彼の存在
道明寺司×牧野つくし


非常階段の扉を開けると、誰もいない校舎に蝶番の軋んだ音が響いた。
夜の帳が下りて、静寂だけに包まれているせいか、余計に反響して煩く感じる。
その音の大きさに、思わず体が小さくなった。
非常階段に出ると、ひんやりとした空気が体を包む。
大分桜の蕾が色づき始めているが、それでもまだまだ寒い。
夜になれば、冬とさして変わらない冷たい風が、
冬眠から目覚めようとしている落葉樹の枝葉を揺らしていた。
つくしがはぁーとゆっくり吐息を吐くと、口元から白い帯が伸び、そして冷たい空気に溶けて消えていく。
その息の白さから、春はそこまで来ているようでまだ遠いということが伺えた。

つくしは寒さから身を庇うように両手で腕を摩りながら、階段を、一歩、二歩とゆっくり降りていく。
一つ下の踊り場までたどり着くと、手摺にゆっくり両腕を乗せた。
遠くの方から、プロムの曲が風に乗って微かにつくしの耳朶に触れた。

(あ、また曲が変わった……)

おそらくまだ会場は盛り上がりを見せているだろう。
夜はまだ長い。
これからが本番といった所だろう。
ここから会場の方へ視線を移すと、眩い光が溢れて辺りの暗闇を追いやっていた。
今、自分が非常灯だけの心許ない光しかない場所にいるから、余計この光が眩しく見える。
つくしは瞳を細め、もう一度ゆっくり溜息を零した。

ここから見える景色は、全く変わらない。
自分が入学して、この学校の理不尽さに苛立ち、そしてここで悪口を叫んでいた時からずっと。
あの頃は、学校を早く卒業したくて、そして早く自由になりたくて、ただそれだけだった。
本当の自分を押し殺し、まるで人形のように理不尽さを見て見ぬ振りをする日々。
それが、今では本来の自分を取り戻し、
そしてこの学校の理不尽さの象徴である人と付き合うようになるなんて。
あの頃の自分がこの未来を知ったら、卒倒してしまうかもしれない。
そんな自分を想像すると、ちょっと面白い。つくしは小さく噴出した。

ちょうど非常階段の下には、桜の木々が植わっており、春になれば綺麗なピンク色を見せてくれる。
今はそのピンク色はどこにもない。
瞳を凝らせば、辛うじて蕾があるのが分かるが、しかし開花するのはまだまだ先であろう。
この桜の木が開花する頃には、もう大好きな彼はここにはいない。
大好きな彼だけではない。
彼と一緒に親しくしていたメンバー全員が、もう二度とこの校舎で笑うことはないのだ。
その事実がつくしの胸の中にぽっかりと浮かび、刹那を落としていく。
それを噛締めるように、つくしはゆっくり瞳を閉じた。

学園を支配するF4に目を付けられ、最初はとても穏かな日々とは言いがたかった。
しかし、偽りの自分を捨て、本来の自分で戦っていた日々は、
楽しいとは決して言えないけれども、嫌いではなかった。
あの四人と関われたお陰で、今の自分があるのだ。
そして、普通なら経験できないこともたくさん経験できた。
想像を超える豪華な出来事はさることながら、それだけでなく色々なことを教えてくれた。

恋をする楽しさ。
恋をする刹那さ。
恋をする幸せ。

全てF4のリーダーである司と、出会えたから経験出来たことだ。
彼との恋愛は、楽しいものばかりとは決して言えなかった。
まるでジェットコースターみたいで、平穏な幸せとは言えなかったけれども、
それでも、つくしにとってはとても幸せで楽しい思い出だ。
つくしの高校生活はまだあと一年間残っているけれども、
その思い出は、間違いなく彼と出会ってからの日々で埋め尽くされるだろう。
そして、その大好きな彼が、今日英徳学園を卒業した。
もうこの校舎内で、彼の姿を見ることはない。
それどころか、明日ニューヨークに発ってしまうから、この日本で見ることすら出来ないのだ。
つくしの鼻の奥がツンと痛む。
時折頬に触れる冷たい風が手伝って、更に目頭が熱くなった。

