ジグソーパズル
花沢類×牧野つくし


『好きあってれば、当然のことでしょ。』

高校生の頃の優紀のことばが、脳裏をかすめる。
そうだよねぇ、普通の人にとっては、常識的にそうなんだろうと思う。
だけど、相手が花沢類となると…『普通』とか、『常識』とかいうことばとは無縁の人だからなぁ…。

固い床にクッションを敷いて頬杖つきつつ、鼻歌まじりにクロスワードパズルをする花沢類を見つめながら
彼にわからないように、そっと溜息をつく。

道明寺がNYに行ってしまってから、ゴールデンウィークや夏休みを利用しては道明寺の元を訪ねた。
時々しか会えなくても、あたし達は大丈夫だ。と、思ってたけど。
すれ違いはやっぱり大きかった。
英徳卒業後、都立大学に入学してからのあたしはバイトと勉強にあけくれて。
その頃の道明寺も、多分なれない勉強と仕事にあけくれて。
お互い、疲れきっていた。どちらかが、どちらかを労わることができなくなっていた。

「もう、やめよう。お前に無理させてるのが、つらい。」

道明寺の最後のせりふは、胸にぐっさりと突き刺さったけど。あたしは、否定できなかった。
「しあわせにしてあげる」その言葉をぜんぜん実行できてないと、思った。

別れてからしばらく、ぼんやりするたび道明寺を思いだしてしまうのがイヤで、ずっと勉強ばかりしていた。
実際、その前数ヶ月間はぐだぐだで、奨学金を戴いている身でありながら単位を落としそうだったからちょうど良かった。
そんなある日。
図書館ではどうしても見つからない本を探しに立ち寄った書店で、花沢類に再会した。

「ひさしぶり。・・・せっかくだから、お茶しない?」

しばらく会わない内に、少し大人びた花沢類が変わらない笑顔でそう言ったのがはじまり。
お互い、毎週同じ時間にこのあたりに居ることがわかって。特別約束もしないまま、なんとなくこの書店で会うようになって。
あれから、もう数ヶ月。

…たぶん、いま、つきあってる…のかな。

花沢類は、道明寺とのことを何にも聞かない。知ってるんだろうな、と思いつつあたしもあえてそのことには触れない。
ただ、何もなかったみたいに、昔に戻っただけみたいに過ごしている。

 以前よりだいぶマシになった花沢類の運転で、ドライブしたり。
 仮免中のあたしの運転を助手席でげらげら笑って見ていたり。(…じ、自分だって…)
 『テレビで見たことあるけど、行った事ない』という水族館で、手をつないで白イルカを見たり。
 何もない花沢類の部屋で、二人並んでDVD鑑賞したり。
 そして、ときどきふと思い出したみたいに、花沢類は短い、一瞬だけのキスを落としてくれる。

これ、つきあってる…って言っていいのかなぁ。
優紀には『えー、おかしいよ。ぜったい、それ、おかしいよ。』と呆れられた。
あたしも…そう思う。まるで、中学生日記みたいだと、思う。

やっぱり。あたしと道明寺のことがあるから?
気になるのかな、気になるよね、そりゃ…親友の彼女だった、あたし。
もちろん、花沢類も知ってるんだろう。あたしと道明寺が、そういう関係だったってことは。

このまま中学生日記を続けるのがイヤってわけじゃない。花沢類のそばにいるだけで、じゅうぶんに、しあわせ。
変な事言って、この関係を壊したくない。
でも。
パズルのピースをもてあそんでいる長い指を見つめていると。少し伏せられた長いまつげを見つめていると。
反らせた背中を見つめていると。
抱かれたい、と思うあたしは、おかしいだろうか。

絶対気づかれたくない、こんな風に思っていること。だけど…。花沢類は、どうなんだろう。

『ちゃんと、つくしから誘ってみなよー。言いたいことは言わなきゃだめだよ、大体相手はあの花沢さんなんだから…。
 このままじゃいつまでたっても先に進まないんじゃない? そんな宙ぶらりん状態で、それでいいの、つくしは?』

優紀の真剣な助言は、赤面しつつも『ごもっとも』だと思う。

でもさ、あたし…誘ったことなんてないし。
花沢類にせまるなんて、それはちょっとなんていうか気恥ずかしいって言うか、無理っていうか…。

えぇぇい、がんばれつくしっ。

「あ、あ、あのさ花沢類。」

わゎ、声が裏返ってる。耳が熱い。
花沢類は複雑な形のピースを片手にうーん? と振り返る。呑気な表情で。

…こ、この人を誘うなんて、やっぱ、む、無理。

「あ、えと、あの、なんでもない。」
「…? 牧野も、する? パズル。」

…パズル。あたしがしたいのはパズルじゃなくって…いや、パズルもいいんだけど。別にこのままでもいいんだけど。
いい・・・のかな。なんだか、わかんない。

あたしは花沢類の横の固い床に正座して座り込む。
パズルは、この前の水族館で買った、白イルカの写真で。ほとんどのピースが白と、水の青。
花沢類はお約束どおり、白イルカの顔の部分だけを先に作り上げただけで、あとは悪戦苦闘しているようだった。

