青春の影
花沢類×牧野つくし


たまたま点けたテレビで彼を観た。
花沢商事がシアトルのIT関連企業を吸収合併したという。若き専務は相手方と握手を交わす。薄茶の髪の毛とビー玉のような透き通る瞳。5年前と変わらぬ美貌に社会で揉まれた精悍さが加わっている。
あたしはそれに一瞬見とれ、それでもすぐに電源を切った。
彼を思い出す時、まず浮かぶのは淡い憧れと強い思慕。それを打ち消すように心が激しく波打つ。
あたしは彼を憎んでいるのかもしれない。泣けるくらい優しく美しい青春の思い出と共に。

花沢類は道明寺とあたしを裏切った。

三月の晴れた日。卒業式も終わり、春休みの宿題を必死にこなす毎日を送っていたあたしは、英語を教えてくれるという類に誘われて、彼の部屋にいた。それは特別なことではなく、道明寺がN.Y.に行ってからはよくあることだった。

「司との将来を考えたら必要でしょ」

類はいつも当然のように言った。あたしは「ごめんね、ありがとう」と言い、類は「聞き飽きた」と笑う
全てがこんな感じだった。道明寺とのケンカや会えない寂しさを受け止めてもらうときでさえ、いつものやり取り一つで許されてきた。

「牧野、ずいぶん髪が伸びたね」

一段落ついてお茶をしているときだった。ふいに類があたしの髪に触れた。

「うん、お金がもったいなくて切ってないんだ」
「なにそれ。でも、あんたらしい」

喉の奥でクスリと笑ってから、類はかばんからカッターを取り出した。

「切ってやるよ、久しぶりに」

その日は本当に暖かで、何もない類の部屋に窓から柔らかい日差しが差し込んでいて、彼の手は優しくて、あたしはその感触に心を許していた。
まるで非常階段にいるような空気。あたしと類の穏やかな時間。あたしは一生懸命に他愛の無い話をし、彼はそれをいつものように口数少なく聞いていた。

花沢類はあたしの一部。心の底からそう思っていた。心を許しきっていた。

鏡の前にはすっきりした頭のあたしがいて、春らしく軽くカットされた髪の毛に見入っていた。

「本当、上手だよね。カッターでやったなんて信じられないよ」

あたしは振り返って、類に笑いかける。

「でもさ、なにも敷かないで切ったから髪の毛が床に散らばってるね。掃除しなくちゃ」
「あとでやるからいい」
「え、でも悪いから。本当ごめんね。でも、ありがとう」

類はあのビー玉の目であたしをただ見つめた。「聞き飽きた」とも言わなかった。今思えば、何かを言おうとしてるようだった。
でも、あたしはそれに気づかないでいた。

「ねぇ、箒とか掃除機どこ?そういえば類ってば聞いてよ。道明寺がまたさぁ……」
「――やめろよ」
「……え?」

道明寺の話を遮られたことはそれまで一度だってなかった。あたしは徒ならぬ類の雰囲気に気圧された。

「もう、あんたから司の愚痴とか聞きたくない」
「あ、そうだよね。親友だもんね。あたし、それなのにいつも……。あはは、デリカシーないよね、本当。ごめっ――」

最後まで言わせてもらえなかった。類はあたしの言葉を唇で塞ぐと、そのままベッドに押し倒した。

「その言葉も、聞きたくない」

押し殺したような、低い、低い声だった。

びっくりして暴れるあたしを身体で押さえつけて、片手であたしの両手を頭の上に縫いとめる。もう片方の手で類は自分のベルトを外した。カチャリという音がしてベルトを抜き取ると、それを使って冷静にあたしの手首を縛った。

「ちょっと、からかってんの?やめてよ、こんなこと。ねぇ、聞いてるの?類ってば!」

必死に声を出すけれど、類は黙って自分のニットを脱ぎ捨てる。白い、でも均整のとれた美しい上半身。あたしを見つめる瞳はいつもの穏やかな目ではなくて、青い炎が宿っているように感じた。
一見、冷たくて、でも本当は高温の炎だ。
類の唇が首筋を這い、下の先がゆっくりとなぞっていく。それまで、必死に類を止める言葉を吐いていたあたしは、ぞくりとするような快感に声が上擦った。それを知って、今度は耳たぶを甘噛みされる。
声を洩らさないように力をいれるあたしを見下ろして、類は忍び笑いを洩らす。その瞬間にあたしは制止を試みる。

「やめて。ダメだよ、こんなこと。あたしは道明――」
「うるさい。黙って」

類はさっきと同じように、いや、それより乱暴に唇を奪った。ねぶるように激しく、舌を口内に差入れ絡ませる。開放された唇が吐息を吐く。再び耳たぶを甘噛みし、耳元で吐息混じりに囁いた。

「今みたいな声なら、もっと出してよ」

その感触にあたしは身震いする。首筋、耳、唇。類はゆっくりとあたしを味わう。憧れの人、心を許した人、大事な人、全てを総括している存在にあたしは逆らえないまま委ねてしまった。

類の手があたしのセーターを捲り上げ、素肌に触れる。恐怖を覚えてビクリと身を震わせると、大きな手は何度かあたしの腹の上を撫で回した。
そして、ブラジャーを無理やりずり上げた。突然、胸が外気にさらされる。

「いやっ、類、お願い」

鋭く叫んだあたしの嘆願も無視して、類は双丘に指を這わせた。唇を合わせ、舌を吸ったり軽く噛んだりしながら片手であたしの髪を梳き、空いたほうの手で愛撫をくわえる。
指先で触れるか触れないかの刺激。その繊細な刺激にあたしは知らず嬌声をあげた。
その反応に類は顔を離して目を細めると、顔を胸の位置におろし、舌で刺激を与えられてないほうの乳首を刺激する。
あたしの身体は激しく跳ね上がり、意思とは関係なく腰が動いた。

「牧野」

くぐもった声。激しく吸い上げられる乳房。繰り返される口付け、首筋への愛撫。あたしは狂ったように腰を動かしてしまう。
本当は、思い切り感じてもっと嬌声をあげてしまいたかった。でも理性の綱があたしを縛り、道明寺への想いが痛いくらいの罪悪感となって締め付ける。

――なんで、こんなことをするの?

そう問いかけたかったけれど、激しい快感の波に襲われて、あたしは呼吸をつなぐのにやっとだった。
類の手があたしのスカートにかかり、下着を越して茂みに分け入る。淫らな水音があたしに警鐘を鳴らす。

「ねぇ、牧野知ってた?あんたすごい感じてる」
「ねぇ、もうやめよう。お願い」

嘆願むなしく、あたしの中を指が妖しくうごめく。そのたびに、あたしの腰は自然と浮き上がりいやらしい蜜を垂れ流す。
それを聞かせるように、類はわざと音を立てて中をかき混ぜる。

「すごいね」

艶のある笑みをあたしに向けて、再び唇を合せた。それは、どこまでも蕩けそうなほど、優しい口付けだった。

唇を離すと、類は黙ってあたしの手首からベルトを外した。そして背中を向けて脱ぎ捨てたままになっていたニットを拾い、身にまとった。

「……なん、なの?」
「なに?もっとして欲しかった?」

気が付くと外は夕暮れどきになっていた。西日に照らされた類の髪の毛がキラキラと輝いている。

「服直せば?その格好、相当良い眺めになってるよ」

類に言われて慌てて身づくろいをした。でも、手が震えてうまく出来ない。
洋服を直している間に、類はあたしの荷物を片付け、「帰るでしょ」と手渡した。

「送っていくよ。なんかまともに歩けなさそうだし」
「いらない」
「そんな顔して街歩いたら、襲ってくれって言ってるようなもんだよ。それに、下着濡れて冷たいんじゃない?」
「誰のせいで!!」

顔をあげると視線がぶつかった。

「なんで、あんなことしたの。あたしのことも、道明寺のことも裏切ったんだよ。ひどいよ、類」

類は黙ってあたしの手を無理やり引いて玄関まで連れ出し、車に乗せた。

あたしたちは無言で車内の時間を過ごした。類はあたしの手を握り続けていた。重苦しい時間の中で心に深く根ざした思い。

――あの柔らかい、優しい時間は二度とない。

そのことが悲しかった。

家に着いて、車から降りたあたしに類が口を開いた。

「確かにね、俺は酷いかもしれない。でも、ずるいのはあんただよ、牧野」
「どういう……」
「行きなよ。また明日ね」

車のドアが非情な音を立てて閉まった。外は昼間の暖かさが嘘のように冷え切っていた。
その晩、美作さんから電話がきた。『道明寺が明日帰ってくる』と。


成田空港には美作さん、西門さんはもちろん桜子、滋さん、そして類がいた。
何事もなかったようにそこにいた。昨日のことは悪夢か何かで、本当はなにもなかったんじゃないかって思うくらい普通で、
それでもあたしの五感はすべてを覚えていた。
道明寺がゲートを抜けてこちらへ来る。その姿にみんなが盛り上がっているとき、類はあたしの耳元でそっと囁いた。

「そんなんじゃ、司にばれちゃうよ」

三年後、あたしと道明寺は結婚した。類とは空港以来会っていない。
道明寺を迎えに行ったその足で、入れ替わるように類はロンドンに行ってしまった。結婚式にも来なかった。
道明寺とは連絡を取り合ってるみたいでたまに噂を聞くけれど、あたしはあれっきり話もしない。

彼の話を聞くと、姿を見ると、一瞬の感激と広がる憧憬。
あとから込み上げる慙愧の念であたしは不安定になる。それを押し隠して笑う。
それでも、類。あたしは、あのときあなたが言ったあたしの狡さがわかるようになってきたよ。
いつか何もかも許して笑いあいたい。そんな日が来ればと願うよ。
だけど、あなたは道明寺とあたしの信頼を裏切った。そのことは事実だから。

あたしの思い出は今でも美しくて苦いまま。






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