村井茂×村井布美枝
![]() 初秋の乾いた心地よい風に、カーテンが揺れる。 カーテンを揺らした風は、少し遅れて夫の長めの前髪を、さらりと撫でて去っていく。 買い物から戻った布美枝は、仕事部屋でごろりと横たわり、すやすやと昼寝をする茂に目を細めた。 そうっと買い物籠を下ろし、そろりそろりと茂に近づく。 もっとも、音を立てても立てなくても、そう簡単に起きる彼ではないけれど。 (髪伸びとるなぁ…そろそろ切らんと) さらさらと吹かれる前髪にそっと手を伸ばし、手ではさみを作ってちょきん、と切る真似。 かけたままだった眼鏡をゆっくりはずす。小さく呻ったけれど、すぐにまたすやすやと寝息をたてる。 ほっとして、しばらくその愛しい寝顔を見つめた。 一回り近くも上なのに、茂の寝顔にはそれを感じさせない幼さがある。 ペンを握っているときの気迫とは真反対の、どこか油断した、気の抜けた寝顔。 それは常にあらゆるものと戦っている茂の、ひとときの休息の時間だ。 出来るだけ長く、ゆっくりと休ませてあげたい。 夫に全てを委ね、それ故に彼に重荷を背負わせてしまっている妻の、切実な思いだった。 大きな身体の半分ばかりしか覆えないけれど、そっと上掛けを被せる。 ぽんと放り投げてあった右腕も仕舞う。 節ばった手の甲と、青白く浮き上がった血管、しなやかに伸びる五指。 左側の空間を見やりながら、そちらの手も同じように美しかったのだろうな、と切なく思った。 あまりに綺麗な腕だから、きっと欲深な悪魔が一本だけでも欲しがったのだ。 布美枝はそう思うことにした。 腕だけではない。 このひとは…清廉で、無垢で、情熱的で。気高く、雄大な、広い男なのだ。 いずれ誰かが彼の魅力を知り、自分から彼の全てを奪っていってしまうのではないか。 言い知れぬ不安が布美枝を襲い、同時に言葉にならない感情が込み上げる。 独占欲…。 茂に出会うまで、きっとそんな思いを意識したことなどなかっただろう。 彼に見合う妻であるかどうか、常々身を縮こまらせているにも関わらず、 肥大していく欲には歯止めをかけられず、引き裂かれるような思いを抱える。 堪らず茂の寝息に耳を傾け、唇を近寄せる。 が、奪うように口づけるのは躊躇った。眠りを妨げてはいけない。 触れる程度に抑え、軽く口づける。 少し離れて、寝息が乱れてないことを確認し、再び触れる。 夫への愛しさだけに、動かされている。そんな身の内の衝動をはっきりと自覚する。 すると、口づける茂の唇が開き、柔い舌が布美枝の唇を突いた。 驚いて目を見開いたが、するりと入り込んできて絡み取られる。 しばらく深く口づけあって、ゆっくりと離れた。 「…逆」 「え…?」 「接吻で起こされるのは、大体お姫さんの方だろうが」 ふたりは同時にふふっと微笑った。 茂はまだ寝転がったまま、半分眠っているようなぼんやりした表情で、下から布美枝の頬を撫でる。 「まだ夜には時間がある。あんたが昼間から欲情するなんて、珍しいな」 「欲情なんて…!」 かっと朱色を差した頬を、愉快げに抓って茂が嗤う。 「しとらんだったか?」 「…」 否定すれば、先ほどの口づけが嘘になる。それに、既に布美枝の顔は素直に肯定してしまっている。 茂に覆いかぶさったまま、彼を見下ろす姿勢を崩せないのも、何よりの証拠かも知れなかった。 だって貴方の寝顔はあまりに色気づいている。 涼やかな肌の色も、鼓動とともに震える睫毛も、誘うような唇も。 茂はふふ、と笑うと、布美枝の唇を自分へと誘い、再び深く口づける。 性急な愛撫が、布美枝の胸や尻を撫でまわし、早くも下着の奥へと指が滑り込んだ。 窓は開けっ放し、玄関の鍵もかけていない。二階には間借り人。 そんなことを頭の端に置きながら、一方でもうどうでもいいとさえ思えてしまう。 弄られる指に悶えながら、布美枝も茂の昂りに手を伸ばした。 最後まで脱がせることも出来ずに、まだ半分寝惚けている下半身を、 勢いのままスカートの中へ呑み込んだ。 目を閉じた茂を見下ろしながら、あまりにも急すぎる繋がりを今更悔やんだ。 二度、三度腰を揺すると、内側で体積が充実してくる。押し広げられる感覚に震える。 スカートの中の淫らな交わい。水音。 「んっ…は、ぁ…あ、あ…」 仰け反って天井を仰ぐ。左胸を揉みしだく茂の右手に手を重ねる。 二階の床が軋む音。もしかしたら中森が降りてくるかも知れない焦り。 ひらりと揺れるカーテンの影。もしかしたら声が洩れ出てしまうかも知れない羞恥。 開け放たれたままの襖。もしかしたら来客がひょいと玄関扉を開けてしまうかも知れない不安。 それなのに、快感を求めようとする高鳴りはそれを凌駕するほどに布美枝を占拠して。 「あ、っ、あっ…」 満たされるまでは止められない。それは茂も理解っていた。 布美枝のスカートに手を挿し込み、小粒の性感帯をすぐさま探し当てる。 思わず止まった布美枝の腰使い。代わりに下から茂が突き上げた。 「は…っ!」 捏ねられるむず痒さと、貫かれる振動に、やがて身を任せて酔いしれていく。 欲しがったのは自分の方なのに、結局奪う側には廻れないわが身が情けない。 くたりと首を折り、その瞬間を待つ。 やがて短く鋭い揺れののち、強く腰を穿たれて、熱い精が内側に逆昇る。 「あ…」 風船が空気を抜かれたように、布美枝の身体は、しゅうと茂の上にしな垂れた。 互いに息を整える間、繋がったまま無言だった。 「…すんません」 ぽつりと布美枝が呟く。 「なして…?」 「…お昼寝、邪魔した上に…こげな…」 夜の褥と違って、あまりに短い営みだった。 前戯も、情感も、交わす言葉もなく、ただ奪い、奪われただけの。 余韻に浸ることもできずに、今になって顔を見るのも恥ずかしくなるようなひととき。 が、茂は自らの上でうつ伏せる布美枝の髪を撫でながら、ふうとため息をついて。 「…仕掛けるのはいつも俺だけん。たまにはあんたに仕掛けてもらうのもええな」 「え」 「欲しいと思ったら欲しいと言え。あんたは口で言わんと目ばっかりで喋る」 顔を上げて、茂を見る。 「欲情しとるあんたの目、普段のあんたよりずっとおしゃべりだわ」 「…っ」 「まあ、ちっとまだ明るかったな。あんたはすぐに声が出るし」 いたずらっぽく笑う茂に、布美枝は赤面しつつ口を尖らせた。 茂が手招きするので、そっと耳を近寄せる。 「腹ごしらえしたら、夜にはもう一戦できるけん。飯はたんと用意しぇ」 「…も…っ!」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |