とりかえばや物語・・・?(非エロ)
番外編


「このへんが、おだやか・・・?」
「何やってんだよ綾子、人が見てるだろ?」

朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』にすっかりはまってしまった綾子は、
一度深大寺に行ってみたかった。けれど、祐一が「どうせものすごく混んでるぞー。」
と、なかなか実行に移せなかった。
番組も終了し、秋になって少しは人も減ったかと、せんべい屋「ささき」の
定休日の今日、ふたりは深大寺を訪れた。平日とは言え、境内はやはり混んでいて、
この古いお墓の立ち並ぶ一角にやって来ると、ようやく人もまばらになった。

「ここでデートしたんだよねー。いい感じのお墓をさがしたりして。」
「こら、お墓に触ったりするなよ。水木先生だって、ひと晩中墓場をぐるぐる
させられたりしてただろ?」
「祐ちゃん、写真撮ってくれないの?」
「こんなとこで写真撮ったら、なんか写っちゃうかもしれないだろ?!」
「あっ、そうか・・・。」

(こういうとこが、こいつの可愛いとこなんだけどな・・・。)

祐一が、無邪気な綾子に苦笑した時・・・。古い墓に触れていた綾子の身体が、急に
力が抜けたようにぐにゃりとくずおれた。

「綾子・・・!!」

祐一はあわてて駆け寄って綾子を支えた。だらりと垂れた腕に肝が冷える。

「綾子!どうしたんだ、あやこ!!」
「ん・・・あ、あなた・・・。」

綾子が閉じていた目を開いた。その目を見たとき、祐一は何かが違う気がした。
アーモンド形の大きな瞳を、祐一はこれまで幾度至近距離で見てきただろう。
いつも深い愛情をたたえて祐一をみつめ返して来たそれが、今は祐一を見ながら
何か別のものを見ているような気がしたのだ。

「よかった・・・気がついた。・・・貧血か?病院行こうか?」
「病院なんて・・・お金がかかりますけん。」
「???」

祐一はますますおかしな気分になった。

「と・・・とにかく、ここを出よう。」

祐一は、綾子を助け起こして、駐車場へ向かおうとした。

「え・・・?私の自転車は?」
「自転車?ここへは車で来たじゃないか。ウチから自転車なんて、無理だよ。」

その時になって、フミエはやっと気づいた。古い墓に触れた時、急に身体の力が
抜けてその場にしゃがみこんだ。助け起こしてくれた茂が、なぜか眼鏡をして
いない。それに・・・なんだか着ている服も違う。

(この人は、しげぇさんじゃない!)

フミエは、その男の手を振り払い、自転車を探した・・・が、無い。茂も、いない。
なおも手をとろうとする男から逃れ、フミエは墓地から走り出た。

(ここは・・・どこ?)

深大寺には何度も来ているから、周辺の地理もわかっているつもりだった。
だが、寺の境内は同じでも、町並みはがらりと変わっていた。フミエの顔から
血の気が引き、その場に立ち尽くしていると、あの男が追いついてきた。

「どうしたんだよ?倒れたばかりなのに走ったりして大丈夫なのか?」
「あの・・・あの・・・あなたはどなたですか?」

祐一はがく然とした。どう考えても様子がおかしい。外傷とかショックもなしに、
急に記憶を失ったりすることがあるのだろうか・・・?

「やっぱり、病院行こう・・・。」

祐一はなかば力ずくで、ぼう然としている綾子を車に乗せ、精神科に向かった。
脳の検査をしたが、特に出血や梗塞も無い。綾子の話を聞いた医師は、倒れた時に
頭を打ったり、何か持病はないかと聞いた。思い当たることは何も無い。
強いストレスから精神を守るために一時的に記憶喪失になったものか・・・。
重大な病気の前触れかもしれないから、何かあったらまた通院するようにと言われ、
気休めの安定剤をもらい、病院を後にした。

「腹、減ったな・・・。もう夕方だもんな。なんか食ってくか。」

車の助手席に座らされ、祐一から可能な限り離れて、綾子は窓にかじりつくように
して外の風景を見ていた。その姿が子供じみて見え、祐一の胸をついた。
こんな有様では、とても夕食の支度など出来ないだろう。もともと外食して
帰るつもりだったし、手近なイタリアンのファミレスに入った。

