真実の月2(非エロ)
東海林武×大前春子


翌朝5時
辺りはまだ薄暗い。
まとめた荷物をバックパックに詰め込む。そして全て詰め込み終えると、忘れ物がないか辺りを見回す。
ふと見ると、テーブルの上には昨晩のまま指輪ケースが残っていた。
夕べのことが脳裏をかすめる。

「―…じゃあ何でそんな顔してんだよ?」

彼はそう言った。私はあの時、どんな顔をしていたのだろう。東海林に抱きしめられた時の感覚がよみがえる。
温かく大きな背中――
でも今日、私はその男の前から居なくなる。こうなることは初めから分かっていたはずじゃないか。大丈夫。3ヶ月前に戻るだけだ。
手紙と合鍵をテーブルの上に置くと、その場を後にした。

“ お世話になりました。       大前 春子 ”


――――――

【東海林 武 編】

―――大前 春子が去ってから半年後
10月1日。
今日は、東海林 武がS&F本社に戻る日だ。大前 春子の働きかけのおかげで、異例の早さでの本社復帰となったのだった。
少し緊張した面持ちで、本社ビルに足を踏み入れる。みんなは自分をどんな顔で迎えるのだろう。そんなことばかりが気がかりだった。
エレベーターが着いた。廊下を歩いていくと、懐かしいフロアが見えてきた。パソコンのキーボードを叩く音に、話し声が聞こえる。自分は戻ってきたのだ、と実感した。
ドア付近で中の様子を覗いていると、背後から聞き覚えのある声がした。

「ちょっとあなた、早く入んなさいよ!そんなとこに突っ立ってたら邪魔でしょー」

振り向くと、そこには同期の黒岩 匡子が立っていた。彼女は驚いた様子だった。

「…え?ちょっと、東海林君?!」

その声を聞きつけた他の社員たちがこちらに集まってくる。

「え?!東海林先輩…!?」
「東海林先輩…!お帰りなさい」

みんなは温かく自分を迎え入れてくれた。思わず涙腺が緩む。が、俺は男だ!ぐっとこらえ,平静を装った。

「お〜う、みんな!ただいま!」
「東海林さん!お帰りなさい!」

賢ちゃんも駆けつけてくれた。まるでご主人の帰りを待ち構えていた子犬のようにうれしそうな顔をしている。
小笠原さんと、浅野(…だっけか?)と、(派遣…じゃなく正社員になったって賢ちゃんがメールで言ってたっけ?…の)森 美雪もいる。

「賢ちゃ〜ん!ただいま!」

「お、東海林!着いたか、お帰り」
「部長〜!!ご無沙汰しております〜」
「いや〜、みんなを驚かせようと思ってね。お前が帰って来ることは内緒にしておいたんだよ」

部長の前ではスイッチが切り替わり、自然と営業マンモードになっていた。悲しき性だ。

「あ、そうだ。それからねぇ、今日はお前ともう一人、派遣が増えることになってるから」
「…派遣?」
「お!ちょうど来たよ。こっちこっち」

部長が手招きして誰かを呼ぶ。瞬間、まさか、という期待が生まれ振り返る。
みんながぽかんと口を開け、その人を見ていた。

―――

大前 春子だった。
半年ぶりの再開。

「とっくり…!!お前…ッ何でここに居るんだよ!」

これは夢なのか?! 心底驚いた。とっくりは俺を一瞥すると、部長に向き直った。

「ちょッ…お前!無視すんなよ!」
「…部長、私が働くのはどちらの課でしょうか?」
「あぁ、君にはこの営業二課で働いてもらうから。主任は里中だ。」

「大前さん、今日からまたよろしくお願いします。」
「お久しぶりです。里中主任。」

なんだよ、賢ちゃんの名前は呼ぶのかよ!

「だからスルーするなっつってんだろ!オイっ!」

半年前の俺のプロポーズなどまるで無かったかのように、とっくりは平然としていた。再開できて一人でこんなに興奮してる俺がバカみたいじゃねーか…

「あぁ、東海林も大前君と同じ課に就いてもらうから。それじゃあ二人とも、よろしく頼むよ」
「はい!部長」

部長はそう言うと、デスクから立ち上がり、フロアを後にした。

「東海林さん、また一緒に働けるなんてうれしいよ、よろしくね」

賢ちゃんは相変わらずいい奴だ。

「お、おぉ、賢ちゃん!またよろしくな!」

そう言いながらも、実は上の空で、先ほどからずっととっくりを目で追う俺がいた。
話したいことは山ほどあった。手紙だけ残して出て行ったこと、プロポーズのこと――はここでは話しづらいだろうし…、「用があれば、私からかけます」とか言いながら、結局一回もかかってこなかったから、あいつの携帯の番号だってまだ知らないままだ。
そして今、一番分からないのは、どうしてあいつがここに戻って来たのか、だった。
森 美雪が離れる隙を見て声をかけよう。よし、今だ…!

「おい、とっくッとっくり…!ちょっ、ちょっと」

――と、ちょうどその時、フロアに9時のチャイムが鳴り響いた。

「業務時間です。 里中主任、私は何をすれば?」
「あぁ、じゃあ―…この統計をグラフにまとめて下さい。」
「分かりました。」

肩透かしをくらった気分だった。しょうがない。昼休みまで持ち越しだ。

昼休みまでの間、俺は時計と、自分のデスク右斜め前の女のことばかりが気になって仕方が無かった。

――昼休みを告げる12時のチャイムが響く。

待ってました!
とっくりが席を立つのを確認すると、周りに悟られないように自分も席を立つ。――と、後ろから声がかかった。

「東海林さん、お昼食べに行こうよ!」

賢ちゃんだった。

「賢ちゃん、ごめん!俺ちょっと用事あるから先行ってて、な?」
「うん」

急いでとっくりを追いかける。エレベーターの前に姿はなかったが、俺にはあてがあった。
きっといつもの定食屋に違いない。あいつはさばの味噌漬けが好物だ。

――――定食屋
勢いよく定食屋のドアを開け、店内を見回す。――が、そこにとっくりの姿は無かった。

…あれ?どこ行ったんだよ、あいつ。やっぱり瞬間移動か…?!