司が一緒に行こうと言おうとしていたのを分かっていたのに、
四年間待つという選択をしたのも、
この日本で頑張ると決めたのも、
全てこの自分だ。
だからこんな風に感傷に浸るのは、間違えているのは分かっている。
しかし、理屈は感情を止められない。
つくしは零れそうな感情を追いやるように、空を仰いだ。
とても綺麗な満月がぽっかりと浮かんでいて、それがまた刹那に拍車を掛けた。
彼にこうやって恋をしてからの自分は、本当に弱い。
いつもならこんなことで泣くなんてことは絶対にないのに、彼の存在はいとも簡単に自分に涙を流させる。

「あー、もう。」

懸命に零れそうな感情を押し込めようと、唇を噛締めた。
しかし、一度潤んだ感情はそんな簡単に引いてくれない。

「あぁ……もう……」

小さく呟き、ゆっくり手摺の上に置かれた二の腕に顔を埋めた、その時だ。
ふいに少し上のほうから、蝶番の軋む音が聞こえた。
その音につくしの体が大きく跳ねる。
驚いたようにそちらを見遣れば、そこには大好きな彼がいた。

「道明寺……。どうして」

つくしの言葉に、司の眉間の皺が深くなる。

「どうしてだぁ!? いきなりいなくなるから、探しに来たんだろーが!」

司の怒鳴り声が、誰もいない非常階段に響く。
突然怒鳴られたものだから、つくしもカチンと来る。

「誰も探してくれなんて頼んでない!」と言い返してやろうとしたのだが、
その言葉は唇から滑り出ることなく、そのまま飲み込まれた。

司の額には光るものがいくつかあって、
それだけ司が懸命につくしを心配して探してくれたことがすぐに分かったから。
つくしは、まだ瞳に残る涙を司にばれない様に手の甲で拭うと、
彼から顔を背け、再び非常階段の下に植わっている桜の木を見つめた。

「ったく。いなくなるのなら、一言言っていけ。心配するだろーが」
「……ごめん」
「まぁ、見つかったから別にいいけどよ」

司はゆっくり階段を降りると、つくしの隣に立った。
手摺に寄り掛かるように肘を掛けると、チラリと隣のつくしを見遣った。

「お前、こんな所で何してんだよ。会場にお前の大好きな飯が腐るほどあるっつーのに」
「別に」

まさかここで感傷に浸ってました、なんてことは口が裂けても言えない。
そんな柄にもないことをしていたとばれたら、絶対に指差して笑われるに決まっている。

「別にって。こんな暗闇にいるから、どこの座敷布団かと思ったぜ」
「それを言うなら、座敷わらじ」
「うっ、うっせーなぁ! どっちも同じだろ!?」
「全然違う」

呆れたように司を見れば、司が頬を染め不機嫌そうに眉を顰めていて、つくしは思わず噴出した。
相変わらず馬鹿で、笑ってしまう。

「あははははは! 道明寺って本当にバカねー!」
「笑うんじゃねぇよ!」

つくしがお腹を抱えて笑っていると、ふいに頬に骨張った手が触れた。
驚いたように顔を上げると、先ほどまでの子供っぽい表情が消え、酷く真摯な顔をした司がいた。
ドキリと心が跳ねる。

「やっと笑ったな」
「えっ……?」
「さっき来た時、泣きそうな顔してて、何事かと思った」

司にばれていたことが分かり、一瞬でつくしの頬が赤く染まる。

「べべべべべべ、別に泣いてなんか……」
「何で泣いてた」
「だから、あたしは別に……!!」

司の指がゆっくりつくしの瞳の端に触れる。
その優しい指先に、ピクンとつくしの体が小さく跳ねた。
その指はそのまま、瞳の端にまだ微かに残っていた涙を掬った。

「やっぱ泣いてんじゃねーか」
「だからあたしは……!」
「いいから言えよ。聞いてやるから」

司はそう言うと、真っ直ぐつくしの顔を見つめた。
至近距離の真摯な瞳に眩暈を覚える。
つくしはその瞳から逃れるように、慌てて瞳を逸らした。

「あんたには関係ないし」
「おまえなぁ、なんでそう可愛くないんだよ」
「うるさいわね! あたしはこういう性格なの! 悪ぅござんしたね!」
「てめぇ……。こうなったら意地でも吐かせてやる!」

司はそう叫ぶと、つくしのわき腹を擽り始めた。

「ぎゃあ! 何すんの……ぎゃはははははっ! やめ、やめてよーーーーっ!!」
「ホラホラ。言う気になったか?」
「やめ……あはははははは!」

司の手から逃れるように彼を見遣ると、無邪気な笑みを浮かべて、つくしを擽っている。
この笑顔が、つくしは大好きだった。
彼の笑顔を見ると、すごく幸せになれるから。
もうこの学校で、この笑顔を見ることはない。
こうやってじゃれ合う事も。
そして、こうやって彼の温もりを感じることも――――。

