猫耳(非エロ)
東海林武×大前春子


「いやです」
「そんな事言わないでお願いしますよ、大前さん」
「ハートに引き続きそんな物被るなんて…お断りします!」

白い猫耳を着けている森の手に握られている黒い猫耳のついたカチューシャ。
後ろには大型のデパートの片隅で山積みにされている、キャットフード。
別に会社だってこんなに沢山のキャットフードを売るために仕事を続けてきたわけじゃないだろうに。

(きっとこの会社に新しい商品の開発を頼むつもりなんだ)

春子はそう考えている。それでも。それでも納得できない。


「早く着けて売り始めないと定時に帰れないですよ?」

グッと言葉を詰まらせて、春子は小さく下を向いた。
春子が定時の言葉に弱い事を、里中だけでなく周りはみんな知っているのだ。
長い間、里中と春子の話し合いを傍観していた東海林が、
いきなり森の手からカチューシャを奪い、
春子の頭にそれをはめた。

「似合うじゃん、とっくり。」
「先輩可愛いー」

口々に感想を言う社員達にもうどうしていいかわからない。
黒猫となった春子は表情を歪めながら下を向いた。


「定時前に売りきれば、早く外せますよ。」


里中は笑顔を崩さずに、言った。

元々顔が悪いわけではない(無愛想なだけなのだ)

猫の春子は、東海林にはそうとう可愛らしく見えた。

それに、売る時には一言一言の最後に「にゃ」とつけなければならなかったし、

(これの発案者は小笠原で、しかも冗談で言っただけなのだが、
それを言ったらあいつは「にゃー」なんて死んだって言わなかっただろう)

春子もそこまで馬鹿ではない。客には笑顔で接してる。

(客が去った後に、笑顔が少しゆるむ時の表情が好きなんて)
言ったら、怒るだろうか。


バレンタインのチョコレートほどの量ではなかったので、
6時前には全て、売りきる事ができた。
しかし、あまりの忙しさに里中が片付けを頼んでしまった為、
春子が猫耳を外す事が出来たのは6時を回った後だった。

流石の春子でも疲れたらしい。
小さなパイプイスに自分の分のお茶を手に腰を下ろしていた。
そこに東海林が全ての片づけを終えて戻ってきた。
そして春子の顔を見てにやりと笑った。


「よぅ、とっくり。残業か?」

社員達の休憩の為に用意された小さな部屋。
開けられた段ボールが大量に山積みされているので、
きっと過去に倉庫として使われていたのだろう。

春子は上目で鋭く睨みつけて

「もう、帰ります。」

と言って、カバンを抱えて部屋を出ようとした。

その肩を。帰ろうとしたその肩を。東海林は掴んでいた。
春子の肩がビクッと揺れるが、表情は真顔のままで焦ってる様子さえ見せない。

「…なんですか?」

冷たく言い放った春子の唇に、自分の唇を落とす。
それはどんどん深くなって、止まらない。

「…っはぁ…」

小さな声が耳に届いて、初めてそれを止めた。
唇と頬が少し赤くなっていて、目は涙で潤んでいた。

東海林はじっとした視線に少し耐えられなくなって、
机の上に置いたままの黒い猫耳を春子の頭につけた

「にゃ、んですか、東海林主任ッ」

今日の仕事がまだ抜けてないらしい。
ふっと表情を緩ませて、カチューシャの上から髪をくしゃっと撫でた。


「今日のお前…ちょっと可愛かったよ。」


黒い髪の隙間から頬が更に赤くなったのが少し見えた。

春子は乱暴にカチューシャを取って床に落として、走り出すような早さで、

「失礼します」

とだけ言って風のように部屋を出て行く。

宇宙人も化けの皮が剥がれてきた様だ、と東海林は微笑んだ。
会社からいなくなる前にあの鉄面をとって、人間の女に戻してやりたかったんだ。
他の誰でもない、自分の手で。



一方、春子は肌寒い街の中を歩いていた。
まだ心臓の音は止まらない。あんなに、あんなに嫌いだったのに。

(可愛かったよ)

あの眼差しが忘れられない。
瞳から温かいモノが一つ零れ落ちた。
それは、熱くなった頬にじわりと溶けていく。
春子はふっと頬を緩ませて、小さい声で呟いた。


「…馬鹿な人。」

その声は涙のように街の灯りに溶けて、消えた。






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