ひなまつり
村井茂×村井布美枝


河原の桃の花のつぼみもふくらんできたある春の日、フミエは小学校から
帰ってきた藍子と、ひな人形を飾りつけていた。
居間にしつらえた段の上に、お内裏様とおひな様ふたりだけのひな飾り。
紅い毛氈を敷いた下の段には、桜と橘やひし餅、白酒、ひなあられなどが並んだ。

「また、その紙のおひな様も飾るの?」

藍子の初節句の時に茂が描いてくれた紙の七段かざりを、フミエが注意ぶかく
広げると、藍子がちょっと不服そうな顔をして聞いた。

「もう色も褪せてるし・・・。折り紙もいたんでるよ。これはもうやめたら?」
「だって、藍子の初めてのおひな様なんだよ。お父ちゃんが描いてくれたんだし。」
「藍子のはこれで、あのお内裏様とおひな様はよっちゃんのなの?」
「え・・・。別にそげなことは決まっとらんよ。」
「だって、よっちゃんが生まれた年のひなまつりにあのお人形買ったんじゃん。
私、小さかったけど覚えてるよ。いずみちゃんと車で買いに行ったもん。」
「・・・あの頃になって、ようやくおひな様買う余裕ができたから買ったんだよ。」
「おひな様買うお金って、安来のお祖父ちゃんがくれたんでしょ。女の子が生まれると、
お母さんの実家でくれたお祝いでおひな様買うんだって聞いたよ。私にもらった
お祝いはどうしたの?」

小学校二年生になった藍子は、ずいぶんと賢くなって、時々大人をたじたじとさせる
ようなことを言うようになった。

「ごめんね・・・。藍子にもらったお祝いは、お父ちゃんとお母ちゃんが、ちょっこし
借りてしまったんだわ。」
「えーっ?ひどい・・・。それで藍子のは紙のお人形なんだ・・・。そんなボロいの、いやだよ!」

藍子が紙の七段飾りをバサッと押しやったとたん、折り紙で出来たお内裏様の身体が
ビリッと破れてとれた。フミエはそれをてのひらに載せて、悲しそうな顔でみつめた。

「ご、ごめんなさい・・・。」
「ええよ・・・。後で直すけんね。」

藍子はバツが悪そうな顔で「遊んでくる。」と出て行ってしまった。

夜。フミエは茂の仕事場に顔を出した。

「お父ちゃん・・・ちょっこしええですか?」
「・・・なんだ?」
「もうじきひなまつりですし、藍子に借りたものを返してやりたいと思って。」
「藍子に借りた・・・なんのことだ?」
「藍子の初節句のお祝い金、生活費にしてしもうたでしょ。それで、おひな様買って
やれんだったけん。」
「ひな人形なら、喜子の初節句の時のがあるんじゃないのか?」
「私たちの頃は、きょうだいも多いし、みんなでひとつでしたけど、考えてみたら
藍子は長女なのに買ってやれんだったのは、かわいそうかなと思って。」
「まあ、あいつにはいろいろ借りがあるけんな・・・。金は、足りるのか?」
「そげに高いものでなければ、なんとか・・・。」
「お母ちゃんが大丈夫と言うなら、買ったらええ。」
「・・・だんだん。」

その日は忙しくて、フミエは折り紙のお内裏様を折り直すことができなかった。
夜、布団の中で目をつむると、今日の藍子の悲しそうな顔が浮かんだ。

(あげなわがまま言う子じゃないのに・・・。おひな様って女の子にとっては特別なのかな。
それに、きょうだいで差があると気になるんだろうなあ。・・・私は姉ちゃんたちと
十も八つも離れとったし、昔は男の子と女の子で扱いが違うのはあたりまえだった
けん、気にならんだったけど・・・。)

フミエは、故郷の安来の家で、七段飾りを飾りつけ、姉たちと晴れ着を着せてもらって
母や祖母の心づくしのごちそうを食べて祝ったひなまつりを、懐かしく思い出した。

(私にとって、あの紙のひな飾りはすごく大事なものだけど、藍子にあれで満足せえと
言うのは、かわいそうかもしれんね・・・。)

