Next step
熊谷一哉×萩原未央


「ん……」

触れ合わせた唇から息が漏れて、部屋に漏れ出していく。

「くぅ」

あたしが、溜息とも喘ぎともつかない声を上げた時、後ろに回された手がゆっくりと這って、背中を軽くひっかかれる。

「ん、くふぅ」

唇が少しづつずれる度に、心地よくて柔らかい感触がダイレクトに脳に伝わってくる。

「ん、んっ!」

あたしは背中を微かに逸らせながら、小さく声をあげた。

やがて、長いキスは唐突に終わりを告げる。
重ねていた二人の唇がゆっくりと離れて、顔全体を視界におさめることができる。
黒曜石のような輝きを放つ瞳であたしを見据えながら、一哉は口を開いた。

「萩原……」
「な、何?」

両肩に手を添えられて身体が固まる。
鼓動が速まる。両膝が微かに震える。
あたしは、次の瞬間に受ける衝撃に備えるために、掌をぎゅっと握りしめて、全身に力を入れる。

ところが。

「続き……してもいいか」

一哉はどうにも自信なさげな口調で言ったきり、困ったような表情を浮かべて押し黙った挙句、
ついには視線を外して、斜め下を向いてしまった。

どうにもキマらない恋人の様子に、この場面には相応しくない感情がこみあがってくる。

「ふっ」

何とか抑えようとするが止まらない。

「ふふっ、あははっ」

「なんで笑うんだよ!」

憤然とする一哉の顔は、りんごのように真っ赤だ。

「だって、かわいいんだもん」
「なっ」

絶句した一哉に、今度は少しだけほろ苦い気分にさせられる。
中3にして、映画監督という華々しいデビューを飾った彼――
熊谷一哉は、意志の強そうな黒い瞳と髪が魅力的で、クールでスマートにみえる。

確かに演出家という仕事面から見れば、野心家で切れ者で、印象通りなのだけど、
女の子のあしらい方や、接し方となると、とんでもなくニブチンなやつなのだ。

もちろん、収君のようにこなれた振る舞いをしてほしい訳ではない。
一哉は一哉のやり方があって、それは好きなのだけど、今みたいな瞬間だけは、
もう少し決めてほしいと思う。
例えば、「これからもずっと俺だけの専属のヒロインだよ……」
と、あたしに告げてくれた時のように。

「断ってほしいの?」
「それはイヤっ……て、あのなあ」

思わず本音を漏らしてしまい、動揺する一哉の表情を愉しげに眺めてから、背中に手をまわして
そっと頬を当ててみせる。
華奢なようにみえて、引き締まった胸板の感触を布地ごしに感じながら、あたしは告げた。

「皆まで言わせないでね」
「……わかったよ」

一哉は、戸惑いに悔しさと嬉しさをブレンドした表情を浮かべて、頭をかいた。

「おまえにリードされっ放しっていうのは、情けないけど」
「あたしだって、経験豊富という訳ではないわよ」
「ふふっ、そうだな」

一転して、からかうような笑みを浮かべてから、一哉は言った。

「慣れた子は泥酔して、他人の家に運ばれないよな」
「そ、それは、仕方ないじゃない!」
「ごめん。ごめん」

痛いところを突かれて、カッとなって叫んだけれど、一哉の笑顔が無邪気過ぎて、
それ以上は突っ込めない。

「まあ、今回は引き分けということで勘弁してあげるわ」

ぷいっと顔を背けたまま、あたしはすっかり紅くなってしまった顔を横に向けた。

「素直じゃないな」
「どっちが?」

お互いに顔を見つめあって、くすりと笑いあった直後――
一哉は小さくため息をついてから、今度はとても真剣な表情であたしを見据えた。

「萩原……おまえのことを誰よりも愛している」

黒い瞳から放たれた鋭い矢が、あたしの心臓を貫く。

あたしが小さく頷いた事を確認した一哉の手が、腰にまわされて、
端正な顔がゆっくりと近づいていく。
唇があたしを塞いだ次の瞬間、ひどく熱いものがなかに入り込んできた。






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