2.5DAY(いちせん夫婦ネタ)
番外編


男の人を、綺麗だと感じたのは初めてだ。
バイト先の居酒屋のキッチンで働いていた彼の姿は、多忙な店内にあっても、不思議と端然だった。
賑わうホールの忙しなさに振り回されそうになる時も、てきぱきと注文を捌(さば)くその落ち着きぶりに、よく励まされた。
黙々と調理に打ち込む真剣なまなざしを、ずっと見ていたいような、振り向いてほしいような。
そんなもどかしさが、しばしば身を熱くさせた。
言葉を交わす機会が増え、少しずつ親しむ雰囲気が深まり。
大人びた佇まいとは裏腹に、少年みたいな笑顔を向けられるたび、胸の奥がさざめいた。
途方に暮れたように、明かりが灯るように、想いはしっとりと自覚される。
2人が付き合い始める、半年前のことだった。


「店、継ごうと思うんだ」

バイトからの帰り道、連れ立って駅まで向かう途中、祐一がぽつりと語った。
彼の家が、地元でも有数の老舗であることは、前から聞いていた。
密かに進路に迷っていたことも。
生半な決断ではないだろう。
それでもこの人は、自らが進む道を決めたのだ。
淡々と将来を志す横顔は、いつも以上に爽やかで、綺麗で。

「大丈夫よ」

餞(はなむけ)には、自分の言葉など無力かもしれない。

「職人さんの大変さとか、伝統とか、難しいことはあたしにはわからないけど」

静かに眩しい人に、何か伝えたかった。

「一緒に働いてて、あたしも皆も、いつも祐一くんを頼りにしてた。周りの人の頑張りも、ちゃんと見ててくれた。
それがすごく、励みになってたんだよ」

派手に前に出るタイプではないが、常に全体を見、必要なことを指示し、率先して動き、他人の努力を認めてくれる人。
自らが背負うものの意味も、きっとわかっている彼ならば、半世紀の重みも継いでいけるだろう。

「祐一くんなら、大丈夫だよ」

彼がバイトを辞めれば、今までのようには会えなくなる。
けれど。
これから新しい道を歩こうとする人に、余計な気持ちを告げて、紛らわせたくはない。
ただ、精一杯の笑顔で、背中を見送ろう。

「頑張ってね」

困らせないように、寂しげには見えないようにと、願う。

「…」

彼は、黙ってこちらを見ている。
駅はもうすぐだ。
離れたくない本心が、自然と足取りを遅くさせた。
ぴたりと祐一が立ち止まる。
ふぅっと肩で呼吸する彼を、隣で仰いだ。

「――付き合おうか」

何度も惹かれた、柔らかな微笑み。

「え。…って、どこに? これから?」

真面目に訊き返せば、直後、彼は噴き出した。
くつくつと笑われて、戸惑う。

「しっかりしてるかと思えば、結構天然だもんなあ、綾ちゃん」

大きな掌に、ぽん、と頭を撫でられる。

「そういうところも、――好きだよ」

夜陰に流れる風を縫って、優しい声が届く。

この日、彼は綾子の恋人になり、やがて老舗の3代目となり、数年後には夫となった。

□□□

2人の誕生日は、1日違いだ。
2月7日が祐一、8日は綾子。
結婚する前から、合同で祝うのが恒例だった。
今年は8日が店の定休日に当たるので、7日の夜に祝いも兼ねてのんびりしようと決めている。
料理全般が得意な祐一は、毎年ケーキやデザートを作ってくれ、そのレパートリーを綾子はいつも楽しみにしていた。
お酒好きの彼と一緒に飲もうと、スパークリング・ワインも買ってある。
もう1つサプライズがあるが、それはまだ内緒だ。
聡い相手に気づかれぬよう、さりげなく振る舞うのは結構難しい。

