番外編
マリッジブルーなんて、祐一と結婚できる自分には、縁のないものだと思っていた。 『結婚したいんじゃなくて、結婚式がしたいだけなんじゃないの?』 重々しく呟いた祐一の言葉に、言い返せなかったのが情けない。 膝を抱えてそこに顎を乗せ、綾子はずいぶんと深いため息を吐いた。 「じめじめしてるね」 横から呑気そうな父の声。 「煎餅が湿気てるよ」 「…歯が弱くなったって言ってたんだから丁度いいじゃない」 八つ当たり気味に口を尖らせた。今は煎餅の話なんてしないで欲しい。 父は机上に放り投げてあったゼ○シィを拾い上げて、 「それで?」 ぱらぱらとめくりながら憂鬱顔の娘に問う。 「新婦の父は何をすればいいの」 「…まだ何も決まってないよ」 今はその幸せそうな笑顔のモデルの表紙でさえ、見ていたくなかった。 ― ― ― アルバイト先で知り合った祐一と、恋人になって4年。 祐一が本格的に「ささき」の三代目として店に立つようになった頃、 遂に綾子が待ちに待ったそのときが来た。 『俺と結婚してください』 考える時間は不要で。むしろ祐一が言い終わる前に綾子は『はい!』と返事をして、 きょとんとした祐一に思い切り笑われた。 お互い「そのつもり」で付き合ってきて、ややそれが現実味を帯びてきた3年目。 祐一の実家、老舗の煎餅屋の二代目が倒れるという一大事があり、 つまりそれは、彼の父であり、稼業の師匠、店の支えを失ったに等しく、 恋人同士がふたりで会える時間はおろか、電話の時間でさえ劇的に減ってしまった頃があった。 憑りつかれたように、独りで店を守ろうとする必死の祐一を、綾子はただ見守るしかなかった。 「そのつもり」の話はその頃、彼の前ではタブーの領域でさえあるように思えた。 離れていても、声が聴けなくても、それでも寂しいなどと口にはしなかった。 彼の努力や情熱は、じゅうぶんすぎるほど解っていたから。 プロポーズされた瞬間涙が零れたのは、押し込めていた自分の感情が、 一気に解き放たれていくのが判ったから。 独り寂しく過ごした夜を、きっとこれからずっと、何倍にもして補償してもらうんだから、と。 やや恨めしく祐一を睨み付けて、そして泣きながら微笑った。 その至福の瞬間を思い出しながら、綾子は目の前のブライダル雑誌を手に取った。 華やかなドレスに身を包んだモデルや女優が、綾子に「おめでとう」と言ってくれているようだ。 「色々決めていかなきゃね。忙しくなるね〜」 うきうきしながらページをめくり、気になったドレスのページに折り目をつける。 そんな綾子を窺いながら、言いにくそうに祐一がぼそぼそと呟いた。 「あのさ…式は…地味にいかない?」 その言葉に、綾子は一瞬きょとんとして、 「地味…って?」 呆然として問い返す。 「写真だけとか。式をするとしても、身内で簡単に、とか」 「な、なんでっ?やだ!披露宴しないってこと?」 困り顔の祐一が、頭を掻いて首を捻る。 「なんつーか、こっ恥ずかしいじゃん?友達とか、色々言われるし」 「別にいいじゃん、結婚式なんだし!」 「いやー、でもほら、金もかかるしさ」 「そりゃ…そうだけど。でも、ご祝儀で賄えば、足が出ないようにもできるし」 綾子が何とか食い下がろうとするのだが、祐一はずっと腕を組んだまま考え込んでいる。 しかし綾子だって簡単には引き下がれない。 女にとって結婚式は、子どもの頃から夢に描いて憧れ続けた、まさに一生に一度の舞台なのだ。 「んー…じゃ、逆に訊くけどなんで披露宴したいの?」 「なんでって…」 結婚するふたりが結婚式や披露宴をするのは定番だし。 結婚したんだっていうことを、周りに知らせる手っ取り早い方法だし。 幸せになりますって、友人や親類の前で堂々と誓う場だし。 