波紋(非エロ)
東海林武×大前春子


3、2、1、

「お先に失礼いたします」

寸分の狂いもなくチャイムとともに立ち上がり、きびきびと帰り支度をする。

「あっ、おつかれさまでしたぁー」
「お疲れ様でした、大前さん」

そして、森さんやケンちゃんの声を背中に聞きながら、大股で去っていく。

…今の時間なら、そんなとこだろう。

俺は時計を見ながら思う。
残業は一秒たりとも許さない、あの女のことだから。
大股で、背筋を真っ直ぐ伸ばして、無表情で。
もうすぐあのバス停のベンチに腰を下ろす頃だろうな。

ほーら。俺の予想、完っ璧。

颯爽と歩いてきたとっくりが、ベンチに腰を下ろしたのがガラス越しに見えた。

俺は今日は朝からいろんな会社を回っていた。
直帰しようかとも思ったんだけど、机の上に残してあった大量の書類を思い出して、
こうやってバスに揺られて会社に戻ってきたって訳だ。
そしたらこのバス、いつもとっくりが使って帰るバスだったみたいだ。

バスから降りて俺はとっくりに一応声をかけてやる。

…いっつもケンカふっかけてるから、今日ぐらいはフレンドリーにしてやるか。

「よぅ、とっくり」
「…」
「…オイ」
「…」

お?無視かよ。
せっかくこの俺がフレンドリーに話しかけてやったってのに、コイツ…

「てめ…フツー話しかけられたら答えるだろーよ、オイッ!」
「…」

それでもとっくりは一言もしゃべろうとしない。
それどころか、座ったまま下を向いて顔を上げようともしない。
俺としゃべりたくもないどころか、顔も見たくないってか!?
いい度胸だなコノヤロー。
今度こそ文句を言おうと口を開きかけた俺の前でとっくりはすっくと立ち上がり、
バスに乗らずにすたすたと歩き出した。

…?

ちょっと、肩が震えてるように見えるんだけど。
気のせいか?
ちょっと足を早めてとっくりの隣に回ってみると、とっくりがちょっと涙ぐんでいた。

「ど、どうした!?」
「……」

とっくりは何も言わない。何も言わない代わりに、ちょっとうつむいた。

「どうしたよ?」

無言のとっくりにそっと聞いてみる。
そしたら、とっくりはいつもの調子で言った。

「あなたには関係ありませんが、何か」
「『何か』じゃねーよ。その…心配すんだろーが」
「よけいなお世話です」

ぎろりと鋭い眼光とともに俺のありがたい言葉をバッサリ切って、
とっくりは一気に歩く速度を速めた。

「お、おい!ちょっと待てよ」
「何ですか」
「何かあったんじゃないのかよ?」

涙ぐむとっくりなんてとっくりじゃない。はっきり言って気持ち悪い。
でもとっくりも一応生物学的には人間の部類にはいるはずだから、何かありゃ涙ぐらい出るはずだ。
だから、俺にはとっくりに涙を流させるほど激しく動揺させる何かがあったとしか思えなかった。

「何かとは何ですか」
「だから…まずいモン食ったとか、仕事で失敗したとか、」

追いかけてくる俺が本っっ当にうっとおしいらしく、さらにとっくりは加速する。
それでも俺は大股でとっくりの背中を追っかける。

「ショッキングなこと言われたとか」

…ピタッ

「おわっ!?」

「特に、何も言われておりませんし、そもそもあなたには、全く関わりございません」

いきなりピタッと止まったとっくりは、とっくりに危うくぶつかりそうになった俺を見上げ、
ゆっくりと拒絶の言葉を吐いてから、バサッと髪をなびかせて歩いていってしまった。

「……何か言われたんだな」

バカな女だ。
そんな嘘で騙されるとか思いやがって。
どんだけ俺が、お前のこと見てきたと思ってんだ。

ポケットから携帯を取り出す。
リダイヤルの画面を表示させて、「里中賢介」の名前を探し出すまで3秒もかからなかった。

『もしもし、東海林さん?お疲れ様』
「おうっ、お疲れ。…あのさぁ…今日、マーケティング課で何かあったか?」

ケンちゃんが電話の向こうで一瞬だけ、沈黙する。

『何かって?』
「いや…とっくりが」

…涙ぐんでて、と危うく出そうになったのを慌てて飲み込んだ。
とっくりは、絶対そんなこと他の人間に知られたくないはずだ。

『大前さんが、どうかしたの』
「…いや、何か変だったから。まぁ、いつも変なんだけどな」
『…特に、何かあったってことはないかな…あ、黒岩さんとちょっとだけケンカしたけど』
「また正社員と派遣のトラブルって感じか?」
『うん、まあそんな感じ……東海林さん、大前さんどうしたの?』
「や、別にどうってこともねーだろ。サンキュ、ケンちゃん」

