ねこ福
村井茂×村井布美枝


「ふふ・・・。」

低い笑い声。茂とふたりだけの時間に聞かせるような・・・。

「・・・いや、ほんとですよ。」
「いやだ、豊川さん・・・お上手なんだから。」

フスマの向こう側で肩を寄せ合っている二人は、何を話しているのだろう?
豊川に何かお世辞でも言われたのか、謙遜してみせるフミエの声は、必要以上に弾んで
いるように思える。

散歩から帰ってきた茂は、仕事部屋のフスマの陰から聞こえる男女の話し声にふと
立ち止まり、妻の声にいつにない艶な華やぎを感じて、声をかけるのを躊躇していた。

「あ・・・先生、お留守中にお邪魔しております。」

気配に気づいた豊川が、いずまいをただして挨拶する。

「あら・・・あなた、おかえりなさい。」

一瞬遅れて気づいたフミエは、二人で見ていたらしい、何かカバーのかかった本を
パタンと閉じると、サッと自分の陰に隠した。

「散歩だけん、すぐ帰ってくると思うて、待っとっていただいたんですよ。」

フミエはさりげなく本を脇に隠しながら台所へ立って、お茶をいれ始めた。

(何を隠した・・・?)

フミエが自分に隠し事をするなんて・・・茂は面白くない気分でちゃぶ台の前に座った。

「先生。来月号の進み具合はいかがですか?今日は陣中見舞いがてら、構想をうかがいに
参りました。」

豊川が持ってきたというドラ焼きが茶とともに食卓に出された。

「あ・・・いや、なかなか進まんで・・・。」
「いや、お気になさらないでください。私が勝手に押しかけたんですから。しめ切り
まで、まだ時間もありますし。」
「それなら3日待ってください。3日後に来てくれれば、構想を仕上げておきますけん。」
「わかりました。それでは3日後に。」

仕事の話はそれで終わり、豊川はみやげのドラ焼きで茶を飲みながらフミエと楽しそうに
世間話をして、仕事の進展は何もなく帰って行った。

(・・・あいつ、何しに来たんだ?)

この家に電話をひいてからというもの、わざわざやって来る必要はそれほどなくなったと
いうのに、近ごろやけに豊川の訪問が多くなった気がする。

(まあ・・・奴も必死なのかもしれん。)

豊川が編集部の反対を押し切って、大胆にも人気投票ダントツ最下位の『墓場鬼太郎』の
連載開始に踏み切ったのは、ふた月前のこと。

(奴が、俺の漫画を買ってくれとるのは間違いないが・・・。)

端整な容貌や慇懃な態度の内にも、不敵な魂が見え隠れする豊川を、この辺に住む
向こうキズのある猫に似ている、と茂が評したのは意外と言い得て妙だったかもしれない。
『少年ランド』を少年漫画雑誌ナンバーワンにする為ならどんな努力もいとわないらしい
彼の身体からは、いつも熱意が吹きつけてくるようだった。

(だが、亭主の留守にひとの女房とこそこそして・・・けしからんな。フミエもフミエだ、
奴がくれたカステラの包み紙なんぞを後生大事にとっておいたりして・・・。)

だが、今さらそんなことを問いただすのも大人気ない気がする。茂はせっかくのドラ焼き
にも手をつける気にならず、難しい顔をして黙りこくっていた。

次の日。またしても招かれざる客がやって来た。ついこの間、少年ランドの恐怖の
人気投票システムの情報をもたらしてフミエを動揺させ、作っていたおはぎをボテボテの
代物にさせた浦木である。フミエが出かけていて、玄関で呼んでも誰も出てこないので
勝手にずかずかあがりこみ、仕事部屋のフスマを無遠慮に開け放った。