――――S&F
結局、昼休みも話せなかった。あいつは12時59分に戻ってくると席についた。そして、俺が何か口走ろうとした瞬間に1時のチャイムが鳴り響いた。今日はどうなってるんだ?タイミングが悪い。
こうなったら、仕事帰りにcantanteに行こう。夜にはあいつも帰ってきて、ステージでフラメンコを踊っているはずだ。あいつのフラメンコは綺麗だ。正直、俺は何度か見とれてしまった。

――――cantante
仕事を早く切り上げ、バスに飛び乗る。これでやっと話せる。胸の高鳴りを抑えながらドアを開け、店内を見回す。
ステージでは女がフラメンコを踊っている。とっくり?

――が、振り返った女の顔は彼女ではなかった。

「あら〜、クルクルパーマちゃん。いらっしゃ〜い。お久しぶり。1年ちょっとぶりかしらねぇ」

店主のママが久しぶりの再会を喜びながらこちらへやって来た。でも俺は今、それどころではない。

「お久しぶりです。…あの、とっくり―…春子さんは?」
「今日はまだ帰ってないのよ〜、ごめんなさいね。いつもならもうとっくに帰ってる時間なのに。何処行っちゃったのかしら?」

まだ帰ってない…?おかしい。今日もあいつは定時きっかりに帰ったはずだ。もう8時過ぎなのにどこ行ったんだよ?
その後、ママに勧められてワインを飲んで待つことにしたものの、俺が店に居る間中、あいつは一向に姿を見せなかった。


【大前 春子 編】

―――

春子は、東海林のマンションを出てきたものの、特に行く当てが決まっている訳ではなかった。
公園のベンチに座り、朝食を取る。早朝の公園にはまだ誰も人がいなかった。サンドイッチを食べ終えると、不意に携帯が鳴った。名前の表示を見ると、ハケンライフ マネージャーの一ツ木さんだった。

「…はい、大前ですが、何か?」
「あぁよかった、出てくれて〜。いや、大前さん、確かあなた初生雛鑑別師の資格持ってましたよね?」
「持ってますが、それが何か?」
「いきなりで申し訳ないんですけれども―…明日から3ヶ月間の仕事なんですが―…今日―…出て来られますでしょうかねぇ…?」
「…分かりました」
この人はいつも腰が低い。でもそれは会社と派遣社員を繋ぐためには必要な姿勢なのかもしれない。
「ホントですか?!いや〜、ありがとうございます!あ、じゃあ私、今から迎えに行きますんで。今、大前さんどちらですか?」
「名古屋ですが、何か?」

―――

かくして私は、4月から6月までの3ヶ月間、保科養鶏場で働くことになった。
春子は手早くひよこのオスとメスを分別していく。その速さはまさに神業だった。それは、経営者のタツさんこと保科 達三も関心するほどだった。
この職場には、年配の社員が多かった。最年少でも、春子のふた回りほど年上だった。

「春ちゃーん、そろそろ上がってー?昼にしよー」
「はい」

都会からほんの数分の場所にあることを忘れてしまいそうになるほど、和やかだ。
3時には決まって、タツさんの奥さんがみんなに和菓子を振舞ってくれた。
春子には、そんな職場の雰囲気が、どこかツネさんたちのいる魚河岸と重なって見えた。
だからこそ、この雰囲気に馴染まないように、社員たちとは距離を置いてきたつもりだった。
でも、彼らはそんな私を受け入れてくれた。

―――

午後6時。

「契約終了です。では私はこれで」

あくまでも事務的に挨拶をして、いつも通りに職場を去る。そうしなければ、涙が零れ落ちそうだった。

「おう、春ちゃんお疲れ様。あんたが来てくれてほんと助かったよ。またいつでも来な」

背中越しの声は温かかった。振り返らない――つもりだった。

「…お疲れ様でした」

口元を緩めてみんなを見る。ありがとうございました。
いつか森 美雪が言っていた言葉が浮かんだ。「こんな思いするぐらいなら私、派遣、辞めます…!」
確かに別れは辛い。でも私は歩んでいかなければならない。それがわたしのルールだから――…

―――

養鶏所からしばらく歩いた所で、携帯が鳴った。着信表示を見ると、一ツ木さんだった。

「…はい、大前ですが、何か?」
「あぁ、大前さん!確か今日で養鶏所の仕事、契約終了でしたよね?お疲れ様です。」
「それが何か?」
「実は―…明後日からのウエディングプランナーの仕事に空きが出てしまって困ってるんですけど――…大前さん資格持ってましたよね?それでですねぇ――…3ヶ月間空きを埋めてもらいたいんですけど――…」
「…分かりました」
「ホントですか?!いや〜、ホント助かります〜。では明日14時に、うちの事務所にいらして下さい。それじゃあ、よろしくお願いします〜。」

―――

かくして7月から9月までの3ヶ月間は、結婚式場アンジェで働くことになった。
そこには、新人からベテランまで様々な年齢層の女性スタッフが計7人いた。オーナーの沢崎 敏彦は、中肉中背の人のよさそうな男だった。だいたい50代後半ぐらいだろうか。
春子の働きは、ベテランスタッフをも圧倒するものだった。
予定よりもお腹が大きくなってしまった新婦のドレスを、見事な手さばきでアレンジして応急措置をとったり、ウエディングケーキが渋滞に巻き込まれて届かない時には、新郎新婦が発注したのと同じものを、式場の調理場で自ら見事に作り上げた。
その活躍に、オーナーの沢崎は春子を正社員として迎えたがった。