つくしの瞳からポタリと雫が落ちる。
つくしから笑い声が消え、司は怪訝そうに擽る手を止めた。

「牧野?」
「あ、ごめん。なんでもないの。目にゴミが入っちゃった。
もう、あんたがふざけてバカなことばっかするからぁ」
「牧野」
「もう嫌になる。あー、目が痛い」

司の瞳から逃れるようにつくしが顔を逸らした瞬間、
その顔を大きな手が挟み、無理矢理上に向かされた。

「牧野!」

司の真摯な瞳とぶつかる。
駄目だ。
泣いちゃいけない。
ここで泣いたら、負担でしかなくなるから。
だから――――。

「牧野、言いたいことがあるなら言え」
「何もな……」
「俺は受け止められねーほど、器小さくねーぞ」

狡い。
ここでそんなことを言うなんて。
つくしの瞳から零れる涙が激しさを増す。
言ってはいけない。
いけないと分かっているのに。
つくしの唇が震えた。

「もうこの場所で、あんたと笑うことはない」
「……」
「もうどこを探しても、あんたを見かけることはない」
「……」
「そしたら、なんでか涙が出てくるのよ。おかしいよね。清々するはずなのに」

違う。
本当はいなくなるから寂しいと言いたいのに、口が勝手に憎まれ口を叩いてしまう。
突然、つくしの体が温もりで包まれた。
あれほど刺していた冷たい風が消え、目の前が黒い世界が広がる。
それが司のスーツであることに、しばらくして気づいた。

「どうみょう……」
「そういう台詞ぐれぇ、もっと可愛く言えねーのか、てめぇは」
「だ、だって……」

ゆっくり顔を上に向けさせれ、つくしの唇に柔らかな温もりが降って来た。
その温かさに、つくしはゆっくり瞳を閉じる。
相変わらずの優しい口付けに、胸が甘く軋む。
唇が離されると、ひんやりとした風が唇を撫でた。

「バーカ」
「ばばばば、バカですって!?」
「バカだからバカと言ったんだ」

何故こんな史上最強のバカ男に、自分がバカ呼ばわりされなければならないのだ。
つくしの額に青筋が浮かぶ。

「あんたねぇ!!」
「一人でぐちゃぐちゃ考えてんじゃねーよ」
「えっ……」
「お前の悪い癖だ」

司はペシッとつくしの額にでこぴんをお見舞いする。

「いたっ!」

額を押さえ、驚いたように司を見上げると、そこには柔らかな笑みがあった。
その笑顔にドキリと心が跳ねる。

「確かに俺は向こうに行くけど、別に死ぬまで行きっぱなしな訳じゃねぇし、
休みになれば、お前に会いにこっちに戻ってくる。
まるで永遠の別れみてーなこと言うんじゃねーよ。縁起でもねぇ」
「道明寺……」
「お前がビンボーなのは、今に始まったことじゃねーから、お前に来てもらうことなんて期待してねーよ」
「な、なんですってぇ!!」
「俺がこっちに来ればいい話だ。俺はお前を離すつもりはないし、誰かにやるつもりもない」

何故この人はこんな風に自分の欲しい言葉をあっさりとくれるのだろう。
いつもそうだった。
こう言って欲しいという言葉をくれるのは、いつも司だった。
苦しい時、悲しい時、辛い時、いつもいつも隣にいたのは司だった。

「バカ……」

つくしの瞳から涙が零れる。
これ以上こんな情けない顔を見せたくなくて、司の胸にコツンと額を当てた。

「それにしても……」
「うん?」
「牧野がそんなに俺のことを好きだったとはねぇ〜」
「!!!!!?????」

驚いたように顔を上げると、司の口元に皮肉めいた笑みが浮かんでいる。

「ちょ…何言って……」
「そんなに惚れられるとはねぇ。いやぁ、参ったな」
「ばばばばば、バカなこと言わないでよ!」
「会えなくて死んじゃうわーって泣き叫ぶなんてよ」
「言ってない!! そんなこと、一言も言ってない!!」
「俺にはそう聞こえたぜ?」
「どういう耳してんのよ! あんた、一度病院に行ったほうがいいわよ!」
「そうかー。牧野がねぇ〜」
「だからぁ〜〜〜〜〜〜!!」