「なにニヤニヤしてんの」

店番中のカウンターの背後から、ひょいと声が掛かる。

「祐ちゃんの手作りケーキ、楽しみだなあって考えてたの」
「新作、自信あるよ」

スマートなウィンクを1つ。
佐々木家の若旦那は、いちいち男前だ。

「そろそろ店仕舞いにしようか。夕飯、俺が作るから」

心遣いが嬉しく、こちらからのお披露目にも驚いてほしいし、喜んでほしいと祈った。


濃いピンクにデコレートされたホールケーキが、シュガー製のリボンに覆われている。
リボン地も淡いピンクの水玉模様に見立てられ、間に瑞々しい苺がいくつも飾られている。
まるでケーキ型のプレゼントBOXのようだ。

「可愛い…」

食べてしまうのがもったいない。
携帯で撮って、実家の父親にもメールしておくことにする。
甘いもの好きで食いしん坊な父は常々、婿の手料理を羨ましがっていたから、妻の特権で自慢したい。
ワインを開けてもらい、フリュート・グラスが満たされる。
金のボトルから注がれるシャンパンゴールドに、繊細な泡が立ち上(のぼ)った。

「それじゃ、一足早く」
「お誕生日」
「おめでと」
「おめでとう」

また1つ、2人の想い出を刻む。
ささやかで、大切な歩みを確かめる。
夕食も夫お手製の、ビーフシチュー。
ほのかに甘い、桃の香りのワインを一口飲んでから、美味しくいただいた。

「祐ちゃん」
「ん〜」

ハムスターみたいにシチューの南瓜を頬張っている、夫に告げる。

「もう1つ、お知らせがあるの」

「? なに」
「――名前、考えて」

ぱちりと瞬く彼の瞳に、じっと見入る。

「4代目の名前、祐ちゃんに決めてほしいの」

しばし固まっていた祐一が、やがて、ごくんと飲み下す。

「綾子」
「はい」
「…ホント?」
「ほんと」
「どれ、くらい」
「2ヶ月半だって」

まじまじと、夫は目を見開く。

「…すごい」
「え」
「すごいよ、綾子」

実感の重みに吸い寄せられたように、彼は、妻の腹部を凝視している。
みるみるうちに、喜色が露わになる。

「そっか」
「ん」
「子どもか」
「うん」
「――ありがとう」

少し潤んだ目で感激され、綾子も感極まって、声を詰まらせ頷いた。
さらなる幸せが、いずれ目に見える形となる。

「予定日は秋かぁ」
「来年の今頃はもう、3人で迎えてるんだね」
「じゃあ今年は、2.5人でお祝いだ」

グラスを飲み干した祐一が、はたと止まった。

「待った!」

綾子の手首が掴まれる。

「酒はダメだ」
「これ、ノンアルコールだよ」
「ちょっとは残存アルコール分があるだろ」
「グレープジュースやりんごジュースと変わらないぐらいだって。1日当たり1杯未満で、週1回程度なら問題ないって、
お医者さんに聞いてきた」

「今日はお祝いだから1杯だけ、ね?」と上目で窺うと、夫は「う〜」と唸り、渋々了承した。

「でも、これからは極力、禁酒だからな。俺も付き合う」
「祐ちゃんまで無理しなくていいよ」
「いーや。綾子が大変な時なのに、俺だけ暢気にしてられない」

家族想いの彼に、新しく家族を増やしてあげられることが喜ばしい。

「仕事、しっかりやんないとな」
「祐ちゃんは、良くやってくれてるよ」
「もっと、もっとだ」

頼もしい夫の決意に、綾子は目を細める。
2人は、少し前まで『彼氏と彼女』で、今は『夫と妻』で、もうじき『父と母』になる。

□□□

入浴を済ませて、寝室に上がると、床(とこ)は整っていた。

「体、冷やすなよ」

掛け布団を持って、寝かしつける気満々の夫に、ちょっと笑ってしまう。
大人しく横になると、静かに羽毛布団が置かれる。
じっと見ていた祐一が、「入っていいか」と訊いた。

「ん」

隣に潜り込んできた彼に、やんわりと抱きしめられる。
まだぺたんこの腹を、そうっと手で摩(さす)られた。
徐(おもむ)ろに胸の弾力に顔を埋めてくる、安らいだ空気が微笑ましい。
彼の髪に指を絡め、じっと動かぬ頭を撫でた。