普段着られないドレスを着たり、タキシード姿の祐一の横で笑っていたいし…。 色々と思い浮かぶのだが、何だかどれもピントが合ってない気がして、綾子は言葉を失った。 考え込む綾子を見て、祐一は小さくため息を吐いた。 「綾子はさ、結婚したいんじゃなくて、結婚『式』がしたいだけなんじゃないの?」 「そ、そんなことないよ!」 むっとして否定したものの、相変わらず言葉は浮かんでこなかった。 しんとした、いやな空気がふたりを包んでいった。 押し黙った綾子を見て、祐一は無理やり笑顔を作ってフォローする。 「その代わりさ、旅行は思いっきり奮発しようよ。綾子の行きたいところ、行こうよ、ね」 「…世界一周」 「え?」 「…じゃなくて、宇宙旅行がいい」 「ちょ…」 「月のホテルでも予約してよ。月に行って、結婚早々うさぎと浮気してやるんだからっ!」 「綾子…」 「ゆうちゃんのばか!」 綾子は店を飛び出した。当然、祐一は追いかけてきてくれたけれど。 さっさと綾子は電車に飛び乗り、ホームの祐一にあかんべーをした。 我ながら大人げないとは思ったものの、自分ばかりが我慢をしているような気がして、 このときばかりは祐一を許すことができなかった。 綾子の小さな我儘を、笑って聴いてくれる祐一はいつものこと。 けれど、例えば彼の店のことや、今回のような結婚式のことなど、 「これ」というときには決して退こうとしないのもまた祐一の常だった。 (寂しい思いするのはいっつも私の方なんだから…!) 何度も鳴り光る携帯を、まるで仇のようにベッドに投げ捨て、上から枕で押さえつける。 そんなことが、もう1週間も続いていた。 ― ― ― 「佐々木のお父さんはどうされてるの」 つまらなそうな顔でチャンネルをいじくる娘に、父はゼ○シィの向こうから問いかける。 「…お元気だったよ。まだ入院されてるけど」 「結婚式には退院できるのかね」 「…そりゃ…まだ時間あるし…」 祐一の父は、およそ1年前に急に体調を崩して以来、入退院を繰り返している。 プロポーズされてしばらく経った頃、綾子は父と揃って挨拶に行き、 先日も再び、祐一と一緒に見舞いには行ったのだが。 (式のこと、そういえばあんまり話さなかったな…) 祐一の母と、日取りのことを話したりはしたけれど、式や式場の話を具体的にはしなかった。 まして、体調の悪い彼の父とは全く…。 (もしかして、ご両親の意向なのかな…) 披露宴はなしにしたいという祐一の思惑は、もしかしたらその後ろにいる両親の思惑なのかもしれない。 友人たちと大勢で楽しむことを決して嫌わない祐一が、披露宴で冷やかされるのが恥ずかしいなどと、 本当に彼本人が思ったことだろうか。 (結局私は'ヨメ’か…) 疑心暗鬼の綾子は、自分の立場が弱いことさえ怨めしく思えた。 雑誌の影から見つめる父の視線には、一向に気づかずに…。 ― ― ― 事態が一変したのは、翌日のことだった。 朝から父の姿が見えないのだ。携帯に電話をしても無反応。 ところが、昼過ぎにいつもの温和な顔で、何事もなかったようにひょいと戻ってきた。 「何処行ってたの。お昼何も作ってないよ」 少し怒った口調で言ってみたが、父は汗を拭き拭き「食ってきた」と言う。 「今晩、何か用事ある?」 と訊ねてくる父に、綾子は「別にないけど」とふて腐れて、呟いた。 すると、すぐさま買い替えたばかりの携帯を取り出し、どこかへ電話を始める。 「やあ、どうも。うん、戻ってきた。いやいや…」 (誰にかけてるんだか。こっちの電話には出なかったくせに) 憎らしげに横目で父を見ながら、山盛り苺のミルクシロップ掛けを頬張る。 ハムスターが餌を頬に溜め込むように、やけくそで口に放り込んでやった。 婚約者だけでなく、父までもが自分のことを放ったらかす。 