東海林武×大前春子
―――S&F 午前8時17分 「なぁ、賢ちゃん!ちょっ、賢ちゃん賢ちゃん!――ちょっと」 東海林は手招きをし、辺りをやや気にしながら里中を呼ぶ。 「どうしたの、東海林さん?」 「賢ちゃん、実はな、昨日スゴいもん手に入れちゃったんだ!」 「スゴいもの…?」 「これ、何だと思う?」 東海林は興奮気味に、コートのポケットからハンカチに包んだ“何か”を取り出した。それを開くと、中からは小瓶が現れた。小瓶にはピンク色の液体が入っている。 「香水…?」 「惚れ薬」 東海林は、嬉しそうに目を見開きながら発音した。 「惚れ薬!?」 「しっ…!賢ちゃん、声がデカいよ!」 人差し指を口に当てて里中を制し、再び辺りを見回す。 「…あ、ごめん。でも、そんなのどこで手に入れたの?」 「昨日、Cantanteのママにもらったんだ。これを飲んで、最初に見た相手を好きになるらしい。“春子には内緒よ?”ってくれたんだ」 「大前さんに内緒で…?」 「何が私には内緒なんですか、主任?」 里中が振り返ると、そこには春子が立っていた。 「え、あ、いや…その――」 里中は、助けを求めるように東海林を見る。その仕草を見て、春子は今度は東海林に無言で詰め寄る。 「……」 「な、何だよ?お、俺は知らねーぞ?あ、そうだ!そんなことよりさ、とっくり。ちょうどよかった! これ飲まないか?」 東海林は無理やり話題を切り替え、春子にコーヒーを差し出した。 「……」 差し出されたコーヒーを一瞥すると、春子は再び東海林を見た。疑いの目。 なぜ自分にこれをくれるのか訊きた気だ。それを感じ取ったらしく、東海林は必死に言葉を繋ぐ。 「いやー、このコーヒーさっき淹れたんだけどさ、何か急にお茶が飲みたくなっちゃってね。 あ、大丈夫。俺、口付けてないから」 春子は次に里中の方に振り返った。東海林の言葉が真実か、里中の表情を伺い、確認する。 「…では、戴きます」 「お、おぉ。どうぞどうぞ」 「…東海林さん、まさか――」 「バッチリだ」 里中の問いかけに、東海林はウインクしながら応えた。 彼は、先ほどの惚れ薬をそっとコーヒーの中に仕込んだのだった。 少し離れた位置から、春子がコーヒーを飲む様を目を輝かせながらじっと見つめる東海林。 一方、里中は心配顔だった。 ――と、春子がカップに口を付けた。そして、それを一口飲む。 「よし!飲んだ!」 東海林は急いで春子に話しかけに向かう。 「とっくり」 「…何か?」 東海林は期待しながら、笑顔でじっと春子を見つめる。 「…東海林チーフ」 「ん、何だ?俺に惚れちゃったか?」 微笑みながら答えを待つ。 「は?…そこに居られると、この上なく不愉快なので、私の視界から消えて下さい」 「あ…?あれ?おかしいな…。量が少なかったのかな?」 春子の反応に、首を傾げながら独り呟き、考える。 「…何をブツブツ言っているのか知りませんが、迷惑です」 「とっくり、それもう一口飲んでみてくれよ、な?」 「…嫌です。あなたにコーヒーを飲む指図をされる覚えはございません」 「いいから、な?頼む!んー…、じゃあさ、それ飲んでくれたら、俺おとなしく向こうに行くから、な? それならいいだろ?」 「……」 怪訝な顔をしながら、春子はコーヒーを飲み干した。 「…どうだ、とっくり?」 「…東海林チーフ」 「ん?」 今度こそ、と期待が高まる東海林。目を輝かせながら応じる。 「約束通り、消えて下さい」 「…あれ?なぁ、とっくり。何かこう、変わったこととかないか? 例えばほら、目の前にいる人が輝いて見えるとか」 「…里中主任、東海林チーフを医務室へ連れて行った方がよろしいのでは?」 春子は東海林に付き合い切れず、里中に話を振った。 「え…、あ、いや…」 里中は困り顔でちらっと東海林を見る。 「俺はマトモだ!」 東海林が言い放つも、春子は聞く耳持たず、といった様子でデスクを立ち、いつもの体操を始めた。 大前体操。腰に手を当てて、左右に揺れている。 「…そんな被り物を被った人に、マトモと言われても説得力がありません」 「だから、これは地毛だっつってるだろ!」 東海林はなおも春子に付きまとう。こうなったらもう意地だ。 「…ビッグバン」 「ハァぁ?おまッ、今、何つった?あ?ビッグバンん?!もう許さねぇ! コラ、なぁ、ちょっと聞いてんのか、オイ!」 「別に東海林チーフに許して頂かなくても結構ですが、何か?」 東海林の言葉を受け流しながら、体操を続ける春子。 「だーーっ、もう…!!大体な、人の話はちゃんと顔を見て聞け!それが人としての礼儀だろ!」 興奮気味に髪を掻き回す東海林。 春子は、腰に手を当てたままの格好で左後ろに振り返ると、東海林を見た。 「…でしたら東海林チーフ、あなたも約束を守ってよそへ行って下さい。 約束を守ることも“人として”のルールです」 勝ち誇ったような顔でそう言うと、春子は再び時計側に上体を戻した。 「…っ!コイツ…!」 「東海林さん、落ち着いて」 そんな2人の間に、すかさず里中が入り、東海林を制す。 その頃 ―――Cantante 「くるくるパーマちゃん、あの薬使ったかしら?」 眉子は、カウンターで真っ白な皿を拭いている。今朝、朝食に使った皿だ。 「今頃、春子に飲ませてんじゃないの?」 含み笑いをしながらリュートが応える。 彼は、ギターの音程を調整している。 「そうねぇ」 「あ、でもあの薬って、元々相手のことが好きだと効かないんじゃなかったっけ?」 「そうねぇ」 先ほどよりもワントーン明るめの声でそう言い、眉子は意味あり気に微笑む。 リュートもその意味を理解し、それに次いで微笑んだ。 「今晩、くるくるパーマちゃんを見ないことには、ねぇ」 そう言いながら、がっかりした顔で店に入ってくる東海林 武を想像して微笑む2人だった。 SS一覧に戻る メインページに戻る |