村井茂×村井布美枝
「あれ、また豆腐料理?経済料理だわね。私らは年寄りだからええけど、 しげぇさんにはうなぎとか、まちっと滋養のつくもんを食べさせんと。」 今日は修平と絹代が茂たちと一緒に夕食を食べる日。歳をとって歯が悪くなってきた 両親に、やわらかいものをと思ってフミエが出した炒り豆腐に、絹代が容赦ない 批判をあびせた。 「すんません・・・今度から気をつけますけん。」 毎度のことながら、絹代の栄養第一主義には参ってしまうが、フミエは素直に謝った。 フミエが夕食の後片付けをしていると、藍子が食器を運んで手伝ってくれた。 「お母ちゃん、うなぎばっかりじゃお父ちゃん太っちゃうって、おばあちゃんに 言えばいいのに。」 「ありがとう・・・藍子。でも、ええのよ。おばあちゃんはお父さんの身体の心配して 言うてくれとるんだけんね。」 小学校4年生になった藍子は、家族の間の微妙な空気もだんだんわかるようになって きたようだ。そんな藍子の成長がフミエは嬉しかったけれど、祖母の絹代のことを 藍子が悪く思ってはいけないとも思った。 「おばあちゃんはね、息子たちの中でも、特にお父ちゃんのことが心配なんだよ。 お父ちゃんは戦争であげに大ケガしたけんね。復員する前にお父ちゃんが、 おじいちゃんとおばあちゃんをビックリさせんように出したハガキ、藍子も 見せてもらったことあるでしょう?おばあちゃんはああ見えて情の深い人だが。」 「でも、お母ちゃんのお料理おいしいのに、悪く言われて・・・。」 藍子がそう言って顔をくもらせた時、フミエは、可愛らしい赤いお椀にほとんど全部 残ったつみれ汁に気づいた。 「あら?藍子、つみれ汁残しとるね・・・。」 「う・・・それだけは・・・どうしてもダメ。」 「お母ちゃんのお料理はおいしい、って言うてくれたのに。」 フミエは、バツの悪そうな藍子の頭をなでて微笑んだ。 「ちょっこし大人の味かもしれんね。・・・今に食べられるようになるよ。 おばあちゃんもこのつみれ汁はおいしいってほめてくれるんだよ。おばあちゃんは ちょっこし厳しいけど、何でもはっきり言うてくれるから助かるのよ。」 フミエは、遠い昔を懐かしむように笑顔になった。 「お父ちゃんとお母ちゃんが結婚できたのだって、おばあちゃんがちょっこし 強引に話を進めてくれたおかげだけんね。・・・お父ちゃんもお母ちゃんも そげなことは苦手だけん、おばあちゃんがおられんだったら、今ごろこうして おらんかもしれん。」 「ふーん・・・。」 母と話していると、いつも結局は父とののろけ話になるような気がする・・・。 藍子はまたかと思いつつ、幸せそうな母の隣りでお皿をふいた。 実は、フミエも結婚する前はつみれ汁が苦手だった。お向かいの魚屋から届けられる 活きのいいイワシでつくるこの吸い物は父の好物で、よく実家の食卓にのぼったものだ。 フミエも母に教わって何度も作ったことがあったが、舌触りやイワシ独得の風味がいやで、 あまり好きではなかった。 新婚時代、多くの新妻と同じように、フミエも毎日の献立に頭を悩ませていた。 茂は毎日家にいるから、毎日昼と夜の食事を作らなければならないうえに、大食いだ。 そのうえ、財政も逼迫しているから、とぼしい資金で満足できるようなものを ととのえるのは至難のわざだった。戦時中の食糧難を経験し、また長年、 年老いた祖母や病弱な母のかわりに実家の台所を切り盛りしてきたフミエも、 不慣れな東京の食糧事情と資金難にはなやまされた。 (うーーーん。なんかしげぇさんの喜んでくれるようなもんはないかなあ。) 今日もフミエは財布と相談しながら、すずらん商店街の魚屋の店先をのぞいていた。 (イワシが安いなあ・・・。でも、焼いたらそれっきりだし・・・そうだ!つみれに したらどげかなあ。私はきらいだけど、あれならダシも出るし、かさも増やせるし。) ここに来たばかりの頃は、まわりの主婦たちの勢いに押され、特売品を買いそこねる ことも多かったフミエだが、この頃はすっかり要領を覚えたとみえ、首尾よく イワシを手に入れて家路を急いだ。 イワシを手でさばいてきれいに洗い、薬味やカタクリ粉、味噌などを 入れてすり鉢でていねいに擂り、熱湯で茹でて味噌じたての吸い物にする。 