「…っ」

不意に、パジャマの上から、膨らみに唇が押し当てられる。
乳頭を探られ、甘噛みされて震えた。

「ゆ、ッ…」
「しないよ」
「最後まではしない」と夫は微笑む。
「触りたいだけ。すごく嬉しいから」

腰を撫でる動きは、愛撫よりもいたわりに近い。

「俺は店を継げたけど、命を繋いでくれたのは、綾子のお手柄だ」

服越しの間接で乳首を吸われ、堪らず頭を包み込んだ。
妊娠の影響なのか、久しぶりの接触の所為か、感覚が過敏になっている気がする。

「ゆぅ、ちゃ」

舌足らずな甘えに気づいたのか、夫は顔を上げ、軽く口を啄ばんだ。
そのまま離れていこうとする唇を、綾子は追う。

「、ッふ」

滑らかに互いの舌が絡まった。
くちり、と音を立てながら、吐息を奪い合う。

「は、…ぁ」

解(ほど)けた唇を彼の耳元に寄せ、広い肩に縋る。

「祐、ちゃん」

囁くように、「…して」とせがむ。

「だめだよ」

腹に触れた祐一が、「コッチのが大事」と苦笑する。

「でも」

彼を困らせたくはないのだけれど、体内に点(つ)いた、火照りが消えてくれない。
ぎゅっと胸にしがみついていると、上から小さく溜め息が落ちた。

「仕事の為なら、何でも努力できるのに」

夫がもぞりと腕を動かす。

「俺って、綾子に関しては、昔から辛抱できないんだよな」

見上げると、甘い光を湛えた瞳に迎えられる。

「付き合う前も。本当は、気持ちを言わずにおこうと思ってたのに」

2人がただのバイト仲間だった、遠い過去。

「あの時も、綾子、そんな目をしてた」
「…あたし?」
「“離れたくない”って、泣きそうな顔してたろ。だから俺も、言う気になったんだ」

“離したくない”って。

口を触れ合わせての動きで「いい?」と問われ、こちらが欲しがったのにと、綻んで肯(うべな)った。
擽るような頬へのキスに、軽く首を竦める。
着痩せする夫は、その実、腕が太く、胸板も厚い。
強く抱き込まれると、安堵と高揚が混じり合う。
髪を掻き上げられて項(うなじ)を柔く噛まれ、綾子は、のけ反って息を漏らした。
負担を掛けぬ気遣いか、横抱きにされて、首に肩に鎖骨に吸い付かれる。
歯と唇で巧みにパジャマのボタンを外され、剥き出しになった乳房を揉みしだかれた。

「あ、――ッ、…ン」

肌を弄(なぶ)る指の隙間から、舌にも襲われる。
尖った乳首に軟らかく歯を立てられ、舌先で執拗に押し潰されては、猫みたいに鳴いた。

「ふ…、ぁッん――もぅ、そこ…ばっかり…」
「綾子はさっき、ケーキの苺食べたろ。俺はコッチ」

ちゅ、と吸い上げられるたび、足の奥がじわりと熱く潤む。
シーツに耳を擦(こす)り付けて、自分の指を銜えた。

「ん、…もぉ、――も、っと…」

もっと、この人のものになりたい。
とろみが湧き出す下肢を、もどかしく蠢かす。
するりと寝巻きを滑り下ろした祐一の手が、下着の上から陰部の縁(ふち)を確かめる。
じっとりと湿っているそこを、爪先で優しくいじられ、綾子は悶えながら腕を伸ばした。

「ぁ――あ…、ぅちゃ…」

片手を絡ませ合い、指をくねらせて急かす。

「ね、…ッ…舐め、て――」

全部にキスして、どうか愛して。
晒された秘部が、彼の視線に囚われる。
大腿を押し広げられ、臍の下に唇が置かれた。

「聞こえるかな」
「…え」
「こういうコトしてるから、おまえがそこにいるんだよって、わかるかな」
「もぅ」

笑いが零れ、夫の癖っ毛を愛おしく梳いた。
そのまま、淫液の源泉に口づけられる。
充血した襞に舌が潜り、自在に遊泳する。

「ハ…、――ん、ッん…ぅ」

大好きな長い指に、濡れた萌芽を開花させられる愉悦に、綾子はうっとりと酔った。
自ら膝を広げて、腰を突き出してしまう。
恥じらう余裕は、とうにない。
器用な指数本に愛撫され、乳暈を詰く吸われつつ、自身の望み通り、快楽の淵から落下した。


