最終回・2週間後(非エロ)
東海林武×大前春子


夜10時。
大前春子は新潟行きのトラックの仕事を終えて、名古屋にとんぼ帰りをした。
事務所の中は薄暗い・・・が、一箇所だけ灯りがついていた。
東海林武のデスクだ。

「また一人で遅くまで・・・。本当に会社が好きなんだから」

心配半分、じれったさと忌々しさ半分で呟くと、春子はオフィスに向かった。

――少しだけ。手短に業務報告だけして、それで終わりよ、春子。

歩きながら、そんな風に己に言い聞かせている自分に気がつく。

「私としたことが・・・」

オフィスのドアを開けると、スタンドのついた東海林のデスクには誰もいなかった。

「・・・?」

ほっとしたのか、がっかりしたのか、自分でもわからない。

先々週、初仕事で福岡から帰ってきた日。
トラックから降り立った春子を、東海林は一瞬、これ以上ないほど愛おしそうに見つめた。
もし周囲に人がいなければ、激情にかられて春子を抱きしめていたに違いない。

――俺のために、どうしてここまで。

東海林がそのことで春子をいじらしいと思っていることは明らかだった。
無理もない。当の春子でさえ、自分のいじらしさにびっくりしているのだ。

「会社に男を作って、ついでに仕事のモチベーションも上がってしまう。
よちよち歩きのハケンには、よくあることです」

そう言ったのは、どこの誰だったか・・・?
押しかけハケンとして「二人分働く」と宣言した以上、運転と事務の両方を
完璧にこなさなくては意味がない。こなせなくては、東海林に迷惑がかかる。

「私が自分でやりますと言ったんです。二人分の仕事をするための残業代は頂きませんが、
何か?」

契約の打合せで春子がそう言い放つと、東海林は

「・・・お前・・・、無茶苦茶だろう・・・」

と呟き、目を赤くして黙り込んだ。
だが春子は、相手に感謝やら責任やら、愛情やらを感じさせている場合ではなかった。

「その代わり、条件があります」
「条件・・・?」
「私にセクハラをしないこと」
「・・・え?」
「私はあなたが社長賞を取るお手伝いに来たんです。そこのところ、お間違えなきように。
何せあなたには、とんだ勘違いの末にセクハラに及んだ前科がありますから」
「おいちょっと待て。セクハラ、って・・・」
「こんな小さな事務所で、部下に手を出すような上司の言うことを他の従業員が聞くと
思いますか?東海林所長」
「・・・」

東海林はようやく理解したらしく、表情を引き締めて静かに言った。

「――わかりました、大前さん」

あれからほぼ二週間。
春子と東海林は、あくまでもただの仕事仲間として振る舞い続けている。
東海林がつい春子に対して責任を感じたり気遣ったりしがちなのを、春子はわざと怒らせては奮い立たせようとしてきた。
その甲斐あってか、すっかり昔の二人のペースに近づいてきている。

・・・どんなに罵り合っていても、胸の中がほわっと暖かくなるのは、互いの気持ちを
知っているせいかも知れないけれど。

気がつけばまた、いつのまにかそんなことを考えている自分に気がつく。

――さっさと帰ろう。こんな時にこんなところで東海林くんと会わないほうがいい。

春子は、手早く書類を提出すると明日のボードを確認しようとした。

――あ。

ボード脇のソファに、東海林武が仰向けに横たわり静かに寝息を立てていた。

――全く、こんなところで寝るなんて。早く帰りなさいよ。

「・・・」

――よっぽど、疲れてるのね。

東海林が春子をいたわるように、本当は春子も東海林の体が心配だった。
そのせいで、一度昼食の誘いを受けてしまったことがある。
そうでもしないと最近の東海林は、昼をまともに食べないからだ。
春子の鼓舞に応えて仕事に入れあげるのはよいのだが、体を壊されては元も子もない。
そこで春子が、東海林と一緒にサバ味噌をつつきながら

