ヴァイオリン(非エロ)
花沢類×牧野つくし


「あんた、同情と愛情履き違えてんだよ。この二つはよく似てんの知ってる?」

昔、亜門があたしにこう言った。

「本当に好きなら、障害があろうとなかろうと飛び込まずにはいらんなくなるんだよ。」

・・・この言葉があたしの背中を押した。
同情なんかじゃない。・・・あたしは道明寺が好き・・・。

ずっと封印してきた言葉をやっと解放することができた。
友達を不幸にするかもしれなくても、あたしは道明寺の手を取った。
この先、何があろうとこの手を離さない。

・・そう思っていたのに・・。
あたしはまた自分に問い掛けている。
今のこの気持ちは、同情?それとも・・・。

「牧野、やっとNYに行くんだって?」

キャンパスで会うなり、美作&西門ペアに訊かれる。

「げっ、なんで知ってるの?情報早っ。」

あたしは驚く。先週帰国する前日の道明寺に話したばかりなのに、なんで知ってるの?

「司、大喜びで電話してきたもんなー。・・時差も考えずに・・。」

と呆れ顔の西門さん。

「おう。別に俺はいつでも良かったんだけどよ、やっぱあいつ寂しくなったみたいでよ、な
んてはしゃいでたよな〜。ま、良かったよ。これで真夜中に牧野浮気してねえだろうなと
かくだらねえ電話に起こされないで済むわ。」

美作さんは、心底嬉しそうに言う。

「えっ、あいつそんな電話してたの?」

あたしはぎょっとして言う。

「類には、非常階段禁止令出してたしな。類は気にしてねえみたいだったけど。」

はあ・・あたしの知らないとこでそんな電話してたんだ・・恥かし・・。

「お。類といえば、コンクール入賞したの知ってるかよ?」

西門さんが芝生にあぐらをかきながらだしぬけに言う。

「コンクールって、なんの?」

あたしも座りながら訊く。近くを通り過ぎる女の子たちが羨ましそうにあたしを見る視線を
びしばし感じる。

「あ、知らねえ?あいつ、中学のころはヴァイオリンのコンクールの常連だったんだけどよ、
 高校入って親に止められて趣味程度にしてたんだよな。けど、何考えてんだか知らないけ
ど、大学入ってまたマジでやりだしたみてえ。あんま俺たちとも会わないくらい、練習
してるぜよ。」

美作さんの言葉にあたしは驚く。確かに最近あんまり花沢類をみかけなかったけど・・。
知らなかった。だれより花沢類のそばにいたつもりのあたしは、ちょっぴりショックだった。
ただの友達なのに、こんな風に思うのはずうずうしいのかもしれないけど・・・。

「へえ・・じゃあ、おめでとうって言わなきゃね。」

あたしは平静を装って言う。でも、つぎの西門さんの言葉には、冷静ではいられなくなった。

「で、入賞の副賞として、パリ留学できるらしいぜ。行くんかな、あいつ。花沢商事の後継
ぎが今さらよお、・・・」

続きの言葉が耳に入らないほど、あたしは心が痛くなる。パリ・・?静さんがいる・・?

あたしは、自分の勝手さに気がつく。
自分は花沢類じゃなくて、道明寺が好きで、NYに行くのに。
花沢類がパリに行くのを置いてかれるような気がするなんて、バカみたい。
花沢類が、ヴァイオリンに本気になって、認められたなら、それは祝福してあげるべきこと
なのに・・・。

「お疲れさまでしたー。」

バイト先のファミレスを出る頃には、もう十時を回っていた。早く帰って期末テストの勉強しなくちゃ。卒業できなかったら、シャレにもなんない。
そう思いながら足を速めるあたしの目に、見覚えのある車が飛び込んできた。