綾子のマリッジブルーは、どんどん頂点を極める一方だった。 「うん、今晩用事ないって。うん?…ははは。まあ、機嫌は悪いけどね。君に会えば大丈夫だろ」 電話の向こうは誰なのだろう?ふと綾子はそちらを見やった。 「8時だね。…いや結構。今日は鍵を持たせないから。そちらでよろしく。じゃ」 父が耳を離した向こうから、『や、ちょ…』と相手の慌てた声が聴こえた気がした。 けれど、父は構わず『ピ』と乱暴に電話を切る。 「…誰?」と、綾子は目で訊いた。 すると父は悪戯っぽい笑顔を湛えて、ピ、ピ、と携帯を操作する。 「今の、祐一君」 見せられた液晶面の電話帳に「佐々木祐一」と登録がしてあった。 「は?!な、なんでっ?!」 「さっき電話番号交換してきた」 「さっき?!」 「彼、若いくせにアナログだな。赤外線通信のやり方知らないんだって」 「だから、なんで…!」 「090…とか言い出して」 「お父さんってば!」 真っ赤になって声を荒げる娘に、父はにこにこしながら「まあ座れよ」と優しく言った。 「今日ね、佐々木のお父さんのお見舞いに行ってきた」 「え?」 「元気そうだったね。式までには絶対退院するって言ってたよ」 「ひ、一人で行くなんてズルいよ。何で言ってくれなかったの」 落ち着きを取り戻そうと、綾子はまた目の前の苺を2、3個続けざまに口に入れた。 「機嫌が悪そうだったからさ」 「だからって…」 「真相究明にね」 謎めいたことを口にする父を、訝しげに見つめる。 相変わらずにこにこと、罪のないような笑みで父は続けた。 「披露宴のこと。祐一君がどう思ってるのか、向こうの両親がどう思ってるのか」 「…お父さん」 時折、妙に敏感に働く父の第六感のようなものに、しみじみ驚かされることがある。 綾子がずっと何を考え、何に悶々としていたのか、父にはずっと見透かされていたがゆえの、 今日の突然の家出だったのだろう。 「結論から言うと、あちらの両親は式も披露宴もきちんとやるつもりでいたね」 「…ほんと?」 やや桃色に染まった綾子の頬を見て、父は嬉しそうに微笑った。 「ただ、長丁場にお父さんの身体が保たないかもしれない、って心配してらした」 綾子ははっとした。 祐一の父は、元気そうではあるけれど、入退院を繰り返しているところを見ると、 元の通りの身体には戻っていないということなのだろう。 だからこそ祐一が三代目として店を継ぎ、大きく開いた穴を必死で埋めてきたのだ。 そしてそのことは、綾子にプロポーズをしたきっかけにもなったことではあるのだろうが…。 「でもご両親は何としてでもその日だけはちゃんとするつもりでいると仰ってたよ。 一人息子の晴れの日だからってね。その気持ちは俺も同じだけど」 最後の言葉は照れたのか、やや俯き加減で、独り言のように呟いた。 「そのあと店に行ったんだ。祐一君の話も聴かなきゃと思ってね」 「…」 「彼も披露宴はしたいけど、やっぱりお父さんの身体のことを心配してたね。 無理させて今より悪くなるのは嫌だからって。綾子には、そう言わなかったみたいだけど」 確かに、お金がかかるからとか、友達にからかわられるとか、そんな「らしくない」ことを言っていた。 「彼も板挟みで辛かったんじゃないの。お前と、ご両親の間でさ」 眉尻を下げて父を見上げると、またにこっと笑って 「今日8時。駅で待ち合わせ。あとは当人同士でちゃんと話しなさい」 そう言って、ひょいっと苺を皿ごと取り上げた。 いつもはそれを咎める綾子も、今日ばかりは父に譲るしかなかった。 ― ― ― 蒸し暑い初夏はしかし、夜になると涼しい風が心地よい。 公園のブランコに隣り合わせながら、祐一は勢いよく漕ぎ、綾子は静かに座り込む動と静。 一週間以上も声を聴かずに居られたのが不思議なくらい、祐一の子ども染みた表情が愛しくてたまらない。 