をひいた。
しばし余韻にひたるフミエの前にそのまま身を沈めた茂が、フミエの秘所に手を伸ばす。

「やっぱり濡れとる。お前はすぐその気になるなあ。」
「だって・・・んんっ。」

茂の指に翻弄され、フミエは身をよじった。フミエが口唇で茂を愛するだけで
したたらせてしまうのはいつものことで、それをいちいち告げるのは茂の意地悪だった。
茂は湯の浮力でフミエの身体を持ち上げると、屹立する自身でフミエを下からつらぬいた。

「あ・・・ぁあ・・・ん。」

ぞくぞくするような充足感に満たされ、フミエはうめいた。だが・・・。

「だ・・・誰か来たら、どげします?」
「年寄りと子供は寝とるだろ。お前が起こすような大声を出さんだったらええんだ。」
「も、もぉ・・・。」
「おや?こげなとこに墨がついとるぞ。喜子にやられたな。『袖に墨つく』というのは
誰ぞに惚れられとる、と言うが『耳に墨つく』のは何だろうなあ?」

言いながら茂は、フミエの耳たぶについた墨を舌でねぶった。

明るい照明に照らされたふたりの裸体も、茂が責めるたびちゃぷん、ちゃぷんと
波立つ水音も、恥ずかしかったのは最初のうちだけで、フミエはそのうち悦びの声を
かみ殺すことだけに必死にならざるを得なくなっていった。

「あ・・・や・・・だ、めっ・・・お、とうちゃ・・・あぁ―――――!」

茂にしがみつき、手で口をおおったフミエは、茂の上でびくびくと身体を震わせた。
茂はそんなフミエをそっと支えると、湯ぶねにもたれさせ、片脚を持ち上げて
湯ぶねのへりにかけ、大きく開いた中心部をさらにえぐった。

「だめっ・・・だめっ・・・こえが・・・出ちゃ・・・。」

茂はフミエの哀願にはかまわず結合部をこねまわすように容赦なく責めた。

「んん・・・んぁ・・・ん―――――!」

フミエは茂の肩に口を押しつけた。くぐもった絶頂の悲鳴を聞きながら、茂も
フミエの中にすべてをそそぎ込んだ。

・・・しばしの真っ白な恍惚のあと・・・。茂が荒い息をおさめながら口づけしてくれた。
フミエはいとおしそうに濡れたその髪をかきあげながら、ふと茂の肩の歯形に気づいた。

「す、すみません。痛かった?」
「おお、食われるかと思ったぞ。」

茂が笑った。

「快かったか?・・・まあ、聞かんでもわかるけどな。」

茂はまだつながったままの身体を揺すぶって、フミエに小さな悲鳴をあげさせた。

「さてと・・・。俺はまだ仕事があるけん。先に出るぞ。」

茂は湯から出ると、ざっと身体を流して風呂場を出た。
フミエは、まだしびれている身体を、ぐったりと湯ぶねのふちにもたせかけ、
風呂場のガラス戸のでこぼこしたガラスの向こうにぼんやり見える茂をみつめていた。
こんなにも激しく愛しておいて、さっと離れて行ってしまう茂がちょっとうらめしかった。

「おい。仕事場の『無為に過ごす』とゲーテの箴言な。」
「は、はい。」

茂がいきなりガラス戸を開けて顔を出したので、フミエはびっくりして起き直った。

「あれ、古くなってだいぶ黄色くなっとるけん、お前書き直しといてくれ。」
「・・・はい!」

茂はそれだけ言うと、脱衣所の戸を開けて行ってしまった。

(あげな風だけど・・・。ちょっとは気をつかってくれとるんかな?)

今日は、子供たちを連れて深大寺に初詣に行ったり、フミエをたっぷり愛してくれたり
・・・。茂としては大サービスデイだったのかも・・・。
フミエはちょっとおかしくなって、笑いをこらえながらゲーテの箴言を思い出し始めた。






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