「なんだ・・・おるんなら返事くらいせえ。無用心なうちだな。」
「お前また来たのか・・・今仕事中だけん、帰れ!」
「せっかくええことを教えてやろうと思ったのに・・・あのランドのなんとかいう編集者な
・・・今日、ここに来る予定か?」
「豊川さんか・・・?今日はそげな約束はないぞ。昨日来たばっかりだしな。」
「ふうん・・・。」
「なんだ・・・ニヤニヤして。豊川がどうかしたのか?」
「さっきここへ来る時に街で見かけたんだが・・・お前の女房と一緒だったぞ。肩を並べて、
えらく親しそうだったなあ。」
「・・・お前、何が言いたい?」
「いや・・・あの奥さんもなかなかすみに置けんということだ。お前に似合いのさえない女
だと思っとったが、お前の仕込がいいのか、近頃やけに色っぽくなったしな。」
「えげつないことを言うな!」
「漫画は打ち切り目前だし、女房は寝取られるしじゃ、お先真っ暗だな。」
「ひとの家に図々しく上がりこんでデタラメばっか言いおって。お前ほんとに帰れ!!」

茂は立ち上がって浦木のえり首をつかむと、玄関に引っ立てて行って三和土に放り投げた。

その夜ふけ。3日で構想を、それも今度は人気投票で最下位を脱出できるようなものをと、
茂は机に向かい、必死で頭を絞っていた。心の中は疑念でいっぱいだが、仕事にかこつけて
フミエと話をしなくて済むのを幸い、夕食もそこそこに部屋にこもったのだ。だが、仕事に
集中しようと思っていても、昼間浦木にささやかれた話と、それを裏づけるかのような
昨日のふたりの様子に、知らずしらず思考はそのことに戻っていってしまう。

(ばかな・・・フミエにかぎってそげなこと。だいたいあいつは豊川よりみっつよっつ
年上のはずだ。)

豊川のような若きエリートが、年上の人妻に懸想するなどとは思えない。それに、
茂にとってフミエは最初から自分のもので、自分しか知らないおぼこ女で・・・他の男に心を
奪われるなど考えてみたこともなかった。だが・・・。

(もともとああいう奴の方が、フミエの好みのタイプなのかもしれんな・・・。)

父親は山っ気があるが手堅い家庭で、兄姉は学校の先生・・・豊川のようにかちっとスーツを
着こなした勤め人の妻になるのが、本来のフミエの理想だったのではないか。

なんだか急に、フミエが本当に二階に寝ているのすら心もとなくなってきて、茂は足音を
しのばせて二階にあがった。

一番奥の小さな布団に寝ている藍子の隣りで、フミエは何の変わったところもなく
すやすやと眠っていた。

『昨日隠した本は、何だ?』
『今日、豊川と会ったのに、なんで黙っとるんだ?』

聞きたいのはやまやまだが、嫉妬していると思われるの沽券にかかわる。身体に聞いてみる
と言うわけでもないけれど、フミエが自分のものであることを実感せずにはいられなく
なって、フミエのそばにかがみこんだ。

おもむろに掛け布団をはぐと、ひやりとした秋の夜気にフミエがすこし身じろぐ。
無言で身体の上におおいかぶさると、唇を奪いながら見八ツ口に手を差し入れて胸乳を
まさぐった。

「ぅ・・・ふぅ・・・ん。」

フミエが目を閉じたまま、首に手を回してきた。深い眠りから引き起こすような強引な
求めにも、慣れっこになっているのか、いやな顔もせず甘く応えてくる。だが、棘のように
心に刺さった疑念が、茂を少し意地悪な気持ちにさせていた。

とがり始めてきた乳首を放置して浴衣のすそを割り、潤いを確かめる。まだ夢うつつで
愛撫もろくにされていない身体は、充分に潤ってはいなかった。もどかしい思いで、前で
結んだ帯を乱暴に解いて前をはだけると、乳首に吸いつきながらしげみに指を突っ込んだ

「痛・・・お父ちゃん、どげしたの?もっと優しうして・・・。」

フミエが目を開け、静かな声で抗議した。茂の頬を両手ではさむと、目を閉じて下から
甘く口づけてくる。フミエの舌がしのびこんできて茂の舌をからめとり、やさしく吸った。

(なんだこいつ・・・やけに余裕があるな。)

フミエの落ち着いたとりなしに、なんだか自分の方があやなされているような気がして
面白くない。茂はフミエの手をつかんで布団に押しつけ、激しく唇をむさぼった。

「んふ・・・ぅうん・・・ぁ・・・ん・・・。」

唇を密着させ、舌をからめ・・・それだけでフミエはいつも通りにあふれ、ほぐれてくる。
このまま貫いてしまいたい欲求が湧き上がるが、先刻から心にひっかかっている疑念の
せいで、なんとなくすんなり愛し合う気持ちになれない。

フミエの身体を上に乗せて上下を入れ替え、頭をそっと押し下げる。フミエは茂の求め
ていることを悟り、素直に下へさがった。

「・・・あっちを向いてせえ。」

フミエは(困った人ね・・・。)とでも言いたげに少し眉根を下げて微笑むと、言われた
とおり後ろを向いて茂の上にまたがった。胸の上にフミエの濡れた女性が押しつけられ、
それだけで雄芯がこわばるのを感じる。

形をとり始めた器官に両手を添えて、フミエは根元からていねいに舐め始めた。
臀の下に手を入れて持ち上げるようにすると、フミエが膝をついて腰をあげた。目の前の、
露をたたえた紅い花を指でなぞると、熱い泉がいくらでも湧いてくる。中心部に指を沈め、
中でうごめかすと、のどを鳴らすような声を出して腰を揺らす。お返しとばかりに雄芯を
呑みこんで、熱い粘膜で包み込み激しく吸った。

(こ・・・こげに上手かったかな?)

フミエに見られていないことを幸い、茂はぎゅっと目を閉じてつよい快感に耐えた。

「も・・・もうええ。」

とっくに反り返っている雄根を、なおも口じゅうで愛そうとしているフミエを止めるため
声をかけようとした茂の声は、突き上げる欲望のためかすれていた。

名残惜しそうに雄芯をゆっくりと吐き出してからひとつ口づけ、身体を起こして
振り返ったフミエの顔は淫らな行為に上気し、目がとろんと潤んでいる。手で臀を押しやる
ようにすると、フミエは少し前にすすんで腰をあげた。

フミエが充分に育てたものに手を添えて秘裂にあてがってやると、フミエはあえぎながら
腰を寄せて呑みこんで来る。挿入りやすいよう、剛直の角度に合わせて身体を傾けるさまが、
こうして抱かれるのに慣れていることをうかがわせて淫らだった。

「ぁ・・・ぁぁあ・・・んっ・・・。」

臀の肉が茂の下腹部にぴったりとつくほど深く呑みこみ、フミエが動き始めた。あおむけに
なって頭の下に腕をかい、茂はその背中をみつめていた。目の前でゆらゆらと揺れている
白い背中と臀に幻惑され、自分の上で踊っているのがフミエではなかったらどうしようと、
急に馬鹿げた不安におそわれる。

「ぁあっ・・・だめ・・・しげさ・・・んぁあっ―――――!」

律動が不規則な痙攣に変わり、フミエが身体を硬直させてがっくりと前に倒れた。上体を
起こして後ろから抱き起こしてやると、いとおしそうに頭を肩にもたせかけてくる。

そのまま横に倒れ、側臥位になって腰を使う。身悶えて前へ逃げようとするフミエの脚に
脚をからめて動きを封じ、後ろから抱きしめてがくがくと揺すぶった。

「ゃぁ・・・ぁっ・・・ぁっ・・・ぁ―――――!」

息つくひまもないほどの責めに、あえぎっ放しののどはカラカラに渇き、かすれて声に
ならない悲鳴が、ますます茂の嗜虐心をあおりたてる。

まだけいれんしている身体からいきなり引き抜くと、フミエが小さな悲鳴をあげた。
ふるえている身体をあおむけにさせて侵入し、三度目の絶頂へと追い上げる。

「んんっ・・・はぁ・・・は・・・も・・・。」

フミエは茂にしがみつき、渇いた喉を潤すかのように汗にまみれた肩に唇を押しつけた。

「んぅ・・・んんっ―――――!」」

深くえぐりながら腰を打ちつけると、フミエは無我夢中で背に爪を立て、肩に歯をあてて
くぐもった悲鳴をあげた。その痛みも感じないほど溺れ、茂もフミエの中に思い切り
放った・・・。

