初鳴き
村井茂×村井布美枝


「あ・・・つくし!こんなに・・・。」

すずらん商店街からの帰り道、ぽかぽか陽気にさそわれるように、フミエは
すこし寄り道をして、自転車を押しながら川辺の土手道を歩いていた。
土手いちめんにつくつくと顔を出しているつくしの群れに、思わず自転車を
とめて斜面に降り、夢中になってつくしを摘んだ。よもぎの若芽も目につく。

(草餅にしたいなあ。でも、小豆とお砂糖と米粉買わなきゃいけないし・・・。
ちょっと手が出ないなあ・・・。)

春を楽しみに来たのに、ついつい貧しい献立の足しにと考えてしまう自分を、
ちょっと悲しいと思いながら、フミエはどっさり摘んだつくしを買い物かごに
入れた。

『ホー・・・ホケ・・・ホケ・・・。』

その時、川辺の高い木の上で、うぐいすがさえずり始めた。

「うぐいす・・・!今年初めて聞くなあ。」

フミエは立ち止まって耳をすませた。そのうぐいすは、今年初めて鳴く若鳥か、
ホケ、ホケとかケキョ、ケキョとか言うだけで、まだ人を聞きほれさせる
あの歌を会得できていないようで、間の抜けたさえずりを繰り返していた。

「あんたも、新米なんだね・・・。」

フミエは、不器用なうぐいすに、今の自分を重ね合わせていた。

思えば一月に縁談が来てからというもの、フミエの運命の転変たるや、実に
めまぐるしいものがあった。見合いからたった五日で結婚式を挙げて、翌々日には
もうここ東京の調布の家で夫となった人と暮らし始めた。夫とその親族の変人ぶり、
予想もしていなかった貧乏生活・・・。
それでも、婚礼から一ヶ月あまりが経ち、フミエは新しい生活にもずいぶん慣れた。
茂の仕事の邪魔にならないように家事をしたり、茂の不規則な生活に合わせて
生活できるようにもなった。

実は、茂とフミエが本当の意味での夫婦になったのは、婚礼からずいぶん日数が
経ってからだった。
ひとつ家で暮らすようになってから長い間、茂が自分に指いっぽん触れなかった
ことは、フミエをずいぶん不安にさせた。けれど今になって考えれば、ずっと独りだった
生活に、突然現れた花嫁をどう扱っていいかわからず、仕事にかこつけてついつい
保留状態を続けてしまった・・・という茂の照れもあったかもしれないと思えた。

(器用なひとじゃないんだな・・・。)

自信も引っ込み思案で、特に異性に対してはひどくおくてなフミエにとってみれば、
茂のそんな性分はかえって好ましかった。
最初はぎごちなかったが、茂は打ち解けてみればおおらかで楽しい人間だった。
茂の気取りの無いひょうひょうとした人柄には、ともすれば真面目すぎるフミエの、
肩に入った力をほぐしてくれるような温かさがあった。
茂のことをつい「村井さん」と呼んでしまい、「あんたも『村井さん』だろ?」
とつっこまれて、やっと「茂さん」と呼べるようになったこの頃だった。

フミエは茂と結婚するまで、家族以外の男性とろくに口をきいたこともなかった。
図抜けて高い身長を気にしていつも猫背気味に、自分より背の低い友人たちの
陰に隠れているようなフミエに、何かがが起こるわけもなく・・・。
やがて適齢期を迎え、次々と嫁いでいく友人たちに取り残されるように、高すぎる
身長ゆえに縁遠かったフミエは、少女の頃の心のまま、二十九歳になっていた。

慌しく決まった婚礼を前に、母のミヤコは、簡単な花嫁の心得をフミエに語った。

「あんたもええ歳なんだけん、少しはわかっとると思うけど・・・。何事も村井さんの
言うとおりに、まかせておけばええんだよ。大丈夫だけんね・・・。」

それは遠まわしに初夜のことを言っているのだとはフミエにもわかった。
女ならみな経験することなのだから、自分だって耐えられるはず・・・そう思って
フミエは茂の妻となった。
初めて茂に抱かれた時、心は茂に女性として求められた嬉しさに満たされながら、
身体はただただ痛みと羞ずかしさに耐え、どちらかというと「乗り越えた」という
感じがつよかった。けれど、それは一度乗り越えればそれで終わりではなく、そこから
どんな愛の世界がひろがっていくのか、フミエにはまだよくわかっていなかった。