「花沢類・・。」

見慣れたビー玉の瞳が、優しく微笑む。もう、見れなくなっちゃうのかな・・。

「久しぶり。送ってくよ。話もあるし。」

花沢類は、助手席を開けてくれながら言う。

話って、パリに行くことかな・・。あたしもNYに行くこと、話さなきゃ。

「うん。・・・」

シートベルトを閉めると、静かに車は走り出した。
花沢類の話を聞きたいような、聞きたくないような、・・気持ち。
しばらく走ってあたしは気が付く。

「え?花沢類、あたしんち、こっちじゃないよ。」

信号が赤に変わって、花沢類は車を停める。

「寄り道するけど、ちゃんと、家まで送るよ。・・ほんとはこのまま、連れ去っちゃいたい
けど。」

そう言ってあたしを見つめる花沢類の瞳は、怖いくらい真剣だった。

あたしと道明寺が来たことなんて知らないはずなのに、車は海のそばの観覧車が見える駐車
場に滑り込む。

「コンクールのこと、美作さんたちから聞いた。・・・パリ、行くの?」

信号での言葉の意味を確かめるのが怖くて、あたしは他の事を尋ねる。
花沢類は、じっと窓の外を眺めている。この間道明寺と乗った観覧車は、オレンジ色にライ
トアップされている。
ゆっくりと回る観覧車の箱を、ぼんやりと数える。ひとつ、ふたつ、みっつ・・。
花沢類はふいに振り向くと、あたしの頬に触る。
そっと、顔を傾けながら近づいてくる花沢類に驚いて顔を背ける。
花沢類は、手をあたしの顎に移して顔を上に向ける。

「だ、だめだよ・・んっ・・。」

花沢類の唇が、あたしの言葉を塞ぐ。
あたしは両手で、花沢類の身体を押しのけようとする。
花沢類は、あたしの手をつかんで強く抱きよせながら、言った。

「俺がパリに行くことと、牧野がNYに行くのは、意味が違うよ。俺は静がいるから行くわ
けじゃない。俺が好きなのはあんただからね。」

花沢類・・・?あたしは花沢類の言葉に耳を疑う。
花沢類は、あたしと道明寺がうまくいってればそれでいいって、あたしが幸せなら笑ってい
られるならって、そう言ってたよね?だから、友達に戻れたんだよね・・?

「あんたが司についてNYに行かなかったとき、司には悪いけど、俺嬉しかった。チャンス
到来だな、って。あんたが笑ってればいい。そう思ってるのは嘘じゃない。あんたが司の
そばで笑ってるんなら、あえて船を揺らすつもりはなかった。」

あたしは習ったばかりのコトバを思い出す。

Do not rock the boat now.・・・危険を承知で事を起こすな・・・
・・・じゃあ、どうして・・?

「あんたちの船は揺れっぱなしだったからね。やっと堂々と付き合えるようになって、つい
ていこうと思えばいけるのにいかないあんたに・・・卑怯かもしれないけど、まだ俺にも
チャンスあるのかも、って思った。」

あたしは、反論しようとする。あたしはちゃんと道明寺が好き、あの時ついていかなかったのは・・。でも、パリ行きを聞いて心が痛んだことが頭によぎる。

あたし・・どこかでまだ
花沢類のことが・・?

その時、車の外で、女の子の叫び声が聞こえた。何?
見ると、見るからに悪そうな男二人が、女の子を無理やり車に乗せようとしている。
あたしは、思わず車外に飛び出していた。

「ちょっと、あんたたち何してんのよっ。嫌がってるじゃん。」

ニット帽をかぶった男が笑いながら振り向く。

「こえ〜って、んなわけあるかよ。何?あんたも来るの?色気ねえけど、こっちも二人だし、
 あんたも来な。」

あたしの腕をぐっとひっぱる。

「何すんのよっ。あんたたちなんかと誰がっ・・」
「牧野を離せ。」

振り向くと花沢類が立っていた。いつもは優しい花沢類の顔が、怒りに燃えている。

「ああ〜?ナイト登場ってか?こっちは二人だぞ?BM乗ってる坊ちゃんは無理しないで
逃げな?男には用ないから。」

もう片方のガタイのいい男がからかうような口調で言う。
花沢類が、あたしの腕をつかんでる男を蹴り上げる。

あたしはそのスキに、車の方へ、走る。車に連れ込まれそうになっていた女の子ももう一人
の男をつきとばして逃げていった。

「てめえ、ざけんなよ!」

ニット帽の男がポケットから何かを取り出す。・・ナイフ!?

「牧野、逃げろ!」

あたしは足が震えて立ちすくむ。やだ、怖いっ・・!