―――

午後6時。

「契約終了ですので、私はこれで。」
「大前さん、やっぱり気持ちは変わらないのかな?君さえよければ是非うちのスタッフとして迎えたいんだけど…」
「…残念ですが」
「…そっか、それなら仕方ない。まぁ、また気が変わったらいつでもおいで。」
「…失礼します」

“いつでもおいで”と言う言葉は残酷だ、と思う。今まで何もすがるものが無かったから、私はここまでやってこれた。
期待を持たせるより、むしろそこできっぱりと終わってくれる方がいい。

―――

アンジェを出てしばらくすると、携帯が鳴った。いつものパターンだ。着信表示を確認せずとも誰からの電話かは分かった。一ツ木さんだ。

「…また空きですか。」
「あぁ、大前さん。契約終了お疲れ様です〜。今度は空きじゃないんです。実はねぇ、またS&Fの方からあなたの指名依頼が来てるんですけど――…どうしますか?」

―――――

10月1日。
私は今日付で、再びS&F本社に配属となった。契約期間は3ヶ月。
フロアに入ると、見慣れた後姿があった。東海林 武――。部長と話しているらしい。

――と、部長が私に目を留め、呼び寄せた。彼は驚いた様子で私を見ている。

「とっくり…!!お前…ッ何でここに居るんだよ!」

彼を見ると、いつもの様に平然としていられそうになかった。顔を背ける。

「…部長、私が働くのはどちらの課でしょうか?」
「あぁ、君にはこの営業二課で働いてもらうから。主任は里中だ。」

彼は私に何か聞きたそうな様子だった。でも、私はきっとそれに応えることは出来ない――

「春子先輩!また一緒に働けるんですね!!あ、私、ここの正社員になったんですよ?」

森 美雪は相変わらずだった。

「それは前に聞きました。」

彼女は私の携帯の留守番電話に時々メッセージを残していく。それも、時間いっぱいまで。

「ちゃんと聞いてくれてたんですね、留守電!あ、そうだ!私、お茶淹れるの前より上手くなったんですよ?淹れてきますね!」

彼女が給湯室へ行くと、立ち代りに東海林がやって来た。

「おい、とっくッとっくり…!ちょっ、ちょっと」

――彼が私を呼んだ瞬間、就業開始のチャイムが鳴り響いた。

助かった…。

「業務時間です。」

それを口実に、私はデスクについて仕事に取り掛かった。東海林は口惜しそうな表情を浮かべ、渋々自分のデスクについた様子だった。

「あ、そうだ。東海林さん、今度企画募集があるんだ。これ」
「企画募集?」

東海林は主任から社内通知の紙を受け取り、それを見ていた。

「うん。東海林さんも出すでしょ?」

企画募集――…
東海林の企画が勝ち上がって社長賞を取れば、彼は以前のように部長の信頼を取り戻せるだろう。
おそらく里中主任もそれを望んでいる。

―――


【東海林 武 編】

あいつ…結局店に顔見せなかったけど、どうしたんだろ…?
――って、ダメだ!せっかく本社に戻ったんだから企画考えないとな。うん、企画企画。
バスに乗り、つり革につかまりながら、窓の外を眺める。

「ねーねー、彩香はクリスマスどうすんの?」
「あ、やっぱり津田君とデート?!」
「まぁーね」

女子高生たちの会話が耳に入ってきた。何やらクリスマスの予定を話しているらしい。

「いいな〜。あたしも彼氏欲しい!!」
「その指輪も津田君から貰ったんでしょー?うらやましー」

…クリスマスねぇ もうそんな時期か。今年は久々に賢ちゃんとパーティーでもするか。
そうだ…! 瞬間、閃きが浮かんだ。

――――S&F
「賢ちゃん、俺、思いついたんだよ!」
「え?どうしたの、東海林さん?」
「クリスマスケーキだよ!」
「クリスマスケーキ?」
「この間、テレビで見たんだよ。ほら、イギリスかどっかの国のクリスマスケーキで、中から指輪が出て来た人が幸せになれる――って奴!あれをヒントにしてケーキを作る――ってのはどうかな?」
「あぁ、プラム・プディングだね?それいいよ、東海林さん!」
「だろ?!それでさ、生地は得意先のシルスマリオのチョコを使えばいいんじゃない?」

俺は、俺の企画に賛同してもらえたことがうれしかった。やっぱり賢ちゃんは分かってくれてるよな。うん。

「でも――、クリスマスケーキって、どっちかって言うと生クリームに苺が乗ってる、っていうイメージがありません…?」

俺たちの話を隣で聞いていた浅野が話に入ってきた。入社2年目のくせに。

「ん―…言われてみれば確かにそうかも。クリスマスだからみんな見た目に華やかなケーキを買っていくかもしれない…」

賢ちゃんも浅野に同意を示した。俺としてはおもしろくない。

「じゃあ―…どうすんだよ?普通のケーキじゃ企画にならないんじゃない?」

少しふて腐れた態度で質問を返し、様子を伺う。

「…あの!小さなショートケーキをいくつか組み合わせて、1つのホールケーキにする、っていうのはどうでしょう?」

今度は森 美雪だった。

「ショートケーキ?」
「はい…。私、ケーキバイキングによく行くんですけど、その店、いろんな味の小さなケーキが少しずつ食べられて、女性客にもすごく人気で―…」
「それ面白そう!いろんな味が楽しめた方がお得感もあるし!」
「うん。森君、そのアイディアすごくいいよ。」
「ホントですか…?!」

浅野と賢ちゃんが立て続けに森 美雪の意見に賛同した。どうして元マーケティング課のメンバーたちはこうも人の企画に口を挟みたがるのだろう。発案者は俺だぞ?

