りせっと
ニケ×ククリ


勇者さまはわたしのどこまで許してくれるかしら?
悪魔になっても、泣いても、魔法が下手でも、足が遅くても、勇者さまはわたしを置いてったりしなかった。一度だって見捨てたりしなかった。
でもだから不安になるの。
ねぇ勇者さま、ククリのどこまで許してくれる?
ククリの全部まるごと……一体どこまで許してくれるの?

「おーい、なんか彷徨ってるぞー」

ひょいと覗き込まれたククリはニケの顔が自分の顔に恥ずかしいほど近いことにようやく気付いた。

「やっ!勇者さま!?」
「……ニケって呼んでって言ったろ。もうおれは“勇者”じゃないんだから」

その距離の近さにも別段気にする様子も無く、彼は気軽に溜息つきながら苦笑いでそう言う。

「もうギリは封じ込めたんだしお役ご免ってヤツだよ」

すいっと身体を離して空を見上げながらニケは草の上に寝転がる。

「平和だねぇ、もう二週間かな。
なんか夢を見てるみたいな気がしない?もうジミナ村を出発してどのくらい経つっけ」

ぼんやり笑いながらまるで心ここに在らずという風にククリに聞く。実は彼はこの平和以外何も無い天空に既に飽きていた。…いや、正確に言うのならば地上が恋しくなっていたのだ。
しかし下界に降りる手段も無く、やっと両親に会えたククリにそんなことを言い出す気にもなれずに一人悶々としていた。

「勇…じゃなくて、ニケく、ん……」

呟いた名前が小さくすぼんでゆく。

「…ま、慣れないもんはしゃーないわな。なんたって最初に会った時からおれ“勇者さま”だったし」

呆れながらも頬を染めるククリの様子を見てニケは微笑ましそうに頬杖をついて寝そべっている。

「ニケくんは、ククリの…ククリのこと……どれくらい、好き?」

【勇者のあたまは頬杖の上から転げ落ちた!3のダメージ!】

「ぶぶぶぶ……」
「だ、だいじょうぶ?」
「いっいきなり何を言い出すんだよ!」

ぺっぺっぺ、と口に入った草と土を吐き出しながら咳き込むニケを、ククリは不思議そうに眺めながら続けた。

「ククリはね、勇者さまにククリの…全部をあげてもいいくらいすき。」
「なななななな」

【勇者はこんらんしている】

「勇者さまは……ククリのことどれくらいすき?」

ダメだ、とニケは思った。ククリの目が完全にどっか遠くの方に吹っ飛んでいる。もはや欲求する言葉しか聞こえない状態だ。
「えーと、このくらい?」

ニケは両手をいっぱいに広げて、それでも意識のぶっ飛んでいるククリに付き合った。彼は人がいいのだ。

「…それだけ?」

不満そうに眉を顰めながら見上げるククリの視線に、彼はたらりと汗を流す。

「じゃ、じゃあ、この原っぱ全部くらい」
「……………………」

黙りこくって目を伏せてしまった彼女を引っ張り上げて立たせ、彼は空を指差して言った。

「じゃああの太陽が見ている範囲全部くらい!」
「そーじゃないの勇者さま!そーゆーこと言ってるんじゃないの!」
「へ?」
「ククリはね、ククリは…そういう事が聞きたいんじゃ…」

困った、全く何を言いたいのか見当も付かない。どのくらいと言うから、世界で一番ってこと?……いやいや、それならククリなら何番目に好き?って聞くだろうし……
弱り果てたニケは仕方なくストレートに聞いた。

「じゃあ、ククリはおれになにを聞きたいわけ?答えるから言ってみて」

そう言った途端に、ククリの頬がぽおっと薔薇色に染まった。両手を頬に当ててまるで胸が苦しいみたいに身体をぎゅっと縮める。

「やっやだっ!勇者さまのえっち!」

……なんでだ。そんな突っ込みが喉の奥から外に出ようとするのをニケは押し留めた。こうなってるククリに何を言っても無駄なことはニケが一番良く知っていたから。

「……おやつ食べに帰ろうか」

あっちの世界に吹っ飛んだククリを連れ戻すにはチョコレートが一番。彼は彼女の手を引いて自分達の寝泊りしているククリの実家への道を辿った。
その道すがら、ククリはニケの少し硬くてとっても温かい手にますます暴走していた。
勇者さまの手って男っぽくてすてき。力も最初の頃よりずっと強くなったし、背だってもうげんこつふたつ分くらい違う。これからもどんどん…ステキになっていくに違いない。
それなのにあたしときたら、胸はないし、腰だって蛇のおねーさんみたいにきゅっとくびれてないし、ほっぺたもぷくぷくしてて……やだな。
天気は良くてぽかぽか陽気は明日も続きそう。だけどククリの心の中はどんよりした雲でいっぱい。
勇者さまもククリのこと好きって言ってくれたのに……あたし、勇者様とつりあってない。
安穏とした表情で手を引っ張るニケの顔を見てると、そんなつまらないことで気分が沈んでいることをすごく申し訳ない、とククリは更に落ち込んだ。
一方ニケはというと、早く家に帰ってチョコレートを自分の分も食べさせてやろうなんて能天気なことを考えていた。