「言えばいいじゃん、ちゃんと正直に」 けれど素直になれない綾子は、相変わらず口を尖らせたまま愚痴めいて乱暴に言った。 祐一はゆらゆらとスピードを落とし、ぴょんとブランコから飛び降りる。 ぽりぽりと後ろ頭を掻いて、それから両手をポケットに突っ込んだ。 「判ってたよ。親父のこと、ちゃんと話せば綾子は解ってくれるって」 「じゃあ…」 「けど、それじゃ説得っていうより強制みたいな気がして。親父の身体のこと持ち出したら、 綾子何にも言えなくなるだろうから…。それってなんか、後味悪いじゃん?」 「ゆうちゃん…」 照れくさそうに笑って、祐一は安全柵に腰かけた。 「親父倒れたとき、俺が一人で店やってずっと忙しくて。あんまり会えなくなったりしたでしょ?」 その頃のことを思い出して、少ししんみりした気持ちで綾子は頷いた。 「その時も綾子何も言わなかった。会いたいとか、寂しいとか。むしろ会わなくてよくなって せいせいされてる?とか、俺ちょっと独りでショック受けてたり?」 「そんなことないよ!」 「解ってる。後から考えたら、俺に気遣ってくれてたんだなーって」 ゆっくりと祐一は綾子に近づき、両手を差し出した。綾子は座ったまま手を伸ばす。 ぎゅっと握られた両手から、伝わる温かさと愛おしさ。優しさにじんわりと包まれる。 「綾子は俺や俺の親に遠慮するからな。あの頃全然、我侭とか言ってくんなかった」 祐一は判ってくれていた。あの頃綾子が「寂しい」「会いたい」と口にしそうになるのを、 必死の思いで押しとどめて過ごしていたこと。 何も知らないくせにと、勝手に祐一を責めていた自分を、綾子は恥じた。 繋いだ手をぐっと引っ張られ、ブランコから勢いよく立ち上がった綾子は、 そのまま祐一の胸の中へ抱きとめられた。 「ごめんな」 幼い子どもが、母に叱られて言うような、小さな弱々しい声。 「披露宴のこと、親父の所為にしたくなかったんだ。ずっと寂しい思いさせてた頃みたいに…、 綾子の優しい性格に、甘えんのズルいと思ったから…」 貴方がズルいのはいつものこと。 そうやって囁くだけで、私の意識全部を持っていく。そして簡単に許せてしまう。 それが無意識なのが、なおズルい。 綾子は苦笑しながら、ぎゅっと祐一の首に腕を絡ませて、わざと強く締め上げた。 「ぐえっ」 「月の新婚旅行はどうなるの?」 「…うさぎと浮気されたら困るから連れてかない…」 ぶすっとした顔で呟く祐一に、綾子は微笑って頬に口づけた。 ― ― ― 闇の中で、彼の柔らかさを受け止める瞬間が一番幸せだと思う。 唇だけでなく、頬や、瞼や、耳、鼻先にまで落とされるキスが、ゆっくりと綾子の内側に火を灯す。 「綾子?」 首筋に吸い付く祐一の口づけに、「ん?」夢見心地で返事をする。 「ワンピース着てきてくれたの、俺が脱がせやすいから?」 「なっ!」 かっと火照った頬を、ぱんぱんに膨らませて祐一を我が身から引き剥がす。 「何言ってんの、スケベ」 「綾子って気遣いのできる子だな〜と思って」 悪戯っぽく笑われながら、再び綾子は祐一に抱きしめられた。 「もうっ!」 「冗談。ってか、脱がせやすいのは本当だけど」 けれど綾子も正直なところ、それを想定しての服選びは否定できない。 事実、今夜などはいくら婚約者相手とはいえ、実の父に家から閉め出しを食らったのだ。 (お父さんの馬鹿…気遣いすぎ…) 喧嘩の仲裁も、仲直りのお膳立ても、全てが父の計らいとあれば、 あの柔和な笑顔の父の手のひらの上で、祐一とふたり、良いように転がされているような気分だった。 「…お父さんと番号交換したの」 ハーフアップにした後ろ髪の髪留めを、祐一は器用に外してくれた。 綾子の言葉に一瞬動きを止め、それから、へらっとだらしない笑いを浮かべて俯いた。 