「逃げろ!あんたさえ無事ならこんなやつら・・」

あたしに気をとられた隙にニット帽が花沢類に切りかかる。花沢類が左手で、自分をかばう。
ぴしっ!花沢類が崩れ落ちる。

「花沢類!」

その時、さっきの女の子が警備員らしき人をひっぱってくるのが見えた。

「やべ。逃げるぞ。」

男たちは、車を急発進させて逃げていった。

「花沢類、大丈夫?」

あたしは駆け寄って、怪我の場所を探す。

「大丈夫。手で、受けたから・・」

見ると、手首から手のひらにかけて、ざっくりと切れている。

どうしよう、どうしよう・・あたしは手で類の血を押さえながらがくがくと震える。
電話しなきゃ!ポケットからうまく携帯を出せない。

「大丈夫ですか!?」

さっきの女の子が、見かねて救急車を呼んでくれる。救急車が車での時間が、とても長く感
じる。

「ごめんね。ごめんね。花沢類、ごめんね・・・!」

あたしは壊れた器械のように、繰り返し謝る。

「あんたのせいじゃない。俺が油断してただけだから。」

そう言いながら、無理に笑う。
あたし、バカだ。何も考えずに飛び込んでいって・・。

やっと到着した救急隊員が、手際よく止血していく。
車内に乗り込むなり、無線で病院を連絡をとっているのが聞こえてくる。

「ええ、すぐに手術が必要だと思われます。・・神経も切れているようなので。」

それを聞いたあたしは、大変なことに思い当たる。

「あ、あのっ。この人ヴァイオリン弾くんです。治りますよね?元通りになりますよね?」

すがるように、隊員の腕をつかんで、揺さぶる。

「自分は医師ではないので・・病院でお聞きください。」

隊員は困ったように目を逸らす。
花沢類は、痛みに顔をゆがめ、唇を噛みしめている。

もし・・もし、ヴァイオリンを弾けなくなったら、あたし、どうやって償ったらいいの!?


花沢類の好きな花ってなんだろ。あたしは花屋の店先で涙ぐむ。
迷った末、NYであたしに買ってくれたチューリップとかすみ草を選んで、包んでもらう。
きっと今日も会ってもらえないけど、せめて花だけでも渡してもらおう。

七時間にも及ぶ手術の後、花沢類は家族以外の誰とも会ってくれない。
気持ちの整理がついていないから、ということらしい。
術後の経過は悪くはないものの、リハビリを頑張れば日常生活に支障ないぐらいには・・と
いうのが医師の見立てだ。
演奏者としてはもう・・。そう言って目を伏せた医師にあたしはつめよった。
もう一度、手術できないんですか、花沢類は留学するんです、リハビリを一生懸命すればヴァイオリンをもう一度・・!
医師は残念ですが、と首を振るばかりだった。

あたしは、花沢類に会いたいと何度もご家族にお願いした。
初めて会う花沢類のお父様は優しそうな方だったけれど、会わせてはくれなかった。

「誤解しないでいただきたいんだが、類も私もあなたに怒っているというわけではないんだ。
あなたは類にとって大切な女性のようだ。・・だからこそ、今の自分を見せたくないのだ
と思う。今はそっとしておいてはもらえないかな・・。」
「せめて、謝らせてください。あたしが、考え無しに飛び出さなければ・・」

花沢氏は、首をかしげて少し微笑む。あ・・花沢類の笑顔に似てる・・。

「男として、当然のことをしたまでだと類も私も思っているよ。もし困っている女性を助け
ずに逃げていたら私が類を許さなかったよ。君は正しいことをしたんだ。自分を責めな
くていい。」
「でもっ・・でも花・・類さんはもうヴァイオリンを・・。」

あたしは悲しくて最後まで言えない。
花沢氏は、小さく溜息をついたあと、こう言った。

「類がどうして急にまたヴァイオリンに情熱を燃やし出したのかは分からないがね・・。ど
ちらにしろ、花沢家の跡取をヴァイオリニストにするつもりはなかったよ。結局同じことだ。類もこれであきらめがつくといいのだが。・・・では失礼。」

遠ざかる大きな背中を見送りながら、あたしは心の中で叫ぶ。

違う、自分でヴァイオリニストへの道を歩まないことと、こんなふうに道を絶たれることは、
全然違う!

面会謝絶、と書かれたプレートの前であたしは立ちすくむ。

・・中から、女性の声がする。・・・誰?