「ただいま」

ドアをあけても誰も居ない。机の上には置き手紙とおやつのチョコレート。

『近所のお祭りに行ってきます。明日の夕方には帰ります。ごはんは作り置きがあるのでお鍋の中を見てね。』

「……だってさ。ククリ、チョコレ……ククリ?」

悲しそうな顔でじっと手紙を見つめるククリの表情に、ニケは胸がぎゅっと痛くなるような気がした。

「大丈夫、すぐ帰ってくるよ!な?もうどこにも行かないって、な?」

「うん、へいき」

悲しそうな顔で、それでも必死で涙を見せまいとするククリはすうっと息を吸ってにっこり笑って言った。

「わあい、おやつがチョコレート!」

椅子に腰掛けて手も洗わずに、ころっとしたチョコレート玉を二つばかり頬張って嬉しそうな顔をする。ニケはそれを無表情で見ていた。

「ね、勇者さまも食べなよ、おいしいよ」

そう促されてもニケは無表情のままでククリを眺めている。

「どうしたの?はやくしないと全部食べちゃうよ?」

悪戯っぽく言うククリの顔はやっぱり無理をしたままだ。

「……手、洗ってくる。食べたきゃ全部食べてもいいよ」

引きつった笑い顔で洗面所に向かったニケは、ドアを閉めた後に少しの間ドアの前に立っていた。ドアの向こう側でククリの声がして、ニケは強く目を閉じてその場を去った。

…………なんで泣けよって言えないんだろ…ダメだなおれは……

照れてしまった、のとは少し違うと思う。ククリの寂しさがわかんないのに、泣いていいよって言うのは何だか無責任な気がしたんだ。辛いのを分かってもないのに同情してるみたいで、自分がすごく適当なヤツみたい。
でもそんなのより、悲しくって泣きそうなククリを一人にした自分に腹が立つ。結局、おれは自分の方が可愛いんだろうか。

「何が勇者だよ、泣いてる女の子ほったらかしにしといて」

ドアの向こうでククリが泣いてたのに、ドアを開ける気なんてなかった。勇気が無かった。
飛んでいって慰めてやるのもなんか違う気がした、なんて言い訳を考えてる自分自身に呆れる。
彼は手を洗い、ポットで温めたミルクにたっぷりのココアを入れて二つのコップになみなみと注ぎ、ククリのいるダイニングに運んだ。
ククリはご機嫌でチョコレートをぱくついていたが、頬には手で何度か涙を拭った跡がついていた。

「……ココア、飲むだろ?」
「うん」

彼はふうふう言いながら黙ってココアを飲むククリをぼんやりと眺めていた。彼女はその視線にテレながらも、やっぱり黙ってチョコレートを口に運んでいた。

「……あー!」
「えっ!?なに!?なに勇者さま!」
「チョコ!ホントに全部食べたなー」
「えっあっ!……ご、ごめんなさい!」

ちょうどククリが最後の一つを口の中へ放り込んだ時、ふと我に返ったニケは皿に一つも残ってないことを知って大声を上げる。

「あーあ、結構あったのにー」
「ごめんなさい!チョコのことになると我を忘れてー!」
「……まぁ…いいけど……」

少し渋い顔をしていたニケは、顔を上げてククリの顔を見てにやりと笑い、言う。

「残りは、おれの分ね」
「?……残り?」

呟いた彼女の口元に微かに刷かれるようにくっついていたチョコレートを、彼は彼女の顔を手でそっと自分の方へ向け、舌で掬うように舐めた。

「〜〜〜〜っ!?」
「……ん、甘。」
「ゆー、ゆ、ゆ、ゆー、ゆ〜」

ククリの引きつる声が乗ってる息はチョコの香りがして、そちらに目を向けてニケは更に言った。

「ここにもあるじゃん、まだ」

唇の中に広がるミルクチョコレートとココアの味が混ざり合って溶け合って、とても変な感じ。変で……面白い。

「〜〜〜〜!!」

ククリの柔らかくてぷっくりした唇がきゅっとすぼまるのに、逃げようとしない。彼はなんだか楽しくなってきた。舌で口の中に残る融けかかったチョコレート玉を器用に転がす。

「ん、もら…い」

ニケの舌と唇からようやく開放され、口の中のチョコレートを全て舐め取られたときには、ククリはすっかり夢心地だった。

「チョコ、ククリの味がする」

奪い取ったチョコ玉を舌の上で見せびらかすように転がしながらニケが笑った。

「……ゆーしゃさまぁ……」

ぼんやり呟く声がまるでチョコレートのように甘い。とろんと蕩けてゆらゆら揺れている。
まだくちびるがどきどき鼓動のように痛みを発してて、心臓はゆっくりゆっくり、大きく大きく全身に目の醒めるような真っ赤な色の血を吐き出して。
きす、されちゃった。
しかも、すっごい、えっちな、きす。
どうしよう、きっと、まっかだ。はずかしい、こんな顔してたらえっちな子だと思われちゃう。
でもしんぞう痛いほどどきどきしてる。止まんない。

