ぶちょおとアホ宮-2
高野誠一×雨宮蛍


(くぅ〜…憎らしい!)

半ば意地になって顔を近づけると、彼の綺麗な顔が視界に大きく広がった。

やっぱりイケメンだよなぁ……と感心しながら、蛍は身体をずらして高野の身体に覆いかぶさるようにして四つんばいになった。

「……しちゃいますよ〜?しちゃいますからね?」

囁くように呟いてもやっぱり反応はない。

虚しさと罪悪感が胸を去来して、一瞬蛍を躊躇させた。

だがその直後、先ほどまで見ていた映画の中のヒロインたちが、簡単に恋人と熱い口付けを交わすシーンが次々に蘇る。

幸せそうに、愛する人と抱擁し愛の言葉を囁き合う彼女たちが無性に羨ましく思えてきた。

(階段を二段上がったって、失恋を乗り越えたからって、干物の私が簡単に恋愛をこなせるようになるわけじゃない)

だが今は既に恋を知った。

潤いもなく乾ききった生活の中で、それでも手嶋マコトと出会い、高野誠一と暮らすようになって、自分ひとりの完結した世界は終結したのだ。

一人で生きていくことを寂しいと感じるようになった今の自分は、傷つきやすく脆い。

だが、前に進まなければならないのだ。

(部長…)

彼女の感情を後押しするように、切なさが胸を撫でる。

「大好きなんです……」

そのまま、唇を重ねた。

「……雨宮」

柔らかい感触を味わった途端、重ねた唇が動いたので蛍は心臓が縮み上がる思いがした。

「ぶ、部長……!」
「映画は観終わったのか?」
「は、はい」

上半身を起こすと、蛍は自分が高野の身体を跨いでいたことに気が付いた。慌てて動こうとすると、高野がそれを押しとどめる。蛍のウエストを掴んだまま、彼はうっすらと瞼を開けた。

「……にゃんこみたいだな」
「へ?」
「いや、いい。こっちの話だ……それより」

眉根に皺を寄せると、次の瞬間高野は眼前の蛍を睨みあげた。

「貴様、よくも意識のない相手に黙ってチューなんてしてくれたなっ」
「……す、すみません!」
「全くもう……」

高野が苛立たしげに上半身を起こしたので、蛍は少し後ずさらなければならなかった。

心臓が未だに鳴っている。不機嫌そうな彼の姿を見ながらも、唇の暖かさが蛍の心まで暖かくしていた。

「なんで、あんな事をした」
「すみません……」
「私は理由を聞いてるんだ」

凍てつくような口調で問いただす高野の迫力に押され、蛍は考え込むように首をかしげた。

「映画を観ていたら……ラブシーンやら、キスシーンが多くて、ですね…。
それで、ああ私も部長と彼氏と彼女なのになぁ、ラブラブじゃないなぁと思いながら部長の顔を見たら、
なにやら、むらむらっというか…ドキドキっというか……それで、なんとなく勢いに押されまして」

なんでだろう〜と考え込む蛍に、呆れ返ったような顔で見返すと、高野は溜息をついた。

「それは、君が私の事を好きだからだ」
「わかってますよ……」
「私も、君が好きだ」

はじけたように蛍が顔を上げる。驚いたような顔で高野を見つめる彼女を、彼はそのまま抱きしめた。

一年前、工事中のビルに閉じ込められた蛍を助けに来た高野が思わず抱きしめたとき以来の抱擁だった。

あの時と同様に、彼女は動転した。

彼の腕が、蛍の背中をぐっと強く掴む。

「部長……」
「悪かった……君も一応、大人の女なんだな」
「ハァ?!」

肩越しに失礼なことを言われた気がして、蛍は思わず声が裏返った。

「いや、こっちの話だ」

言うと、彼は蛍を抱いたままベッドに倒れこんだ。

衝撃でくらくらしている彼女の上に跨ると、そのまま噛み付くような口付けを浴びせてきた。

柔らかい唇の感触と、生温く濡れた舌が蛍の口内を侵食する。

(部長?部長?!部長〜〜〜〜?!)

驚きで声も出ない蛍は、なす術もなく高野の唇を受け止めるしかない。

仰向けのまま呆然としていると、そのうちTシャツに高野の手が侵入してきた。

突然の展開に、彼女は完璧なパニック状態だ。

「な、なんでですか部長…あの、今までそんな素振り一度も…えええ、えええええ……?」
「だから」

パチンと、背中でブラジャーのホックが外れる音がした。

(うわっ……)

思わず目を瞑って身を硬くする蛍の耳元に高野は唇を近づけた。

「悪かったといっているだろうが…!君が、どうも…まだ、女として熟しているようには見えなかったんでね」
「ハァァアア??」
「そういう意味じゃない!…いや、手嶋が相手ならともかく、君が私とこういう関係になるのは……ずるいだろう、大人として」

