笑顔の矛先
東海林武×大前春子


「…頼むから、俺の話を聞いてくれ」

春子の両肩を強く掴む手。
いつもの春子は他人と深く関わりたくなくて目線を外すが
今日は手の強さと弱い瞳に気を取られ正面から
見つめ合う形になっていた。


春子は会社で朝、里中から依頼された仕事をこなし、
いつも通り昼に定食を食べて会社に戻った。

マーケティング課の入り口。
そのあたりから春子はイヤな予感がしていたが
足早にそこを通り自分の机に座る。
そんな自分の前を素通りする春子を察知すると
東海林はすぐに口を開いた。

「大前さん。午前中の仕事終わったか?」
「…あなたにはカンケイ、ありませんが何か?」
「あなたじゃなく、ショウジ・シュニンだっ!!」
「・・・・・」
「おいっ!無視すんなよっ!あきらかに聞こえたろっ!!」
「ああ、くるくるパーマでどこかの課の主任でしたっけ」

お互いの合った目が細く鋭くなる。
こんな表情をした二人は必ず言い争いが始まるのだった。

そんな二人をいつも美雪と浅野はおろおろしながら見ているが、
男ハケンの近や小笠原はお茶をすすりながら楽しそうに眺めていた。

「また、いつもの小学生みたいなのが始まりましたねぇ、小笠原さん」
「男女はぶつかり合ってこそ理解するってものだよ」

そんな周りの雰囲気を察したのか、
いつもの通り慌てて里中が言葉で間に入る。

「大前さん、午前中に僕が依頼した仕事は東海林さんの仕事の一部なんです」
「…そうですか。それならお昼前に印刷して里中主任のチェック待ちです」

春子はにっこりと里中を見て丁寧に机を指差した。
見るとお昼前まで無かった書類がそこに置いている。

里中は仕事のためなのか仲間のためなのか、
自分のためなのか分からない気持ちのまま、
間に入った自分に安堵しホッと息をついた。
きっと笑顔が自分に向けられているのも
その理由かもしれない。

「おぉ、ケンちゃんこれこれ。俺これから外出るから、
チェックしたら後で報告してよ」
「わかったよ」

東海林がポンと里中の肩を叩き、
以前ならすぐに持っていって自分でチェックする書類を
今日は里中に託し自分のコートとカバンを持って
足早に出て行った。

これが今日1日の会社での主な出来事。
東海林がいつ会社に戻ったかは春子には関係なかった。


18時30分。

いつものバス停でベンチに座りマフラーに埋もれている横で
誰かが座ったのを感じると春子が口を開いた。

「…私には関係ありませんが、
なぜ今日は里中主任に書類を任せたのですか?」

東海林はポケットに手を突っ込みながら
あ〜、と言って暗い空を見上げた。

「めずらしいな、トックリから話しかけるなんて」
「・・・・・」
「俺はな〜ケンちゃんが好きなんだよ」
「答えになってませんが」

春子は早口で突っ込みを入れる。

「好きだからこそ俺が助けたいと思ってやってきた。
でも、アンタが来てキツイ事言ってからケンちゃんがドンドン変わってきて、
助けるだけじゃなく信頼して任せる事こそ友情かも、と思ってさ」
「…今までの自分に自信が無くなったんだ」
「おまえなぁ〜なんでそんな言葉しか・・・!!」

東海林は思わず春子のケンカ口調に乗りそうになったが
ぐっと抑えて話を続ける。

「俺が何度理解しよう助けようとしても頑なに拒む
鉄のオオマエハルコさんで自信が揺らいできたけどな」
「なんですかそれ」

心を閉ざして必死に感情を出すまいと決めた女と、
自分の感情を素直にぶつけてくる男。

あの時のキスとカンタンテの外でのぶつかりあいから1ヶ月。
正直、春子は会社では仕事しかしていない。
しかし不覚にも続いていた東海林との言い合いで
春子には、東海林の考えや次に出る言葉が
ある程度分かる能力を身につけていた。
次に来る言葉はきっと嫌な予感・・・。