フミエのすべてを奪いつくした後は、単純なもので昼間の疑念もどうでもよくなってくる。
ほおにいく筋もの涙の痕を光らせてぐったりと横たわるフミエの姿に、やり過ぎたかと言う
後悔の念がわきおこった。

「・・・ちょっこし、キツかったか?・・・すまんだったな。」

罪ほろぼしに甘く口づけながら抱きしめると、フミエは弱々しく抱き返してきた。

「ううん・・・ええの・・・。」

抱き合っているために茂からは見えないフミエの眼が、常にない琥珀色に光っていたことを、
茂は知る由もなかった・・・。

次の日。例によって散歩に出かけた茂は、すずらん商店街のはずれの御堂のそばで、
あの向こうキズのある猫を見かけて思わず立ち止まった。またどこかの猫とケンカでも
して来たものか、前脚から血を流している。そこへ、銀灰色のすらりとした身体つきの
猫があらわれ、しきりに鳴き交わしていたと見るや、二匹はつい、と御堂の陰に消えた。

茂はなんだか胸騒ぎがして、急いで御堂の反対側へまわった。

「あら、あなた。どげしたんですか?息せききって。」

驚いたことに、そこにはフミエがいた。御堂の縁に腰かけて、あのキズのある猫を膝に
乗せている。

「またケンカしたみたいで、前脚にひどい怪我しとるけん、ちょっこし手当てして
やっとったんです。」

見れば、さっき血を流していた前脚はきれいに洗われ、布きれで巻いてあった。猫は
フミエの膝に抱かれて、のどをゴロゴロ鳴らしている。

「そげな猫かかえて・・・ノミを伝染されてもしらんぞ!」

茂は今自分の目で見た光景が信じられず、不機嫌にそう言い捨てて、逃げるようにその場を
去った。自転車に飛び乗って一心に走らせながら、頭は激しく混乱していた。

茂が帰ってからしばらくして、フミエも藍子を連れて帰ってきた。預けられた隣家での
遊びに疲れたのか、眠ってしまった藍子を二階に寝かせ、夕食の支度を始めた。

「おい・・・。」

(お前、さっき猫になっとらんだったか?)

そんな馬鹿げたことを口にも出せず、茂は立ちあがって後ろからフミエを抱きすくめた。

「きゃっ。もぉ・・・やめてごしない・・・包丁持っとる時に。」

フミエは包丁をまな板の上に置くと、手をふきふき、あきれたような笑顔で振り返った。

「んっ!・・・んぅ・・・。」

息がつまるほど強く抱きしめられ、乱暴に唇を奪われて、フミエはうめいた。体重をかけて
引きおろし、そのまま押し倒そうとする茂に、フミエもさすがに抵抗した。

「やめて・・・お父ちゃん・・・やめてったら!・・・どげしたの?」
「身体を・・・見せてみれ!」

フミエを流し台に押しつけ、ブラウスのボタンを引きちぎろうとする。

「アーン・・・アアーン・・・。」

二階で、藍子の泣く声がする。目を覚まして母親を呼んでいるのだ。だが、茂の耳には
入らないようで、ブラウスのすそを引き出して中に手を差し入れてくる。今まで、茂の
どんな求めも素直に受け入れてきたフミエも、こんなことには耐えられなかった。

「ガリッッ!」

眉間を鋭い爪に思い切りひっかかれ、茂は思わず手を引っ込めた。一瞬の隙を突いて、
フミエは茂の下から這い出して立ち上がった。

「なして・・・こげなことするの?」
「お前が猫か人間か、たしかめるんだ!」

フミエは凍りついたように台所の隅に立ちすくみ、やがて悲しそうに言った。

「あなたと添い遂げようと思っとったのに・・・。こうなってはもう、ここにはおれません。」
「・・・な、なんだと・・・こら待て!」

追いすがる茂の腕をするりと交わした時、フミエはもうしなやかな銀灰色の猫になっていた。
飛ぶように二階への階段をあがると、追いかけてきた茂をしりめに、小さな銀灰色の子猫を
口にくわえて、一瞬の躊躇ののち、窓から屋根へと飛び降り、視界から消えた。