すっとドアが開いて、中から現われた人を見てあたしは驚いた。

「・・・静さん・・」

久しぶりに会う静さんは、ますます美しさに磨きをかけていた。
柔らかにウェーブを描きながら肩に揺れる髪、透き通るような肌・・・。
見つめられると吸い込まれそうな瞳が、少し潤んでいる。

「あら・・牧野さん・・。」

そっとドアを後ろ手に閉めると、小声でささやく。

「最上階に、レストランがあるの。そこで話しましょう。」

あたしには会ってくれないのに、静さんとは・・・あたしはたまらない気持ちになった。

VIPだけが入院することができる、というこの病院だけあって、最上階のレストランは
言われなければ病院内だと思えないほどの落ち着く空間だった。
静さんは、ティーカップをかちゃりと置くと、何から話そうかしら、と呟いた。

「高校に入るまでの類は、国内にはもうライバルがいないような腕前だったわ。」

静さんは、懐かしむような目で言う。

「ウィーンのジュニアコンクールでも、一位だったのよ。でも、高校に入ってすぐのコンク
ールでなんと年下の日本人に負けちゃったの。」

あたしの知らない花沢類の過去に複雑な思いがする。そんなに、すごかったんだ・・。

「相手はフツウの家の子でね、楽器も安物、師事してる先生も普通・・彼、類にこう言った
そうよ。坊ちゃんの余技に負けるわけにいきませんから。どうせ社長の椅子が待ってるん
でしょう。いいですね、遊びでストラヴァリ持てて。・・それからね、コンクールに出な
くなったし、趣味程度にしか弾かなくなったのは。」

あたしは見たことのないその相手に腹が立つ。
普通の家に生まれたくて生まれたんじゃないのと同じように、花沢類や、道明寺も家を選ん
で生まれたわけじゃないのに・・。

静さんは、記憶の糸をたぐりながら続ける。

「類はね、ああいう性格でしょう、別に負けたことがくやしくて・・とかいうんじゃなかっ
たと思うの。ただ・・説明するのが難しいんだけど、お父様たちに逆らってまでそっちに
進む・・なんていうのかしら、何かが足りなかったのね、その時は・・。」

あたしは、音楽室でヴァイオリンを弾いていた花沢類を思い出す。
いつも弾いているエチュード・・いつもどこか悲しみが漂っていた気がする・・。

「どうして大学に入ってから、また真剣に始めたんですか?」

あたしはあの日本人に聞けなかったことを静さんに尋ねる。
静さんは、話そうかどうしようか迷うように、視線をさまよわせる。

「理由を聞くと、牧野さん、辛いかもしれないわよ・・?」

あたしは、胸の奥が痛くなる。あたしが辛くなる理由・・?

「類はね、司に感心してた。あんなに好き勝手言ってたのに、いざとなったら腹くくってN
Yに行って・・ちゃんと運命を受け止めようとしているって。自分は、運命に逆らう勇気
も、受け止める勇気もないって。・・・こんなんじゃ、あなたが司に惹かれるのは当たり
前だって言ってたわ。」

花沢類の笑顔が浮かぶ・・会いたい・・。

「類、どちらの勇気を持つか、悩んで・・決めたそうよ。運命に逆らう方を。・・あなたの
 事も考えてたわ。私にこう聞いたの。静、牧野が司と結婚して、うまくやっていけると思
うかいって。俺はどんなに司が牧野を大事にしても、それは牧野らしくない人生になる気
がするよ、って言ってた。」

花沢類は、いつもいつもあたしを心配してくれてるんだな・・そんな花沢類を不幸にした自
分がたまらなく嫌になる・・。

「それは、花沢家に嫁いでも、同じじゃない、って訊いたの。そしたらね・・」

静さんは哀しげに笑う。

だからだよ、だから俺、運命に逆らおうと思うんだ・・。

「あなたがあの時NYについていってたら、あの決心はなかったと思うの。牧野さんが幸せ
 なら壊す気はない、そう言ってたから・・。でも、あなたは行かなかった。もしかしてま
だ、間に合うのかもしれない・・。類あの時こう思ったんですって。今までいろんな事を
諦めてきた・・いや、戦おうとすらしなかった。でも、あなたの・・・強さを見て、この
まま諦め続ける人生は嫌だって・・。」

あたしはその言葉を聞いて、涙を堪えられなくなる。
そんな決心のもとに、新たな道を歩き出してくれたのに、あたしがその道を閉ざしちゃった
んだ・・!