たとえば口づけひとつとっても、想像とはまるで違っていた。自分には縁がない
ものの、結婚前のフミエはそれを漠然と「恋人同士の愛の表現」くらいに思っていた。
だが、夜の床で愛しあう時に茂と交わす口づけは、ただの唇と唇の触れ合いなど
ではなく、それ自体が行為のひとつといえるものだった。身体をかさね、唇を溶け合わせ、
茂の舌に口内を愛撫されるだけで、秘すべき場所からとろとろとした液があふれ出す。
唇と言うものが、これほど淫らな器官であることをフミエははじめて知った。
口づけだけでもこうなのだから、その後は言わずもがな・・・。茂を受け入れた後は、
わき起こる快感にさいなまれながら、醜態を演じないよう敷布をつかみしめ、
歯を食いしばって声を押し殺し、ただひたすらに終わりを待った。

今のフミエは、たとえて言えば「ほんのりと好意を抱いた」相手と、いきなり
男女の関係になったようなものだった。茂のことをもっとよく知りたい、
茂にも自分をこのましく思ってもらいたい・・・そんな淡い段階なのに、一足飛びに
最も恥ずかしい行為をし、恥ずかしい自分を見られなければならない・・・。
ゆっくりゆっくり、茂を好きになりかけている心を置いてけぼりにするように、
身体が馴らされて行く早さが、茂と分かり合う早さよりもまさっている気がして、
こんな結ばれ方をうらめしく思わずにはいられなかった。

(あの人は・・・どげ思っとられるんだろうか?。)

電信柱のようだと、悪童たちにからかわれた自分が、煽られるままにのたうち、
顔をゆがめ、声をあげる様は見苦しいに違いない。愛されるのは嬉しいのだけれど、
茂にみっともない自分を見られたくない・・・。戦前の厳しい倫理観の中で育った
フミエは、感情を揺さぶられるまま泣いたり騒いだりすることは、最も恥ずべき
ことと教えられてきた。

ふと、昨夜の記憶がよみがえり、フミエの身体をざわつかせた。春の明るい
陽射しの中で、こんなことに心を悩ませている自分に、やるせない思いになる。
かといって、家で茂といる時に思い出すのはもっといたたまれなかった。

『ホーーーー、ホケッ・・・キョロ!』

はっと我にかえった時、上空ににとんびが現れ、うぐいすはあわてて飛び去った。
買い物帰りの道草が思いがけず長くなり、夕暮れ時が近づくと、春とは言え
少し肌ざむい風が吹き始めた。

「もう・・・帰らんと。」

フミエは気持ちを切り替えて、自転車に飛び乗ると、家路を急いだ。

摘んできたつくしは、卵とじと混ぜごはんになってその日の食卓にのぼった。

「つくしのようなもんでも、こげな風にして食うとうまいな。」
「春の味ですね。」

風流と言えないこともないが、実のところ土手に生えている雑草を採ってきて
おかずの足しにしている生活だ。だが、そんな現状の中でも、精いっぱいの工夫で
食卓を飾る妻の横顔を、茂がちょっとまぶしそうに見つめていることに、フミエは
気づかなかった。

「ん・・・。あ、あな・・・た・・・?」

その夜。遅く風呂に入った茂が、眠っているフミエの布団に入ってきた。
茂は宵っ張りの朝寝坊で、フミエと一緒に床に入るということはほとんどなく、
求められる時は、眠っているところを起こされて・・・ということが多かった。
茂の気まぐれな訪れは、案外、いかにもこれから行為に及ぶ・・・と言う状況が
照れくさいからかもしれなかった。
深い眠りから起こされ、フミエは半ば夢の中のように茂の愛撫を受け入れていた。
口づけしながら強く抱きしめられ、思わずあえいだ口の中に茂がしのびこんでくる。
うす闇の中、唇と素肌を重ねあっていると、世界に茂と自分の二人だけしか
いないような錯覚にとらわれ、いつまでもこうしていたいと思う。
けれど、そんなはずもなく・・・。
ふかまる口づけはフミエの四肢を痺れさせ、茂その人よりもずっと饒舌な指が
肌を奏で、フミエの弱点をさぐり出す。気が遠くなるほど愛撫され、とろかされ・・・。
やがて茂がフミエの手を自分の背中にまわさせ、ぐっと自らを挿入れてくる。身体を
ひらかれる痛みは薄れたが、いつもその瞬間は苦しいほどの存在感に圧倒された。

「あ・・・ぁん。あ・・・っは・・・ぁぁ・・・。」

フミエの手が茂の背から落ち、敷布をつかみしめた。それをちらと見やって、
茂がフミエの一方の乳首を甘がみし、もう一方をつまんで強めにひねった。

「ひぁっ・・・ぁ、ゃ・・・ぁあっ」

泣きそうな声をあげ、フミエが身体をよじった。

「ぁっ・・・ぁ・・・ぁあん・・・。」

動いたことで結合部から鋭い快感がはしり、フミエは思わずせつなげな甘い声を
もらした。あわてて手で口を押さえると、その分甘い衝撃が身を灼いた。
茂は、その手をつかんで布団に押しつけると、腰を激しく動かして責めた。