ふいに司の顔を見ると、ドキリとするほど綺麗な笑みを浮かべていた。

「やっとらしくなってきたな。お前はそういう方がいいよ」
「道明寺……」
「お前に泣かれると、正直どうしていいか困るんだよ」

少しだけ頬を染めて、ぶっきら棒に言うと、視線をつくしから逸らした。
こういう優しさが、いつも嬉しかった。
つくしはそのまま勢いよく司に抱きつく。

「うぉあ!!」

突然のことに、その勢いに押され、司の足がよろめき、おかしな悲鳴が上がった。

「おまえなぁ。もう少しその突進をやめられ……」
「……がと……」
「……牧野?」
「ありがとう……」

つくしの小さな声が、辛うじて司の鼓膜を震わせた。
その声は本当に小さくて、今にも消えてしまいそうなほどだったが、
誰もいない非常階段では、司の耳にも届いた。
司は自分の胸に顔を埋めるつくしの頬に優しく触れる。
すると、彼女の涙が掌に触れた。
自分だってずっと傍にいられるものなら居たい。
しかし、それは許されない。
ゆっくりその手でつくしの顔を上に向かせた。
そのままつくしの唇を、自分のそれで覆う。
先程まで泣いていたせいか、少しだけしょっぱい味がした。
ずっと非常階段にいたつくしの唇はとても冷たかった。
そのまま角度を変えて深く口付けをする。

「ん……」

つくしから吐息が漏れ、それが司の頬に触れ、少しだけくすぐったい。
更に舌で割り入り、つくしの舌に絡ませる。
そのままつくしを非常階段の壁に移動させ凭れさせると、ゆっくりと彼女の服の中に手を忍ばせた。
つくしと同じく外にいた司の手はとても冷えていて、胸に冷たい感触が広がり、
つくしから「ひゃあぁ!」と色気のいの字もないような奇声が上がった。

「ちょちょちょちょちょ、ちょっと待ってよ」
「あ? なんだよ」
「何して……」
「何って決まってんだろ。こんな暗闇で恋人同士が二人きりなら、やることは一つだろーが」
「な、何言ってんのよ! ここ非常階段よ!?」
「あぁ、そうだな」
「そうだな、じゃないわよ! 誰が来るか分かんないのに……」
「誰も来ねーよ。どうせ皆プロムを楽しんでる」
「そんなこと分からな……」
「だからお前はごちゃごちゃうるせーんだよ」

再びつくしの唇が覆われる。
司の追い求める舌の熱さに、眩暈を覚える。
深い口付けは、呼吸すらままならなくて、酸素が足りないせいか、つくしの頭の芯がじんわりと痺れた。
抵抗しなければ。
こんな所でしていて、誰か来たら洒落にならない。
頭の中では、警告音が煩いほど鳴り響いているのに、どうしても手が動かない。
司の胸を押せば、きっと止めてくれるだろう。
無理矢理することは絶対にしないから。
分かっている。
分かっているのに、手が動かない。

「牧野……」

酷く熱っぽい声で呼ばれ、眩暈を覚える。
抵抗しなければ。
こんな所でなんて、絶対にいけない。
それなのに―――――。

つくしの腕がゆっくり司の首に回った。
それが合図のように、司の唇が徐々に舌に降りてくる。
それと同時に司の熱い吐息が、首筋に、鎖骨に、そして胸元に、彼の唇が動くたびに触れ、
つくしの体に甘い痺れが広がっていく。
心臓が早鐘のように打ち、煩い。
大好きな彼にも聞こえているのかもしれないと思ったら、恥ずかしくて死にそうになった。

「どうみょう……」

司の舌が、首筋を舐め上げ、つくしの背中に旋律が走る。
司の肩を掴んだ手が微かに、震えた。

「牧野」

名前を呼ばれ、瞳を上げた瞬間、つくしは小さく息を飲んだ。

――――あの瞳だ。

酷く熱っぽくて、見ているだけでクラクラする。
司が男に変わった時に見せる瞳だ。

誰も見たことのない瞳。
自分だけが知っている瞳。
自分だけが見ることを許された瞳。

この事実が、自分が司にとって特別なんだと教えてくれて、嬉しくて胸が甘く軋む。
こんな瞳を見せられて、抵抗なんて出来る筈ない。
つくしは司の肩を掴む手に力を込める。
くしゃりと司の上等なスーツに皺が寄った。
司はそのままつくしの服を捲り上げる。
ヒヤリと闇夜に冷やされた空気が、露になった部分に触れる。