「いきなり来るからびっくりした。綾子と喧嘩してんの、怒られるのかと思った」 結局綾子の父は、店に来る前に祐一の両親に会ってきたと告げ、 結婚式や披露宴をどうするのか、祐一の正直なところを聞きたいと言ってきたという。 「綾子がずっとふて腐れてて困るからって言ってたけどね。俺たち親父さんに心配かけちゃったな」 申し訳なさそうな顔で微笑む。 察しの良すぎる父に、綾子も今回だけは感謝の一言だった。 「これから事あるごとに電話かかってきちゃうよ?」 「メルアドも交換しちゃった。俺、親父とだってメールなんかしないのに」 「ゆうちゃんのこと、若いくせにアナログだー、なんて言ってたよ」 アナログというより、祐一は携帯を電話として機能するだけで十分と考える男なのだ。 「携帯だけじゃないぞ。うちのテレビまだ地デジ対応してないよ」 「隅っこにアナログって出てんだ?」 「そ」 ふふ、と笑った綾子の髪が揺れる。 「テレビ買わなきゃね」 その髪を撫でながら、祐一が額にキスをひとつ。 「洗濯機とか、冷蔵庫とか、結婚したら全部新しいのにすればいいってお袋言ってたよ」 「なんか所帯染みてる」 「所帯持つんだろ?」 「言い方がアナログ」 「うるせ」 怒られて塞がれる、軽口ばかりの綾子の唇。 下唇を吸い込まれて、少し開いた口からすかさず舌をねじ込まれる。 嫌いじゃない強引さに、蕩かされる素直な身体が淫らに揺れる。 祐一曰く、『究極の脱がせやすさ』のワンピースを、やはり簡単に脱がされて、 はらりと足元に落とされる。もじもじとそれを跨いでいると、ひょいと抱えられた。 「きゃ」 「式で披露する?お姫様抱っこ」 「恥ずかしすぎ…!」 嬉しすぎ、とも思ったけれど、口にすると本当に祐一は当日やらかしそうで、やめておいた。 本物のお姫様でも扱うように、優しくベッドに降ろされる。 シャツを脱いだ祐一の、胸板の厚さと身体の熱さに、抱きしめられて融ける。 耳元で囁かれる彼の声を、身体中で録音しながら。 キャミソールの上から左胸を揉まれ、首筋に這う舌のこそばゆさに小さく悶える。 耳たぶをくすぐられながら、再び深い口づけ。 何度も重ねてきたふたりの唇。けれど同じキスは二度となかった。 触れるだけの軽さでも、深く探られるような濃厚さでも、同じ愛しさはなかった。 いつもいつも、重ね合わせるだけで幸せが倍増する、祐一だけがくれる魔法。 背に回された指が、胸の支えを外す。 そのまま滑り込んでくる大きな手に、綾子の乳房はすっぽりと包まれた。 揉みしだかれる強さの一方で、先端を摘み捏ねられるくすぐったさに、首を振った。 「っ…ふ」 湿った声が零れ始めると、祐一はいつも少し嬉しそうな顔になる。 雌を支配しようとする雄の本能が、その時だけはちらりと垣間見える。 その瞬間に、綾子もまた悟る。彼だけに乱されたいと欲する、獣の素顔を持つ自分自身を。 自分の胸に埋まる短い黒髪を撫で、翻弄される乳房とふたつの果実を、目を閉じて夢想する。 舌先で転がされ、ぴんと尖らされて、きゅっと吸い上げられる。 「ぁんっ…」 生温い舌の感触と、柔らかな唇に食まれる快感。 頭を抱きかかえて、くしゃくしゃと指を絡ませ、身を捩って応える。 朱色の痕が、転々と乳房の上に散らばる。彼だけの印を刻み付けられてうっとりする。 「…ぅ、ちゃ…」 「ん?」 「くすぐったい…」 口の端を上げるだけの笑みで、祐一はブラごとキャミソールをたくし上げて奪った。 そして自分のジーンズも脱ぎ捨てる。 「や…」 再び覆いかぶさってきた祐一の、硬い下半身が綾子の太腿に当たる。 ややヒヤリとした感覚があったのは、下着から透けてしまった彼の先走る欲だろうか。 