「やぁっ、はなして!・・・放してぇっ!」

いつもなら、おぼこなフミエをいたわるように、そっと自分の快感だけを追って
終わらせてくれる茂なのに・・・フミエは少しこわくなって叫んだ。

「なして、俺にしっかりつかまっとらんのだ?」
「だっ・・・て、何か握っとらんと、ヘ・・・ヘンな声が出てしまうけん・・・。」

茂はフミエの手を放し、あきれたようにフミエの顔を見て聞いた。

「はあ?あんた、何を言っとるんだ?」
「あの・・・か・・・身体の中が、もやもやして・・・がまんできんようになって・・・。」
「がまんなんぞ、せんでええんだ。」
「だって、あ・・・あなたに、みっともないとこ・・・見せられんけん・・・。」

話しながらも、たかまる快感に肩で息をし、声も途切れがちなフミエに、茂は

(こいつは、どこまでおぼこなんだ・・・。)

と、なかばあきれながらも、強いいとおしさを感じた。

「あのな、あんたがどげに泣いてもわめいても、俺はいっこうにかまわんぞ。
男は、相手がええ顔をしたり、ええ声で啼いたりするのを見たいもんなんだ。
・・・あんたも気持ちようならんのだったら、つまらん。」

(ええ・・・顔・・・?ええ声・・・?あれが?)

茂は、信じられないという顔をしているフミエに口づけ、

「・・・ところで、続きをしてもええかな?」

そう聞くと、やおら下腹に手を入れてフミエの花芯をとらえ、指をはさんだまま
力強く腰をつかい始めた。

「んぁっ・・・だめっ・・・。し・・・げ・・・さん・・・。しげぇ・・・さ・・・。」

やがて指を抜き取ると、茂はフミエの脚を大きく広げさせ、ぴったりと下腹部を
合わせたまま激しく腰を上下させた。今までさいなまれていた花芯を容赦なく
こすりあげられ、フミエの全身を鋭い快感がはしりぬける。フミエはもう無我夢中で
茂の首にかじりつき、腰を揺らして快感を追った。

「いやっ・・・い・・・ゃぁぁっ・・・しげぇ・・・さ・・・あぁっ・・・。」
「こげな時は『いや。』じゃなくて『いい。』と言うんだ。」

茂がそう教えても、フミエにはもう届かないらしく、突かれるたびいや、いやと
繰り返しながら追いつめられていった。

「やっ・・・いやぁっ・・・ああぁぁ―――――!」

その瞬間、フミエは身体がばらばらに砕け散り、魂が抜け出だして、宙空に
ふわりと浮かび上がるような気がした。身体はがっちりと茂に捕らわれている
はずなのに、意識は高みへと翔けあがり、実体感のなさに恐ろしくなる。

・・・ゆっくりと意識が戻ってくる。そっと目を開けると、涙でぼやけて見える
茂の顔が、やさしい目でフミエをみつめていた。自分がたしかに茂の腕の中に
いることに、ひどく安心した

「・・・初めてだな、イッたの。」

(イッた・・・って・・・今・・・のが・・・?)

フミエは、自分の身体が、中心をつらぬいている茂という芯以外は溶けてしまった
かのように正体をなくし、余韻の中でたゆたっていた。

「・・・けどな、イク時はイクって、ちゃんと言うてくれんと。あんたが、勝手に
イッてしまうけん、置いてけぼりくらったぞ。」
「・・・え・・・?」

茂は上体を起こし、つらぬいたそのまま、極限まで開かせていたフミエの脚を
ぴったりと閉じさせると、フミエの上にまたがるようにして腰を上下させ始めた。

「あ・・・あっ・・・だめ・・・いま・・・ったばっ・・・かり、なのに・・・。」

脚を閉じたわずかなすき間に、茂の剛直が勢いよく出入りし、達したばかりの花芯を
否応なくこすり続ける。いちど絶頂を知った身体は、手加減のない責めにも
たちまち応え、フミエは再び頂きに押し上げられた・・・。

「あんた・・・ええ身体しとるな。」
「え・・・ええっ?」

初めての、それも二度もの絶頂を身体に刻まれて、夢見ごこちのフミエの、甘い
吐息ごと味わうように口づけると、茂が意外なことを言った。フミエはとっさに、
無防備にむき出されている胸を腕で隠そうとした。