あたしはぐるぐると冬の街を歩いた。
周りの人たちが、楽しそうに話しながら歩いているのを見て、訳も無く腹が立つ。
花沢類が、あんなに辛い思いをしてるのに、なんにも変わらずに世界は動いている。
みんなみんな幸せそうなのに、どうして花沢類だけが、こんな目に?
頬を伝う涙を、北風がぴりぴりと痛ませる。
誰か、もっとあたしを責めて。お前のせいだと。
誰か、あたしに言って。お前だけが幸せになるなんて、許されないと。

重い足取りでアパートに戻ると、二通の手紙が届いていた。
一通は、道明寺から。もう一つは・・花沢類から。
あたしはどちらから開けるか、迷う。どちらからのメッセージを開けるのも、怖い。
世界で一番大切な人たちなのに・・。
道明寺からの大きな封筒を開ける。中には、パンフレットがいくつか入っていた。
メモに小さな走り書きがある。



「最近電話通じねえけど、なんかあったか。何時でもいいから、電話してこい。
それと、春から通うのによさそうな、語学学校のパンフを集めさせた。秋から大学に行く
準備もできる学校にしといた。金のことは気にすんな。
早く会いてえ。手紙なんか初めて書いた。光栄に思え。  司」



道明寺が、耳元で話しているような錯覚に襲われる。
メモを握り締める手に、涙が落ちる。道明寺・・・。
あたしもNYに行く、アパートの前でそう言ったときの道明寺の顔が浮かぶ。
子供みたいに、やりーってガッツポーズしたあと、抱きしめられた。

「お前から、俺に来てくれるって、初めてじゃねえ?」
「く、苦しいよ、息ができな・・」
「離さねえ、絶対。このまま連れて帰ろっかな。」

あたしを肩に担ぎ上げて、ぐるぐる回しながら言った。

「ば、ばかっ、下ろしてよっ、あたしスカートだよっ!」

あれが、ほんの1か月前のことだなんて、信じられない。
あのとき、道明寺の言う通りついて行ってたら、運命は違ってたの・・?

花沢類からの、封筒を手にする。
薄いブルーの封筒に、流れるような文字が書いてある。
開けるのが、怖い・・。
あたしは震える手で、レターオープナーを走らせる。



牧野

何度も来てくれたのに、会えなくてごめん。牧野がどんなに心配してるかと思うと、胸が痛
むよ。会って大丈夫だと言いたいのに、牧野を抱きしめて慰めたいのに、今はできない。
自分がすごく歯がゆいよ。ごめん。

気がついてるかもしれないけど、あの日俺は、牧野に気持ちを伝えるつもりだった。
NYに行かないでくれと、俺の事を見て欲しいと、言うつもりだった。
牧野、俺はね、ずっと自分のことを好きになれなかったんだ。
昔、あんたに背中を押されてパリに行ったことがあるね。
静と暮らして、俺は二つのことに気がついたんだ。一つは、俺の静に対する気持ちは、恋愛
とは違うこと。もちろん今も昔も大切な存在だけどね。
もう一つは、自分がどんなにからっぽか、という事だった。
夢に向かって頑張っている静を部屋で待っているだけの、子供だった。

静は聡明な女性だけど、やっぱり苦労もしていたよ。
そんなに辛いなら、日本に帰ればいいのにと思うこともあるほどだった。
でも静は、言ってたよ。

「簡単に夢が叶ったりしたら、つまらないわ。それに、簡単に諦められるなら、そんなの夢
じゃない。私は、一度踏み出した道を後悔したりしたくないの。私を思ってくれるなら、
逃げ道じゃなくて、抜け道を考えて?」

俺は、自分が情けなくなったよ。ヴァイオリンのことをあっさりと諦めたことも、他の道を
探そうともしなかったことも。
牧野のことも、そうだね。正直に言うよ。何度も何度も、俺の方に来いって言いたかった。
でも、言えなかったのは多分、司への遠慮じゃなくて、自分に自信がなかったからなんだ。
俺の方が幸せにする、そう言える自信が無かった。

だから、あんたを支えるなんて言葉で自分を納得させて、それ以上は望まないように自分に
ブレーキをかけていたんだ。
だけど、あんたがNYに行かないと決めたとき、俺はもう一度自分に問い掛けたんだ。
それでいいのか、って。
このまま司を待つあんたを支えるだけで、本当に後悔しないのかと。
答えはNOだった。どんなに自分を騙しても、牧野を見守るんじゃなく、牧野と歩きたいと
思った。
でも、それには今のままの自分じゃ駄目だと思ったんだ。
何があっても負けないあんたを包めるほど、大きな存在になりたくなったんだ。
俺が歩くべき道はどちらか考えたよ。司と同じように自分に定められた道を行くのか、ヴァ
イオリンを選ぶのか。
今となっては、道は一つになってしまったけど。