綾子の窺うような視線に気づいたのか、 「久々だからなー…ちょっとテンパってるかも」 照れくさそうに言って、わざとらしく音をたててキスを繰り返し、誤魔化された。 顎の下に潜る口づけの一方で、祐一の右腕が綾子の左脇腹から尻の方へ降下していく。 臀部の形を確かめるように、丸く撫で、割れ目をなぞる。 「やん、どこ触ってんの…」 「尻」 「じゃなくてぇ、くすぐったいってば」 「綾子はこっちのがいいんだ?」 薄ら笑いを浮かべると、祐一の指は綾子の下腹から下着の中へ侵入し、秘めたる狭間へと滑り込んできた。 「や、ぁ…んっ…」 ぴちゃりと音がして、秘境は祐一の指を呑み込む。 「すげー濡れてる」 「言わないで…ぇ」 「可愛い」 そのまま中を探られる。ぐにぐにと蠢く指に、腰の力が抜けていく。 「あ…っだ…だめ…」 「何がだめ?」 耳に息を吹き込まれ、低音の優しい声が頭に直接響く。 今やその耳でさえ、綾子の性感帯となって、祐一の声に全身が翻弄される。 何かがそこから溢れ出る感覚に戸惑いつつも、二本目のしなやかな指をも呑み込む。 爪弾かれるその場所から、奏でられる卑猥な音に一層かき乱される。 「ゆ…ちゃ…ぁん、あ、っ、や…だぁ…」 「…綾子、嫌なの?」 意地悪い質問を投げかけて、綾子が首を振るのをわざと愉しむ。 普段は優しい祐一の、時折見せる小悪魔な表情。これもこのひとの、ズルい顔。 「もっと?」 うっすら涙目で、綾子はこくこくと小さく頷いた。 「しょうがないなあ」 勝ち誇った顔が憎らしい。けれどその憎らしさも、快感の代価には安すぎる。 潤んだ瞳で彼を見上げると、蠢いていた指が抜かれた。 熱も一緒に持っていかれるように、瞬時に空虚になってしまった。 が、祐一は綾子の両膝を掴んで、ぐいと押し拡げると、もっと熱い舌で秘部を舐り始めた。 「っ…やあっんっ!」 がっちりと両脚を掴まれ、隠しようもなく祐一に全てを曝け出して、綾子は羞恥に身を捩った。 けれど、花びらの奥に包み込まれてあった秘芽を探り当てられ、舌で弄ばれると、 否応なくそんな抵抗は消え失せる。ピンクの芽蕪は彼の舌の上でゆっくりと熟していく。 「ああんっ、や、だ、ぁ…ゆ、ちゃ…は、ぁ」 こぽこぽ、湧き出ていく露を余すことなく啜り取られる。 楕円の淵をなぞられ、溝窪へ尖った舌が入り込めば、びくびくと脚が撥ねた。 「ゆ、ぅっ…!」 声すらも失うほどの激情に放り込まれる。白々しい世界が遠のいていく。 「―――――――…っ…!」 シーツを握りしめた綾子の拳が、ゆっくりと弛緩していく。 爆ぜた理性の端で、祐一のキスが太腿の裏を啄んでいるのを何となく意識した。 「…イっちゃった?」 綾子のぼんやりした視点を、自分の顔に繋ぎとめるようにして、 祐一は綾子の顔を両手で覆い、頬にかかった乱れ髪をささっと掃ってくれた。 「ん?」 「も…やだ」 ようやく正気に戻った綾子は、恥ずかしさに顔を背けて両手で覆った。 「こっち向けよー」 「やだ」 胎児のように身体を丸めた綾子を、後ろから祐一が優しく抱きしめる。 「綾子」 「…」 背中から伝わる温かさに、再び蕩けだす密やかなあの場所を感じながら、綾子は祐一の唇を受け止めた。 「ゆ…ちゃん」 「ん?」 「きて…?」 「…うん。ちょっと待っててね」 いつもの準備に取り掛かろうとする祐一を、綾子は細い腕で引きとめた。 「あの…ゆうちゃん」 「どうした?」 やや思いつめたような表情の綾子に、少しだけ祐一は動揺したようだった。 「…着けないで…して?」 「綾子…」 (ドン引き…?) 綾子はきゅっと目を瞑って、祐一の言葉を待った。まともに顔を見ることはできない。 今まで一度だって、綾子はそんなことを強請ったりはしなかったし、 祐一もまた、それを望んできたりはしなかった。 