心配そうな声のケンちゃんを置き去りに、俺は自分勝手に電話を切った。

正社員と派遣のトラブル。
いつものことだけど、思い当たると言えばそれだろうか。
だとすればたぶん、匡子がとっくりの前で、派遣に対しての何かを言ったんだろう。
きっと、「東海林君もいつも言ってるけど」っていうオマケ付きか何かで。

でも、そんなことであのとっくりが動揺するか?
だって、いつものことじゃねーか。

…わかんねぇ。わかんねぇけど、でも。

「…くっそー……明日も早ぇのに、あの女…」

悪態をつきながら、それでも俺が向かう先は、自分の家とは正反対の方向だった。
会社に残してあった大量の書類も、明日やればいいと思った。

カランコロン。

戸を開けると、可愛らしい音が鳴るのと同じぐらいのタイミングで、

「あら、いらっしゃい」

笑顔のママさんが迎え入れてくれた。

「でも、ごめんなさい。春子ね、ちょっと飲んでもう寝ちゃったのよ」

申し訳なさそうな顔でママさんは続ける。

「なんだか、会社で嫌なことがあったみたいで」
「……なんか、言ってました?」
「えぇ…『派遣が、使い捨てなのはよくわかってるんだけどね』って」
「!」


小さな、扉をノックする。
とっくりの部屋を半ば無理矢理教えてもらった俺は今、とっくりの部屋の前にいる。

「はーい」

思いっきり油断した声でドアを開けたとっくりは、俺の顔を見て思いっきり目を見開き、
それからバターンと音を響かせて力任せにドアを閉めた。

「とっくり、開けろ」
「…なんっで、あなたがここにいるんですか」

沸き上がる怒りを押し殺したような声。
ドア越しでもひしひしと伝わる殺気に一瞬ひるんだが、ここでひいては男がすたる。

「とりあえず、顔見せろよ」
「天パに見せる顔はありません」
「んだとぉっ!?天パって言うな!!」

…って、違う違う。
俺はこんなことを言いに来たんじゃなくて。
……こんなことを言いに来たんじゃなくて……

「使い捨ての派遣社員に、何のご用ですか」

とっくりの冷たくトゲを持った声に、俺の思考が一瞬止まる。

使い捨て。

…そうだ、派遣なんか使い捨てだ。俺は派遣社員ってモンが大っ嫌いだ。
あいつらなんか、使い捨て。そんなことわかってる。
わかってるって言うか、俺が一番そう言ってる。

でも、コイツは今日その言葉に苦しい思いをした?

「……」

どうしていいかわからず、俺は言葉を失う。
派遣嫌いの俺が何を言ったって、派遣であるとっくりには届かないんじゃないだろうか。
でも、いつも口にする俺の言葉が、好きな女をたぶん傷つけたという事実は変わりなくて、
それが今の俺には耐えられなかった。

「…使い捨ての派遣に用があるんじゃねぇ。大前春子に用があるんだ」

訳の分からないことを、ドアに向かって言う。
自分でもよくわからないんだから、とっくりは更にわからないだろう。
でも、意外にも冷たく閉ざされたドアが細く開いた。

「何か」
「…俺は確かに派遣なんか大っ嫌いだ」

俺の顔を睨む大前春子の目が一瞬、なぜか揺らぐ。
あーもう、何言ってんだ俺。
そして、俺の頭の中を見透かしたようにとっくりの口が開く。

「ですから、ご用は何ですか?」

「…でも、」

ったく、いつもそうなんだ。
今まで口のうまさだけでペラペラ上手くやってきたってのに、こいつの前だけではうまくいかない。

「好きな女が様子が変だと…」

この大前春子という女はほんっとにムカつく。
ロボットだしエイリアンだしインベーダーだしダイゼンシュンコだししかもとっくりだ。
態度もでかいし、何より俺のことをくるくるパーマだとか天パだとか言いやがる。
でも。