「そげな意味じゃなくて、・・・感度がええ、ということだ。」

茂は笑って、フミエの胸の突起を指でぴん、とはじいた。

「ぁ・・・んっ。」
「俺と・・・相性がええのかもしれん。」

(相性が・・・ええ・・・しげぇさんと・・・。)

フミエの心にうれしさが湧き上がった。自分の身体に自信など全くなかったけれど、
茂が「いい身体だ。」と言ってくれた。お世辞など全く言わない茂だから、
「自分と合う。」と言ってくれた事が本当に腑に落ちて、うれしかったのだ。

茂がそっと身体を離すと、フミエは思わず小さなあえぎをもらした。もう少し
つながっていたい・・・離れたくない・・・そんな気持ちになったのは初めてだった。
全てを受け入れてもらえる安堵感の中で、茂が与えてくれた悦びに満たされ、
フミエは幸せそうに夫の顔をみつめていた。
茂はそんなフミエの顔にまつわりついた髪をいとおしげに指ですいた。

「あんた、俺のことを『しげぇさん』と呼んどったな。イカルがそう呼んどるが・・・。」

(え・・・いけんだったかな・・・?)

フミエは、ちょっとドキッとした。たかまる快感に息があがり、思わずそう呼んで
しまっていた。けれど、房事の最中に、相手から母親と同じ呼び方をされたら、
気持ちが萎えてしまったかもしれない。

「あんたにそげな風に呼ばれると・・・なんか・・・ええな。」

フミエはほっとして、茂の胸に顔を寄せた。耳に響いてくる茂の声は、次第に
眠そうに途切れ途切れになり、見る間にすやすやと寝息をたてて眠ってしまった。

(しげ・・・さん・・・。しげぇ・・・さん。)

フミエは、茂の寝顔をみあげながら、その呼び名を何度も心の中で繰り返した。

次の日。あのうぐいすが気になって、フミエはまた買い物帰りに河原の道へ
立ち寄った。ふきのとうをみつけ、いくつか折り取っていると、同じ木の上に、
いつの間にかうぐいすがやって来ていた。

「ホー、ホー、ホー・・・。」
「やっぱり、あんただね。」

フミエは、旧友に会ったようなうれしさを感じ、その稚拙な鳴き声に耳をすませた。

「ホー、ホー、ホーホー・・・。」
「がんばれ!もうちょっと・・・。」

ふみえが思わず手の中のふきのとうを握りしめたその時、

「ホー・・・ホ・・・ホケッキョ!」

完璧とは言いがたいが、曲がりなりにもうぐいすらしいさえずりが完成した。

「やった!できた!・・・やったねえ!」

その後も、不器用なさえずりを飽かず練習し続けるうぐいすをふり返りふり返り、
フミエは温かい気持ちで帰路についた。

「ただいまもどりましたー!」

フミエは上機嫌で家に帰ると、仕事部屋の茂に声をかけて、買い物籠から出した
ふきのとうを新聞紙の上に広げて見せた。

「今日はこげにふきのとうが採れたんですよ。」
「ほぉ。あんたはタダの食料の調達に長けとるなあ。」
「ふふ・・・。ふき味噌にしましょうか?あ、しげぇさんは、苦いの大丈夫ですか?」
「・・・。」
「しげぇさん?ふき味噌は甘い方がいいですかね?」

ふきのとうをひとつ取り上げて匂いをかいだりしていた茂は、それを紙の上に戻すと、
そそくさと仕事机のほうに向き直り、とってつけたようにペンをとった。

「・・・しげぇさんったら。聞いとるんですか?」
「う・・・あんたにまかせる。俺は仕事があるけん。」

茂の顔は、夕焼けでもないのに夕陽に染まったように真っ赤だった。フミエは
なんだか悪いことをしたようで、あわててふきのとうを集めて籠に入れると、
台所へ戻った。

流しでふきのとうの泥を落としながら、茂の動揺が伝染でもしたかの様に
フミエの胸もドキドキしていた。

(あの人でも、赤くなったりするんだ・・・!)

フミエが「しげぇさん」を連発したことで、昨夜のことを思い出したものか・・・。
いつもフミエを赤面させる側の茂が、思わぬことがツボにはまってしまったようだ。
それにしても・・・。

(ふだんもそう呼んじゃいけんのかなあ・・・。)

茂にああも赤くなられては、フミエも初めてそう呼んだ時のことを思い出してしまう。
しばらくは、昼間そう呼ぶことはやめておこう・・・。しあわせな思い出に彩られた
その呼び名を、心の中であたためながら、フミエは夕食の支度を始めた。






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