フミエの脳裏に、八年前の藍子の初節句の、ほろ苦くも甘い思い出がよみがえった。

あの頃、戌井の北西出版の出す貸本マンガの短編集に、茂はつぎつぎとマンガを
描いていたが、さっぱり人気は出ず、立ち上げたばかりの出版社は、早くも危機に
立たされていた。そんな現状では原稿料の値上げも言い出せず、もらった原稿料は
家の月賦の支払いに右から左へと消えた。

「お父ちゃん。ちょっこし・・・藍子に借りましょうか。」

薄氷をふむような毎日の暮らし、藍子のミルク代もないのではひな人形どころではない。
フミエはとうとう、安来の実家から贈られた、藍子の初節句の祝い金を差し出した。

「しかたないな・・・。」

茂は了承したものの、つらそうに背を向けて仕事部屋に入ってしまった。
夜遅くまで仕事を続けていた茂が茶の間のフスマを開けると、フミエがちゃぶ台に
つっぷして眠っていた。その手元には、作りかけの折り紙でできたひな人形があった。

次の日。せめて何かひな祭りらしいものをとひなあられを買って、フミエが買い物から
帰ってくると、茂が藍子を抱いて、わざわざ玄関まで出迎えた。

「早こと上がれ。ひな祭りの用意が出来とるぞ。」
「うわあ・・・。」

茂がもったいをつけてフスマを開けると、そこに貼ってあったのは、大きな紙に描いた
七段飾りのおひな様。お内裏様とおひな様は、フミエが折った折り紙を利用してあった。

「初節句だけん、デラックスに祝うぞ。・・・何から食うかな。」
「じゃあまず、お白酒いただきましょうか。」

白酒を飲んで酔っぱらったつもり、ひし餅を盗み食いしてのどにつっかえたつもり・・・。
商売道具の紙と絵の具に、茂の腕・・・お金は一銭もかかっていないけれど、殺風景な部屋が
ぱっと華やぎ、何よりも、茂の思いやりがうれしかった。
いい年をしたふたりが、ひなまつりごっこをして笑った。笑いながらも、フミエは
藍子の初節句のお祝いが生活費に消えてしまったさびしさを、そっと心にしまった。

その夜。二階の寝室に布団を敷いて、寝巻き姿になったフミエは、ベビーベッドに
眠る藍子の枕元に置いた、安来の母からの手紙を手にとった。

『・・・藍子の初節句ももうすぐですね。よくミルクを飲み、よく寝て元気に育っている
ようで安心しています。本来なら私たちが用意すべきなのでしょうが、遠方ゆえ
これでひな人形をあつらえて下さい・・・。』

藍子の誕生を喜び、初節句の祝いを贈ってくれた両親・・・。その、心のこもったお金を
暮らしのために使わざるを得ない現実に、フミエは打ちひしがれた。

「お父さん、お母さん、ごめんなさい・・・。」

古びた木の箱の上には、いつもフミエを見守ってくれている祖母の登志の遺影があった。

「おばば・・・私たち、これからどげなるの?」

さびしくて、心細くて、茂の前では絶対に見せないようにしてきた涙が、一人になった
とたん、こらえきれずにあふれ出し、フミエは声を押し殺して泣いた。

「泣いたらええよ・・・。親として、こげな情けない事もないけんな。」

いつの間にか二階に上がってきていた茂に突然声をかけられ、フミエはハッとして
背を向けた。あわててたもとでふいても、せきをきったように涙がとまらない。
茂がその肩を抱きしめる。腕の中で震えている妻の、細い身体がいじらしくて、なんと
言葉をかけていいかわからず、ただ黙って抱いていてやるしかなかった。

「・・・すみ・・・ヒック・・・ませ・・・泣いた・・・ヒック・・・りして・・・。」

茂の胸は温かく、抱かれているとさびしさも溶けていくようだった。
しゃくりあげがおさまったフミエの唇に口づけると、塩からい涙の味がした。
泣いた後の弛緩した身体と心に、やさしい抱擁と口づけが、温かく沁み込んでくる。

