村井茂×村井布美枝
「お母ちゃん、かき氷食べたい〜!」 「だめよ、よっちゃん。あんたもう、トウモロコシに冷やしあめも飲んだじゃないの。 お腹をこわしますよ。」 「よっちゃんって、お腹こわしたことないよね・・・。」 (藍子の言うとおりだけん、困るんだわ・・・。) 「あ、ほらほら、ヨーヨーつりやっとるよ。」 今日は深大寺の夏祭り。相変わらず仕事に忙しい茂を家に残し、フミエはひとりで 藍子と喜子を連れて来ていた。 食べ物にばかり執着する喜子の気をそらそうと、少し離れたところにあるヨーヨーつりの 屋台を指さした時、大きな人波に押され、フミエは一瞬、喜子の手を離してしまった。 「・・・よっちゃん?喜子!・・・藍子もおらん。」 人波が去った後、また流れ出した人々の中に、ふたりの娘はいなかった。フミエは必死で ふたりの名を呼びながら心あたりを探した。だが、かき氷の屋台にもヨーヨーつりの 屋台にも、ふたりの姿はなく、フミエはだんだんと人ごみを抜けて、気づけばひと気のない 池のほとりまで来ていた。 「どげしよう・・・どこにもおらん。」 子供たちも慣れ親しんだ深大寺の境内だけれど、もし誘拐されでもしたら・・・。最悪の事態 ばかりが頭に浮かび、迷子案内をしてもらうことすら今まで頭に浮かばなかった。 「そうだ!放送で呼び出ししてもらおう。」 「お母ちゃん・・・。」 祭りの事務所を探しに向かおうとした時。藍子の声が聞こえた気がした。振り向くと、 そろいの浴衣が愛らしい姉妹が手をつないで立っていた。 「・・・あんたたち!どこ行っとったの?」 ふたりが駆け寄ってきて、フミエに抱きしめられた。 「もぉ・・・お母ちゃん、どげに心配したか・・・。」 「ごめんなさい。」 ふたりはそろって謝ったが、意外なことに小さな喜子さえ泣いていなかった。 「・・・?あんたたち、迷子になって心ぼそくなかったの?」 藍子と喜子は、顔を見合わせた。 「・・・うん。あのね、最初はお母ちゃんがどこにもいなくなってどうしようと思ったの。 そうしたら、よっちゃんが、お母ちゃんと同じ柄の浴衣のひとをみつけて、後を追って 走って行っちゃったの。」 「だって、お母ちゃんだと思ったんだもん。」 「・・・でも、そのひと、お母ちゃんじゃなくて、あそこの池まで来たら振り返って、 『おばさんと一緒においで。かき氷をあげるよ。』って言ったの。でも、なんだか いやな気がして、逃げようとしたけど、足が動かないの。」 娘たちが何かただならぬ危険にさらされていたのだと思うと、フミエは血の気がひいた。 「そ・・・それで、どげしたの?」 「お兄ちゃんが、助けてくれたんだよ。」 喜子が、無邪気な様子で口を出した。 「お兄ちゃん?」 「うん・・・。麦わら帽子に、丸い眼鏡の、中学生くらいのお兄ちゃん。ポケットから 石を出して、カチッとやったの。それで「こいつらに手を出すな!!」って大きな声で 言ったら、その女のひと、サッと逃げちゃったの。」 「なんか、シッポがあったよ。」 喜子はなんだか嬉しそうだが、藍子はその時の怖さを思い出したように真剣な表情で語った。 「それでね、私たちに向かって『あんなのについて行ったら、何を食わされるかわかった もんじゃないぞ。』って言って・・・気がついたら、足が動くようになってたの。」 「そ・・・その、お兄ちゃんって、左腕があった?」 思わず聞いてしまってから、フミエは馬鹿なことを聞いたと思った。フミエが会った時 だって、その人にはまだ左腕があったというのに。 「・・・なんでそんなこと聞くの?