「気になって仕方ねーし、ほっておけねーし…」

頑なに俺を拒み続けるこの女が好きで好きで、しょうがないんだ。
自分でもなんでだか、全然分からない。


「…お帰りください」

声は小さいけれど、それ以上踏み込んでくることを絶対許さない、という意志。
うつむいたまま、下唇を噛んで。
たぶん、この顔が上を向いて俺と目を合わせることは、今日はないだろう。
そう思ったら、ドアが静かに、閉まった。

「…お、おい」

声をかけてみても、ノックをしてみても、応答なし。
全く出てくる様子も、声だけで答えようとする様子も、なし。
完全なる拒絶。お手上げだ。

「………」

俺は頭をがしがし掻いてその場に立ちつくす。

これで、終わりなんだろうか。
俺は何か、この女に伝えたいはずだ。
でも、何を伝えたいんだろう。

「…あのさ」

たぶん返事は返ってこないだろうと思いながらも声をかける。

「俺が派遣のことを認められないのは、まだ変わんねえ。
確かにあんただって派遣なんだけど、でもあんたは好きなんだ。
正社員だとか派遣だとか関係なしに、俺はあんたが好きなんだよ」

…、だから、こんなことを言って何になるって言うんだ。
でも、それでも言いたかった。

「派遣社員は、使い捨て。派遣社員は、認めない」

ドアの向こうから小さな声が返ってくる。
それだけでもかなりびっくりしたけど、それよりも、
とっくりの声がめちゃくちゃ悲しそうだったことの方がびっくりした。

「それを言うのがあなたじゃなければ、こんなに辛くありません」

…え?

今、何て言った?

とりあえずもう一度聞き返したかったけど、でも絶対二度と同じことは言わないだろうし、
だからとりあえず聞こえたまま解釈しようと、とりあえず思った。

「…と、とりあえず…なんでだ?」

あまりの混乱に思いっきりアホな質問をかます俺。

「それは私が、派遣だからです」

消えそうなぐらい小さくて、微かに震えた声。
いつものとっくりからは到底想像つかない、弱い声。

「………」

…ドアを、強引に開けて中にいる大前春子を抱きしめたい、と思った。
実際、ノブに手をかけて……でも、必死で堪えた。

今、コイツはそんなこと望んじゃいないはずだ。

結局、ドア越しに聞こえる「お帰りください」に従って、俺は外に出てきた。

…派遣社員。
会社に愛着も持たずにテキトーに働いて、契約期間が過ぎたらさっさといなくなる奴ら。
俺たちがこんなに、こんなに愛してるS&Fを、金だけもらう場所だと思ってる奴ら。
そんなやつらとなんか本当は仕事したくなんかない。
あいつら派遣が思っている仕事は、絶対に本当の意味での「仕事」じゃあない。
だって、仕事って、金のためだけのものじゃない。
金なんかよりもっと、自分の成長とか、人との繋がりとか、信頼とか、そういうのがあったっていいはずで。
だから、スキルだけあればいいっていう派遣が、俺には理解できないし、絶対それって違うと思うし。

その考えはずっと持ってきたし、たぶんこれからも変わることはないと思う。

ふと、桐島部長に任された「ハケン弁当」の企画が頭をよぎる。
あれ、思いついたのは派遣の森さんだし、企画書を書いたのは派遣のとっくりだ。
俺や匡子達正社員はその企画を出したのが派遣だっていう理由だけで森さんをつるし上げにした。
理由は他に何もない。ただ森さんが正社員ではなかった、ただそれだけで。

とっくりが俺たちのことを「最低だ」と言った理由、分かる気がする。

会社に入った頃は、本当に人との繋がりが強くて、信頼関係もあって、本当に楽しかった。
充実感があった。上を目指そうと、ケンちゃんや匡子と一緒になってがむしゃらに頑張った。

でも、今は?

自分が成長できる機会。環境。
営業先の人との温かい繋がり。
同僚との信頼関係。

そんなもん、どこにある?

今の俺の仕事は、本当に俺の目指していたものだったのか?
本当に俺が望んだやり方なのか?


「…わかんねぇ」

無意識に、言葉が口から漏れる。
それから、仕事に対して迷いが出てくるようになったのも、とっくりに出会ってからだと気づいた。

派遣であるあいつは言った。
派遣を嫌うのが俺じゃなければ、派遣の自分はこんなに辛くならないと。
…それって、どういう意味だ?どう解釈しとけばいいんだ?

それもまたさっぱりわかんなくて、俺の中のもやもやは消えなかった。






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