「待て・・・待ってくれ・・・。ああ、藍子まで・・・。」

フミエの消えた風景がぼんやりとかすんだ。気がつくと、フミエに引っかかれた眉間の
キズは意外に深く、血が流れ出して眼に流れ込んでいた。何か血を止めるものはないかと
戸棚を開けると、あのねこ福堂の包み紙をかけた本が隠してあった。

「・・・なんだ、俺のやった本じゃないか。」

それは、フミエが初めてアシスタントをした『墓場鬼太郎』で、茂が『謹呈、村井布美枝殿』
と書いてフミエにプレゼントしたものだった。

なぜこれを豊川に見せたのか?なぜあいつのくれたカステラの包み紙を?・・・謎は深まる
ばかりだ。流れ落ちる血を手ぬぐいで押さえ、茂は玄関を飛び出した。

キズに手ぬぐいを巻きつけただけで自転車に飛び乗り、商店街を目指した。心当たりと
言えば、あの街はずれの御堂しかない。・・・だが、そこにはフミエ猫も向こうキズの猫も
いなかった。ここにいなければ、後はどこにいるのか見当もつかない。

「あら、先生。おデコ・・・どうかなさったの?」

こみち書房のみち子に声をかけられ、茂はうつろな表情で頭を下げた。

「たいへん!血が出てるじゃない。うちにいらして、すぐ手当てしますから。」

こみち書房のお茶の間で、手際よくキズの手当てをしてくれたみち子に、茂は尋ねた。

「ここらでフミ・・・い、いや、銀灰色の猫の親子を見ませんでしたか?」

みち子は、お茶をいれようとしていた手を止め、意味ありげな微笑をうかべて茂を見た。

「フミエさんを探してらっしゃるの?」
「え・・・いや、俺は銀灰色の猫を、と・・・。」
「ふふ・・・先生、もうわかってらっしゃるんでしょ?」

茂はうす気味わるくなって、みち子のふっくらとした顔を見返した。心なしか、眼が
緑色に光り始めている気がする。

「あ〜あ、やだねえ・・・これだから人間の男は。女房なんて放っといても、いつでも
そばにいるのが当たり前みたいに思ってんだからね。早いとこ競争相手を倒さないと、
フミエちゃん、持ってかれちゃうよ。」

しゃがれ声に驚いて振り向くと、そこにはみち子の姑のキヨ・・・だったらしい、茶色の、
年を経てしっぽの先が二股に分かれた老描がいた。

「あ・・・あんたらがフミエをあげな風にしたんだな?」

茂は冷や汗を流しながら、妖魔に会った時の九字だの護身の法だのをありったけ動員して
奇妙な呪文を唱え、手で空気を切った。

「いやあねえ、先生。そんなことしたって無駄ですよ・・・ご自分を見てごらんなさい。」

みち子が鏡台の覆いをはねのけると、そこに映っているのは、頭から大きな耳が生え、
腕には黒い毛がふさふさと生え始めている自分の姿だった。

「な・・・何ニャ、これは・・・?」

驚愕してみち子を見ると、そこにはもう、まっ白で丸々と太った緑色の眼の猫がいた。

「先生。もう観念して、私達と一緒にたのしく暮らしましょ。」

恐怖のあまり後ろに跳びしさって、茂は店を飛び出した。二匹の猫の笑い声を後ろに
聞きながら、茂はまた街はずれの御堂を目指していた。

「マーーーーオ」

御堂の裏手の原っぱには、あの向こうキズの猫が待っていた。頭を低くして今にも飛び
かからんばかりの戦闘体勢をとっている。少し離れた場所には、銀灰色の子猫に寄り添って
フミエ猫が心配そうにこちらを見ていた。

(フミエ・・・。俺はこいつに勝たなきゃならんのか?)

茂はもう完全に大きな黒猫になっていたが、前脚が一本しかないので人間のように立って
歩くしかできない。ケンカなら子供の頃にさんざんしたが、ガキ大将というものは作戦を
立てて全軍を指揮するものであって、一対一の決闘はあまりしたことがなかった。

(だいたい、猫のケンカって、何をどうすりゃいいんだ?)