「でもさ、それだといろんな種類がある分、コストが掛かっちゃうんじゃないの?」

「スポンジ生地をチョコとプレーンの2種類に限定したらどうかな?それで大量に小麦粉や卵を買い込んだら、少し割り引いてもらえないかな…?」
「そうですね!スポンジ生地が同じ方がホール状にした時、綺麗に円くなります!」
「あ、でも―…カップルで食べるにはショートケーキが2つでホール状にはなりませんよね…?」
「そっか―…、そうですね…」

俺の企画が動いていく。次々にアイディアが生まれては、次第に形作られていく。それは俺にとって、今までにはない経験だった。自然とみんなが1つになっていく。こんなのも悪くはない。

「何もホール状にこだわることないんじゃないか?そうだな、例えば―…ケーキを四角にしたらどうかな?」
「四角…ですか?」
「ほら、四角なら生地を切るときに無駄がなくて済むし。そうだ…!小さな長方形のケーキを2つ組み合わせて正方形になるようにすれば、2種類の味が楽しめる!」
「いいですね、それ!」
「それに生地は2種類でも、トッピングやクリームの味を変えればいろんなバリエーションが楽しめますね!」
「好きな組み合わせが選べる、自分だけのMYケーキですね!」

俺の提案に浅野、賢ちゃん、森 美雪が次々に賛同した。なぜだろう?部長に褒められるよりもうれしいような気がした。

「MYケーキ?MY……」
「…どうしたの?東海林さん?」
「…え?あぁ 賢ちゃん、生地にさぁ、米粉を使ってみたらどうかな?」
「米粉を…?」
「うん。なんかこう、もっちりした食感が出てさぁ、珍しいんじゃないかな?」
「うん、面白そう」
「だろ?でさ、名前は――…」

手元にあったメモ帳に書き記し、それをみんなに見せる。

「バーン!“米(MY)ケーキ”!!――どう?」
「…またダジャレですか」

とっくりが一瞥してきた。懲りないですね、という目だった。

「うっせーよ、とっくりッ!って聞いてたのかよ!お前は黙ってろ!」
「大前です」
「東海林さん、早速メニューの街頭アンケート採ろう」
「よし、分かった。じゃあ俺今からアンケート、作るわ」
「出来ました」
「え?」

とっくりは最後のキーを打ち終えると、パソコンの画面を見るように示した。俺たちはとっくりの席を囲み、そのパソコン画面を覗き込む。

「…出来てる」
「流石…大前さん」
「春子先輩すご〜い」
「大前さん、ありがとうございます」
俺たちの驚きを物ともせず、とっくりは平然としている。
「…ところで、ケーキの中に入れる指輪の件はどうするんですか?」
「あ〜…、指輪か―…」
「ブランド物だと―…コストが掛かりますよね。全部のケーキに入れるのは無理ですね…」
「でも、ブランドとコラボすれば、売り上げはかなり見込めるかも」
「じゃあさ、24日に売るケーキ1つだけにブランドの指輪を入れる、っていうのはどう?宝くじ感覚でおもしろいんじゃない?」
「それならコストも抑えられて、かつ売り上げも見込めます!」
「よし!じゃあ決まりだな!」

――

アンケート1000部の印刷が完了した。

「それじゃあ街頭調査に行きましょう。みんな席をはずすとマズいので、大前さんと東海林さんは残ってください。」
「え…?俺も残るの?!でもこれ俺が発案者だし、俺行かなきゃ――」
「じゃあ、森君、浅野君、行こう」
「はい!」
「行きましょう!」

賢ちゃんは俺の言葉を遮ると、部下二人を促した。きっと俺に気を使ったのだろう。三人は、何やら意味あり気な顔で微笑むと、フロアを後にした。そんな気、使わなくていいのに。
とっくりを見やると、パソコン画面をにらみ、黙々と作業を続けている。全く、この女は分からない――
そんな事を考えている間にも、「俺たち」の企画はどんどん動き出す。俺一人ではなく、みんなの力で。それが何だかうれしかった。


―――

【大前 春子 編】

「主任、小麦粉確保できました。」
「ありがとうございます。早いですね」
「それから明日、保科養鶏場へ向かってください。卵を安価で分けてくれるそうです。」

先ほどコピーしておいた地図を渡す。

「分かりました。大前さん、ありがとうございます。」

里中主任は、私が協力的な事に一瞬驚いたような顔を見せ、次には笑顔になった。彼は、東海林と再び一緒に仕事が出来ることがうれしいらしかった。

「それじゃあ、あとは指輪ですね!」

浅野も妙にやる気だ。

「アンケート結果では――ペティットが人気ですね」
「ペティット?何それ?」

東海林が焼きそばパンを頬張りながら尋ねた。食べるかしゃべるかどちらかにすればいいものを。

「今流行の、新人デザイナーのブランドです。ハートをモチーフにしてる作品が多くて、すごくかわいいんですよ?」

森 美雪が答えると、東海林は曖昧な返事を返した。

「森 美雪!」

資料作成の仕事が一段落つくと、すっくと立ち上がり、森美雪を呼ぶ。

「…はいッ!何ですか、春子先輩?」
「外回り、行くわよ」

私はこのところ、森 美雪と営業の外回りの仕事に出ている。流石に派遣社員単独で営業に出るわけにはいかない。そこで、正社員の彼女を同行させている、という訳だ。

「え、あ、ちょっと…!待ってくださいよ、春子先輩〜!!」


―――

【東海林 武 編】

――――ペティット本社
正面玄関はガラス張りで、中央には、何やら現代的な赤いパブリックアートが設置されていた。
それほど大きな建物という訳ではなかったが、入り口前には警備員が2人配備されていた。
受付でアポの確認を済ませると、俺は会議室へ通された。
薄いクリーム色の壁は、貼りかえられたばかりの、真新しいのりのにおいがした。がらんとした部屋に円形のテーブル。
俺は、入り口付近の椅子に座った。