すり鉢のすじにイワシの身が入り込んで、後できれいにするのが大変なのだけれど、 茂を喜ばせようと、なめらかになるまで一生懸命すった。 「お、今日はつみれ汁か。なつかしいな。」 湯気の立つ椀の中に浮かぶつみれを見て、茂が嬉しそうに言った。とりあげて ひと口すする。椀を置いてつみれを箸でとりあげてひと口かじった。 『うまいですなあ。』 ・・・お見合いの席で、赤貝の煮付けや寒ブナの吸い物をもりもり食べ、そう言って 微笑んだ茂を思い浮かべていたフミエの目に映ったのは、しかしあの笑顔とは 似ても似つかないしぶい顔だった。 「・・・なんか違うな。」 「え?・・・お、おいしくないですか?」 「うん。・・・ありていに言うと、まずい。」 茂が婉曲な表現などできない人であることは、この頃のフミエにはよくわかって きていたけれど・・・。まずいなんて、あんまりだ。茂の喜ぶ顔を思い浮かべながら 一生懸命つくっただけに、フミエはかなりカチンときた。 「まずい・・・って、どうまずいんですか?」 「まずいもんはまずいんだ。・・・まあ、腹が減るけん全部食うけどな。」 茂はフミエにはかまわず、つみれ汁とごはんをワシワシ食べ、おかわりまでした。 フミエは、ただでさえ好きではないつみれ汁が憤りでのどをとおらず、黙っていた。 「そんじゃ、今夜は遅くまで仕事するけん。」 平気な顔で食べ終わった茂が仕事部屋に引き上げようとした時、フミエが口を開いた。 「まずいなんて、ひどいじゃないですか・・・一生懸命つくったのに。イワシだって そげに何匹も買えんけん、少しでもかさを増やそうとつみれにしたんですよ。」 「うるさい!一生懸命つくろうがどうしようが、まずいもんはまずいけん、 そう言うて何が悪い。」 「あなたは知らんかもしれんけど、私が毎日どげに苦労しとるか・・・。少しでも 栄養のあるもんをと思うて、魚のアラを塩漬けにしたり、煮物の煮汁でおからを 煮たり・・・。」 「ごちゃごちゃ言うな!そげな細かいことにかまっとるヒマはないんだ。」 茂は一喝すると、仕事部屋に入ってフスマをぴしゃりと閉めた。 フミエは力が抜けてその場にぺたりと座りこんだ。どこがまずいのか、自分の 椀をとり上げて汁を飲み、実を食べてみる。 (うぇ・・・。) 口の中に残る舌触りとイワシ独得の風味に気分が悪くなり、涙がじわりとあふれた。 その夜。めずらしく茂と言い争いをしてしまった後味の悪さに、フミエは なかなか寝つかれなかった。 (しげぇさんは、私の苦労なんかちっともわかってくれんのだけん・・・。) 情けない思いが湧いてきて、涙があとからあとからほほをつたい、枕をぬらした。 涙を流すと不思議と眠くなるもので、フミエはいつしか深い眠りにおちていった。 ・・・ふと目覚めると、茂に抱かれていた。ほおや耳を愛撫する唇がはきかける熱い 吐息が、これから始まる情欲の時間を予感させる。 「うぅん・・・。」 ケンカとはおかしなもので、いつもはあれほどいとおしい茂の体重が、今夜はなんだか 腹立たしく、フミエは顔をしかめて身をよじった。けれど、茂はフミエをしっかりと 組み敷いて、平然と肌や唇を追ってくる。まだよく目が覚めずぼんやりしたまま、 のしかかられる重さに身動きがとれず、フミエはあっさり抵抗をあきらめた。 (勝手にしたらええわ。・・・感じてなんかあげんけん。) なんとなくそれだけはしてはいけない気がして、フミエは茂の求めをこばんだこと がなかった。だから、茂の好きなようにさせるけれど、悦びの表情を見せないことで せめてもの抗議をあらわすつもりだった。 (声も出さん・・・、ええ顔もせんもん!) 茂は何も言わずフミエの肌を味わいつづける。手が浴衣の中に入り込み、次第に フミエをあられもない姿に剥いていった。 「ん・・・んん。」 口づけされても、フミエはぎゅっと唇をひきむすんで交歓をこばんだ。茂はそれ以上 追わずに唇を離すと、乳房へと愛撫の矛先を移した。 「・・・ふ・・・ぅ・・・ン・・・んんっ。」 吸い上げられ、舌でころがされ、フミエの中心部と直結しているふたつの粒から、 身体のすみずみまでじわりとした快感がひろがる。