牧野、牧野の夢はなんだい?ごたごたしてばかりで、そんなこと考える暇もなかったかもし
れないな。
俺はもう牧野に自分を見てくれと言えない。
今は、自分を支えるので精一杯だ。とりあえず自分で自分のことができるようになるように
リハビリを頑張るよ。
牧野がNYで司といるだけじゃなく、自分の夢を見つけられることを、祈っているよ。
牧野のことだから、自分のせいだと自分を責めているんだろうな。
あんたがこの事で悲しんだり、自分が幸せになることを躊躇したりしたら、その方が俺は辛
いよ。あんたを自分で幸せにできないだけじゃなくて、不幸してしまったりしたら、何より
苦しい。
いつも、俺が好きな、笑顔の牧野でいて欲しいよ。

花、ありがとう。俺があげたのと同じ花だね。覚えていてくれたこと、嬉しいよ。
でも、もう来ないで欲しい。
牧野に今の自分を見られたくないんだ。会ったら引き止めたくなっちゃうかもしれないしね。
ちょっと一人でじたばたしてみるよ。
会える自信がついたら、会いに行くよ。その日まで、ちょっとお別れだね。
NYのアパートの鍵を渡しておくよ。好きにつかっていいから。
じゃあまた。                  類



この一ヶ月、あたしは道明寺に事件のことを話せなかった。

とりあえず花沢類に会って、ケガの後遺症のことも知ってから・・自分に言い訳しながら、ずるずると話さずに今日まで来てしまった。
花沢類からの手紙を何度も読み返す。
今の自分を見られたくないという花沢類に、会いたいというのは、残酷なのかな。
花沢類を今度はあたしがそばで支えたい・・そう思うのは、迷惑なのかな・・。
リハビリは、親しい人の支えがないと難しいと聞いた。
静さんが、支えるのかしら。・・そう考えて、自分の胸がちくりと痛んだことに気づく。
あたしのせいだもの、あたしが支えたい。
そう自分を納得させた。この時のあたしは、自分の胸の奥にある、もう一つの気持ちには気
がつかないフリをした・・。

「ちょっと待て。なんでそうなるんだ?」

分かってはいたけど、電話の向こうの道明寺は今まで聞いたどんな時より怒ってる。
あたしは、手の平の上にある、道明寺の写真を指でなぞる。

「だから・・せめて日常生活に支障がなくなるくらいまでは・・あたしが側に・・」
「類はなんつってんだ?」

道明寺が鋭く訊く。

「・・NYに行け、って・・。病院には来るなって言ってる。あたしが勝手に・・・」

花沢類が望んでいるように誤解されたくたくて、あたしは言い募る。

「大体お前、そんな時間にそんなトコで類と何してた。」

どきり、と胸が痛む。そんなことを訊かれると思ってなかった・・。

「バイトの帰りに、迎えに来てくれてて、話があるって・・あ、パリに行くことだったと思
うんだけど、話の前に事件が起こっちゃったし・・」

ふうっと、電話の向こうで溜息が聞こえる。

「お前は、昔から鈍感・・っつーか、無神経だよな。まず、そんな話昼間でもできるだろ。
 お前、俺の気持ち考えたことあんのか。会いてえのに、離れて暮らしててよ、昔お前が好
きだった男が側にいるんだぞ。・・気にならねえと思うか?お前を信じてえと思ってても、
やっぱ二人で会ったりしてるじゃねえか。」

あたしは何も言い返せなくて、唇を噛む。

「あたしが好きなのは、道明寺だよ・・?」

今こういうことを言うのは卑怯なのかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。

「じゃあNYにすぐ来い。俺のためだけじゃねえ。類も、お前に同情されながら看病されて
 嬉しいと思うか?お前、少しは人の気持ち考えろ。」

道明寺の言葉がいちいちもっともな気がして、あたしは何も言えない。

「いいな。来なかったら、マジで俺とは終わりだと思え。」

あたしの返事を待たずに、電話は切れた。怒られる、とは思ってたけど、ここまでとは思わ
なかった・・。
今まで何度もあたしから道明寺に別れを告げたことはあったけど、道明寺があたしを見切る
ような事を言ったのは、初めてだ・・。
昔、無人島への船の上で、類の方が俺より幸せにすると思う、と言われた。でもあの時は魔
女の反対があって・・。

泣いてもなんにも解決しない、と思うのに、涙が止まらない。
時間が戻ったら・・!あの日に戻れるなら、何でもするのに・・!。
神様・・あたしにどんな罰を与えてもいいから、花沢類にヴァイオリンを返して・・!






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