大型冷蔵室
東海林武×大前春子


不覚だ。
東海林武の頭はその一言で一杯だった。
昔から口の巧さと要領の良さには自信が有った。
それは仕事においても同様で、営業というのはまさに彼のためにあるようなものだった。
もちろん彼とて失敗をしないわけではない。
同期の中では出世頭なのは失敗を避ける嗅覚やカバーする能力が長けているためだ。

それが、なぜこんな。
それが、こんなベタなミスを。
よりによって、大型冷蔵室に閉じ込められるなんて。
よりによって、―――とっくりと二人きりでなんて。

はああ、と何度目かのため息を東海林はついた。

「おい、あんたこんな時の資格持ってねえのか。冷蔵室こじ開けるようなのなんかあるんだろう」
「そんなものありません」

ぴしりと大前春子が言う。

「そこでもっとこう、申し訳なさそうに言ってみるくらいの可愛げは無いのかあんた」
「そもそも閉じ込められたのは私の責任ではありませんし、
私の過失ではないことを申し訳なさそうに言うのはハケンの仕事では御座いませんが、何か?」

―――くそう、可愛くねえ。

東海林とて大前に可愛さを求めては居ないのだが、どうにも癪にさわる。
それでいちいち突っかかってしまうのだけれど。
東海林は口の巧さと要領のよさ、そして生来の愛嬌で良好な人間関係を築くのは得意で、
ここまで会うたびに喧嘩を売ってしまう相手はそういない。
大前春子は、ちらりとも東海林を見ないで真正面を見つめていた。

「あんたなあ、何故そうなんだちっとは俺と協力して脱出しようという気は無いのか。
そうだあんた忍者の資格持ってんだってな小笠原さんが言ってたけど、
まあエレベーターの資格のことなんだろうけどあんたならホントに忍者持ってそうだしな、
忍者だったら扉一枚ドロンって抜けられるんだろう、早くしろ早く寒いんだから」

「……」
「……」
「……」

「……いやなんか突っ込めよ」
「この寒い状況において寒い冗談に付き合うのはハケンの仕事ではありませんが、何か」
「あーもう腹が立つッせめてココロだけでも暖めてやろうという俺の気遣いだろ、
ちったあ周囲の人間と上手くやることを考え―――あー止めるか」

東海林は口を噤んだ。
何時もなら大前と言い合いになったとき里中がちょうど良く止めに来てくれるのだが、ここには居ない。
不毛な言い合いを続けていても無駄な体力を消耗するだけなのは東海林にもよく分かっていた。

びょう、と風の強さが増した。
冷蔵室内に東海林達がいるので温度が上がってしまっているからだろう。
『室内の温度を低温に保つ』という任務を忠実に果たそうとしているようだ。
東海林は腰を下ろした。体力の消耗を少しでも防ぎたい。
誰かが気付いてくれれば直ぐに助けてくれるだろうが、それが何分後か何時間後か分からない。
大前春子も少し離れたところに座ったようだ。
こういう場合少しでも人間同士くっ付いて居た方が体温の低下を防げるのだが、
東海林からは言い出したくなかったし大前春子も何も言わなかった。

東海林はちらりと三メートルほど離れて座っている大前春子を見る。
冷蔵室に入ることが前提だったのでコートを着込んできた東海林に対し、
いきなり命ぜられた大前春子は薄着のままだ。
膝を抱え、背中を丸めて小さくなったまま正面を睨んでいる。
厚着の東海林ですら寒いのだから大前の寒さたるや相当なものだろう。
流石に良心が咎めて東海林は立ち上がり、大前春子の目の前でコートを脱いだ。

「……あんたが、着ろ」
「いりません」
「いりませんじゃない。あんたが着るんだ。俺は大丈―――ぶえっくし」
「大丈夫ではないようですね」

この状況でコートを脱いで大丈夫なわけも無いのだが、それでも東海林は大前にコートを押し付ける。

「大丈夫じゃないがあんた着ろ」

大前春子が初めて正面から視点をずらした。この寒さでコートは相当魅力的なはずだ。
一瞬瞳が揺れたように見えたのは東海林の気のせいか。
大前春子はコートから目を外し東海林を睨みつける。