すがるようにフミエの方を見た時、いきなり顔に猫パンチをくらった。バランスを失って
倒れたところをホールドされ、腹にしこたま猫キックを入れられる。

「ギャフベロハギャベバブジョハバ!!!!!」

くんずほぐれつ、ひとつの塊になって転げまわる。茂猫も激しく応戦したが、いかんせん
相手は猫のケンカのプロだ。引っかかれ、噛みつかれて、劣勢は明らかになってきた。

「フーーーーッ!」

いったん跳びのいたキズ猫が、いよいよ最後のとどめを刺そうと間合いをはかっている。

(俺はここで死ぬのか・・・戦争でも死なんかったのに。)

茂猫は倒れたまま、観念して最期の時を待った。

「シャアッッッ!!」

飛びかかってくるキズ猫より一瞬はやく、銀灰色のかたまりが茂の前に飛び出した。
フミエ猫の長い肢が繰り出す強烈な猫キックを浴びてキズ猫は後ろに吹っ飛び、くるりと
一回転してまた戦闘体勢をとった。フミエ猫も油断なく身体を低くして反撃にそなえた。
だが・・・。総身の毛を逆立て茂猫を守って立ちはだかるフミエ猫を見て、キズ猫はそもそも
このケンカの目的が何だったかを思い出し、急速に戦闘意欲を失った。

「ニャーーーオ・・・。」

キズ猫は、一声悲しそうに鳴くと、納得いかないというように後ろを振り返り振り返り、
しっぽを垂れて去って行った。

「ニャアオォン・・・(あなた、大丈夫?)」

キズ猫が完全に去るのを見届けてから、フミエは草むらに隠してあった藍子猫に駆け寄り、
子猫をくわえてまた戻ってきた。茂は傷の痛みで意識が遠のいていくのを感じていた。

(俺はもう、ダメらしい・・・。猫になってもええ、3人で暮らそうと思うとったのに・・・。)
(お父ちゃん、死なないで!)

フミエ猫と藍子猫が、一緒になってニャアニャア鳴いている・・・茂はうすれゆく意識の中で
ふたりに別れを告げていた。

「ニャア・・・ニャア・・・ニャア・・・。」

まだ藍子猫が鳴いている・・・茂は顔をしかめて目を開けた。フミエが心配そうにのぞき
こんでいる。

「ん・・・あれ?なんだ、俺・・・生きとるのか?」
「いやだ・・・しっかりして、お父ちゃん。」

猫の鳴き声と思ったのは藍子の夜泣きで、フミエは藍子を抱いて布団の上であやしていた。

「藍子が泣き出したんであやしとったら・・・お父ちゃん、えらいうなされとったけど、
何か悪い夢でも見たんですか?」
「え・・・ああ・・・うん。」

フミエは、泣きやんだと思ったらすぐにスースーと寝息をたて出した藍子を布団に寝かせ、
茂のところに戻ると、手ぬぐいで顔の汗をふいてくれた。全身にぐっしょりといやな汗を
かき、肩や背中のキズに塩気がしみてヒリヒリする。

(なして、こげな所にキズが・・・?)

豊川に約束した日が明日に迫ったため、今日は一日中仕事部屋にこもって構想を練り上げ、
深夜、倒れこむように布団にもぐりこんだ・・・はずだ。

「もう・・・根つめてお仕事されすぎなんですよ・・・あんまり無理せんでね。」

フミエは、両の手のひらで茂の頬をはさむと、やさしく口づけした。やがて離れていこう
とする唇をのがさぬよう、茂はフミエの頭の後ろに手をまわして口づけを深めた。

「んん・・・はぁ・・・。」

何も言わなくとも、ふかまる口づけはふたりの時間の始まりを意味する。フミエは夢の中
と違って拒まなかった。口中を愛撫しながら下から帯を解くと、フミエも茂の帯を解いて
前をはだけ、素肌と素肌をあわせてくる。フミエが唇を離し、上から舌を伸ばすと、茂も
舌を伸ばして突き合せる。しばらく舐めあってから、いたずらな舌をとらえて強く吸うと、
フミエがぎゅっとしがみついて来た。

「はぁ・・・ぁ・・・やだ・・・これ・・・私が・・・?」

しがみついた肩に、小さな歯型をみつけ、フミエはすまなそうな顔をした。見れば、
それ以外にも、肩や背中にひっかき傷やみみずばれが残っている。

(そうだ・・・この傷は、フミエがつけたんだった・・・よな?)

