オフィスの夜の夢(非エロ)
東海林武×大前春子


大前春子が「残業致します」と言った。完全に宣言した。
その時のケンちゃんやハケン達の顔は絶句そのものだったし、
とっくりの残業拒絶発言に異を唱えまくっていた俺でさえマジマジと顔を覗き込んだ。
本気か?とっくり。
とっくりは言った。

「やると言ったら、やりますが何か?」

ぎろりと眼光を光らせたその表情は、心なし悔しそうに見えた。

要するにロボにしてインベーダーにしてとっくりの大前春子ともあろうものが、
10時に出勤という大遅刻をしでかしたのだ。
しかしそもそもロボなとっくりが寝坊をする筈も無く、
バスの交通事故という不運なトラブルにより、遅刻を余儀なくされたというだけのものだ。
割と派手なものだったらしく、ニュースにもなっていた。本来なら病院へ直行していてもおかしくない。
しかしとっくりは事も無げに言った。

「負傷者が居たので応急手当を行い、119番に通報致しました。
到着した救急隊員の処置が不適当であったので救急車に同乗して治療にあたり、病院から出勤致しました」

それで10時に出勤出来ているってのがむしろ凄い。

…っていうかさてはお前看護師か何かの資格も持ってやがるな?ナースとっくりってか?

そんな不慮の事故。これも本来ならとっくり的に残業する程の理由にはならない。
じゃあ何故とっくりはそんな事を言い出したのか。

「……」

頭を抱える。原因は100%俺だ。
さも当然の様に10時に現れたとっくりを見て、俺はいとも容易くキレた。
理由も聞かずに馬鹿な事を言った。
今なら「くるくるパーマネント東海林」って呼ばれたって許そう。
キレた俺はとっくりを指差し言った。

「お前何様のつもりだ?エ!?随分と大名出勤だなコノヤローお前はアレか一人江戸時代か、お前スペインじゃなかったのか?スペインにももしかして大名が居るのか!?アモーレ?!」

…アホだ、俺はなんってアホなんだ。

とっくりはそれをえげつない目付きで睨みながらじっと聞いていたが、
俺が言い終わると完全に所謂「キレた顔」で不気味な程静かに、ゆっくりと、述べた。

くるくるパーマ主任のおっしゃる事にも一理あります。では遅刻した時間分、残業致します。と。

理由を後から聞かされても、後の祭りだった。

だからこれは俺への当てつけなのだ。だから俺は誠意を持って謝ったりしたり…頭を下げたり……

「……あ゛〜…ダメだ」

延々事の経緯を考えて紛らわせようとしていた、現実に戻る。

ガランとしたオフィス。
薄暗い部屋。
時計の音。
隣から延々聞こえるタイピング音。

時刻は終業時間から58分。あと2分でとっくりの「残業らしきもの」が終わる。
時計を体内に内蔵する奴の事だ、
あのタイピング音もきっかり止むに違いない。
そして変な罪悪感を感じてありもしない残業を無理矢理作って、
一人隣のオフィスに居座る俺の残業も終わる。
マーケティング課の方を見ないようにこっちも無暗にキーボードを打つものの、画面に現れた文字は『どうしよう』だった。

正直、さっきから隣が気になって仕方ない。
自分の耳が本気でダンボ状態になっているかと思う程、聞き耳を立てている。
タイピング音の合間に聞こえる小さな息遣いが耳に入る度、心臓が跳ねる。

…今度は『平常心』という文字が画面に現れた。

そういや俺、とっくりの事好きなんだっけ?
訳の判らない問掛けが頭を過ぎる。そういえば二人きりだ、なんて事にも気が付く。
そんなの最初から分かっているのに。

『二人っきり』
『好き?』『とっくり』
『大前春子』

勝手に指が動き、画面に次々言葉が現れては消える。
えーと…俺はだから

ピピピピピ!

「っわ!?何だ!?」
「くるくるパーマの小さな心臓を驚かせてしまって申し訳ありません。私のアラームです」

ひょこっと大前ハルコが顔を覗かせた。

「おまっ…驚かせるなよ!つか今またクルクル言ったよね!」

あ、今回はくるくる許そうと思ったのに。
とっくりは「では帰ります」と素っ気無く言って顔を引っ込めた。帰り支度をするのだろう。
一方俺の残業成果はというと…

『どうしよう 平常心 二人きり 好き? とっくり 大前春子』

何処に提出すんだこれを、何処に。

「…ん?」

ぐじぐじ考え込んでいる内にふと、当のとっくりがマーケティング課から一向に出て来る様子が無い事に気が付いた。

「…おいとっくり?」

呼び掛けてみるが応答なし。

「亀首セーター?ナースとっくり?」

おちょくってみても応答なし。

「オオマエハルコさん?」

おかしい。
そろりと課の方に歩み寄る。

「…おい?」
…。

驚いた。
とっくりは眠っていた。

「何で…?」

完全に意識が落ちている。
イスにきちんと腰掛けたまま、いつもより少し背もたれに体を預けてスヤスヤと言っていい程安眠中だ。
なんで今?