「お待たせして申し訳ありません。」

10分後、お詫びの言葉を述べながら一人の男とその秘書が入ってきた。男は30代前半くらい、といったところだろうか。やや派手な紫色のネクタイを締めている。こちらも椅子から立ち上がり挨拶をする。

「いえいえ、そんな。お気になさらないで下さい。あ、どうも初めまして。私、株式会社F&S営業二課の東海林 武と申します。本日はお忙しい所、お時間をいただきましてありがとうございます。」
「ペティット社長の沢崎 克也です。」

お互いに名刺を交換し、席につく。

「それで、今日はどういったご用件でしょうか?」
「はい。実はですねぇ―、この度わが社の企画でクリスマスケーキを作る、というものが出ておりまして」
「…ほう、クリスマスケーキ?」
「はい。イギリスのプラム・プディングをイメージしたものなんですが――中から指輪が出てきた人には幸せが訪れる、というもので――それでですねぇ、その中に入れる指輪に、是非とも社長のデザインされた指輪を使いたい、と考えている次第なんですが―…」
「ハハハ… ご冗談でしょ?ケーキに指輪を入れるなんて。指輪が油で汚れてしまうことくらいあなたにもお分かりでしょう?」
「企画にはどうしても御社の指輪が必要なんです!どうか、是非御社の指輪を――」
「せっかくの私の作品をケーキの中に放り込む…?冗談じゃないですよ、お断りします。私はこれで失礼させてもらいます。」
「いや、待ってください社長…!そこを何とかお願いしますよ!私たちは真剣なんです!社長…!!」
「お引取り下さい」

社長は会議室を出て行った。秘書もそれに続く。ドアの音が静かな会議室に無常に響いた。

――――

その日の夜。
俺と賢ちゃんは、フロアでビールを飲みながら、近況報告をしあった。

「賢ちゃん…ペティットの指輪、交渉に行ったけどダメだった… “ケーキに私の指輪を放り込むなんて冗談じゃない!”――って断られちゃったよ…」
「…そっか――…でも大丈夫だよ。東海林さんの思い、きっと社長さんにも伝わるよ」
「…そうだよな?こんなに頑張ってるんだもんな、俺たち」
「うん、そうだよ」
「じゃあ――…明日も頑張ってみますか!」
「うん。頑張って、東海林さん」
「賢ちゃん…、ありがとな」

賢ちゃんはいつだって俺を励ましてくれる。仕事でミスした時も、女に振られた時も、ずっと傍に居て俺の話を聞いてくれた。その励ましに何度救われたことか。
ありがとう、賢ちゃん。


―――

【大前 春子 編】

今日も外回りの仕事をこなす。オフィス街はサラリーマンで溢れている。今日はいつもより少し寒い。森 美雪は缶コーヒーを買いに行ったっきり戻ってこない。
一体何処まで行ったんだか。

「社長…!!お願いしますよ、社長…!もう一度お話を―…!」
「いい加減にしてください!」

耳慣れた声が聞こえた。声の方向に目をやると、それは東海林 武だった。彼は、ペティット本社前にタクシーで乗り付けた社長を待っていたらしい。
必死に社長に話しかけるものの、社長は聞く耳持たない様子だ。ほどなく警備員に抑えられ、社長から引き離された。

「……」

「春子先輩、お待たせしました!遅くなっちゃってすいません!これ、春子先輩の分です。 …?どうしたんですか?」
「…行くわよ」
「…?はい」

――――

夜。
春子は今日もカレンダーの日付を斜線で消す。あと1ヶ月と8日…。もうすぐ12月だ。
街はクリスマスムード一色、イルミネーションで輝き、みんな浮かれている。そんな中、自分だけが置き去りにされているような感覚だった。
幼い頃に両親を亡くした春子にとって、クリスマスは昔から苦手な存在だった。
眠る前に、机の引き出しから指輪を取り出し、それを眺める。東海林からもらった婚約指輪――。
それは、再びF&Sへの派遣が決まり、Cantanteに着いた夜、荷物を整理していた時にバックパックの奥から出てきたのだった。
そして、いつしかこの指輪は無自覚のうちに、春子の心のよりどころとなっていた。

――――

翌日 朝。
最近会社へ向かうバスの中で、つい睡魔に襲われる。
その日、春子は睡魔と闘っている最中に、自分の左手に婚約指輪がはめられたままであることに気がついた。昨夜はめたまま寝てしまったのだ。途端に目が冴える。

「大前さん、おはようございます」

バスの後方から声がかかった。里中主任だった。この人はどうしてこういつもタイミングが悪いのだろう。
里中に見つからないように急いで指輪を外すと、ポケットにしまい込んだ。

「…どうかしましたか?」

私の動揺を感じ取ったのか、主任が不思議そうな顔で尋ねてきた。

「…いえ、別に」

この人は変なところで鋭い。言葉を濁して誤魔化すと、バスがちょうど停留所に着いた。
助かった…
バスから降りると、後ろで自分の名を呼ぶ主任の声を無視して、早足で会社へ向かった。

――――cantante
その日店に戻ると、ポケットに入れていたはずの指輪が無いことに気づいた。
大変だ…!!どうしよう…、何処で落としたのだろう…?見当もつかなかった。
そしてとりあえず、会社へ向かうことにした。