「こ・・・こげな高そうなお店・・・お支払いできません。」
「高そうって・・・。チェーン店だし、いつも来てるじゃないか。」

祐一は、サーバーでピザをひと切れとると、綾子の皿に置いてやった。綾子は、
長くのびるチーズを、初めて見るかのように目を丸くして見ていた。

「・・・毒とか入ってないから・・・頼むから食ってくれ。」

祐一は、絶望的な気分になって綾子に頼んだ。

フミエは、目の前でしおれている男が、なんだかかわいそうになった。それに、
お腹もすいてきた。皿の上に置かれた三角形の食べ物を取り上げ、思い切って
口に入れた。かみちぎった・・・と思いきや、チーズがのび、手に持った残りとの
間にだらーんと垂れた。

(ど、どげしたらええのこれ?)

ピザに悪戦苦闘しているフミエを見て、男が思わず笑った。目の周りにしわができ、
茂の笑顔にそっくりだった。フミエも思わず笑った。

「おいしい?」
「はい・・・。これ、何ていう食べ物なんですか?」
「ピザだよ・・・。初めて食べるわけじゃないだろ?綾子・・・。」

フミエは目を白黒させ、そばにあったジンジャーエールを飲みくだした。

「わ、私は綾子・・・さんじゃありません。フミエ・・・村井フミエです。」

男がかっとして声をあげた。

「いいかげんにしろよ!今ごろエイプリルフールでもないだろ!」

フミエの目におびえが走った。まわりの客が何事かとふり返る。祐一はハッとして
すぐに謝った。

「どなったりしてごめん。・・・早く食べて帰ろう。」

ふたりはその後はただ黙々と食べた。フミエは男に怒鳴られて食事どころではない
気分だったが、とにかく逆らわないようにしようと思って無理をして口に運んだ。
けれど・・・カトラリーの籠の中から割り箸を出して、おそばを食べるように
スパゲティーをつるつるすすっているフミエの様子を、男があっけにとられて
みつめていることには気づかなかった。

車の中で、男はひと言も口をきかなかった。フミエはすっかり暗くなった
風景の中で、煌々と照らされた高層ビルや立体的に重なった道路に目を奪われた。

(昔、貴司の読んどった『少年倶楽部』で見た『未来の都市』みたい・・。ここは、
私の住んどる世界じゃないんだ・・・。逃げたところで、どこへ行ったらええのか
わからんし・・・。)

徐々に自分の置かれた状況が明らかになってきて、絶望的な気分になる。

(しげぇさん、たすけて・・・。)

涙がこぼれそうになったその時、車が停まった。男の家に着いたらしい。

「お、おじゃまします・・・。」

男が鍵を開け、部屋に入った。明るい照明に照らされたモダンなリビングは、
薄暗く、壁や障子の破れたフミエの家とは格段の違いがあった。
知らない男について、とうとう家まで来てしまった・・・フミエはこわくなって
窓に近づいた。外は真っ暗で、明るい部屋がガラスに映っている。

「・・・!これ、私じゃない!」

初めて自分の姿をまのあたりにして、フミエは思わず叫んだ。男が驚いたような
顔をして近づいてきた。

「・・・どうしても、自分は綾子じゃない、と言うんだな?」

男は次の瞬間、フミエの肩を抱き寄せて唇を奪った。

「・・・いやぁっ!」

フミエは、男の胸をドン、と突き放した。

「俺のことがいやになったんなら、はっきりそう言ってくれ!こんな三文芝居を、
いつまで続けるつもりだ?」

男が何を言っているのかすぐにはわからず、フミエは夢中で隣りの部屋へ逃げこんだ。
幸い部屋の引き戸には鍵がついていた。フミエは茂以外の男に奪われた唇を、
泣きながら震える手でこすった。

・・・どのくらい時間が経ったろうか。フミエはタンスの上の、結婚式の写真にふと
目をとめた。花婿はさっきの男、花嫁はさっきガラスに映っていた今のフミエの
身体だった。こうして見ると、華やかで快活な感じの女性だが、顔立ちや背の高さは
フミエにそっくりだった。