「まがりなりにも食品会社の社員なら、もう少しちゃんとした食生活を送るべきです」

と苦言を呈すると、東海林はしばし沈黙した後、こう言った。

「・・・誰のせいだと思ってるんだよ」
「はあ?」
「お前が鼻先にニンジンぶらさげるから、寝食惜しんで頑張っちゃうんだろうが」
「ニンジン?何ですかそれ」
「・・・お前だよ、大前春子」

かーっと頬が熱くなるのを悟られたくなくて、春子は反射的に湯のみを取ると
東海林の頭からお茶をかけた。

「アツッ!な、何すんだよ!」

・・・以来、東海林と食事に行っていない。

――まったく、もう。くるくるなのは髪の毛だけにして頂戴。

東海林は相変わらず穏やかな寝息を立て続けている。
所長、起きて下さい。寝るんだったら家に帰りなさい・・・
と、声をかけようとした春子だったが。

「・・・」

――可愛い・・・。

惚れた弱み。恋をしてしまった自分の愚かしさに打ちのめされる。

無防備な寝顔。夜も更けて、うっすらとヒゲが濃くなっている。
ソファからはみ出した形で軽く組まれている、長い脚。
おなかのあたりには上着がかかっていて、長くすらりとした両手の指がその上で組まれている。
ワイシャツの襟元は第二ボタンまであいた状態で緩められ、ほどいたネクタイがそこに
ぶら下がっている。

――あ。こんなところにホクロがあるんだ・・・。

普段はワイシャツの襟に隠れている首筋。
何だか妙になまめかしく感じて、どきどきする。

――ハンサムでも何でもないのに。

・・・私の美的感覚は、どうしちゃったのよ。ねえ、眉子ママ。
吸い寄せられるように、春子は東海林のそばへしゃがみこんだ。

「・・・」

しばらく逡巡した後、髪の毛に触れる。

――柔らかい巻き毛。くるくるパーマ。本当はずっと・・・触ってみたかった。

そっと指に東海林の髪を巻きつけると、胸が痛くなった。
閉じた瞼も、いつもより長く見えるまつ毛も、少しだけ開かれた唇も、その周りに影を
落とした始めたヒゲも、決して高くない鼻でさえ、全てが愛しい。

本当は、彼を抱きしめたい。彼に抱きしめられたい。
寄り添って、暖めあって、・・・愛しあって。
そうできたら、どんなにか楽だろう。

――もう、限界・・・。東海林くん、今だけ・・・眠っていて。

春子は、東海林の寝顔に頬を寄せると・・・、そっと、軽く口付けた。

「ん・・・」

東海林が低く喉を鳴らす。春子は慌てて唇を離し、様子を窺った。

「・・・はるこ」

――え?

途端に心臓が波打つ。

――起きたの?バレた?

息を殺して気配を潜め、じっと様子を窺う。
だが、東海林の目は閉じられたままだった。

――寝言だったんだ・・・。

ほっとしたのもつかの間、春子の心臓が改めてトクン、と高鳴る。

――私の夢を見ていたの?

春子は、改めて東海林の顔を覗き込んだ。柔らかくて、なまめかしいその表情。
吐息が混ざる距離。唇が磁石のように引き寄せられる。
もう一度だけ・・・ほんの少しだけ、触れるつもりだったのだが。

「?!」

・・・夢見心地の東海林に、主導権を握られた。

優しいけれど、深くて甘いキス。

――このひと、こんなキスするの?

東海林が自分のことをどんなに想っているか、いやでも伝わってくる。
頬が熱い。頭がぼうっとする。
切なさと愛しさで、胸が熱くなる。
体の奥が、甘く切なく痺れてくる・・・。

東海林が寝ぼけたまま唇を離すと、春子はぺたん、とその場にへたりこんだ。

「はるこ・・・」

東海林の唇から、もう一度自分の名前がこぼれる。
ようやく我に返った春子は、音を立てないように立ち上がり、逃げるようにオフィスを
出ていった。


その足音が遠ざかって消えた後。

「・・・ったく。これじゃ拷問だろ・・・」

そう呟いた東海林が、目を開けて苦笑すると大きなため息をついた。






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