東海林武×大前春子
チン。 エレベーターの扉が開いた。 先客がいる――大前春子だ。 書類の束を抱え、俺が乗り込んでも黙って宙を見つめたまま。 「・・・なんでいつもとっくりなんだ?」 「は?」 「なんで会社ではいつもとっくりなんだ?」 「何ですかその下らない質問」 「・・・。店で踊る時と全然違うじゃないか」 「あれは衣装です。大体、会社にドレス着て来る人はいませんが」 「いや、ドレスじゃなくてだな・・・」 「あなたこそ。何でいつもくるくるなんですか?」 「・・・。言うと思ったよ」 最初の頃こそいちいち「これは天パーだ!」と怒鳴っていたが、 もはやお約束のネタだから怒る気もしない。 ハウアーユーと言ったら、ファイン、サンキューと返ってくる、 みたいな。 それと同じだ。 クス、とあいつが笑った。 え?今、笑ったの?笑ったよな。 チン。 「失礼します」 エレベーターが開き、あいつが降りて別の奴が乗ってきた。 一瞬の出来事すぎて、狐につままれたような気分。 あー、やっぱりブラックホールだ。 油断してると吸い込まれちまう。 いや、油断しなくても吸い込まれるのがブラックホールなんだが。 今日も一日仕事して、夜もとっぷり更けたわけだが。 いつのまにか、気がつくとあいつのことを考えている。 「好きとか嫌いとかじゃないんです」 あのとき、あの店の裏で、確かに大前春子はそう言った。 正社員の男が軽い気持ちで派遣の女に手を出しては捨ててしまうのを、 イヤというほど見てきたのだ、と。 挑むような険しい視線。頑なな態度。 何をそんなに頑張ってるんだ、あの女。 あんなに頑なにされると、勘繰ってしまうではないか。 イヤというほど「見てきた」だけでなく、他ならぬ本人が そんなトラウマを抱えているのではないか、と。 どんな男だったんだ、その男は。 最低なヤツなんだろ?俺が代わりにぶっ飛ばしてやりたい。 もっとも、後であいつはこう言った。 ハエに文句を言っても仕方ないと。 問題外だから、好きも嫌いもないのだと。 ああ、傷ついたよ。女にこんなに傷つけられたのは初めてだ。 でも時々、あの女がわからなくなる。 言ってることとやってることが全然違うじゃねえか。 うぬぼれてるわけじゃない。 ただ、少なくとも仕事の上では、あいつの言動不一致は甚だし過ぎる。 契約と自給の分しか働かないだって? じゃあ何でマグロを解体した? 何で体を張ってエレベーターから小笠原さんを助けたりした? 全く理屈に合わんじゃないか。 ――そうか、ブラックホールだもんな。 そりゃあ人類の叡智を超えてるよな。 でも人類はその謎を知りたいんだよ。 謎っていうのは本当に厄介で・・・魅惑的なものだから。 そういえば。 「そんな業務、あんたの契約にありませんが、それが何か?」 言ってやったら珍しく黙り込んでたな。ぐっと唇を噛んで・・・。 ――可愛かったな。 一つだけわかっているのは、あいつは電信柱なんかじゃないってことだ。 あいつの心が知りたい。 あの厚い鎧の下に隠された、柔らかくて暖かくて、きっと脆い何か。 多分俺だけが探しているだろうその何かを、どうしても見つけたい。 お前の全てを知りたいんだ。 大前春子。 ――なんちゃって。 考えてみれば、あいつは会社ではオンナの気配を消している。 とっくりはあいつの鎧の一つなんだ。そうとしか思えない。 それに比べたら夜、あの店で踊ってる時の姿はどうだ。 いまだに思い出すだけでくらくらする。 妖艶な微笑み。情熱的で色っぽい身のこなし。 背中のあいた黒いドレス。アップにした髪の乱れ具合。 白い胸元。谷間もいいが、鎖骨もいい。 後れ毛のかかった、首筋。 あのうなじから鎖骨をたどって、その先の谷間へ・・・。 ・・・。 いやいやいや。 「柔らかくて暖かい何か」って、そういうことじゃなくて。 いや、そういうこともあるにはあるんだが・・・。 ――何考えてんだ、俺。 あー、また眠れねえや・・・。 どうしてくれるんだ、オオマエハルコ。 SS一覧に戻る メインページに戻る |