「迷惑です」
「あんたに風邪引かれると俺が迷惑だ」
「正社員さんに風邪の心配をして頂く筋合いはございません」
「ある。俺は主任だ。下の立場の人間の体調を考えるのは当然だ」
「私の担当は主任ではございませんし、それに」

今まで東海林の顔を睨んでいた大前春子が目を逸らした。

「どなたの業務命令でも東海林主任のコートだけは着たくありません」

「なん、だと―――」
「例え零下200度でも東海林主任のコートだけは着ませんと申し上げました」
「ああそうか、あーそうか!
あんたとっくりだもんな人間じゃないもんな!どんな環境でも適応して生きていけるんだろ!?
生物が全滅してもあんただけは生き残るなとっくり!
あんたあれだろそのとっくりが熱を産生して寒くないんだろ!!」
「そのちりちりパーマも発熱していて暖かそうですね」
「これは髪の毛だ!発熱なんか出来るかぁッしかもこれはちりちりじゃないくるくるだ!……あ、自分でくるくるって」
「……」
「無視か!ガン無視かよ!勝手にしろ……ぶえっくし」

東海林は鼻をすすりながらコートを着込んで元の位置に座った。

―――なんでああなんだ。

大前春子は再び正面を睨んでいる。小刻みに震えているように見えるのは気のせいではないだろう。
ほんの僅かコートを脱いだだけで東海林の身体はこんなに冷えてしまったのだ。
最初から薄着の大前の身体はどれだけ冷えていることだろう。
これが里中や他の人間なら素直に着るのだろうか。何だか非常に腹立たしかった。

どれほど時間が経ったろう。
東海林には何時間にも感じられるのだが、実際はそんなに経っていないに違いない。
それでも、自分の体力が刻々と削られていくのがよく分かる。
先ほど大前と言い合いをしてからずっと東海林は口を噤んでいる。
話し続けないと死んでしまうと言われたことのある東海林には珍しいことである。
横目で大前春子を見てみると相変わらず正面を睨んでいた。
しかし何時もの目線だけで何でも殺せそうな眼力は無く、どことなく虚ろである。
なんだかとても……眠そうだった。

「おいとっくり、あんたフラメンコしてみちゃどうだ。ちっとは温まるんじゃないか?
いつもやってるだろうあの店で。なんなら俺が歌ってやろうか、オ・レィ!って。
オ・レ!さあ踊れ、オ・レィ!」
「……」
「何か言えとっくり」
「……」
「おいオオマエハルコ」
「……」
「……寝たら、死ぬぞ」
それでも大前春子は無言だった。東海林を無視しているというよりは反応が鈍くなっているのかもしれない。

大前春子の体力の消耗は東海林よりはるかに深刻なようだった。
東海林は再び立ち上がり、大前春子の目の前に立った。

先ほどしっかりと着込んだコートを再び脱ぐ。なんと言われようが無理にでも着せるつもりである。

「目の前でぶえっくし、死なれちゃぶえっくし、迷惑だからぶえっくし、これを」

東海林は身をすくめた。急に体感温度が低下し、身体が震えだしている。
この寒さでこの体力が低下している状況で、あえて服を脱ぐのは愚の骨頂だった。
これで東海林が凍え死んでもそれはそれで馬鹿である。
東海林は数秒間逡巡した挙句、再びコートを身に纏い大前春子の隣に腰を下ろした。

出来るだけ、大前春子の顔を見ないようにしながら。
出来るだけ、大前春子に触れないようにしながら。
そうっと。
そろそろと。
ゆっくりと、東海林はコートを広げて大前春子を包みこんだ。

正面を睨みつけている大前春子の瞳が少し揺れる。
それを見た東海林はびくりと身をすくめる。
それでも、大前春子は何も言わなかった。
たった一枚増えただけで。
たった一人隣に居るだけで。

―――こんなにも、暖かい。

大前春子はそれでもまだ少し震えていた。
しばらく薄着だったのだから当たり前かもしれない。
その上、隣に居るといってもお互いに体育座りの状況である。
接触面積が少ないのだからこれも当たり前だ。
再び迷った末、東海林はそろりと手を伸ばすと大前春子の肩を抱いた。

「さ……寒いし、俺平熱高いし、だから」

大前春子に(二重の意味で)噛み付かれる前に東海林は弁解する。
何時もの東海林なら弁解は得意技で、それはもう流れるように口から出てくるのだが、
今日はどうにも上手くいかない。……寒さで、思考が鈍っているのだろうか。
結局大前春子は口を開くことは無く、正面を睨み続けている。

