ストロベリー・チョコレート
レイド×ククリ


遠くの空に鳥が飛び立つ。
それを眺め、旅装の少年は雑踏の中で深くため息をついた。
巷間では魔王ギリが弱冠十三歳の少年少女により封印された、という椿事がしきりに取りざたされている。
そしてその少年たちのことを、彼はよく知っていた。
知らないままならよかったと思うほどに。
旅人の少年、レイドは、伝説の勇者ニケ、魔法使いククリとかつて対峙した魔性の者のひとりだった。
―そう、彼らはやったのだ、と彼は思う。
目的を遂げた彼らはそのままもとの日常に戻り、ただの敵でしかなかった自分のことなど忘れてしまっているだろう。
そしてきっと、実に当たり前のように少年と少女は恋をして、彼女は彼のものになるだろう。
思っただけで、胸が潰れるように痛んだ。
その時だった。

「やっぱりレイドだ」

視界に入ってきたのは、赤みがかかった栗色の長い三つ編み。
黒いローブに赤い頬。彼が思い描いていた少女、ククリそのものだった。
そして彼女は、彼の思い描いていた通り、花のように笑う。

「こんなところで何してるの?」
「・・・旅をしている」

突然目の前に現れたククリに驚きながら、しかしそれを隠すようにレイドが答える。
現在レイドは旅をしていた。
諸国を巡行し、ただ魔法の修得や研究をする毎日を送っている。
ククリに逢うまでは、魔法にしか興味がなかったのだから、またその生活に戻るだけなのだった。

「今から宿に向かうところだ」

レイドが、ククリの背にしているほうを指すと、今度はククリが驚く番だった。

「宿って・・・、すごい建物じゃない!」

レイドが指したのは、ククリが今まで泊まったこともないような、壮麗な楼閣だった。
高層で、一体何階まであるのか見当もつかない。
きっと宿料も高いのだろう。
どういうわけか、相変わらず彼は財源には事欠かないようだった。

「ねえ、あたしもちょっと連れて行ってくれない?」
「え・・・」

弾かれたように見返すと、ククリは美しい楼閣に見入っていた。
無垢な表情を見せるところを見ると、他意はないのだろう。
おそらく、ただ純粋に楼上の風景が見てみたい、などという、それだけのものだろう、とレイドは推察する。
ただ、それだけだろう、と。

「――あいつは」

ククリを自分の部屋(最も上等なものにさせた)に案内すると、窓際に立つ彼女にレイドは尋ねた。
ずっと訊きたかったことだ。

「ニケくん?・・・あたしがあんまり買い物長いから、先に行っちゃった」
「・・・そうか」

―ニケくん。今はそう呼ぶ仲にまで進展しているのかと、予想はしていたが、レイドの胸はまた痛んだ。

「あたしたち、また旅をしているの」

 そうか、とまた言ってレイドは宿の者に用意させた紅茶をククリのカップに入れてやる。菓子を添えてテーブルに置けば、呼ばれずともククリが寄ってきた。

 「あのね、レイド。あたしずっとレイドを探していたの」

 ククリが笑顔で話すと、レイドは口に付けたコーヒーで火傷しそうになった。

「つっ・・・!」
 「大丈夫!?レイド」
 「あ、ああ・・・それで・・・」

 調子を取り戻しながら、レイドの思考はぐるぐる廻る。

―自分を探していた?
あんなに酷いことをしたのに?あんなに困らせたのに?
あんなに、格好悪い別れ方をしたのに・・・。


「なんで・・・」
「なんでって、レイド、どうしてるかなって思って。もしかしたらレイド、ひとりで、さみしいんじゃないかって・・・」

純真な。あまりに純真な。
レイド自身さえ露ほどにも気にしていなかったことを、目の前の娘は本気で心配していたのだ。
実際、彼は現在ひとりであったが、そんなことは今に始まったことではないし、慣れている。
レイドはククリの純心に一驚した。

「そんな、俺、お前に色々酷いことしてきたのに・・・」
「もう、忘れたよ」

思ったことをそのままいえば、相手もそのまま言葉を返す。

「ねえレイド、よかったらあたしたちのパーティーに入らない?」

彼女の言い出すことはまるで予見が出来ない。
レイドが言葉を失っていると、無邪気にククリは続けた。

「やっぱり嫌、かな・・・。
あっ、そうだ。アラハビカはね、アナスタシアと繋がってて、毎日とっても楽しくて・・・・・・。
それで、レイドも一緒に・・・」

ククリの声はそれで途切れた。

レイドが何だか切なそうな顔をしたからだ。
今まで自分が言い続けていたことを、逆に相手に言われて、レイドは心に痛切なものを感じた。
この娘は優しい。本当に優しいのだ。
そう自分に言い聞かすレイドに、ククリはまたも見当違いな心配をした。