(あの人、奥さんのこと愛しとるんだろうな・・・。)

さっき、口づけした後、フミエに突き飛ばされた時の、男の傷ついた表情が
なぜか目に焼きついて離れなかった。

「あの・・・。」

リビングでパソコンに向かっていた祐一は、寝室に飛び込んで鍵をかけた綾子が
おずおずとまた現れたので、少し驚いた。

「さっきは、ごめん・・・。乱暴なことして。」
「あの、私、本当に綾子さんじゃないんです。信じてください!私、今日あのお墓に
さわっとる時に、気が遠くなって・・・気づいたら、この身体の中にいたんです。」

祐一は、もしや元に戻ったのでは、という期待を裏切られ、暗い気持ちになった。

「もういいよ・・・。今日はもう寝たら?」
「あの・・・あの・・・、綾子さんを・・・信じてあげてください!あなたを嫌いになって、
お芝居しとるんじゃないんです。もしも私と入れ替わったのなら、綾子さんは
私の世界にいるはず。私と同じように不安で、きっとあなたの助けを待っとられる
はずです。」

綾子の顔をした女が、必死に綾子のために訴えるのを、祐一は不思議な気分で聞いた。

「・・・じゃあ、俺と別れたいから芝居してるって思うのはやめるよ。」

祐一は、なんだか頭がへんになりそうだと思いながら、目の前の女の必死の願いに
なんとか応えてやりたい気になった。

「お願いです・・・信じて。」
「・・・俺はここで寝るから・・・疲れたでしょ。おやすみ。」

綾子が少し安心したように部屋に戻ると、祐一はまたパソコンに向かった。
祐一が検索する文字が、「佯狂」「二重人格」「若年性痴呆」と言った病名から、
「タイムスリップ」「パラレルワールド」などのSF用語へと変わっていった・・・。

一方そのころ綾子はどうしていたかというと・・・。
墓の前で一瞬気を失って、綾子はその場にしゃがみこんだ。墓につかまっていたから
倒れずにすんだけれど、ひざに冷たい石の感触を感じ、自分がスカートをはいている
のに気づいた。

(あれ?今日はパンツのはず・・・。)

目を開けて身体を見ると、毛玉のついた芥子色のカーディガンにスカート、くつしたに
サンダルをはいている。

(え・・・何これ・・・?)

信じられない思いで目を上げると、見覚えのあるオレンジ色のセーターを着た男性が、
向こうの墓にさわりながら何事かぶつぶつつぶやいている。

(水木先生だ・・・!)

瞬時にして、綾子は自分の置かれている状況を理解した。

(わたし・・・フミちゃんになってる??)

綾子は、あわてて立ち上がると、さっき祐一が車を停めた駐車場へと走った。
・・・が、いったいどこなのかわからない。それほど風景が違っていた。

(夢・・・だよね?夢だって言って・・・!)

悪夢を見ているような思いで、綾子はさっきの墓地へととって返した。水木先生を
見失ったら、西も東もわからない。

「どこ行っとったんだ?」

茂が、自転車を手に、綾子に呼びかけた。

「あ、あの・・・。」
「帰るぞ。」

茂は自転車に乗ると、さっさと走り出した。綾子はしかたなく近くにあった女性用の
自転車に乗ると、あわてて後を追った。
さっきとは全く違う田園風景の中をしばらく走り、ドラマで見覚えのあるボロ家の
前に着いた。先に家に入った茂の後を追って玄関をあがる。