――――S&F
午後10時12分。
誰もいないフロアはしんと静まり返っていた。照明は僅かしかついていない。デスクの下を懐中電灯で照らしながら探すも、なかなか見つからない。
あんなに大切なものを無くすなんて 私としたことが――…

「残業はしないんじゃなかったの?」

不意に頭上から声がした。デスクの下から見上げると、そこには黒岩 匡子が立っていた。

「探し物はコレ?」

見ると、彼女が持っていたのはまさに春子が今探している指輪だった。

「…違います」
「ふ〜ん?じゃあコレ、明日の朝、みんなの前で誰の落し物か聞いてみようかしら」

彼女はいつも以上に挑発的な態度だった。どこか苛立ちすら伺える。

「なぜコレがあなたの指輪だって事を隠すの?」
「……」
「私、コレがあなたの上着のポケットから落ちるところを見たのよ?」

指輪が落ちた瞬間、黒岩は私を追いかけようとした。が、森 美雪と営業の仕事に出て行ったため、渡せずにそのまま持っていたらしい。
「――そういえばあなた、最近ずっと東海林君のこと避けてるわよね?…どうして?」
「…構うのが面倒なだけです」

彼女は私の反応を伺うように、次々と質問を投げかけてくる。

「…東海林君から貰ったんでしょ?コレ」
「……」
「否定しないんだ…?」
「あの人は部長の言うとおりに、どこぞのご令嬢と結婚するのが幸せだと思いますが」
「…は?何それ…?!何言っちゃってんの?変な気ぃ使ってんじゃないわよ!こんなの大事そうに持っちゃって…よくそんな嘘つけるわね…!」
「……」

何も言えなかった。彼女の言うことは正しかった。そしてそれは、彼女が彼女自身に宛てた言葉でもあった。

「好きなら分かるでしょ?!…彼にとってのホントの幸せが何なのか」
「……」
「…好きなんでしょ?東海林君のこと」

私は黙ったまま彼女を見つめた。それは同意を意味していた。彼女も真剣な表情で私を見つめる。暫しの沈黙。
瞬間、彼女は何かを吹っ切ったような表情をした。

「…がんばんなさいよ」

彼女は私に指輪を返すと、背を向けて歩み去った。


【東海林 武 編】

最近(――というより、本社復帰初日以来ずっと)、とっくりと話す機会がない。
事あるごとに話そうと試みるも、何かと邪魔が入ってできなかった。
それに、こいつは仕事の事務的な話こそするものの、プライベートな話をしようものなら、「業務時間中です」か「業務時間外です」の一言で切り捨てた。
じゃあ、いつ話せってんだよ!
もしかして俺、避けられてる…のか?っていうか、そもそも何で避けるんだ…?

―…やっぱり半年前のプロポーズのことか?でもこいつは、俺のことを意識しているような素振りは一切見せない。全く、この女は分からない―…
俺は、自分のデスクと対面する、右斜め前の席の女を見ながらそんなことを考えていた。
その視線を感じたのか、大前 春子はパソコンでの作業をやめ、睨みをきかせながらこちらを見た。

「――何か?用があるならさっさと仰ってください。」
「…えッ?!あ、いや。別に用はないんだけど――」

彼女の急な反応に、少々しどろもどろになってしまった。
それを聞くと、彼女は再びパソコンの画面に目線を戻し、作業を再開し始めた。

「ぼーっとなさるのは結構ですけど、鬱陶しいのでどこかよそでやってください。仕事の邪魔、迷惑です」
「邪魔…?!ちょっ、今お前邪魔っつった?」
「本当のことを言ったまでですが、それが何か?」
「本当のことって…おまッ…!」

「まぁまぁ東海林さん、落ち着いて」

賢ちゃんが心配して止めに来てくれた。

「賢ちゃん、だってとっくりが…!俺のこと邪魔って――」

賢ちゃんはとっくりの方をそっと盗み見た。彼女は、あからさまに不機嫌な顔で作業を続けている。それを見るなり、困り顔になった。
「…ほら 業務時間中だし。仕事しよ、東海林さん、ね?」
「何だよ…、賢ちゃんまで“業務時間”って…」

賢ちゃんに促されるままに仕方なくデスクへ向かい直す。再び斜め前を見ると、そこに彼女の姿はなかった。

「…あれ?いない――」

「里中主任、書類のチェックお願いします」

背後で声がして振り返る。

「とっくり…?!いつの間に?また瞬間移動か…?」

とっくりは賢ちゃんに書類を渡すと、俺を一瞥もせず自分の席に戻り、次の仕事を始めた。
どうやら、完全無視を決め込んだようだ。何なんだ、一体―…?!本当にこの女は分からない――

そんな中、俺の企画「米(MY)ケーキ」は選考を勝ち上がり、最終選考にまで残っていた。
そして、それと比例するように部長の信頼を取り戻しつつあった。


【大前 春子 編】

―――

午後6時36分
春子はペティット本社前に立っていた。昼間、今日もあの男がいた場所。
東海林はコンペが明後日に迫り、かなり焦っている様子だった。そんな様子を見ていると、なんとなく足が向かってしまったのだ。ビルを見上げる。東京の空に星はない。

「…大前さん?」

その時、不意に声をかけられた。沢崎 敏彦だった。彼は、S&Fの前の派遣先である結婚式場アンジェのオーナーである。会釈をして立ち去ろうとするが、さらに話が続けられる。

「大前さん今、ここで派遣やってるの?」
「…今はS&Fでハケンをしておりますが、何か?」
「そうなんだ?あ、ここねぇ、うちの取引先。式場直属のエンゲージリング取り扱い店なんだ」
「…直属の?」