下腹にあたる硬い感触に、 茂が自分を激しく求めていることが感じられ、フミエの泉が勝手にあふれ出す。 けれど、それを確かめる茂の指がなんとなく得意げなのも気に入らない。 「は・・・ぅ・・・ぅぅ・・・ん・・・。」 フミエは快を表すあえぎをかみころし、強情に茂の瞳を見ることを拒否した。 こうなると茂も意地になるものとみえて、顔を背けているフミエにはかまわずに、 脚を開かせると、猛りたつもので強引に侵入してきた。 「―――――!」 もうずいぶん身体も慣れたとは言え、つらぬかれる瞬間はいつも、征服される恐怖と 求められる悦びのふたつがない交ぜになった複雑な感覚におそわれる。身体の奥から 湧き上がる快感を無理やり押さえつけ、声を押し殺すと、行き場を失った熱情が 内側からフミエの身を灼き焦がした。 かたくなに横を向いているフミエのあごをつかんで、茂が正面を向かせる。 「ちゃんと、目を見せえ。」 フミエが、まっすぐに茂の瞳を見返した。いつもなら、愛情と官能の入り混じった まなざしでみつめてくれる大きな瞳に、怒りの炎が燃えているのを見て、茂は さびしく思わずにいられなかった。 (案外、意地っ張りだな。見とれよ・・・。) 茂は、フミエの身体を折り返すほど脚を抱えあげると、その中心をつらぬくものを 容赦なく上下させた。 「あっ・・・は・・・ぅ・・・ぁ・・・ぁぁ・・・。」 自らの脚に胸を圧迫され、フミエが苦しそうにうめいた。大の男にのしかかられて 身動きもならず、屈辱に涙があふれるのに、身体の悦びを抑えることができない。 ふいに圧迫から解放される。脚を元に戻して、茂がゆっくりとまた覆いかぶさって きた。リズミカルな動きに、フミエの腰も自然に揺れる。茂がやさしい目でフミエを みつめ、口づけした。さっきよりは甘く、フミエは応えた。 (ぁぁ・・・イかせて・・・おねがい・・・。) 天国がすぐそこにあるのに、たどりつけない。茂はさっきのフミエの冷たさに 仕返しするかのようにわざとゆっくりと責めた。 (意地悪・・・いじわる・・・。) ようやく茂の動きが早くなった。フミエはもう意地を張るのも忘れて茂の背中に しがみつき、嬌声をあげてよがった。 「あ・・・だ・・・あぁぁ・・・あ―――――!」 「ぁ・・・ぁん。」 まっ白な世界からじょじょに戻ってきたフミエは、ずるりと引き抜かれる感触に 総毛だった。脚を閉じることもできずぐったりしていると、身体を離した茂が フミエの脚を閉じ、そっとうつ伏せにさせた。下腹に手を入れて尻を上げさせられる。 「や・・・待っ・・・すこし・・・やすませ・・・。」 懇願もむなしく、達したばかりの女陰を再びつらぬかれる。腰を上げていることも できないフミエを横臥させ、本能的に前へ逃げようとするフミエの脚に自らの脚を からめて、ふたり一緒に身体をふるわせるようにして責めた。 「ひ・・・ゃ・・・やぁ・・・ぁぁぁああ―――――!」 激しく身体をわななかせ、しめつけるフミエの中に、茂も熱い精を放った。 後ろから抱かれている身体のあたたかさ、茂の放ったもので満たされている感触・・・。 愛されたあとのけだるさの中で、フミエはさっきまでの怒りをほとんど忘れていた。 けれど、なんとなく顔を合わせづらくてじっとしていると、茂がなおも肌に手を はわせてくる。フミエは手で身体をかばい、茂の手を逃れようと身じろいだ。 「なして、名前を呼ばんのだ?」 「・・・え?」 「あんた、意外と情が強い(こわい)女だな。」 そう言えば、呼ばなかったかもしれないが、実のところ、意味のある言葉を発する 余裕すらなかっただけのことだった。けれど、茂は、フミエが意地をとおしたと 思っているのだろう。 「あげにヒイヒイ言うとったのに、俺の名前だけは呼ばんとはな。いつもなら しげぇさんしげぇさんと、うるさいくら・・・んむ・・・。」 フミエは、くるりと身を反転させて茂の唇をうばった。恥ずかしくて聞いていられ なかったのと、名前を呼んでもらえなかったことにすねているような茂が、急に いとおしくてたまらなくなったのだ。 「もういっぺんイかせたら、呼んでくれるか?」 「え・・・も、もう・・・堪忍して。」 「冗談だ。・・・俺の方がもたんわ。」 ふたりは、顔を見合わせて笑った。