「あの・・・水木先生。・・・水木先生!」

前を行く茂が突然立ち止まったので、綾子はその背中にドシンとぶつかった。

「お前・・・、どうかしたのか?」
「・・・私、フミエさんじゃないんです。綾子・・・佐々木綾子なんです。」

茂が、綾子の額に手を当てて熱を計った。急に触れられて、綾子はびくっとして
後ずさった。茂はすかさず綾子の手を握って引き寄せ、唇を奪おうとした。

「いやっっっっ!!」

バッシーーーン!!と、綾子の平手打ちが茂のほほに炸裂した。

「いっ・・・てーーー!」

茂がほほを押さえ、驚愕の表情で綾子を見た。

「おまえ、フミエじゃないな。キツネでも憑いたか?・・・いや、名前を言っとったな。
・・・さては墓で、死霊にでも憑かれたか?・・・怨霊退散!!」
「狐でも狸でも、幽霊でもありません!!だいたい私、死んでません!
あなた方より、後で生まれてますし。」
「狐狸妖怪のたぐいでも、死霊でもない・・・とすると、前世の記憶が甦ったか?
・・・いや、死んでないと言うとるしな・・・。」
「未来から来たんです。・・・正確に言うと、この世界の未来じゃないですけど。
あのお墓にさわったとたん、私とフミエさんが入れ替わっちゃったみたいなんです。」
「うーーーーん。空想科学ものは不得意なんだがなあ。・・・要するに、タイムスリップの
一種か。あんたとフミエの人格が、時空を超えて入れ替わってしまったと?」

SFものは苦手と言いながら、いつも神田の古書店街あたりでマンガのネタを
探している茂は、SF小説の概念を一応頭に入れているようで、理解が早かった。

「よかった・・・先生なら話が早そう。それで・・・あなた方ご夫婦は私たちの世界のドラマ・・・
ああ、いえ、テレビ映画の登場人物なんです。」
「??・・・俺もフミエも、ちゃんと赤ン坊の頃から実在しとるぞ?」
「・・・とにかく、私たちの世界ではそうなんです。で、私はそのテレビ映画をいつも見てて、
フミエさんの顔を知ってるけど、私たち二人はすごく似てるんです。」

興味深そうに聞いていた茂が、ふと顔をくもらせた。

「・・・あんたの世界におるフミエは、見た目はあんたそのものと言うわけか・・・。
あんたの亭主は、頭はやわらかい方か?中身がフミエと入れ替わっとることを
理解できんで、あんたに手を出したりせんだろうな?」
「・・・祐ちゃんは、私がいやがってるのにそんなことしたりしないから大丈夫です!」
「でも、あいつは、言いたいこともロクに言えんような奴だからな・・・。」

茂は、おとなしいフミエの心の貞操が急に心配になったらしい。

(自分だって、私にキスしようとしたくせに・・・!)

もしも今、祐一が綾子の身体に何かしたら、フミエはどんなにショックを受けるだろうか。
さっき茂に唇を奪われそうになった綾子には、それが痛いほどわかった。

「あの・・・。あんまりうまくできなかったんですけど・・・。」

腹が減っては良い案も浮かばん、と茂に言われ、綾子はしかたなく夕食の準備をした。
電気炊飯器がないので、しかたなく初めて鍋で炊いたごはんは芯があって固く、みそ汁は
ダシがうすくて味がなかった。唯一食べられるのは、昨夜ののこりのひじきのみ・・・。

「あんた、向こうでも主婦だったんだろ?」

茂に軽蔑の目で見られて綾子はカチンときたが、道具や調味料がなければ何も出来ない
自分も情けなく、黙って固いご飯を咀嚼しつづけた。

自分は仕事部屋で寝るから安心しろ、と茂が言ってはくれたものの、さっき抱き寄せられた
時の感触がまだ残っていて、布団に入っても綾子はなかなか眠れなかった。まだ11月と
言うのに、吹きっさらしのボロ家はすきま風がピューピュー吹き込んで寒いことこのうえない。

「ニャオーン・・・。」
「あれ?ここん家の猫ちゃん?・・・おいで、お布団に入る?」

部屋に入ってきたきれいなキジ猫に気づき、抱き寄せるとその温かさに少しほっとした。

(明日、ウチに行ってみようかなあ・・・?)

けれど、昭和36年のせんべい屋「ささき」や綾子の実家がこの世界にもしあったとしても、
祐一の両親も綾子の両親も、まだ結婚すらしていない。将来の嫁だ娘だと言ったところで、
頭がおかしいと思われるだけだろう。

(明日の朝になったら夢だった・・・ってことになりますように。)