思わず相手を見る。

「え、何?大前さんもここの指輪好きなの?そっか〜、克也も喜ぶよ。あ、よかったら今から新作の打ち合わせに行くんだけど大前さんも一緒に来る?」

―――

妙なことになった。こういうことをまさに棚から牡丹餅というのだろう。

「こちら、大前 春子さん。前にうちの式場で働いてくれてたんだ。それでさっき偶然そこで会ってな。彼女、お前の指輪のファンらしくて連れて来たんだ。」

とりあえず会釈をする。
社長という男は、背はそれほど高くはないが、がっしりとしていた。そして派手なネクタイを締めていた。

「どうも。 …しかしオーナー…一般の方が立ち会うのはマズいのでは――…」 
「大前さんにはお世話になったんだ。別にいいだろ?それにな、お前の指輪をうちで扱うようになったのは、この人のお陰なんだぞ?」
「…え?この人の…?」

二人が私の方を見た。だが、私はこの人のために何かした覚えは一切なかった。

「彼女はペールの粗悪品の指輪を式の直前に見抜いた。それでお前が持ち込みで置いてった指輪を抜擢したんだ。」

そういえば、そんなこともあった。彼の指輪は無名のブランドではあったが、良質のプラチナでできており、表面にはハートが薄く浮かび上がっていた。ハートの中央には三つの大きさの異なるダイヤが埋め込まれている。
デザインとしては、客観的に見て、女子一般に喜ばれるであろうものだった。

「それで新郎新婦に急遽提案してOKもらったんだよ。なんとその時の新婦がモデルのMAIKAだ。彼女、身内だけのお式でねぇ、お前の指輪のデザインが可愛い可愛いって気に入ってな。それがファンたちの間で広まって今に至るって訳だ。」
「そうだったんですか…、ありがとうございます。大前さん、あなたは恩人だ」
「…私はオーナーに提案をしたまでですが」
「そうだ、克也。彼女にデザインを見てもらうといい。彼女、絵はダメだけどカラーコーディネーターの資格持ってるから色彩センスはあるし――」
「オーナー…!ここではその呼び方はよしてください、と言ってるでしょ?」
「別にいいだろ、親子なんだから」

「…親子?」

驚いた。聞き違いかと思い、思わずもう一度聞き直した。

「…?そうだけど?」
「…?そうですけど?」

―――

1時間後。
ペティット新作のデザイン案が仕上がった。

「それじゃあこれに決まりですね」
「はい、お疲れ様〜」
「大前さん、ありがとうございました」
「…いえ」
「そうだ!何か御礼がしたいんですけど」
「――御礼?」
「はい、何でも言ってください。」
「何でも―…? では―――」

こうして、東海林の預かり知らないところで、ペティットとの契約は結ばれたのであった。


【東海林 武 編】

―――コンペ前日
「東海林、明日のコンペ、期待してるぞ」
部長は笑顔で俺の肩をポンと叩くと去っていった。期待されている。とても誇らしい気分だった。でもその誇らしさは、以前のそれとは違っていた。

――

午後6時。

「定時ですので失礼します」

今日もとっくりはいつも通りフロアを去る――はずだった。
俺の背後で鈍い音がした。

「…とっくり!!」

振り向くと、とっくりが倒れていた。

「おい…!とっくり…!大丈夫か!?」

急いでとっくりに駆け寄る。顔が赤い。額に手をかざすと、熱かった。熱がある。

「…大丈夫ですから」
「大丈夫ってお前…すごい熱じゃねぇか!ほら、つかまれ」

立ち上がろうとする彼女に肩を貸す。

――――cantante
「わざわざうちまでありがとうございました。」
「いえ…」

とっくりを部屋に寝かせると、店主のママは一階に降りてきて、俺に礼を言った。

「…あの子、最近何だか張り切ってたみたいで。昨日も帰りが遅かったの。きっと頑張り過ぎちゃったのね」

――――S&F
「あれ?賢ちゃん、まだ残ってたんだ?もしかして待っててくれた?」
「うん…、何だか心配で。大前さんの様態どうだった?」
「…薬飲んで寝てる。ったくあんな高熱で平然と仕事して…熱あるんなら言えってーの!ほんっと可愛くね〜女だよな…あいつは」
「…大前さんまた我慢してたんだ」
「また…?」
「あぁ…、東海林さんは前に大前さんが倒れた時、風邪で休んでたっけ?」
「え?!前にも倒れたのか?あの女。初耳だな」
「うん…、ほら、東海林さんが交渉担当してたロシアの取引先の―…あの時も大前さん、熱があったのにロッカーの鍵探しに走り回ってくれて」
「…そっか」

おんなじ様に熱出しても、あいつは仕事してたんだな…

「…実は大前さん、東海林さんの分の営業の仕事、森君と一緒に片付けてくれてたんだ」
「…え?」
「毎日、店舗回ってくれてたみたい。東海林さんにはコンペの準備に集中して欲しかったんじゃないかな…?」
「あいつ… 俺の企画の仕事だけじゃなくて営業の仕事まで――…」

全く知らなかった。あいつにそこまでさせていた自分が情けない。

―――翌日。コンペ当日
「まぁ―…指輪は代わりのブランドでいくしかないけど、今更言ったってしょうがないもんな!ん、よし!それじゃあ今日のコンペ、勝ち取るぞ!」
「お〜〜!!」
「東海林さん、がんばって」
「絶対勝ってくださいね!」

会議室へ向かう前に、気合を入れる。今日は大事なコンペだ。今まで積み上げてきたことの集大成。絶対に負けられない。昨日の夜、もう一度ペティット本社へ交渉に向かうつもりだったが、とっくりが倒れ、それどころではなかった。あいつ、大丈夫かな…

「おはようございます」

俺の心配をよそに、彼女はいつも通りやってきた。

「とっくり…!お前、風邪は?」
「治りました」
「え、もう!?」
「それから、これ」

とっくりは一枚の紙を俺に手渡した。何やら絵が描かれている。

「ん?何だ? …お前…これ――」

「これ、もしかして――…」
「P・e・t・i・t・e――って…わっ…!これ、ペティットの指輪のデザイン画じゃないですか…!!」
「えッ?!春子先輩、どうやって手に入れたんですか?!これ」

賢ちゃんも浅野も森 美雪も、口をぽかんと開けて驚いていた。もちろん俺も驚いていた。
とっくりが差し出したのは、ペティットの指輪のデザイン案だった。しかも、紙の右上には“クリスマス限定品”と書かれている。あの社長、何度交渉しても話すらまともに聞いてくれなかったのに――…一体、どんな手を使ったんだ?