「どうみょう…じ……。さ、寒い……」
「すぐに熱くなる」

司は腰を落とすと、そのままつくしの胸に唇を落とした。
司の唇から漏れる熱い吐息が触れ、つくしの体が更に痺れる。
彼の唇が、そして舌が、つくしの弱いところを攻め立てる。
乳房が軽く噛まれ甘い痛みが走り、つくしの体がビクンと大きく跳ねた。

「あっ……やっ……」

司の手が、胸から腰、腰から太もも、太ももからその付け根へ、徐々に迫る。
あんなに頭の中で警告音が煩いくらいに鳴っていたのに、
不思議と、もうつくしの頭の中では聞こえない。
それどころか、あんなに感じていた冷たい空気さえも気にならなくなっていた。
司の熱が自分に移っているのか、それとも自分の中の疼きが熱くさせているのか、
どちらのせいか分からないけれども、もう頭の中はうっすらと靄が掛かっていて、
まともな思考なんて出来なかった。
額にうっすら汗が浮かび、前髪が張り付く。
唇から漏れる吐息が、熱を更に帯びる。
司の手がつくしのパンツのボタンに手を伸ばした瞬間、
つくしはハッと意識を取り戻し、慌てて司の手を掴んだ。

「なんだよ」
「ダ、ダメ……」

唇から出た声の弱々しさに、つくしは自分でも酷く驚いた。
司の眉が不機嫌そうに潜まる。

「なんで?」
「だって……今日パンツだから……」

スカートなら、万一誰かが来ても誤魔化しが利くが、パンツでは誤魔化しようがない。

「だから俺が贈ったドレスを着ろって言ったじゃねーか」
「だって……あれ破れちゃったんだもん」
「ホントありえねー」
「だから……」
「ダメっていうのはなしだぜ?」

つくしが言おうとしていることを分かっていたのか、つくしの言葉に被せるように言い放った。
言おうとしていたことを、先回りして言われ、つくしの顔が強張る。
司はつくしの手を振り払うと、再びボタンに手を掛けた。
慌ててその手をまた掴む。

「ダメだって」
「知らねーよ、そんなん」

更に苦情を言おうとしたつくしの唇が、再び柔らかな感触で覆われる。
言おうとしていた言葉が全て、司の熱い吐息に溶けて消えた。
再び司の舌に追い詰められ、司の肩を掴んでいた自分の手の力が抜けていくのが、
つくしにもはっきりと分かった。

駄目なのに。
こんな所でするなんて、動物みたいだから、絶対に嫌なのに。
それなのに、どうしてもあと一歩の抵抗が出来ない。
司の舌の熱は、つくしから理性を追い出す。
そして、その代わりに懸命に体の奥でしゃがんで抵抗していた欲望を、いとも簡単に引き摺り出すのだ。
遠くの方でチャックが下ろされる音が聞こえる。
司はそのまま手を中に忍ばせ、つくしの秘部に触れた。

「あっ……」

既に司に熱くさせられた体が、いとも簡単に司の指を飲み込む。

「すげ。ダメだって言いながら、感じてんじゃねーか」
「……そういうこと言わないでよ」

こんなことを言われたら、いつもなら平手の一発ぐらいお見舞いして、
文句の一つでも言い放ってやるのに、今の自分はなんて弱々しいのだろう。
情けないけれど、司の前ではいとも簡単に女になってしまうのだ。
悔しい。
だけど、どこかそれを待ち望んでいる自分もいて、上手くそのバランスが取れない。
だからどうしていいか分からない。
分からないから、泣きたくなる。
つくしの視界が涙で滲む。
その涙に気づき、司は動かす指を止めた。

「牧野? なんで泣いて……。そ、そんなに嫌だったのか?
だったらいつもみてーに、殴るとかして全力で抵抗しろよ」

その言葉につくしは懸命に首を横に振る。
嫌だった訳ではない。
それどころか、こうやって攻められて喜ぶ女の自分がいる。
だけどそんな自分に慣れなくて、どうしたらいいか分からないだけなのだ。

「じゃあ、なんだよ。分かんねーよ」
「あたしも分かんない。あんたといると、泣きたくなる」
「はぁ? なんだ、それ。訳分かんねー」
「好きすぎて、どうしていいか分かんない。見たことのない自分を引き出されて、戸惑う。
そんな自分に慣れなくて、でもどこか嬉しくて……。
こういう感情を上手く自分の中で処理出来なくて、泣きたくなる」