綾子はわきあがる様々な心配事を無理やり考えないようにして、眠りについた。

一方、こちらは現代。
祐一が目を覚ますと、ダイニングにはもう朝食の用意が出来ていた。みそ汁に
卵焼き、大根おろし、ほうれん草のおひたし・・・。

「ようわからんもんばっかりで・・・。こげなもんしかできませんでしたけど。」

フミエは、炊飯器の使い方がわからなかったようで、鍋からご飯をよそった。
朝食の片づけを済ますと、フミエはおそるおそる階下へ降りてみた。

「うわぁ・・・。おせんべい屋さんなんだ。」

昔、和菓子屋の若旦那との縁談が来て、和菓子屋のおかみになった自分を夢想したことを、
フミエは懐かしく思い出した。

「ちょっと!綾ちゃん!いつもの包んでちょうだい。」

常連らしい客に「いつもの」と言われてもわからずマゴマゴしていると、あわてて
祐一が現れ、

「こいつ今ちょっと・・・風邪ひいて頭ボーッとしてて、すみません。」

とか何とかごまかして、あしらって帰した。

「・・・すんません。私、何にもわからんのに・・・。」
「見た目は綾子そのものなんだから、出てきちゃだめだよ。」

掃除機の使い方もわからず、家中をぞうきんがけしたフミエは、ひとりで買い物に
行こうとして祐一に止められ、昼食後、一緒に行ってもらうことになった。
車で連れてきてもらったスーパーにも、フミエは驚くことばかり。食べ物の値段を
見て卒倒しそうになっているフミエを尻目に、祐一がさっさと会計を済ませた。

「あの・・・すり鉢、どこでしょうか?」
「そんなの、フードプロセッサーでやればいいじゃん。」

祐一が材料を容器に入れ、スイッチを押すと、一瞬にしていわしのすり身が出来た。

「へええ・・・。便利なもんですねえ。」

・・・そんなこんなで、出来上がった夕食は、いわしのつみれ汁に煮染め、焼きナスなど、
綾子のレパートリーとは似ても似つかないものばかりだった。

「うん、うまい!こういうのが食べたかったんだよ。」
「よかった・・・。」

フミエの料理を喜んで食べていた祐一が、ふと暗い顔をした。

「・・・あなたはやっぱり、綾子じゃないんですね。・・・他人のふりをしてるからって、
料理の味まで変わるわけじゃないもんな。」

今の今まで、どこか信じきれない、信じたくない思いでいた。だが・・・。

「覚悟を決めて、この状況を打開しなきゃいけないな。」

「私と綾子さんは、外見も似とるし、何か響きあうもんがあるのかもしれません。
そげな二人が、同時にあのお墓に触れてしまったから、通路が開いてしまったのかも。」

SF小説など読んだこともなさそうなフミエが、用語は使っていなくても状況を正確に
把握し、自分の言葉で語っていることに、祐一は驚いて感心した。

「・・・あなたは、賢い人だな。」
「え・・・?そげなことありません。私、主人にいつもぼんやりしとるって言われるし・・・。」
「いや、あなたのご主人は、幸せ者ですよ。」

祐一がニコッと笑った。戦争に行く前の茂は、こんな感じだっただろうか・・・。

(いけんいけん。この人はしげぇさんじゃないのに。こげな大変な時に、ひと様の
だんなさんにポーッとなったりして、私はどうかしとる・・・。)

フミエは、一度会いたいと思っていた若い頃の茂に会えたような気がして、
胸がときめいてしまった自分を恥ずかしく思い、あわてて話題を変えた。

「あの・・・今は昭和なん年ですか?」
「昭和・・・?ああ、今年は平成22年ですよ。昭和は64年で終わり。」
「え・・・、50年も経っとるの?それじゃ・・・あの・・・主人は・・・?」
「水木先生ならご健在ですよ。ただ・・・。あなた、もしかして調布の家に行ってみようと
思ってるんじゃないですか?」
「はい・・・。なにかわかるかもしれんと思って。」
「それはやめた方がいい。ここは、あなた達の世界の未来じゃないんです。
あなた達夫婦は、この世界じゃドラマ・・・いやテレビ映画の登場人物なんだ。
あの家に住んでるのは、この世界に実在する水木先生で、あなたのご主人じゃない。」
「テレビ映画?・・・なして私たちが?」
「それは、言っていいのかどうかわからないけど・・・。とにかく俺と綾子は、
あなた達のことはよく知ってる。それは問題を解決するのに役立つと思うよ。」