そして、抱き合うと、いつもの甘い口づけをかわした・・・。 さっきまでケンカしていたのに、当然のようにフミエを組み敷いて、めちゃめちゃに 感じさせ、事をうやむやにされてしまった・・・。ずるいと思いながら、そのくせ名前を 呼んでくれないことに拗ねる茂を可愛いと思ってしまう。茂に抱かれながら乱れないなんて 不可能な意地を張ろうとして、案の定さんざん啼かされてしまった自分も情けない。 それでも、茂の名を呼ばなかったことを、フミエが意地を張り通したと茂が誤解しているのが ちょっと痛快でもあった。 まったく、年齢のわりに子供っぽい新米夫婦だった・・・。フミエはつみれ汁のことから、 結婚して間もない頃のそんなことを思い出し、甘ずっぱい気持ちになった。 あのころ二人はまだ若く、つまらないことでケンカしたり、ひとつに溶けるかと思うほど 愛しあったり・・・。多忙を極める茂と会話らしい会話もできない今、あの頃の自分たちが むしょうに懐かしく、いとおしかった。 数日後。藍子はフミエがつくったぼたもちを持って、修平と絹代の部屋を訪れた。 さっそくいくつもたいらげた修平は、ゆり椅子で船をこぎ始めた。藍子と絹代はお茶を 飲みながらゆっくりぼたもちを味わった。 「・・・お母ちゃんのぼたもちは最高だね。」 「ああ、藍子のお母さんは料理上手だが。」 藍子は、絹代がフミエの料理をほめたので驚いた。 「でも、おばあちゃん、この間お母ちゃんの料理が経済料理だって・・・。」 「もっと栄養のあるものをと言うただけで、まずいとは言っとらんよ。特につみれ汁なんか 私は大好物だが。」 「また、つみれ汁かあ・・・。」 「あれ、藍子は嫌いかね。・・・ふふ、実はフミエさんも嫌いだったんだよ。」 「ええっ?本当?」 「ああ。安来とウチじゃ味つけが違うのか、しげぇさんにまずいと言われたらしくてね。 手紙でつくり方を教えてくれと言うてきてね。何度もつくるうちに、食べられるように なったんだと。自分が嫌いだとおいしさがわからんけん、上手くつくれんもんねえ。」 「ふうん・・・。」 「藍子は『亭主の好きな赤烏帽子』という言葉を知っとるかね?」 「ううん、知らない。」 「赤い烏帽子のように変なものでも、その家の主人の好みにあわせておけば、家庭が うまくいく、言う意味だよ。」 「・・・この家はお父ちゃんの赤烏帽子だらけだね。」 父の発案による改装を繰り返し、迷路のようになり果てた家、父が旅先で買いこんできた、 おびただしい数の南洋のお面や像・・・それだけではない、この家の全ては父の思いどおりに 運営されていると言ってよかった。 (それにしても、お父ちゃんって、しあわせ者だなあ・・・。) 父の赤烏帽子は、一般的なものさしから見ると、かなり受け入れがたいものも多いのだけれど、 母はそれを全て受け入れてきたのだ。いや、受け入れるだけでなく、それを自分のものに してしまったものも多い。南方に移住する計画にだけは、反対だけれど・・・。 (お母ちゃんもしあわせそうだから、まあいっか・・・。) 藍子にはかなり疑問なのだが、母はお父ちゃんと結婚してよかったと、事あるごとに のろける。母が幸せならそれでいい、と藍子は思ったが、このごろの母の心に 翳を落としていることにまで気が回るほど、大人の事情はまだわかっていなかった。 「おばあちゃんは、おじいちゃんの赤烏帽子に合わせてあげてるの?」 絹代が顔をしかめた。朝食のメニューですら、修平はトーストとコーヒー、絹代はごはんに 味噌汁・・・この世代にしては珍しい、夫唱婦随でない夫婦なのだ。 「・・・この人には、昔さんざんふりまわされたけんね、もうたくさんだわ。」 その時、ゆり椅子でまどろんでいた修平が、ふと目を覚ました。 「ナニ、もうたくさんだと?そんならわしによこせ。」 「・・・いやだ、ぼたもちのことじゃありませんよ。それに、ちゃんと喜子の分もとっといて やらんとね。」 修平は、なにやらぶつぶつ言っていたが、また眠ってしまった。藍子は、絹代と顔を 見合わせて吹き出した。喜子がぼたもちめがけて走ってくる足音がドタドタと聞こえる。 今日も村井家は平和だった。 SS一覧に戻る メインページに戻る |