混乱する頭が冷える内に気が付く。
なんだかんだで今日一日コイツは朝からフル稼働だったのか。
いきなり事故に遭って、ナースやって、病院から来て、絶対にやらない残業(?)までやって。
気疲れか?
自然、頬が弛んだ。
馬鹿なとっくりさんだ。

「…寝てる時は可愛い顔してんのになぁ」

思ってる事と正反対の言葉が飛び出た。

「あ、えっ、ちょ」

いや、心の底では思っていた事か?

「あのこれは…」

正体の無いもの相手に本気で言い訳しかけ、
その馬鹿らしさに口が他の方向に更に滑る。

「っていうかなんでお前俺の事嫌いなの?」

一人相撲にも程がある。
でも…そうだ。こいつ俺の事大嫌いなんだっけ。
ばっちいとか言ってたもんな。
この唇が。

「…別に俺はばっちいくねぇぞ」

言いながら、さっきから視線はとっくりの口元ばかりにいく。

「俺は…」

汚くない、只俺は。

…今なら誰も見てない。
大前春子だって。

髪を初めて触った。
案の定えらくつるつるしていた。
折角寝てるんだから…と、普段なら絶対見られない所を見ようと思い、とっくりの首をガードする様に包むとっくりをペロリと捲る。…とっくりのとっくりってのもなんか変だな。
白くて細い首筋が見えた。

「…」

無意識にゴクリと唾を飲み込んでいた。
そこに触れると、暖かかった。

「やっぱロボットじゃないよなぁ…」

うわ言の様に呟きながら、首を伝い、そのまま唇に触れた。
思わぬ柔らかさに心臓が跳ねる。

…2回目はダメなんだろうか。

「俺さ」

2回目は…

屈んで、顔を近付けた。
よく見なくても本当に可愛い顔をしている。

寝てるんだから、バレやしない。

とっくりの額と俺の髪が触れる程、近付く。

「俺、ムカつくけど。やっぱりお前の事好きだわ」

頬に手を掛けた。

さて。

とっくりは何かと不必要にスキルを持っている印象があったが、今回はさすがの俺もとっくりの超能力保持を疑った。

「「……」」

とっくりが起きた。
恐ろしいタイミングで目覚めやがった。マジで人間技じゃない。
顔面距離1センチあるかないか。唇に至っては5ミリを切る所だ。

「「……」」

御互い余りの事に双方を凝視しながら絶句している。し続けている。

「……これは…事後ですか?事前ですか?」

ようやくとっくりが口を開く。甘い息が鼻孔を突いて、目が眩んだ。
ていうか事後って…
キスしたかしてないかと聞かれればしてない。が。

「じ、事後だ!」

こんな所見られて嘘もへったくれもあるか!したようなもんだよ!悪かったな!

「…そうですか」

何故かとっくりは妙に考え込んだようだった。
何故だ。何故この状態でお前は考え込める余裕があるんだ。

と。

「っ?!」

突然、瞬間。
瞬きのようなキスをされた。


「…、は?!!」

とっくりは見事な身のこなしで立上がり、
あっという間に帰り支度を済ませ「お先に失礼致します」と言い放った。
ちょっと。ちょっと待て。

「は?!!何!なんっっだあお前!?」

後姿に声を掛けると、振り返らないまま答えが返ってきた。

「帰宅しようとしているのですが、何か?」

超、いつものインベーダーだ。

「ななな何かってお前なぁ!いっ今俺に何をしたと…!?」

「蠅をからかいました」

「…から?からかい?」
「如何に汚らしくばっちくげがらわしい蠅と言えども、三日と自室に住み着かれれば情も湧くもの。カメ虫やカナブンと一緒です」

え、俺カナブン?

「多少菓子にたかっても叩きのめすには至らなかった、只それだけの事ですが何か」

オイ、でもだからってキスした理由には全くならないんじゃないのか…?

「……じゃあ、お前は俺に情が湧いたのか?」

少しだけ振り返った大前春子の表情は、あの日、雪を眺めていた顔によく似ていた。

「…蠅は、…蠅です」
「なあ、もしかして俺の事…少しは」
「蠅は、蠅!」

いつもの眼光で一喝し、とっくりは俺をほっぽってザクザク歩き始める。

「お、おい…!」

だから明日お前に俺はどんな顔して会えばいいんだ。
ていうか結局俺に望みはあるのか?俺に明日はあるのか?

「あ゛あ゛ぁ〜!!なんっっなんだ!ホントに!!」

そして山の様な疑問を山積しっ放しにしている癖、敏腕ハケンは颯爽とオフィスを後にするのだった…。






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