祐一は、この世界が単純に自分たちの未来ではないという事実にショックを受けている
フミエを励ますように言った。

「あなたがさっき言ってた、綾子と響きあうものがある・・・って話。俺もあんまり
くわしくないんだけど、シンクロニシティってやつじゃないかな。向こうでも
気づいてるかもしれない。明日もう一度、あの場所へ行ってみませんか?」

同じ日の朝。昭和36年組の方はというと・・・。
綾子はしかたなく、ゆうべの芯のあるごはんに水を加え、おかゆを作った。
茂と相談したくて、おそるおそる声をかけてみたが、起きるような茂ではない。
昼近くなって起きてきた茂は、おかゆを見て苦い顔をしたが、食べることはたらふく食べた。
食事が終わってまた仕事にかかろうとする茂を、綾子が引き止めた。

「先生ったら・・・!どうにかしようと思わないんですか?!」
「明日がしめきりなんだ!・・・ちゃんとフミエ救出作戦は考えとる!邪魔せんでくれ。」

綾子はこんな時にも仕事優先の茂にあきれ、仕事部屋まで追って行った。

「ちょっと待ってください!・・・うわぁ・・・。」

そこは資料や原稿の山、山・・・。生で見る原稿は超絶に細密で、紙面から妖気が
ただよってくるようだった。

「なんだあんた、手伝ってくれるのか?じゃあワク線ひいてくれ。」

綾子がなんなくこなすのを見て、茂は感心した。

「あんた、なかなかやるな。」
「グラフィックデザインの仕事してたんです。専門学校出てから。」
「ほお。俺も図案の学校や美術学校に通っとったよ。・・・長続きせんだったけどな。
・・・そんなら、これも出来るだろ。」

次々と仕事をまわされ、綾子はその面白さにのめりこんでいった。

・・・ふと隣りを見ると、そこにはドラマで見たあの鬼気せまる描き姿・・・。仕事中の
茂は、さっきまでののんきさとはうって変わって精悍な表情だった。

(これは、フミちゃんが惚れるのも無理ないかも・・・。)

綾子は、一瞬、ここでこの才能を一番間近で見ながら、支えとなって生きる自分を
想い描いた。

(いけないいけない・・・。私には祐ちゃんがいるじゃない!)

マイペースでぶっきらぼうなこの男の底知れない魅力に、一瞬でも引き込まれそうに
なった自分をいましめ、綾子はまた作業に没頭していった。

『よう、先生。女房の中身が変わってんのには気がついたかい?』

その夜。またふらりと現れたゆうべのキジ猫が、人間の言葉でしゃべったので、
綾子は悲鳴をあげてあとずさった。

『ニャんだよ、ゆうべはあんなに優しくしてくれたのに・・・。』

茂がくわしい事情を話すのを、猫はのんびり毛づくろいをしながら聞いた。

『ふーん。そりゃあ、何らかの”魔”が働いたのかもな。夕暮れ時に墓場なんぞ
行くからだ。顔も姿もそっくりの二人なら、共鳴しあうものがあるのかもしれんニャ。』
「なかなか鋭いな、化け猫。俺も、もう一度あそこへ行ってみる価値はあると思っとる。」

当然のように猫と会話する茂を、綾子は信じがたい思いで眺めた。

「おいあんた、決行は明日の夕暮れ時だ。午前中は、原稿を届けに行かなきゃならんからな。」

綾子とフミエが入れ替わって三日目。
期せずしてどちらの世界の二組も、入れ替わった時と同時刻、同じ場所で同じことを
してみようという結論に落ち着き、四人はそれぞれの思いでその時を待った。

祐一は早めに店を閉め、フミエと二人で深大寺のあの墓場にやってきた。

「絶対に家に帰る、茂さんに会うんだ・・・って念じながらやるんだ。だいじょうぶ、
きっと戻れるよ。」
「はい・・・。いろいろお世話になりました。」
「それと・・・あんまりくわしくは言えないけど、あなた方の努力は、いずれきっと
むくわれる日が来るよ。」
「本当に・・・?あの、ふ・・・ふーどぷろ・・・せっさ・・・を、買える様になるでしょうか?」

フミエのささやかすぎる願いに、祐一は吹き出しそうなのをこらえた。

「ああ、きっとなりますよ。・・・お元気で。」
「祐一さん・・・だんだん。」

フミエは、あの墓に近づいて、震える手を墓石にさしのべた。

「先生、おそい!!」

茂が出版社から帰ってくるのを今か今かと待っていた綾子は、のんきにごはんを
食べる茂にしびれを切らし、引きずるようにして自転車に乗せ、深大寺へ向かった。
いざ墓を前にすると、これでだめなら後は何の方策も無い・・・急に不安になり、
綾子は触れるのを躊躇した。

「なんだ、俺をひっぱたいたあの元気はどうした?あんたのビンタは、戦時中の
古参兵どのより強烈だったぞ。」
「だって・・・これでダメだったら、どうしたらいいの?」
「うまくいかんでも、あんまりしょげるなよ。悪魔を呼び出してでも、俺が
元に戻してやるけん。」
「先生・・・ありがとう。」

いちいち言うことが茂らしくて、綾子は泣き笑いの顔になった。

(フミエさん・・・あなたも、今ここに来てる?)

フミエにシンパシーを感じながら、綾子もその場所に立った・・・。

「フミエ・・・か?」

あの日と同じように、墓に手を触れたとたんくずおれたフミエは、心配そうに
のぞきこむ男がメガネをかけていることに、心底安心した。

「しげぇさんっ!!」
「こ、こら、よせ。こげなところで。」

フミエになりふりかまわず抱きつかれ、茂が焦った。

「・・・もう大丈夫だけん。泣くな。」

泣きじゃくるフミエの頭を、茂がぽんぽんとたたいた。

「あや・・・こ・・・?」

ほんの一瞬、意識が飛んだだけで、「まだ昭和36年だったらどうしよう・・・。」と
思いながら綾子が目を開けると、メガネをかけていない男に抱きしめられた。

「ゆうちゃんっ・・・!」

祐一は、ここが屋外であることもかまわず、綾子にキスした。おとといキスした時の
感触とはまるでちがう温かい反応に、涙が出そうになるのをぐっとこらえた。

その夜、村井家では・・・。

「・・・あいつの亭主に、何かされんだったか?」
「いやだ・・・そげな人じゃありませんよ。祐一さんは、やさしくてええ人でしたよ。
未来の男の人は、みんなあげに優しいんでしょうかね?」

(口づけされたなんて、この人にはとても言われんけど・・・。)

「そげな優男だから、女房があいつみたいに生意気になるんだ!・・・まあ、ちょっこし
面白い女だったがな。」

(チューしようとしてブン殴られたことは、黙っとこう・・・。)

「あら?あららら?あなたこそ、綾子さんと何かあったんじゃ?」
「・・・そげに疑うんなら、調べてみるか?」

茂がフミエを抱き寄せて、力づよくその唇を奪った。フミエは心からやすらいで、
茂の温かい胸に身をゆだねていった・・・。

同じ頃、佐々木家では・・・。

「水木先生って、どんなだった?」
「やっぱりオーラがすごいよー。それに、天才だけあって、私とフミエさんが
入れ替わったこと、すぐ理解してくれたし。」
「ふーん・・・。いい気なもんだよな。俺は、綾子がボケたふりして俺と別れたいのかと
思って、マジで凹んだのに。」
「えーっ?そんなわけないでしょ。」
「そしたら、フミエさんが『綾子さんを信じてあげて。きっとあなたの助けを待ってる。』
って言ってくれてさ。素敵なひとだよなー。頭もいいし。」
「ふ・・・ふーん。ずいぶん惚れこんだもんじゃない。」
「ああ、料理もうまいしな。」

そう言うと、祐一は何枚かのメモを綾子に渡した。

「フミエさんに書いてもらったんだ、レシピ。」
「え・・・。うぇー・・・イワシのつみれって、わたし苦手なんだよね・・・。」

そう言いながらも綾子は、几帳面な字にフミエの人柄がしのばれるレシピをじっと
みつめた。

「でも・・・今度、作ってみようかな。」

自分の台所、そばで微笑む祐一・・・当たり前の様に思っていた幸せ。急に涙があふれてきた。

「どうしたの・・・?綾子。」

祐一が、綾子を抱きしめた。二人の唇が、甘く溶けていった・・・。






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