東海林は大前春子の小ささに驚いていた。
180センチ近い東海林だから彼にしてみれば大抵の女性は小さいのだが、
なんとなく大前春子は別の様なイメージだったらしい。
普段の態度があまりに大きいから、身体も大きいと思い込んでいたようだ。
それが、こんなに体格差が有ったとは。

……そういえば、キスした時も少し身を屈めたのだった。

バス停での出来事を思い出してしまった東海林の心臓が小さく跳ねた。

大前春子の様子を伺うと相変わらず正面を睨みつけていた。
東海林とは違い全く思い出していないらしい。

―――それにしても。

なんで何時も正面を睨んでいるんだと東海林は思う。
一体何に戦いを挑んでいるのだろう。もっと力を抜いても罰は当たらないと思う。
とっくりのくせに。
インベーダーのくせに。
人間じゃないくせに。

―――こんなに、小さいくせに。

ふと、東海林の肩に何かが当たった。
大前春子の頭が完全に東海林の肩に乗っている。
「お、おいとっくり」
肩を少し揺すってみる。それでも大前春子は無反応だった。
寝てしまえば体温は一気に落ちる。それこそ死んでもおかしくない。

「死ぬぞおい、いくらあんたがとっくりでも流石に死ぬぞ、
いやあんたなら生き返るかもしれないけどとにかく死―――」

……ふわりと、とてもいい香りがした。
くらり、と眩暈がする。元々高めの体温が0.5度くらい上がった気がした。

―――なんなんだ。
―――あんたは芳香剤か。
―――そうかあんたとっくりだから中で酒でも産生してるんだろうそれでいい匂いがするのかはははは。

東海林の頭に馬鹿馬鹿しい突っ込みは頭に浮かぶのだが、どうしたことか全く口に乗らない。

「起きろ、……オオマエハルコサン」

いつの間にかカラカラに乾いてしまった口を無理やり動かして東海林は呟く。

「ん……んん、わ私としたことが」

大前春子は僅かに目を開いて頭を持ち上げた。
そして傾いていた体も立て直そうとして―――、
今までとは違う緊張に包まれ、妙に力の入った東海林の手に気がついたようだった。
大前春子の身体にも緊張が走る。

「……俺は」

何故こんなに口が動かないのだろう。いつものスムーズさはどこへ消えたのだろう。

「……俺は、人間とは暖かいものだとあんたに教えてやりたい」

大前春子は相変わらず無言である。揺れる瞳を正面に固定している。
その顔を己の方に向かせ、東海林は真正面から大前春子の顔を見た。

「だから―――、」

声がかすれる。眩暈がする。大前春子の瞳が揺れている。

「おーまえさあん!」
「しょーじ主任!!」

派手な音を立てて扉が開いてマーケティング課の面々が飛び込んできた。

……どうやら、発見してくれたらしい。

「良かった、二人に何か有ったらどうしようかと」

里中が心底嬉しそうに言う。息を荒くしていた。
本気で東海林達を心配し探し回ってくれたらしい。

と、今までぼんやりとしていた大前春子がすっくと立ち上がる。

「里中主任、六時なので帰宅して宜しいでしょうか」
「え、ああ、お疲れ様でした、あの体調は」
「全く問題御座いません。失礼します」

そのまま大前春子はすたすたと去ってゆく。

「ちょちょっとまてとっくり」

大前春子を引き留めようとする東海林をマーケティング課が取り囲む。

「ホント良かったよ東海林さん」

里中は心底嬉しそうだ。だいぶ心配をかけたらしい。

「そうですよぅ、私先輩と東海林主人が死んじゃったらどうしようかと」

森とかいうハケンが縁起でもないことを言う。

「しかし冷蔵室閉じ込められちゃうなんて案外東海林主任も間抜けだねえ」

小笠原さんは何故かすこし面白そうにいう。

「ま、なんにせよこれで良かったって事ですよね!」

マーケティング課の新人が何故か締めくくる。
良くない。いや良かったのだが全く良くない。
上がってしまったこのテンションをどうしろと。

「あああああもう、俺やっぱあいつ嫌いッ―――ぶえっくし」

東海林武は鼻を啜りつつ頭を抱えた。






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