「……あ、あのさ。
もし誰が居なくなっても、おれは居るから。ずっとククリと一緒に居るから」

だから泣きたかったら泣いてもいいよ。もう逃げないからさ。あれだよ、逃げようとしたら捕まえてくれよ。そしたら絶対逃げらんないだろ?
照れて頭の後ろをがりがり掻きながらニケがそう素っ気無く言って後ろを向いた。

「もっと背が高くなって、もっとレベルが上がって力が強くなったら、そしたら、そしたら……お姫様抱っことか出来るようになるから。
そしたら泣いてるの、誰にもわからないから。我慢しなくていいくらい泣けるから」

ちょっとだけ待ってて。
言い終わって、窓の外に緑色の布を身に纏った妖精がすごい顔をして『ちょっと待ってて』と連呼していたので、ニケはバンダナを投げつけた。

【ギップルに2のダメージ!ギップルは強制退場させられた!】

窓を閉めながらニケはまるで独り言のように言葉を発した。

「これからはそのために強くなるから、待ってて」

涙が止まらない。嬉しくて頭の中がパニックになるなんて初めてじゃないけど、こんなに嬉しいなんて初めて。

「うん」

涙声の返事を返すのが精一杯で声が出ない。胸がいっぱいでくるしいよ。
あたし、勇者様が好き。
世界で一番、大好き。
はじめて会った時は、こんな風に自分の気持ちが止められなくなるまで好きになるなんて思ってもなかった。普通の男の子で、ちょっと変わってたけどそれだけだった。
でもいろんな場所に行って、いろんな人に会って、いろんなことを知ったりしてどんどん知らない世界が広がっていく最中でも全然怖くなかったのは、いつも隣に勇者様が居たから。
きれいな女の子に弱くって、お調子者で、ときどき頼りなかったりするけど、絶対にククリのこと見捨てたりしなかった。
ずっと守っててくれてた。怪我したり、魔方陣失敗したり、いっぱい迷惑かけたのに、いっつも一緒にいてくれてて……
ククリの頭の中に今までの冒険や出会いの記憶がぐるぐると回っている。それは溶け合う光と闇の魔方陣のように、ぐるぐるぐるぐる途切れなくダンスを踊っている。
俯くククリの頭に自分の頭をこつんとくっつけて、ニケは呪文のように繰り返した。

「大丈夫、大丈夫、誰も居ないから思いっきり泣いてな。おれはずっとここに居るから、いっぱい泣いていいよ」

両手を握って抱き合いながら、わけも分からぬ子供のようにククリを受け止めながら彼は彼女の背中をさする。
こうして良かった。泣きじゃくるククリの頬を伝う雫を見ないで済んで。……さすがに涙はあんまり見たくない。泣いてるククリは見たくない。
でも他の誰にも見せたくない。
ぎゅっと彼女の小さな身体を抱きしめなおして、甘くていいにおいのする髪に顔をうずめた。

「ゆーしゃさま…あの、もう、平気だから……放して」

呟くような、囁くような声に彼はゆっくり腕の力を抜いて身体をそっと離した。

「もう泣くの悲しくないよ。ゆ…ニケくんが、一緒に居てくれたら」

あたし不幸になってもいい。
涙を湛えながらククリがそう笑ったのを見、ニケは信じられないほど暴力的な衝動が身体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。
かわいい、愛しい、独占したい、閉じ込めてしまいたい……汚してしまいたい。
襲い来る幼稚で激しい欲求は自分のそれに初めて気付いた少年を飲み込む。閃光のように彼を貫き、一瞬にして侵食を終えた。ざわざわそそけたつ背中がもう静まり返っている。

「……ククリ、ほんとに平気?
おれがククリを不幸にするかもしれないよ?毎日泣いて暮らさなきゃいけないかもよ?
それでも本当に平気?」

もしも。
もしも、ククリの顔に少しでも陰りが見えたら、ニケは笑って欲求を押さえ込めたに違いない。それがたとえ躊躇でなく、疑問の陰りであったとしても。
しかし彼女は伏せたまつげを静かに動かしてニケの眼を見据えてゆっくり頷いた。

「平気…勇者さまになら、何されたって嬉しいよ」

まるで何かを決意するように少女にしては珍しく毅然とした声でそう言う。
心臓の鼓動。
呼吸の振動。
めぐりまわる赤色の血液と、微かな痛み。
ニケは震える唇をそのままに、揺れ動いて恥ずかしいほどかすれる声を上げた。

「じゃあ、ククリが欲しい。ククリの全部、欲しい」

少しの沈黙が二人の間に流れて、少女は浅く頷きドアの方向に視線をやったままに囁く。

「あたしの部屋、鍵が閉まらないから……玄関に鍵をかけなくちゃ」








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