「牧野は、じゃ、海担当ね。」

青いピースを投げてよこしながら、ご機嫌な調子で言うのを、あたしはどこか上の空で聞く。

…海。海ちゃん。

ちょっとだけ昔を思い出して、胸がチリリと痛む。…変なの、もうどうでもいいのに。
そういえば、あの頃。花沢類は、ひとりであたしの味方をしてくれたっけ。
珍しく感情的になって、道明寺殴ろうとしたりして…。

気がついたら、花沢類がまっすぐな目であたしを見ていた。

「…あ、ごめん、ぼっとしちゃって。」
「…ううん。」

ふっと伏せた目がなんとなく悲しそうだった気がして、たまらなくて。
なぜか、あたしは何も考えずに、花沢類の髪をなぜていた。絹糸みたいな、やわらかくて細い髪。

「ま…きの?」

驚いたような花沢類の表情を見てはっと我にかえる。
な、なにしてんだあたし?

「…あ? あわっ。も、もうやだ花沢類ったら髪の毛に糸くずついてたよ。…ご、ごめん、勝手に触ったりして。」

ぎゃーーー恥ずかしい。耳まで赤くなっているのを感じながら、慌てて立ち上がろうと床についた手首を捕まえられてそのまま組み伏せられる。
え、なに…? と思う間もなく、花沢類の唇があたしの唇に重なって。
いつもの、まぼろしみたいなキスじゃない。 熱いキス。
花沢類のまつげが頬に触れて、くすぐるように震える。
あたしは、目を閉じて、ただ唇の熱さを感じながらぼんやり酔ったようになる。
…このままの関係でいい、なんてウソだ。…あたしは。

「…ひゃっ。」

ぼんやりとろけるようなキスの途中、花沢類の冷たい指が首筋に触れて、思わずびくっとする。
花沢類はいったん唇を離し、鼻先が触れるぐらいの距離であたしを見つめる。しっとりと光っている唇。真剣なまなざし。

心臓が…壊れそう。
何か言って、花沢類。お願い。 瞬きもせずに花沢類を見つめながら祈る。

「パ…。パズルが崩れちゃうよ。」

耐え切れなくて、あたしは間の抜けた事を言う。
花沢類は一瞬、きょとんとした顔をしたけれど、すぐに真剣な表情に戻って言った。
「もう、やめよ。ごまかすの。」

…それは、あたしも同じ気持ちで。じゃぁ、花沢類も? あたしのこと、道明寺とのこと、許す?
もういい、だめでも。この関係が壊れてしまっても。伝えたい。


あたしは腕を伸ばして花沢類の首に手を回す。サラサラとした髪の毛が指に触れて。

「…すき、花沢類。」

やっと、言えた。本当のこと。
花沢類は、はじめてみる位真っ赤になって。泣き顔みたいにくしゃくしゃの笑顔で。

「…俺が、ずっと、牧野を好きだったって。知ってた?」
「…うん。」

知ってたよ、花沢類。
でも望みながら、怖かった。ごまかしてた方がしあわせなのかも、と迷ってた。

花沢類の腕に包まれて。唇があたしの肌を滑って。ふたりとも無言のまま時々視線を合わせて、キスをする。
ふしぎなぐらい、恥ずかしさは消えていた。
まるで、今までいつもそうしていたみたいに、自然にあたし達はお互いに触れ合って。
冷たい指が肌を這うたび、ふれられたところから熱くなる。

「んっ…」

時々、息する事すら忘れてしまうぐらい没頭して溺れたみたいに苦しくなる。
その度、暖かい背中に腕をからめて確かめる。
だいじょうぶ、花沢類がここに居る。あたしと一緒に居る。


見たことのなかった、彼の表情にうっとりと見とれながら。
切なくて苦しいような、それでいて守ってあげたいような気持ちがとろりと心に満ちる。

…あぁ、『好きあっていれば、当然のこと』ってこういうことなんだ。
溺れて、朦朧としているみたいな意識の中、あたしは今更ながらに納得する。

花沢類の表情に。指先に。
今、あたしの中にいる、花沢類に。
息が苦しくて、切なくて、なのに、ずっとこのままでいたい。

熱くなった手のひらで頬を挟まれて、彼の目を見つめる。苦しげな表情と裏腹な満ち足りたようなまなざし。
あたしも、たぶん。よく似た表情をしているのかもしれない。
ことばはなくて、お互いの息だけがはずんでいて。
あたしは、ううん、たぶんあたし達は、お互いの思いがやっと伝わった、と確信していた。

瞬間がすぎた後、花沢類はあたしを見つめて、にっこりと微笑んだ。
その表情が、あまりにも美しくて、あたしはまた息を飲む。
嬉しくて苦しくて愛しくて、微笑み返すことができず、泣きながら彼を抱きしめた。

彼の肩越しに、さっき作りかけたジグソーパズルが見えて。
真ん丸な黒い目の白イルカが笑って、祝福してくれているような、気がした。






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