どういう心境でこんなことを口走ったか、綾子本人にも判らなかったけれど、 どこかで彼の妻になることを、紙や形式上のことだけでなく、 正真正銘の身体の繋がりだけで、いち早く求めたかったのかも知れなかった。 「…だめだよ」 綾子の我侭を、何でも聴いてくれる祐一だけれど、さすがに今回はそうはいかなかった。 「あの、で、でも…私もうあと2日とか3日で生理くるし…」 「そういう問題じゃなくて」 「だめ…なの?」 肩を落とす綾子を、祐一はそっと抱きしめて、後ろ髪を撫でる。 「なんか…ケジメ、みたいな意味で。できちゃった婚が嫌だとかそんなんじゃなくて」 綾子の肩の上で、「うー」とか「あー」とか小さく呻る祐一に、だんだん申し訳なくなってくる。 「上手く言えないけど…その…何回こういうことしても、綾子ってまだ今は、 正式に俺のもんじゃないっていうか。だからって婚姻届とか、結婚式とか、 そういうの済ましたら夫婦になるのかって言ったら、それもなんか違うと思うけど…」 「ゆうちゃん…」 「今はまだ…綾子の全部を俺のもんにしちゃいけない気がする。そこだけは、崩しちゃいけない」 一生懸命言葉を選ぶ祐一に、綾子は感動した。 4年間守り続けてきたその微妙なラインを、壊してはいけないという祐一の、 そこには綾子への深い愛が存在するような、不思議な幸福感があった。 瞳から零れる涙を、「ごめんな」と言いながら優しく拭ってくれる、 本当にこの人の妻になれる自分は、世界一幸せだと、綾子はしみじみ噛みしめた。 横たわる綾子の輪郭を、確認するようにぐるりと口づけてから、祐一が瞳で合図する。 微笑んで小さく頷くと、じわりじわりと先端が陰唇を弄った。 ぴくりと仰け反ると、次の動きでぬめりの中へ、膜越しの熱がねじ入ってくる。 「はぅ…っ…ん」 持ちあがりそうになる腰を、しっかりと両腕に掴み取られ、ずくりと奥まで踏み込まれた。 「あああっ…!」 祐一の首に縋りつく。蒸れた男の匂いが、肩越しに揺れる彼の髪から香った。 「あ、や…こ」 熱情の波にさらわれそうになったのは綾子だけではなく、祐一もまた、綾子の肩に顔を埋め、 繋がった場所から痺れ昇る、身体と心の悦びに震えていた。 「ゆう、ちゃん…」 綾子の逆上せた声と、熱く湿った息が、祐一の耳元をくすぐる。 すると今度は綾子の耳元で「ちゅ」と音がした。 「綾子…声、エロい」 にやりと笑いながら囁かれる。綾子の顔がかっと火照った。 「なに言って…ん、やあっ…っ!」 油断したところへ急に腰をひかれ、再び深く穿たれ、 不意のことに、祐一の肩に猫のような引っ掻き傷を作ってしまった。 「…っつ」 「あっ…ごめ…」 「へーき」 何でもない、という風にキスをされ、そのまま軽い振動で突き上げられる。 身体の奥の奥を暴かれて、何度も何度も祐一の形を刻まれていく。 決して枯れることのない源泉を、常に刺激され続けて、押し込まれるたびに溢れ出す。 「んっ、ぁ、…っ…んあぁんっ…は、ぁ、あ…」 揺れる身体と声と、それに合わせて響く、粘ついた音は途絶えない。 胎内の芯を突かれるような亀頭の激しさに、今にも瓦解しそうな防波堤にしがみつく。 「綾子…っ気持ちい?」 空調が効いているのに、玉の汗をかいている祐一が、 二の腕でぐいと顔を拭いながら、綾子に問いかける。その声も、様々な感覚に揺れている。 「っ、んっ…ぅん、ん…イイ…あ、ぁ…」 「可愛い、エロいのも可愛い」 「んっ、ふ、ぇ、エロいっ、…ばっか、言わないでぇ」 「もっと、そそる恰好して?」 「ぇ…?」 祐一は、綾子の中からするりと自身を抜くと、ぐったりと寝そべる綾子の身体をごろりとうつ伏せた。 「俺、実は尻フェチ」 「やだ、なに言い出すの!」 「あ、訂正。