「プレゼントですが、何か?」
「プレゼントって…お前 これどうやって――」
「言ったはずですが?あなたには社長賞を取っていただく、と」
「…え?」

突拍子も無い言葉に、また驚かされた。

「あなたとの契約内容はまだ完了していません。それでまたここへ戻ってきましたが、何か?」
「…とっくり」

泣きそうになった。たとえ部長に頼まれても3ヶ月きっかりしか契約しないこの女が、俺のために戻ってきてくれたなんて―― それがすごくうれしかった。

「ありがとな…」
「あなたに御礼を言われる筋合いはありません。私は自分の仕事をしたまでですが、それが何か?」

ほんっと可愛くね〜女。いや、そこが可愛い。
目が合う。俺は微笑んだ。とっくりは不敵な笑みを返す。その瞬間、俺たちの心は通じ合っていた。確かに―――

―――

結局、俺たちの企画はコンペに勝った。米(MY)ケーキ販売会は12月24日、大盛況のうちに幕を閉じた。そして、行事ごとの米ケーキの販売が決定した。その功績は認められ、年末の今日、この企画は社長賞を取った。

「いやぁ東海林、社長賞おめでとう」

部長は満面の笑みで俺の肩をバシッと叩いた。営業部とマーケティング課のみんなが拍手で俺を讃えてくれた。
いつもの俺なら、ここで「ありがとうございます、部長!こうして賞が取れたのも、部長のお力添えのおかげですよ〜」などと、調子のいい事を言うのだが、今日の俺は違った。

「ありがとうございます!でも、賞が取れたのは、ここにいるみんなが協力してくれたお陰です!ありがとう、みんな!」
「東海林さん――…」
「東海林先輩…!俺、一生先輩に付いていきます!」

「そうか…」

部長は微笑を浮かべて頷いた。東海林の人間的な成長を感じ取り、満足した様子だった。そうして再び会議室に戻っていった。

振り返ると、給湯室にいるとっくりに目が留まった。やや緊張気味に、どこかぎこちなく彼女の元へ歩み寄る。
だが、彼女はこちらを見ない。俺はわざとらしく咳払いをした。

「…何か?」
「ここにいたんだ?…いや、おれ、部長に褒められちゃってさぁ〜…。まぁ今回、俺たちの企画が社長賞を取った訳なんだけどね、なんて言うの?それは俺一人の力じゃないっていうか――」
「長い」

俺の要点のはっきりしないピンぼけた話に、とっくりが呆れて立ち去ろうとした。それを必死に食い止める。

「あ!ちょっ、ちょっと待って!分かった。言う。言うから!」

少し顔がこわばる。

「――とっくり…いや、大前 春子さん。ありがとうございました」

俺は彼女に深々と頭を下げ、心からの感謝の気持ちを示した。そして手を差し出した。彼女がそれに応えてくれるか不安だったが、次の瞬間、その不安は吹き飛んだ。彼女は俺の手を取ったのだ。握手。その手は小さかった。

――と、一部に違和感があった。見てみると、彼女の薬指には、半年前に俺がはめそこねた婚約指輪が光っていた。ケースこそあるものの、中身は行方不明になっていたのに、まさかこの女が持っていたとは…。

「とっくり…お前、その指輪――…」
「“私の”指輪ですが、何か?」

彼女は不敵な笑みを見せた。それは、彼女が俺のプロポーズを受けたことを意味していた。

「…とっくり」

次の瞬間、俺は彼女を引き寄せて抱きしめていた。


―――2年後

目覚まし時計が6時を告げる。
「ん…?おはよー…」

寝ぼけ眼でベッドから起き上がると、俺はリビングへ向かう。が、そこに春子の姿は見当たらない。

「あれ…?春子〜? ん…?」

テーブルの上に手紙があるのを見つけた。

“3ヶ月間留守にします。    春子”

「…ったく、また出てったのかよ、あいつ。しょうがねぇな…」

でも、それがあいつ“大前 春子”だ。
まぁ、今は東海林 春子だけど。
あいつは派遣先で自分のことを「派遣の大前 春子」と名乗っている。それは彼女にとって、いわゆる芸名みたいなものらしい。しっくりくるのだ。俺としては東海林 春子の方がうれしいけど。

――――原子力発電所
「大変だ!プログラムが誤作動を起こした!」
「どうするんだよ?!」

「そこ、どきなさい!」

逃げ惑う人ごみの中、一人の女がその流れとは逆方向に向かってきた。
そして華麗な手さばきで、プログラムの支障原因を突き止めると、赤のエラーボタンを、次々に正常を示す緑に変えていく。

「完了しました。もう大丈夫です」

「あんた…一体何者だ?」

社員たちは呆気に取られ、驚いたような表情でその女を見ていた。

「派遣の大前 春子ですが、何か?」


大前 春子は今日も派遣の仕事を続けている。
“働くことは生きること”という彼女自身の志を胸に―――

【終わり】

※この物語はフィクションです。






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