その言葉に司は小さく噴出した。

「な……っ!! なんで笑うのよ!」
「だから言ってんだろ? おまえはごちゃごちゃ考えすぎなんだって」
「だ、だって」
「考えられないようにしてやるよ」

再び深く口付けをされ、そしてつくしの中に再び指が沈んでいく。
指が動くたびに、司と重なっている唇の合間から甘い吐息が漏れた。
頭の奥が痺れ、つくしの感覚が曖昧になる。
膝が笑い、立っていることもままならない。
体の重心は全て、寄り掛かっている壁に預けていた。
そうしなければ立っていられないから。
指が徐々に激しさを増し、唇から零れる吐息も激しさを増す。

「んっ……ふっ……」

愛液が溢れているのが、自分でも分かる。
卑猥な音が、静寂で満ちている非常階段に響く。
この音が自分から出ているのかと思うと、それだけで恥ずかしい。
しかし、司の指はそんな羞恥すら感じる余裕を失くすほど、激しかった。

「牧野、後ろ向け」

ぼんやりとしていたつくしから指が抜かれ、無理矢理壁に手をつけさせれた。

「えっ? な、何……?」

ぼんやりとした聴覚が、ベルトの音を捉える。
その音が意味することを悟った瞬間、つくしのお尻が露になり、冷たい空気が触れた。
抵抗しようとしても、上手く動けない。
つくしの秘部に熱いものが触れ、そのまま一気に進入してきた。

「あぁ……っ!」

強烈な快感が、つくしの体を駆け抜ける。まるで電流のように。
ぱっくりと司を飲み込んだ自分の秘部が、軽く痙攣しているのが分かる。
ずっと欲しかったと言っているようで、恥ずかしくて堪らない。
それなのに、そんな羞恥よりも司が入ったことによって駆け抜けた快感の方が強くて、
恥ずかしさなんてすぐに消えてしまった。
司はゆっくりと腰を動かし始める。
それだけで、充分気持ちが良くて、頭が朦朧としてくる。

「あっ…あっ……」

司が動くたびに、淫猥な音がつくしの鼓膜を揺さぶる。
それが更に迫り上がる快楽を、増長させた。
徐々に司の腰の動きが早くなる。
もう寒さなんて微塵も感じなかった。
ただ体の芯が熱くて、頭が快楽と熱でぼんやりとして。
つくしの肢体が、うっすらピンク色に染まる。
あんなに色々考えていたのが嘘のように、頭が真っ白になり、ただ波のように訪れる快楽に身を任せる。
つくしの髪が司の腰の動きに合わすように揺れて、頬に当たっていたが、
そんなものは全く気にならなかった。
迫り上がる快楽が、つくしの唇を動かす。

「あっ…やっ……んっ……すき……道明寺が……すき……」
「まき……のっ……」

強大な快感に全ての景色が涙で歪む。
更に司の腰の動きが強くなった。
つくしの快楽がフッと力が抜け一気に下降する。

「あぁぁぁっ!!」
「牧野……っ!!」

その瞬間、つくしの中に熱い迸りが注ぎ込まれ、そして風に乗って司の声がつくしの耳を掠めた。
「愛している」と。

昨日の夜の寒さの片鱗さえ見当たらないほど、緩やかな日差しがつくしを照らす。
ゆっくり空を見上げれば、春の象徴である、薄いブルーがそこには広がっていた。
少しだけ春の香りを含んだ風が、優しくつくしの髪を揺らした。
つくしの口元に笑みが浮かぶ。

これから四年間、何が起こるか分からない。
会えない寂しさで、泣いてしまうかもしれない。
会えないもどかしさから、喧嘩をしてしまうかもしれない。
生活環境が違うから、すれ違いばかりかもしれない。
それでも、この気持ちは変わらないし、変えたくない、とつくしは思う。
永遠なんてこの世にはないけれども、だけど司となら永遠になるような、そんな気がした。

つくしは腕を大きく空に向かって伸ばした。
司にいい男になって迎えに来いと言ったのは自分だ。
負けてなるものか。こっちだっていい女になってやろうじゃないか。
つくしの口角が緩やかに上がる。

「覚悟しておきなさいよ!」

彼女の大きな声が綺麗な青空に響いた。
駆け抜ける風が、つくしの声を乗せて空高く飛んでいった。






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