時として、フミエは惑乱の中でこういった傷を茂の身体に残すことがある。フミエは激しい
悦楽の痕跡をいとおしむように、胸の傷をひとつひとつ丁寧に舐めはじめた。

「こ、こら・・・やめろ。くすぐったい・・・。」
「だって、私がつけたんですけん・・・。」

温かい舌がふれるたび、ひりひりする痛みが癒され、かわりにしびれるような官能が
わき立ってくる。フミエの爪や歯でつけたにしては傷は深く、数が多すぎるような気も
したが、もはやそんなことはどうでもよくなるほど心地よく、フミエのやわらかい身体の
下で、自らの欲望が痛いほど猛り立ってくるのを感じた。
フミエの舌はそのまま傷を追ってさがっていった。そして、下着を突き上げている雄根に
たどりつくと、両手で包み込んで頬ずりした。窮屈そうなそれを、下着を下げて自由に
してやると、ふるりと震えて天を指す。フミエはふかぶかと口にふくむと、唇でしごき
あげながら外へ出し、いとおしそうに舌全体で愛撫し始めた・・・。

茂は快感に耐えながら上体を起こし、フミエの頭をそっと押して中断させた。

「お前に、挿入れたいけん・・・。」

フミエは身体にまつわるものを全て取り去って手をさしのべた。茂がその手を引き寄せ、
つよく抱き込みながら上になった。

「ええのか?・・・あいつに勝たんでも。」
「?・・・何のこと・・・ですか?」
「い、いや・・・なんでもない。」

言葉をにごすと、苦しまぎれにいきなり深く口づけながら両脚を開かせ、熱く猛る雄芯を
フミエの中心に沈めた。

「ぁあ・・・ぁ―――――!」

フミエがうめき声をもらし、背中にまわした腕に力をこめた。耳朶を噛みながら熱い息を
吹き込むと、ぞくぞくと身体を震わせながらきゅうっと締めつけてくる。固い芯で
かきまわしては突きをくれることを繰り返すと、茂の胸の傷に唇を押し当てて叫びを
殺しながら、フミエは身体をふるわせて達した。

茂は上体を起こして、びくびくと絶頂の余韻に震えるいとしい身体を見下ろした。
つらぬいたまま、ぐったりしているフミエの腕を首につかまらせ、よっこらしょと
座りなおしてあぐらをかいた上にフミエを抱きかかえた。

「だ・・・だめ・・・もう少し、やすませて・・・。」
「後でいくらでも休んだらええ。」

自らの身体の重みで、達したばかりの内部に剛直がくいこみ、フミエが身悶える。
このかたちで揺れ合うのを、口には出さないけれどフミエが好んでいるらしいことを、
茂はよく知っていた。唇を近づけると、あえぎながらも顔を傾けてフミエから口づけを
深めてくる。上も下も存分に溶かしあい、唇を離すと、フミエは顔を見られるのを
羞ずかしがってギュッと抱きついてきた。

「ぁあ・・・しげぇさん・・・すご、く・・・ぃい・・・。」

フミエが耳に口を寄せて囁く。こんな声を、他の奴に聞かれてたまるか・・・。茂は、
この声が他の男の名を呼ぶことを想像するだけで殺意をおぼえた。

フミエがあえいで突き出したあごを噛むように口づけながら、下から揺すぶってやる。
フミエはのけぞって白い喉をさらし、びくびくと身体をふるわせた。

「ぁあっ・・・ぁあ・・・ん・・・しげ・・・さ・・・ぃく・・・。」

後ろに手をついてさらに激しく突き上げると、支えを失ったフミエは後ろに倒れそうに
なり、必死で茂を求めた。その手をつかんで引き寄せ、力のかぎり抱きしめながら、
強い収縮の中へ精を振りまいた・・・。

溶けきったフミエの、やわやわとした重みを受け止めて、しばらく荒い息をおさめた。
そっと横へ抱き倒し、身体を離すと、フミエが小さくあえいで胸に顔を寄せてくる。
こんなに可愛い妻を、なぜ疑ったりしたのだろう・・・。