「レイド・・・?もしかして、ギリのことで心を痛めてるの・・・?ごめんね、ククリったら自分のことばっかり・・・」
「いや・・・」

慌てる彼女を急いで制す。

「俺は確かに魔王の命で動いていた。
だけど、途中からは・・・使命も、魔界のこともどうでもよかったんだ」
「え?そうなの?」

ただ能力を持て余していた頃は、魔族が世界を制するのも面白いなどと考えていたが、さほどの執着は端からなかった。
しかし、魔界のプリンスとしての名声はいまだ衰えることはなく、次期王との支持も高いが、そんなことに興味はない。
数千数万の魔道の臣下の支持も、自分がククリの、たったひとりの小さな少女にとっての王子様になりえなければ無価値だった。

「どうでもよかったの・・・?どうして?」

ククリはあくまで無邪気に問う。
そのきょとんとした可愛らしい仕草に、レイドはこの場に押し倒して奪ってしまいたいという欲求を抑えなければならなくなった。
いけない、と、その衝動を逃がすようにコーヒーを飲みながらレイドは思う。
ならばせめて、この思いを告白できればと。

「それは・・・、実は俺、お前のこと、が・・・」
「何これおいしーっ!」

かすれたレイドの声はククリの歓声にあっさりとかき消された。レイドが驚いて見れば、ククリはレイドの出した菓子の、ピンク色の塊を、うっとりと見つめている。

「甘くって夢みたい!なあに、これ?」
「え?えーと・・・、ストロベリー・チョコレートだったと思うが・・・」

そんなに気に入ったかと問うと、ククリは満面の笑みで頷いた。

「こんなに美味しい物があるなんて!びっくりしちゃった。レイドも、こういうのが好きなの?」
「いや・・・俺は別に。それ、お前が好きかな、と思って」
「そうなんだ!・・・あれ、でもククリが好きって何でわかったの?」
「ん・・・だからそれは・・・」

言うより先に、レイドはククリに寄っていた。
そうして唐突に彼女の頭を引き寄せて、その唇に、自分の唇を重ねたのだった。

「ん、んんっ・・・!」

それは、ククリに物を考える暇を与えなかった。
レイドの髪飾りが額にぶつかり思わず目を瞑る。
唐突のことに少女の力はすっかり抜けてしまい、歯列が開けば、その中に勢いよく濡れた舌が侵入してきた。
彼は彼女を逃がさないように頬を包み込み、しかし優しく舌を吸い上げくる。
それでいて彼の舌は全く容赦を知らず、少女の舌を味わうように舐めあげた。
くちゅ、という音が閑寂な部屋に響く中、ククリは自分の身体がドクンと反応するのを一瞬感じとった。

―やだ、あたし・・・。

ククリは必死に正気を呼び戻し、目の前の男の身体を押し戻そうと彼の胸に両手をついた。
その抵抗に気づきレイドも、理性を取り戻したようだった。
彼は名残惜しそうにしながらも、少女から唇を離した。

ククリはやっと開放された唇から小さな呟きを漏らす。
そして彼がまだ幼いと思っていた少女は、艶やかに潤んだ瞳で、切なげに彼を見つめた。何て目で見てくるんだ、とレイドが閉口していると、

「な・・・何するの・・・!」

途切れ途切れになりながらも、ククリが叫びながら訴えてきた。

「何・・・って、キス・・・」

レイドがそのままの事実を返答すれば、

「キ、キス・・・?」

目を丸くして、たちまち頬を染める。

「もしかして、こんなことも知らないのか」
「!」

レイドがどこか嬉しそうに言ってくるのに、からかわれたと感じたククリは憤怒した。

「し、知ってるもん!」

そう言い放ち、レイドから離れ、渾身の牽制をする。
さらに頬を染めて続けた。

「したことあるもん・・・ニケくんに」

その名を聞いて、レイドの胸はまた、燃えるように痛んだ。
そんな彼には気づかずに、ククリは懸命に話す。

「・・・でも、こんなのじゃなかったもん・・・」

内心傷ついたレイドだったが、彼の心はすぐに持ち直した。
少女の紅潮した顔は、やはりいじらしかったのだ。
それを眺め、レイドはからかうように笑う。

「じゃあどんなのだったんだ?」
「ええ、それは・・・」
「してみせてくれよ」

そう迫れば、ククリは狼狽し、素早くかぶりをふって受け付けない。

「俺に、勇者サマと同じキスをしてくれよ」
「やだもん・・・ニケくんじゃないとやっ!」

勇者様。いつでも彼女は勇者様のことばかり。
それが、どうしようもなくもどかしくて、今度は踵を返して拒絶を示す彼女に、レイドは手を伸ばす。
ククリは全速で扉の方へ走ったのだが、その身はたちまち彼の腕の中に捕らえられた。