絶頂感に惚け、肩で息をしていると、夫が下肢を拭ってくれているのに気づく。

「…ぅ、ちゃ…」

始末を終えた彼に、ぽんぽんと頭を撫でられ、まさかと瞬いた。

「あた…し、だけ?」

祐一が笑って、ちょん、と額にキスをした。

「控えめになんて、抑えられる自信、ないよ」

淡泊な彼の、意外な情熱は知っているし、それが嬉しいとも思っている。
まして、我慢などさせたくない。
意を決し、気怠い体を起こした。
きょとんと訝る夫を座らせ、その足の間に入り込む。

「綾子?」

下腹に顔を近付けると、慌てて止められた。

「え、っと。無理、しなくていいよ。俺は大丈夫だから」
「あたしだけなんて…イヤ」

大切に慈しまれるばかりで、十二分に返せたことなどないけれど。

「あたしだって、祐ちゃんに、してあげたいの」

愛される以上に、彼にも与えたいと、ずっと考えている。

□□□

既にそそり立つ男根の先端を、ふわりと掌で撫でてみる。
ぴくりと反応したそれを、筒状に曲げた指でやんわりと握り込み、口内に招き入れた。

「…ッ」

頭上で夫が、小さく息を飲むのが聞こえる。
舌で雁首を押し上げると、滲み出た先走りと唾液が絡まって、粘つく音がした。
大きな手にゆったりと髪を梳かれ、綾子は快く目を閉じる。
裏筋に舌を這わせるたび、硬度はますます強まった。
歯を当てないように注意しつつ、全体を舐め回す。

「ふ、――ぅ」

祐一が低く嘆息する。
熱い猛りに頬擦りし、ぐっと奥まで含んだ。

「…綾、――」

呼ばれて、彼と視線を合わせる。
普段は涼しげに端正な面差しが、耐えるように歪んでいるのを、恍惚と見上げた。
唇を窄めて隆起に吸い付き、頭を上下に動かす。

「も、…ぃい、よ。マズ、イ」

引き離そうとされるのを、黙って首を横に振ることで答える。
このまま、――食べてあげたい。
決壊が迫る気配を察知し、陰茎を摩りながら、敏感な鋒(ほこさき)に甘噛みを施す。

「――ッ、…!」

祐一が鋭く呻いた。
烈(はげ)しい射精に直面した綾子は、濃厚な液をどうにか飲み干し、果てた彼の分身をも丁寧に舐め取る。

「擽ったいって」
「まだダメ」

体を捩(よじ)っていた夫は、観念したふうに大の字になって寝転ぶ。
素直に身を預けてくれる無防備さ。
仰臥する相手を見つめて信頼感に浸っていると、ひょいと伸びてきた腕に、頭ごと抱き寄せられた。
わざと大雑把なキスが、それでも濃やかさに満ちている。

「あたし、ちゃんと…できてた?」

唇が重なる寸前で訊いてみると、満面の笑みが返る。
悦んでもらえたことにほっとすれば、多少の顎の痺れも気にならない。
彼のこめかみ、髪の生え際に、伸び上がって口づけた。
肩口に寄り掛かるように、腕枕をしてもらう。

「…ナンか」
「なあに」
「気持ち良過ぎて…眠たくなった」

ぽやんとした声で、目元を擦る夫が可愛い。
あどけない子どものようにも見え、両手に囲い込んで守ってあげたくなる。
常に守られてばかりの自分にも、母性の芽生えを実感した。

「祐ちゃんに、似てると良いなあ」

腹を撫でる手の上に、彼の掌が重なる。

「俺は、綾子に似てる方が良い」
「じゃあ、両方にしとこっか」

くすりと噴いては、また抱きしめ合い。
2人、至福の眠りへ溶けていく。
やがて、3人分の明日を迎える、その日の訪れを指折り数えながら。






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