夢の中で、フミエが自分の手をすり抜けていった時の喪失感がまざまざとよみがえる。
身体ごと愛し愛され、けだるい身体を寄せ合ってまどろみにおちていく幸せが、今自分の
手の中にあることに、茂は心から安堵した。

それでもひとつ、聞いておきたいことがあった。

「なあ・・・なして、豊川に見せたんだ?」
「見せたって・・・何を?」
「・・・俺がやった本だ。墓場鬼太郎の・・・。」
「ああ・・・。豊川さんがあなたの昔の本を見とる時、みつけてしもうて・・・。豊川さんの
くださったカステラの包み紙をかけてあったけん、不思議に思うたらしくて。」
「なして、あいつのくれたカステラの紙を使ったんだ?」
「私が初めてアシスタントをして、あなたにプレゼントしてもらった大切な本だけん、
うちで一番いい紙を使ったんです。・・・前の紙はチラシでしたけん、傷んでしもうて。」
「うちで一番いい紙・・・なんだ、そげなことか。」

茂はひょうし抜けしたが、初めてアシスタントをした思い出の本を大切に、おりにふれて
読み返していたらしいフミエがいとおしく、豊川との事を疑った自分が恥ずかしくなった。

さっきの夢はあまりにも生々しくて、記憶から消えてくれそうにない。あれは本当に
夢だったのだろうか、それとも・・・。だが、フミエがこの腕のなかにいるかぎり、どちら
でもいいような気がした。猫になって生きるのも、自由でええかもしれん・・・そんなことを
考えながら、茂は急速に眠りに落ちていった。

「お父ちゃん・・・ごめんね。」

茂の寝顔をみつめていたフミエは、起き上がると幸福そうに眼をほそめた。そして、背を
まるめて茂の上にかがみこむと、眉間のキズをぺろり、と舐めた。

あくる日。約束どおり三日目にまた豊川がやって来た。

「ああ・・・出来とりますよ。化け猫が猛威をふるい、調布を猫の町にしてしまう話です。」
「・・・ほう、それは面白そうだ。拝見しましょう。」

茂は下書きに見入る豊川の表情を注意深くみつめた。だが豊川は特に顔色を変えるような
こともなく、

「・・・これはいい。身近な恐怖を描いているのに抜群に独創的だ。だんだん調子がでてき
ましたね、先生。原稿の完成をたのしみにお待ちしてますよ。」

相変わらず不敵な笑みを浮かべて満足そうに下書きを茂に返した。

「あ・・・奥さん、どうぞおかまいなく。」

フミエが運んできた茶を受け取る時、豊川の背広の右袖から白い包帯がのぞいたのを、
茂は見逃さなかった。

「腕を・・・どうかされましたかな?」
「ああ・・・ドアにはさまれましてね。不覚でしたが、なに、すぐ治りますよ。」

あわてた風もなかったが、その瞳の虹彩がふと細くなった気がして、茂は寒気を覚えた。

十月。空は抜けるように青く、空気はさわやかだった。茂はひと仕事終えて畳の上に
寝そべり、ぼんやりと白い雲をみつめていた。あれから、猫の町の話は少年ランドの
十一月号に無事掲載され、評判も悪くないようだ。

あのことは、夢だったのか現実だったのか・・・。時間が経つにつれ、記憶があいまいに
なって来る。フミエはあれ以来特に変わったこともなく、相変わらずけなげな女房だ。
変わったことと言えば、豊川が以前ほどこの家に来なくなったことくらいか・・・。
鬼太郎は化ける、と信じて連載に踏み切ったからには、茂に全てをまかせるということ
なのだろうか。

「ニャーーオ。ニャーーーーーオ。」

外では猫がしきりに鳴きかわしている。そう言えば、最近この辺にはやけに猫が増えた
ようだ。フミエに、あまり猫ににぼしをやらないように言わなくては。藍子が猫とばかり
遊んで困る。人間になる前に猫になってしまう・・・。

暑くもなく寒くもなく、絶好の昼寝びより・・・茂はあくびをすると、ひとつ大きなのびを
して、幸福そうな顔で眠りにおちていった。






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