・・・繰り返される口づけは、いつしか深く、激しく、いつもの愛の行為につながって
いくものに変わっていった。茂の唇が耳や首すじにうつろい、浴衣の脇やすそに
入り込んだ手がフミエの肌に熱を与えていく。

「・・・ま、待って・・・。」
「泣きたかったら泣く、したかったらする、と言うのが天然しぜんの生き方だ。」
「こげな・・・時に・・・?」
「つらい時こそ、楽しいことをせねばいけんのだ!」

またヘンな理屈・・・と思いながらも、フミエの身体はまるで熟れた果物のように、
皮いちまい下は形をうしなって甘くとろけていきそうだった。自分の内側からの声に、
フミエは素直に茂の言う「天然しぜんの生き方」とやらに身をまかせていった。
しどけなくゆるんだ浴衣をまとっただけのフミエをいとも簡単に素裸にして、
茂が抱き倒す。いとしい重みを受けとめながらも、やわらかい素肌に茂が着たままの
セーターがひどくチクチクした。

「チクチクするけん・・・脱いで・・・。」
「お、すまんだったな・・・。」

茂がセーターを脱ぐと、フミエが手を伸ばしていとおしそうにシャツのボタンをはずした。
温かくさらりとした素肌が重なり、茂がやさしく押し入ってくる。息がつまりそうな
はげしい幸福感におそわれ、フミエは小さくうめいた。
熱く押しつつんでくる柔肉をしばし味わってから、茂は腰ごと捻じ込むように
突き入れたり、大きくまわしてから突き上げたり、激しい攻勢をかけ始めた。

「あ・・・やっ・・・んんっ・・・ぁ・・・あっ・・・あぁっ・・・。」

突きまわされて次第にずり上がり、フミエが思わず頭上に伸ばした手が、鏡台がわりの
木箱にぶつかって、茂が責めるたび、隣りのたんすのカンがその振動でカチャ、カチャと
音を立てる。

「――ゴッ!」

振動が伝わったのか、木箱の上の姫鏡台に置いたハンドクリームのびんが落ちてきて、
茂の頭を直撃した。

「いっ・・・てーーー!」
「プッ・・・クククッ・・・。」

フミエはつい笑ってしまった。茂の災難を、それもこんな時に笑うのはどうかと思ったけれど、
おかしくてがまんできなかった。

「なんだ、人が痛い思いをしとるのに。」
「すみません・・・。でも、おかしくて・・・。」
「お前はいっつも、最初は気がのらんようなことを言っといて、いざ始めると夢中になって
大暴れするんだけんな。」

茂はちょっと怒って見せたが、やがてやさしく微笑んだ。

「やっと笑ったな。・・・どげな時でも、笑えれば大丈夫だ。」

それから、フミエの腰を抱くと、つながったままぐっと引き寄せて後ろにさがった。

「あっ・・・あぁ・・・んっ・・・。」

その動きにフミエは激しく感じてしまい、大きくあえいだ。

「よし、これでええ。これ以上被弾してはかなわんけんな。」

充分な空間を確保して、茂がまた律動を再開した。こんなこともなんだかおかしくて、
フミエはたかまる快感にあえぎながらも微笑んで茂を抱きしめた。

(私は、こげなしげぇさんがすき・・・大すき・・・。)

悲しみは、二人で分け合えば半分になると言う・・・。初めての子に、ひな人形も買って
やれない悲しさを忘れたわけではないけれど、それもまたフミエの心を彩る陰翳となり、
茂との愛がより深まさるのをフミエは身体じゅうで感じていた。

小学生になった藍子が、そんな悲しくも幸せなフミエの思い出のある紙のひな人形を
破ってしまった次の日。
フミエは日本橋のデパートに車ででかけた。帰ってくると、藍子が
バタバタと出迎えた。居間にひっぱって行かれると、あの紙の七段飾りが壁に
かけてある。破れたお内裏様も、新しい折り紙で直してあった。

