一ツ木慎也×森美雪
![]() 「―――僕と、結婚してもらえませんか?」 それは、あまりにも突然すぎた。 いつものカフェで、いつもと同じコーヒーを飲んでまどろんでいた時だった。 どんな話題で会話していただろう。 ほんの数秒前なのに思い出せなくて、ただ、なにかの瞬間に会話がプツリと途絶えたのを覚えている。 ……そうだ。一ツ木さんがおもむろに、鞄から小さな白い箱を取り出したんだ。 ど、どうしよう。 とりあえず、なにか言わなきゃ。 「…え、えぇと……あのぅ、」 言葉が見つからず、オロオロしている私を見据えたような静かな瞳で、一ツ木さんがじっと見つめる。 なんとなく、スゥーっと引き込まれていってしまう、瞳。 「…ほんとは僕…森さんのこと、ずっと好きだったんです」 ぽつり、ぽつりと一ツ木さんが口を開いた。 「でもほら、森さん、里中主任のこと好きだって言ってた時、あったでしょ」 「…あ、…は、はい」 「それで、一度は諦めがついたんですけど、ね…」 一ツ木さんお得意の八の字眉の苦笑いをして、コーヒーを一口。 「やっぱり、好きなんですよねぇ」 「あ、あの…一ツ木さ―――」 「…返事は、いつでもいいですから。携帯に連絡ください」 やけにハキハキした口調で、威圧感を感じさせる雰囲気を醸し出す。 それが私にとって初めて目の当たりにした、オトコのヒトな一ツ木さんで。 なんだか、急に心臓が大きく脈を打ち始めて、落ち着かない。 「…じゃ、仕事があるので…―――コーヒー代は、僕出しますから」 有無を言わせず、お会計の紙を持って行ってしまった。 「……ど、どうしよう……!」 もはや、涙目になってしまった私だった。 「…で?まさか、OKしてないわよね?」 近くのファミレスでランチ中に、相談を持ちかけてみたのは黒岩さん。 私がS&Fに戻ってから、毎日一緒にゴハンを食べる仲になれたのだ。 「い、いぃえ!まさか…!! …もう、なんて言ったらいいかわからなくて…」 さっきから延々とナポリタンをフォークに絡ませながら、すがるような気持ちで黒岩さんを見つめる。 「でもさぁ、きっと結婚しても仕事は続けさせてもらえるのよね? ま、子供が出来たら別だけど」 「…ぶッ」 思わず飲んでいたレモンティーを噴出してしまった。 ちょっとちょっと、話がぶっ飛んでますよ、黒岩さん…。 「前向きに検討してみなさいよ! 私みたいに三十路超えたら、婚期逃しちゃうわよ〜」 自分で言って後悔したのか、それからしばらく、何故か黒岩さんは機嫌が悪かった。 (午後、たまたま仕事をミスした小笠原さんに、そのイライラの矛先が向いてしまった) (ごめんなさい、小笠原さん) 「まえむき…に、けんとう……」 帰路へ向かう途中、たまたま通りかかった公園のブランコに座ってみたりして。 子供の頃に遊んだみたく、前後にユラユラ漕ぎ出してみる。あー、何年ぶりだろ。 「…ピンと、こないんだよなぁ…急に、結婚て言われても…」 ―――嫌いなわけじゃない。 むしろ、好きだ。 私がピンチの時はいつも支えてくれたし、 私のこと、きっとよく理解してくれてるだろうし。 S&Fに勤め出してから、ずっと見守ってくれた、ひと。 私を見つめる瞳が、すごく、やさしいひと。 「――――うん」 ……まだ少しおぼろげだけど、なんとなく、答えが見えた気がした。 『はい、一ツ木です』 携帯電話をあてている耳の鼓膜が、彼の低くて優しい響きで震えているのがわかる。 「あ、あの…こんばんは、森です」 『…こんばんは。―――考えてみて、くれましたか?』 緊張、してるのかな。声がちょっと震えているような気がする。 「……はい」 「…あの、やっぱり、いきなり結婚っていうのは…ちょっと、見切り発車だと…思うので…」 ガッカリしたかもしれない。電話の向こうの彼が、すぅ、とため息をつくのが分かった。 「―――まずは、恋人同士からっていうのは…どうで、すか?」 『―――…はい、よろこんで…!』 にっこり、彼が微笑んだのが見えた気がした。 部屋の窓から見上げた空には、キラキラと億万の星が瞬いている。 『……あ、森さん』 「なんですか?」 『…今日は、星が綺麗ですねぇ』 一ツ木さんも、おんなじこと考えてたんだ。 そんな些細なことが、すごく嬉しく感じて、私は思わず笑ってしまった。 そして、私の薬指にあの小さな箱の中身がはめられるのは、 それから、2年後のことだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |