甘い空気
道明寺司×牧野つくし


それはさながら、シンデレラが美しく変身する場面のようだった。
意思の強そうな瞳に、女らしい艶が生まれる。頬をしなやかな指先が伝うたびに、肌が輝きを纏う。

『牧野様、できましたよ。お疲れ様でした。』

つくしは鏡に映る自分の姿に驚きを隠せなかった。

『つくしちゃん、キレイよ!』

椿は満面の笑みを浮かべながら、大はしゃぎしている。

『あっ、ありがとうございます、お姉さん。あのっ、でも、このドレスちょっと大胆すぎやしませんか?』

―この日、つくしは道明寺家のクルーザーに乗りこんでいた。
 道明寺家と交流のある企業や有力者を招いての接待パーティが行われることになり、つくしも招待されることになった。

『でも、あたしが行ってもいいの?お母さんとか来るんじゃない?』
『親は来ねえけど、姉貴が来るんだよ。日本に帰ってくるの久しぶりだし、おまえに会いたいって言ってるからな。ドレスならこっちで用意するし。』
『あ、いいよ。そんな気を遣わなくても…。』
『いいんだよ。姉貴のやつ、私が見たててあげるっ!≠チて、はりきってたぜ。』―

そして椿が山のように用意してくれたドレスは、案の定、椿の体型やセンスを基準としたものばかりで、つくしには着こなせないものばかりだった。
それでもたった1着だけ、どうにか着られそうなドレスがあった。
そのドレスの最大の難点は、背中と胸元…特に胸元がやや深く、大胆に開きすぎていることだった。

『すっごく似合ってるわ!つくしちゃん、自分じゃ気づいてないかもしれないけど、最近ぐっと色っぽくなったから…。』

デザインの大胆さに躊躇するつくしの言葉などまるで聞いていないかのように、椿は一人でまくし立てる。
色っぽくなった≠ニいう言葉にどきっとしながらも、鏡の中の自分の姿に心が躍る。

―ま、いいか。せっかくお姉さんが選んでくれたんだし。
それにしても、ヘアメイクってプロの人がやるとこんなにも違うもんなのね。まるで別人だよ、あたし…。―

『じゃあ、先に行ってて。司がいるはずだから。素敵よつくしちゃん。司が見たら喜ぶわ。』

パーティ会場へ向かうつくしに、椿は意味深な目配せを送る。

『道明寺、喜ぶ…かな。』

つくしは、ドレスの胸元に手をあてながら、躰の奥にふっと熱いものが込み上げてくるのを感じていた。

パーティ会場は既に大勢の人だかりができていた。
その中でひときわ背が高く目立つ男性。つくしはその後姿に駆けより、背中をばしっと叩いた。

『道明寺!ごめんね待たせて。』
『おまえ、遅せーよ、何やって…』

振りかえった司はつくしを見つめ、息を飲んだ。

『ヘアメイクやってもらってたら、遅くなっちゃって。ごめん。』

司はしばらくの間、ボーゼンとつくしに見とれていた。

―すっげえキレイじゃねえか…。それにしてもこのドレス、む、胸元が…。―

『怒ってんの?』

つくしが上目遣いに覗き込む。長い睫毛が瞬きをするたびに艶やかな翳りを落す。
血筋がうっすらと浮かんだ乳白色の肌が眼下に迫る。
唇は、この場が公の席でなければ、そのまま口づけたくなるほどにつややかに濡れている。

『うぐっ…』

司は思わずのけぞりながら、顔を赤らめる。

『い、いや、ま、べ、別に、い、いいけどよ…。』

妙に落ちつきを無くした司は、意味のない咳払いをしながら、つくしの胸元から視線を逸らした。

ちょうどそこへ中年の男性が現れ、司に声をかけてきた。

『いつもお世話になっております。…』

道明寺家と仕事上の取り引き関係がある人物のようだった。
つくしは挨拶の邪魔にならないように、司の傍を離れた。

『せっかくだから、何か食べようかな。』

テーブルに並ぶ料理を見渡しているつくしに、若い男性が声をかけてきた。

『すみません。そこのグラスとっていただけませんか?』

司は挨拶をしながらも、注意深く、つくしの様子を横目で追っていた。

『これですか?』

つくしは少し前かがみになり、目の前に置かれていたグラスを手にとった。
司は、その男の視線が、前かがみになったつくしの胸元を追っているのを見逃さなかった。

―あの男っっ…牧野のことヘンな目で見やがって!―

司は挨拶を手短かに済ませると、つくしの方へと翻った。

『おい、牧野、行くぞっ!』
『へっ?行くってどこへ?』

司は男を肩で突き飛ばしながら、つくしの腕を掴んだ。
つくしは訳がわからないまま、首根っこをつかまれた猫のようにずるずると引きずられて行く。

『ちょっと待ってよ。痛いってば。どうしたの?急に…。』

つくしは掴まれた腕に残った赤みを気にしながら口を尖らせる。

『おまえな、少しは警戒心ってもんを持てよな。』

面白くなさそうに吐き捨てる司に、つくしはきょとんとした表情を浮かべた。

『さっきの男の人のこと?グラスとってくれって言われただけだよ。』

つくしの答えに、司はますますイライラを募らせる。

『だいたいおまえ、なんでそんな胸元の開いたドレス着てんだよ。見せるほどの胸じゃねーだろ!』

嫉妬にかられて思わず口にしてしまった言葉。
しかし、司の言葉を文字通りに受け取ったつくしは、言葉の奥に隠れた想いを読み取りはしなかった。
つくしはぴくっと青筋をたてながら、ぎゅっと硬く握った拳を震わせている。

しまった…と司は唇を噛むが、既に遅かった。

『見せるほどのもんじゃないけどね、あんたに言われたくないわよっっっ!』

つくしは怒りを爆発させると、司に背を向け、人の波を掻き分けながら、ずかずかと足早に去って行ってゆく。

『お、おい、ちょっと待てよ…。牧野っ!』

つくしを追いかけようとしたその時―
目の前にいきなり椿が現れた。

『あっ…司、探してたのよ。代議士の福澤様がお見えなの。あなたに挨拶したいっておっしゃっているのよ。良かったわ見つかって。』

軽く息を弾ませながら、司を見つけた安堵感に胸を撫で下ろしている椿をよそに、司は小さくなってゆくつくしの後ろ姿を見失うまいと目で追い続けていた。

『とにかくすぐ来て。挨拶だけだから、すぐ終わるわ。』
『なんだよ、こんな時にっ…』

政界を裏で牛耳る福澤の古タヌキのような風貌を思い浮かべ、心の中で舌打ちをする。
椿の手を振り払いながら、人込みの中に消えてしまったつくしの姿をひたすら探す。

『姉ちゃん、後にしてくれよ。今取り込み中なんだよっ!』

つくしの後を追おうとする司を遮るように、椿のラリアットが鮮やかに決まった。

『うわっ。痛ってえ!』
『もう、四の五の言わずにとにかく来なさい!終わったら解放してあげるから。』

椿の怪力に引きずられながら、司はわが身の不運を嘆いていた。

『あーーちっくしょう!なんでこうなるんだよっ…』

一方、パーティ会場を出たつくしは、パウダールームの鏡の前に座りこんでいた。

『はあ…しっかし、あたしってこういう華やかな場所って馴染まないなあ。』

鏡に映った自分の姿をぼんやりと眺める。
大胆に開いた胸元を指先でなぞりながら、何度目かの深い溜息をつく。

『大胆すぎるかなとは思ったけどさ。でもちょっと自信あったんだけどな…。』

見せるほどの胸じゃねーだろ

司の無神経極まりない言葉を思い浮かべると、無性に腹立たしさが込み上げてくる。

『ばあーーーーかっ。』

煮えくり返る怒りを吐きまくったあとパウダールームを後にしたつくしは、鬱屈した気分を変えようとデッキへと向かった。

ゆるやかな風が頬を撫でてゆく。
漆黒の海に絵の具を流したように滲む夜景。
ベイサイドに建ち並ぶビルが放つ光の競演に思わずうっとりと見とれる。

『うわあ…きれい!』

ほおづえをつきながら夜景を眺めているつくしに、2人組の男性が声をかけてきた。

『ねえ、君ひとり?』

その声のかけ方でわかる、いかにも軽そうな2人組の男達。
嫌悪するタイプに声をかけられ、一気に機嫌が悪くなったつくしは2人を黙殺した。

『ねえ。せっかくセクシーなドレス着てるのにさ、ひとりじゃつまんないじゃん?』

つくしは徹底的に無視を決め込む。

『どうせひとりなんだろ?いいじゃん、俺達と遊ぼうぜ。』

ひとりじゃねーよ≠サの言葉が喉まで出かかったその時―

『ひとりじゃねーよ。』

低く鋭い声がデッキに響き渡る。

声の方へと振り向くと、司が2人組の男達を威嚇するように見下ろしている。

『俺んとこの船に乗ってるなら、俺が誰だか知らねえとは言わせねえぞ。どこの企業の関係者だ?ブッつぶしてやる。それとも、てめえら2人、海の底に沈めてやろうか?』

男達は、いきなり目の前に現れた道明寺家子息≠フ姿にあっけにとられ、酸欠状態の魚のように口をパクパクさせている。。
尋常でない司の怒りように、つくしは慌てた。

『わ、わっっ、落ちついてよ道明寺っ。ほら、あんたたち、ぼーっとしてないで、さっさと逃げなさいよっ。』

つくしの声に、我にかえった男達はようやく事態を把握した。

『あーーーっっ!道明寺様のお連れの方でしたかっ。失礼しましたあっっ!!』

男達は司のただならぬ殺気に青ざめ、一目散に走り去っていった。

男達が去ったあと、2人の間に気まずい空気が流れる。
そんな空気を打ち破るように、司はつくしの手をとった。

『おまえ、そんな格好で1人でフラフラすんな…。こっち来い。』

つくしは膨れっ面で、司の後をのろのろとついて歩く。
司はつきあたりの部屋につくしを招き入れ、ソファに座らせると、ドアに鍵をかけた。
ジャケットを脱ぎ捨てる司の姿に、つくしは棘のある響きを含んだ言葉を投げかける。

『あんたんち主催者でしょ?パーティ出てなきゃいけないんじゃないの?』

司は、ネクタイを緩めながらつくしの隣に座る。

『もういいんだよ。挨拶は一通り済んだし、招待客だって、勝手に楽しくやってるしな。』

そう言いながら、つくしの肩をそっと引き寄せる。

『やだ。』

キスをしようとした司をきっと睨みつける。

『怒ってんのか…?』

ぷいっとそっぽを向いてしまったつくしの顔を覗き込む。

『当たり前でしょ。』

司の指先がドレスの胸元をすっとなぞる。

『こんなドレス着て、男誘ってどうする…。』
『誘ってなんかないっ!ドレスだって、これしかサイズが…』

言い訳を最後まで聞くことなく、司はつくしの唇を塞ぐ。

『んっ…』

じたばたと抗うつくしをやさしく抑えこむ。
強情なまでに閉じられた唇を何度も何度もついばむ。
つくしは、やがて根負けしたように唇をうっすらと開いた。
舌を誘い出すように絡め、口腔をやさしくなぞる。
深いキスの後、ゆっくりと降りた唇は首筋にきつく押し当てられる。

『だめっ、跡が…』

ひとつ。ふたつ。白い肌にくっきりと赤紫色が染み込んでゆく。
首筋から降りた唇は胸元へも赤紫色の跡を残してゆく。

『牧野…』

自らの行為を正当化するかのように、つくしの名前を呼び、強引にドレスを肩から脱がせてゆく。

『ああっっ…』

乳白色の胸が露わになってゆく。
つくしの目を見つめながら、喉の奥から絞りだすようにつぶやく。

『おまえが誘惑していいのは、俺だけなんだよ…。』

司はドレスからこぼれ落ちた小振りの乳房に、しゃにむに顔を埋めてゆく。

『ああっっ…』

つくしは観念したかのように、小さく声をたてる。
唇を鳴らしながら乳首を弄び、戒めるように軽く歯をたてる。
やさしく、時に乱暴に揉みしだかれた乳房は、うっすらと赤く染まり、乳首は快楽を訴えるように硬くなる。

『道…明…寺』

つくしが欲望に流されはじめていたその時―
乳房を貪っていた司が顔を上げ、急に動きを止め躰を離してゆく。

『あっ…や…』

そんな司をつくしは恨めしそうに見つめる。

『誘惑してみろよ。俺を…。俺だけを…。』

司のいつになく真剣な眼差しに、つくしの心から熱いものが流れ出す。

―誘惑―

その言葉を心の中で何度も反芻する。司の愛撫で躰にともった火はもう消しようがない。
躰を疼かせるその火が、つくしを突き動かす。
ソファに置かれているクッションに躰を預け、熱に浮かされたようにすっと右脚を上げた。
履いていた靴がするりと足からこぼれ落ちる。
ゆっくりとソファの背凭れへとつま先を上げる。
ドレスの裾をたくし上げると、つくしの想いは、すでに薄い布越しに溢れ、滲み出ていた。

『道明寺…』

ぎこちなく花芽を指でなぞりながら、小さく喘ぐ。
司は背凭れにかけた足首を掴み、自らを慰めるつくしを俯瞰するように見つめる。
滲みが広がるにつれ、つくしの声は甘さを増してゆく。

『道明寺…好き…来て…』

切なそうに懇願するつくしの姿に、降参したように、滲みに唇を落す。

『ああっっ…』

指を咥え、もう片方の手を司の頭へと添える。
布越しでもはっきりと感じる舌の感触が、つくしの想いをさらに溢れさせる。

『こんなに濡れて…声をかけてきた男達のことを考えているんじゃねえだろうな…。』

心の底に澱のように残る嫉妬心が、つくしを責めたてる。

『違うっ…あたしは…あたしは道明寺しか…』

頭をふり、泣き叫びそうな声をあげたつくしを、蕩けそうな眼差しで見つめ返す。
司はつくしの足首を掴んで下ろすと、下着を脱がせ、華奢な腰を掴み躰をくるりと返した。

『腰を突き出せ…高く…』

司の言葉に従い、腰を高く差し出す。
ウエディングベールを上げるように、ゆっくりとドレスの裾をたくし上げる。
露わになった白い双丘を手で包み込み、そっと唇を寄せる。

『あんっ…』

司の熱い吐息を感じながら、柔らかなクッションに頬を摺り寄せる。
そして、熱い吐息が離れ、背中越しに聞こえるベルトを外す音につくしは期待に躰を震わせる。
司は熱く屹立したものをそっとつくしにあてがった。

『あ…』

あてがわれたものの感触に物足りなさを感じる。
司はその手に握り締めたものをわざと浅い場所で止めていた。

『いや…もっと深く…』

焦らされているとわかっていながら、欲しいものをねだる子どものようにいやいやと首をふる。

『言えよ。俺が欲しいって…。』

ただ、欲しいものを欲しいと言えばいい― つくしの思考はただひとつのことだけに向かってゆく。

『欲しい…。道明寺が、欲しい…。』

うわ言のように繰り返しながら腰を揺らすつくしの姿に、司は満ち足りた表情を浮かべる。

『ああっ…』

司は腰を深く進め、つくしの躰を深く満たしてゆく。

『ああ…。』

猫のように躰をそらせ、やっと得られた充足感に浸りながら、目を閉じ天を仰ぐ。
休む間もなく、司は熱い杭を打ちつけるように腰を遣う。

『あん…ああっっ…はあっっ…』

すがるもの欲しさにソファの背凭れを掴みながら、司が刻む律動に耐える。
小さく揺れる乳房を司の手のひらが捕らえる。
獣じみた吐息と、肌と肌がぶつかりあう音が部屋に響き渡る。
互いの上気した肌が発する湿り気が部屋を満たしてゆく。

『あた…し、もう…。』

達する寸前に堪えきれずにあげたつくしの声は、もう言葉にならない。

『イケよ…俺も一緒だ…』

司は躰をくねらせるつくしの淫らな姿に恍惚の表情を浮かべながら、自らの欲望を弾けさせた。

波のように押し寄せてきた欲望が、引き潮のように引いてゆく。
司と重なりながら行為の余韻に浸っているつくしにも、理性が徐々に甦ってくる。
ソファの上で獣のように交わってしまったことに、ひとり気恥ずかしさを覚える。
司の言葉が、つくしの羞恥心に追い打ちをかける。

『跡、すっげえ目立つな。』

司は口角を上げ、つくしにつけた跡をひとつひとつ指で辿る。
その言葉につくしはハッとし、司を押し退け、身なりを整えて、裸足のまま鏡に向う。
白い肌にいくつも残る、それとわかる証。

『あー、もう。このキスマークどうしてくれるのよっ。こんなにいっぱいあったら隠しようがないじゃない!』

鏡の前でゆでダコのように顔を真っ赤にして怒るつくしを、司はただ、にやにやと笑いながら見つめる。
つくしが怒れば怒るほど、司はおかしさを堪えきれず、喉の奥で笑いを押し殺す。

『もう。ばかっ。仕返ししてやるっ!』

つくしはそう言うと、司に飛びかかり、髪をくしゃくしゃに混ぜ返した。

『わ!やめろ!2時間もかけたんだぞ、この髪…』

すっかり爆発した司の髪を眺めながら、つくしはしてやったりの笑みを浮かべる。

『素敵。この髪型。』

ふわふわとした髪を弄びながらつくしが笑い転げる。

『やったな!このやろう!』

逃げようとするつくしを捕まえ、腕の中にふわりと収める。

『飽きねえよな俺達…』

顔を仰がせ、熱っぽい瞳でつくしを見つめる。

『ほんと…ケンカして、抱き合って、またケンカして…』

つくしは司の唇をなぞりながら、その熱っぽい瞳を見つめ返す。
どちらからともなく、重なり合う唇。
ふたりの間にふたたび甘い空気が流れこむ。
夜はまだ恋人達のために足踏みをしている―






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