綾子の尻が好きなだけ」 言いながら、丸い円を描いて臀部を持ち上げ、とろとろの蜜が溢れ出して伝い落ちる場所へ、 斜に角度をつけた怒張を勢いよく突き入れた。 「あああああっ!!」 途端に、留守になっていた空間で揺らめいていた襞が、一斉に反応して祐一の熱棒をぎゅっと締め上げた。 「…っ…!きつ…綾…締めすぎ…」 「やあっ…あ…」 猫が背伸びをするポーズで、綾子は両手でシーツを握りしめた。髪を振り乱して、背中で息をする。 祐一に攻められるたび、窒息しそうになるほど息が詰まる。怖いくせに、矛盾して身体は悦ぶ。 「綾子、キレイ。背中…」 「ゆ…ちゃ…っ、あ、ふ…!」 「っ…すげ…締まる…」 締めているつもりはないのだけれど、無意識に反応しているのはきっと彼の声のせいだ。 指にも、キスにも、言葉にも、そして彼の声にも、綾子は祐一の全身で犯される。 「綾子…」 祐一が呟く言葉がだんだん切なげになってきたのが判る。 「ゆうちゃ…い、いよ、イっても…」 「ん…好き、だよ」 「あっ…ん、ん、わ、私も…」 乾いた音で激しく叩きつけられる。腰に置かれた彼の両手に、最後にぐっと引き寄せられたとき、 綾子の中で、薄い膜の内側が脈打つ。弾けて迸る白濁の熱を、目を閉じて感じ取った。 ― ― ― 「結局、私が思うに披露宴を一番やりたがってるのはうちのお父さんなのよ」 祐一の腕枕で、口を尖らせて綾子は呟く。 「そうなんだ?」 くっくっと苦笑いながら、祐一。 「昔っから私の結婚式で長○剛の『乾杯』を歌うんだって、 今となってはもうベタとも言えないこと、いまだに言ってんだよ?」 「いいじゃん、歌ってもらえば」 「やだ。そんなダサイ結婚式」 「どういうのがいいの」 「そりゃあ…」 そして、綾子はブライダル情報誌そのまんまの、サプライズ企画やら、見せ場演出を語り始める。 祐一は半ば呆れ気味で、最後には大きなため息を吐いた。 「やっぱ綾子は結婚『式』がしたいだけなんだ」 「そんなことないってば!」 「だって、俺がサプライズでピアノ演奏するとか、既にサプライズでも何でもないじゃん」 「だから例えばの話!サプライズならなんでもいいの!」 「サプライズって言葉の意味知ってる?」 「知ってるよっ!」 ぷっと膨れて、綾子はベッドの隅で丸まった。 背中でため息がもうひとつ聴こえたことに、また憤慨した。 「綾子」 優しい声を掛けられても、騙されないぞ。綾子はぎゅっと唇を結んで、一段と身体を丸めた。 「あーやーこ」 肩を揺すられても、意地になって顔だけは背けたままで。 すると、ひょいと綾子の目の前に、きらりと光る何かが差し出された。 目をぱちくりさせてそれに焦点を合わせると、銀色に光るシンプルなハートのリングが光っていた。 「サプライズっていうのは、こういうことだろ?」 勢いよく起き上って、けれどまだ下着を着けてないことに気づいて、わたわたとシーツで隠す。 照れくさそうに指輪を差し出す祐一を、綾子は呆然と見つめた。 「婚約指輪。つっても安物だけど」 「ゆうちゃん…」 「披露宴のこと、ひとりで勝手言ってごめん」 そして綾子の手をとり、指輪をつけてくれた。 きらりと光るハートの中には、アメジストの美しい紫色。綾子の誕生石だった。 どうあがいても、登りつめる涙をせき止める手立てはなく、ぽろぽろと溢れてくるままになってしまう。 「泣くなよ、ほんと、安物だよ?」 「…やっぱりやだ…」 「え?」 顔を覆いながら、綾子は呟く。 「サプライズなんか…結婚式でやられたら…みんなの前で大泣きしちゃう」 「綾子」 「こんな顔、見られたくないから…。サプライズなんてもう、絶対やだぁ」 いつもの優しい笑顔で、祐一に抱き寄せられる。一番安心する場所へ。 ふたりの結婚式は、これから数か月後の、大安吉日の晴天の日に…。 SS一覧に戻る メインページに戻る |