「これ、藍子が折ったの?・・・ようできとるね。」
「学校の図書館で、折り紙の本借りて折ったの。お母ちゃん、このおひな様には
いい思い出があるんでしょ?・・・ボロいなんて言って、ごめんなさい。」
「いい思い出・・・かな?今になって思えば、ね。お父ちゃんの心がこもっとるけんね、
このおひな様には。」

フミエは、藍子がこのおひな様の大切さをわかってくれたことが嬉しかった。

「・・・このおひな様は、お母ちゃんがもらってもええ?藍子には、ええのを買って
来たけんね。」

フミエは車から、今日の買い物らしい大きな箱を運んで来た。ひもを解き、
バラの模様の包装紙をはがすと、立派な木の箱が出てきた。

「これ・・・もしかしておひな様?」
「そうだよ。藍子には長いこと借りとったけど、やっと返せるね。」

木の箱を開けると、紅い毛氈を張った段になった台と、ていねいに紙に包まれた
たくさんのひな人形やひな道具が入っていた。どれも手のひらに乗るほど小さいけれど、
木目込みの人形の顔や衣裳も、道具の蒔絵も良い細工で、品がよかった。

「うわあ・・・かわいいね。」
「普通のおひな様だと、うちにはもうひと組あるし、これならもうひとつあっても
場所とらんけん、ちょうどええと思って。」

フミエと藍子は、小さな小さな楽器や冠や道具などをいためないように、細心の注意を
払いながら飾りつけていった。

「うわーーー!これ、どうしたの?」

祖父母の部屋でおやつを食べていた喜子が、歓声をあげて走りこんできた。

「ちょっとよっちゃん、気をつけてよ!」

藍子が、喜子の勢いから守るように両手を広げて人形たちをかばった。

「これは、お姉ちゃんのなんだからね。」
「えー?よっちゃんもこれがいいー。」
「よっちゃんのはもうあるでしょ。」
「あれはお姉ちゃんのじゃん!」

姉妹の間の空気が険悪になってきた。フミエがあわてて仲裁に入る。

「・・・先にお嫁にいく方が、好きな方を持っていくことにしたらどげかね?」
「ええーー?!」

藍子と喜子が顔を見合わせた。

「私の方が年上だから、先にお嫁にいくにきまってるよ!」
「そんなのわかんないじゃん!」

フミエの一時のがれの提案は、姉妹の言い争いに油をそそいだだけだった。

「なんの騒ぎだ?やかましい・・・。」

茂がのっそりと現れた。

「どっちが先にお嫁にいくかでもめとるんですよ。先にいく方が好きなおひな様を
持って行けるけん。」
「なんだとー!そげに早く嫁に行かれたらお父ちゃんさびしくっていけんぞ。
・・・お母ちゃん、ひな飾りは四月まで飾っとけよ、ええか。」

ハサミを取りに来ただけの茂は、妻と娘たちとひな飾りの、女の園といった風景に
なんとなく面映さを感じるようで、そそくさと仕事部屋に帰っていった。

「おひな様を四月まで飾っておくと、なんかいいことあるの?」

藍子がけげんそうな顔でたずねた。

「お節句が過ぎてもおひな様を飾っとくと、お嫁に行くのが遅くなるって言うんだよ。」
「ええー?そしたら、売れ残りになっちゃうじゃん。」
「・・・売れ残りもわるくないよ。お母ちゃんは、行き遅れとったけん、お父ちゃんと
出会えたんだけんね。」

藍子が「また出た。」と言いたげな顔でにやにやした。

「あ〜あ、お母ちゃんがまぁたのろけちょー。」
「まぁたのろけちょー。」

藍子が、大好きないずみおばちゃんの真似をすると、意味がわからないながらも、
喜子も真似をした。

「もぉーっ!あんたたち、親をからかって!」

フミエは笑って、ふたりを抱き寄せた。仲の良い母娘を、人形たちがやさしい顔で
見守っていた。






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