「きゃっ!」

困惑する間もなく、身体とすくい上げるようにして抱き上げられた。

「や・・・」

そして、軽い彼女の身体が彼のベッドの上に運ばれるまでに、そう時間はかからなかった。

「な、なに・・・?」

状況が理解できず、身を硬くする少女に、彼はその顔を至近距離から睨んだ。
そういえば、以前にもこのようなことがあったと、レイドは思い出す。
あの時彼女は無防備にも下着まで見せて泣いていたと言うのに、あの時の自分は何もかもを見逃した。
もっと早くこうして置けばよかったのに、恋情を自覚するのとしないのとではこうも違うのか。
彼女の片方の三つ編みに口付ければ、ふわっとして、甘い匂いに刺激された。
そして、強く力は入れないよう気を配りながら、わざと深くのしかかると、少女はつらそうな顔をして何とか逃れようを身をよじる。
それすらも許さずに抱きしめれば腕の中で震え、それがまた、彼をさらに刺激した。

「レ、レイド・・・?何を・・・」
「キスが嫌なら、他のことをしてもらう」

言いながら、まずどうしてやろうとレイドは迷う。
着ている物を一枚一枚剥くのもいいし、引き裂いてやってもいい。
着たままでも構わなかった。
今度こそ泣こうがわめこうが、ただ獰猛に押さえつけ、すべてを奪ってやろう。
その体中に自分の印を刻みつけ、他の誰にも触れられないように・・・。
そう思う一方で、彼女が本気で嫌がるのなら止めようという気持ちもあった。
わかっているのだ。こんなことをしても駄目だということは。
自分が彼女をどうしようが、彼女の心は寸分の隙間もなくあの男で埋め尽くされていて、自分の入る余地などどこを探してもないということを。
部屋の出口という出口は開錠してある。
何なら、自分から出て行くのもいい。
彼女の至純さを奪うことは、どうしてもできない。
しかし、彼女がもし拒絶をしないのなら・・・。
そこで彼の思考は途切れた。

「レイド、ま、待って!」

レイドは頬に、一瞬やわらかい感触を感じた。
ククリが自分に口付けたのだと気づいた頃には、すでに彼女は顔を離していた。
彼女は自身の行動の恥ずかしさに耐え切れないのか、俯いている。

「し、したよ・・・キス・・・。だから、もういじわるしないで・・・」

触れるだけの、子供じみたキス。
的外れな、子供じみた言葉。
こんなことしか知らないのかと、レイドは思ったが、彼にはそれが嬉しかった。

「わかったよ。ごめんな、怖がらせて・・・」

頭をなでながら、ククリの額に軽くキスを返すと、少女は小さく声を上げる。
力を緩めて解放してやると、彼女はそそくさと出口まで駆け寄った。

「もう、レイドのばか。心配して損したわよ」

自分に向かってあかんべをしながらも、震えながら言う少女を、レイドはあらためて愛しいと思った。
ドアが閉まると、レイドは深いため息をつく。
これで、彼女はもう自分を見つけたとしてもよっては来ないだろう。
二度と会うことはあるまい・・・。
そう思った矢先、ドアが再び開いた。
視線をやれば、扉の向こうから、先ほどと同じ、長い三つ編み、黒いローブと赤い頬がこちらを見つめていた。彼は一瞬幻覚かとさえ疑ったが、彼女は多少焦りながらも、いつもの調子で口を開いた。

「あのね、レイド・・・も、もういじわるしないなら、いつでも皆のところに来ていんだからね!」

それだけ言うと、またドアが閉まった。

「・・・・・・」

レイドはしばし呆然としていた。
―嫌わないでいてくれるのか、こんな自分を?
彼の胸に、あたたかな、しかしやはり痛むような感覚が疼く。

「・・・蛇の生殺しとはよく言ったものだ・・・・」

キスは、ストロベリー・チョコレートの味がした。
今日も、好きとは言えなかった。






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