言いにくそうに口ごもる高野に対し、蛍は全く理解できないというように顔をしかめた。

「部長、意味がわかりません……」
「……君に中年の男の気持ちはわからん」
「いや、そりゃそうですけど……ひゃっ…」

背中から脇腹を指先で滑るように撫ぜられて、蛍の心臓は縮み上がった。

「……そういう声を出すな」
「無理です、部長〜〜〜〜〜!!」
「はいはい」

高野はそのまま蛍の首に顔をうずめ、耳の後ろからゆっくりと唇で噛むようなキスを落としてきた。

同時に彼の右手はいつのまにか蛍の乳房に移動し、五本の指が列をなすように次々と柔らかい膨らみを辿る。

「ああ、あっ…」

羽毛で撫でられるような愛撫に、彼女の肩はびくびくと反応する。緊張のあまり、ますます身体は硬くなった。

胸を触りながら、高野は独り言のように「意外に大きいな…」とかすかな声で呟いた。

「はい、すみません……あっ……」
「いや、別に謝るような事じゃないが…」

高野は一度顔を起こし、蛍を見下ろした。息を荒くする蛍の表情を、真剣な眼差しで捉える。

いつのまにか服を脱ぎ、痩せてはいるがきちんと筋肉のついた上半身が顕わになっていた。

(何を考えているんだろう……)

彼は、何かを躊躇っているような、堪えているような、そんな顔をしていた。

それでもその瞳には、なにか貪欲な衝動が炎のように見え隠れするようにゆらめいている。

蛍はそんな彼の表情を、どこか満足げに感じていた。

(可愛い……)

女として、彼の男としての感情を受け止める部分が自分にあったことに彼女は驚いていた。

今までは、高野を頼りになる上司として保護者として、甘えさせて欲しい、守ってもらいたいという思いが先行していた。

あまりにもほっと安心できる存在だったから、無意識に寄りかかっていた。

(……この人は、そういう私の未熟な少女性を見抜いていたのだろうか)

だから、自分の男としての部分を封印し、庇護する対象として蛍を見ていたのかもしれない。

「は、あああ…っ」

蛍の下着の中に高野の指先が侵入する。

刺激が強すぎて、蛍は身体がそのまま裏返るような衝撃を受けた。

「部長…部長っ……」

なぜだか涙が出てきたので、慌てて両手で眼前を覆った。

暗闇の世界で、感じられるのは彼の指先だけだ。

剥ぎ取るようにして下着とジャージを脱がされる。肌がひやりとした外気に当たり、思わず息を止めた。

「雨宮」

耳に落ちてくる高野の声はいつもより荒く聴こえた。

「部長……」
「君が、好きなんだ」

そう言って、唇を落としてきた。柔らかいキスを残すと、そのまま囁くように彼は続ける。

「だけど、今の私には余裕がない。悪いな。君を気遣えない」
「いいんですっ。大丈夫、大丈夫ですから…!……あ、ああん!」

彼女が言葉を紡ぐ前に、高野はやや強引に蛍の中へ入っていった。

大きく開いた両足の間で、彼は何かを堪えるような苦しそうな顔をして動く。

「あ、あ、あ……」

蛍の胸を去来する様々な感情がスパークし、それらは靄のように曖昧な姿になって彼女の意識を覆った。

「蛍、蛍……」

快楽が尖るように刺激を強くしていく中で、彼女は彼の声を聴いたような気がした。そして、次の瞬間には全てが白く塗りつぶされた。

「別に私は、あのままのー――いわゆる、去年のままの関係でも悪くはないなと思っていた」
「そりゃあ私も当初は、それだけで幸せでしたが…!」
「知っていたよ」

不機嫌そうに言うと、高野は蛍の頬をつまんだ。

「だから余計手を出しにくくなったんじゃないか、アホ宮」

ピロートークにしては色気がない会話をしながら、高野と蛍はベッドの上で楽な姿勢を取っていた。

高野は枕に寄りかかった体勢で、シーツ越しに膝に肘を乗せて頬杖をついている。

「なんれふか、それは…!私が原因だとれも言いたいんれふか…!」
「そうだ、何もかも君が悪い!全く、想い出すだに腹立ってくるな、このひと月…。なぜ私が負担を強いられなければならん、この干物女!」
「ハァアアア??」

がばりと起き上がり、蛍は抗議の声を上げた。

「そんなこと言うなら、もう二度としませんよ、こういうこと!私は女ですから平気ですけど、部長は男だから耐えられないんじゃないですかぁ??」
「なにぃ?」

嘲るように言うと、高野のこめかみがぴくりと動いた。

「あ……」

彼の本気で怒りを覚えたような様子に、一瞬、蛍は頭が冷える。

「あ、あのぉ…だから、ね。仲良くやっていきましょうという意味で…ね?部長?」
「……貴様ぁ……そこまで言うのなら、付き合ってやろうじゃないか……」

真剣な顔で彼は蛍を睨みつける。前髪がふりかかり、片目が隠れて、余計に迫力が増した。

「へ?」

呆けた顔で応えると、高野はそんな蛍に嘲るような笑みを浮かべる。

「二度とこういうことはしないんだろう?悪いがな、私の理性は万里の長城より堅固にできている。加えて、君は女としての色気はほとんどない。まあ、我慢比べなら分があるのは私のほうだな」
「は、ハァ??」
「まあ、どうしてもというのなら、相手をしてやってもいいが……その時はお願いしますと土下座するんだな」
「ハァアアア???」

かすかな微笑と涼しげな顔で言い放つ高野に、蛍は今朝一番の大声で抗議の印を示したのだった。






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