春子は急いでベンチから立ち上がると
まだ来ぬバスを置いて足早に歩き出す。

「お、おい、待てよっ!トックリ!!」

東海林も急いで立ち上がりスタスタと歩く春子を追いかけ、
腕を掴んで自分の方に振り向かせた。
春子の上目遣いが途端に鋭くなり怖い顔になる。

「アンタ、怖い顔でなに警戒してるんだ?」

そんな東海林もまた、春子の考えが少しずつだが
分かるようになっていた。

春子は目の前の強い視線をスッと外すが、
それを察知した東海林の手が春子の両肩を強く掴んで
視線を元に戻させた。


「…頼むから、俺の話を聞いてくれ」

春子の両肩を強く掴む手。
いつもと違う東海林の弱い瞳に気を取られて
今日の春子は逃げられなかった。


「アンタは感情の出し方が間違ってる。
深く関わってくる人間にはトゲを出してから鎧を付ける」
「・・・・・」
「自分が感情を出して傷つきたくないから」
「・・・うるさい」
「自分は他人の傷を指摘するくせに自分の傷に触れそうな人間には
途端に距離を置いて自分を守る」
「うるさい、うるさいっ!!」

春子は自分の両耳を手でふさぎながら伏せた瞳を揺らした。
自分の心が8年前に戻ってしまうのを恐れながら…。

春子は目の前の視線をはずして伏せたまま。
東海林は少しだけ膝を曲げて春子の顔を覗き込み
言葉を選びながら静かに言った。

「・・・だから、アンタが拒否すると踏み込んで来なさそうな
ケンちゃんにはあんないい笑顔を向ける。そうなんだろ?」

さっきまでの東海林の強い口調が弱くなり
春子に少し悲しい笑顔を見せた。

「俺は!1ヶ月前よりも大前春子を好きになってる」
「・・・・・」
「毎日ケンカしてるけど絶対に嫌ってない」
「・・・最初はハケンで嫌ってたくせに・・・」
「いつもアンタを見てる、気にしてる!」

1ヶ月前だったらこんなセリフを言う男を
更に警戒して春子は睨んでいた。
今は・・・。

何故この男が真っ直ぐに自分に向かってくるのか、
嫌な言葉を向けても離れていかないのが理解できなかった。
いや。過去の経験上、理解したくなかったのかもしれない。
当たり障りの無い言葉でしか春子と関わらなかった
今までのハケン人生にはいなかった人間。
一定の人間としか深く関わらないようにしてきた春子には
東海林は恐れと感じるに等しい人間だった。

マフラーに埋もれていた春子の唇から
白い息が静かに舞い上がる。

「私は、変われない。変わるとダメな人間に戻ってしまう」
「誰が決めたんだよ、そんなこと」
「過去の経験上です」
「その過去がダメな人間だったかどうかは誰が決めたんだ?」
「・・・・・」
「今の大前春子はダメな人間じゃないのか?」
「意味がわかりません」
「仕事しか上手に出来ないだろ。過去に何があったか知らないけど
今からでも遅くないから悪い所直して昔のアンタが
全部ダメじゃないって事を証明しろよ!」

春子の瞳が揺れる。

「・・・だろ?」

東海林が春子にニンマリと笑顔を向ける。
そして春子の顔から自分の言葉が届いたと理解して
ゆっくりと冷たい体を抱きしめた。

二人の体温がコート越しにゆっくりと交差する。
自分より高い体温に覆われてるのを感じながら春子は口を開いた。

「東海林主任」
「ん?」
「セクハラですよ」
「我慢しろよ。俺の思いに答えられないんだったら
少しぐらい俺にいい思いさせろ」
「なんて自分勝手な・・・」
「うるさい、ブラックホールのくせに」
「ビックバンには言われたくありません」

こんな馬鹿な会話が耳元で続く。
東海林のふわふわした髪が春子に少しだけ触れて
さっきまであった重いモノが少しだけ無くなっていた。

辺りはオフィス街。
街灯で明るい感じがするが空はすっかり濃い色に染まっていた。
東海林に埋もれている春子がふと外にある時計に目を向ける。

「東海林主任」
「なんだ?」
「会社、戻らなくていいんですか?」
「・・・うぉっ?!」

東海林が春子から離れて腕時計を見ると
すでに19時30分を回っていた。

「はやく言えよっ!!おまえ!」
「東海林主任の『せい』でみんな残業してますよ」

お互いの目はまた細く鋭く睨むがそれは昼間のとは違っていた。

ふと春子が遠くを見るとバスが迫っているのが見える。
いつもとはあきらかに違う時刻のバスだったが、
それを見ると春子は「お先に失礼します」と言いながらバスに乗り込んだ。
東海林は急に乗り込んだ春子の後ろ姿を見ながら
「気をつけて帰れよっ!大前さん!!」と名残惜しそうに叫ぶ。
だが彼女の顔が全く自分を見ていない事に
寂しさを感じながら複雑な顔で見送っていた・・・。

しかしその数秒後、
浮かんだ疑問。

「ん?そういえば、俺が営業に出てからまだ会社に戻ってないのを
何でトックリが知ってるんだ・・・?」

「・・・もしかして、地獄耳か?」






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