・・・あったよ。」 「うん・・・あった。それでね、その人お姉ちゃんに『あんたはおっ母さんにそっくりだな。』 って言ったんだよ。・・・子供のくせにおかしいよね。」 喜子も負けじと口を出した。フミエはふたりが無事だった安堵感と、不思議な少年の話に 頭がくらくらしてきた。 「それでね、そのお兄ちゃんがここまで連れて来てくれたんだけど、お母ちゃんをみつけて 後ろから抱きついて、振り返ったらもういなかったの。」 フミエは、興奮してかわるがわる話す姉妹をもう一度抱きしめると、もうそこにいない 少年に向かって頭を下げた。 「お母ちゃん、かき氷ー。」 「あんたって子は本当に・・・。もう帰りますよ。かき氷はうちで作れるけん、ね。」 フミエは死ぬほど心配したというのに、喜子は気楽なものだ。喜子を真ん中に、今度は 三人しっかりと手をつないで、フミエは家路を急いだ。 「かき氷、お父ちゃんにも持ってってあげるね。」 いちごのシロップをたっぷりかけたかき氷にかぶりつく姉妹をみて、フミエはやっと 騒いでいた胸が落ち着いた。 「あなた、かき氷食べますか?」 「・・・おう、ありがたいな。」 アシスタントたちが帰った後も、茂は仕事部屋に電気をつけてひとり漫画を描いていた。 「おー、スプーンまで冷え切っとる。」 しゃりしゃりと氷をつぶしてシロップをゆきわたらせると、茂はおいしそうに氷を食べた。 「あの・・・お父ちゃん、あのね・・・。」 フミエは、娘たちの迷子のことを、茂に謝らねばと思った。 「さっき、私がつい目を離してしまって・・・。」 母親として、いたらなかった。たまたま良い人に助けられたけれど、そうでなければ・・・。 フミエは、藍子と喜子が語った少年のことも話した。 「そうか・・・。それは危なかったな。その女は、キツネかなんかだったかな?」 「すんません・・・これからは、気をつけますけん。」 「いや・・・俺がついてってやれんかったけん・・・すまんだったな。」 怒られると思っていたのに、茂はやさしかった。 (あの男の子は・・・もしかして・・・?) 聞いてみたい言葉を、フミエは飲み込んだ。 「あー・・・あたまいたい・・・。」 茂が、かき氷をパクつきすぎて冷えたあごを手で温めながら顔をしかめた。 「もぉ〜、そげに急いで食べるけん・・・。お茶でもいれましょうか?」 「お前があっためてくれ・・・。」 あきれるフミエの肩を抱き寄せ、茂が冷たい唇をフミエの唇に押しつけた。 「ん・・・。」 あまりの冷たさに、逃れようとするフミエの口の中に、これまた氷のように冷たい舌が 挿し入れられる。フミエはしかたなく、温かい舌で茂の上口蓋を温めてやった。 「はあ・・・。」 唇が離れると、茂はまだ冷たいのか、舌を出して手でさわった。・・・その舌が、不健康な 緑色に染まっているのをフミエは見逃さなかった。 「あなたっ!またジュースの素を舐めて・・・。もぉ、身体に悪いからやめてって、 あれほど言うとるのに・・・。」 「しまった、ばれたか・・・。」 茂がきまり悪そうに笑い、フミエを再び抱きしめた。髪をあげているので、衣紋を抜いた うなじが美しい。思わず口づけると、フミエがくすぐったそうに笑った。 「・・・子供たちの監督を怠ったお仕置きをせんといけんな・・・。」 「・・・ジュースを隠れ舐めしたお仕置きはどげなんですか?」 「・・・まあ。おあいこだ。」 窓の外では虫たちが鳴きすだいている。フミエは守られている安心感に、うっとりと 広い胸に抱きこまれていた。 SS一覧に戻る メインページに戻る |