第六部 ストーンオーシャン
「『個性』って、何だろう。それは、誰かを否定して、自己を高めるコト? でもそれって、同時に他者の肯定することに他ならないんだ。黒を否定するた めに白を強調したところで、黒が無ければ白だって存在しないんだ。 貴方は『大事なもの』が多すぎて、『本当に大事なもの』を見失ってたんだ。 聖職者になる道なんて、諦めちゃえば良かったんだ。そうして真実を告白し て、二人を説得すれば良かった。二人は傷ついたかもしれない。でも、ひょっ としたら、あなた達は本当の兄弟になれたかもしれない。 それとも、そのまま黙っていれば良かった。確かに、近親者どうしの性交渉 は血族特有の症状を持つ確立の子は増えるよ。でも、全く異常だって出ないか もしれない。不愉快なのは、真実を知る貴方だけだ。 貴方は、『貴方にとって良い最善』を選んだんだ。そうして、最悪のケース になってしまった……」 時間が無いと、貴方は思ったのかも知れない、と少年は言った。 「妹が弟と結ばれてしまうかも知れないと。そうなってからは遅いと。 ……でも、やっぱり貴方は臆病だったんだよ。不安だったんだ。妹を盲目的 にでもいい、信じてやれば良かったんだ。大抵の人間は、自分が心を開いてい れば、相手も心を開いてくれる。そんなものだよ。運命だって、そうだ。想え ばきっと、応えてくれる……」 ハッと、神父が笑った。何時もと違って、その笑いには力が無く、殆ど、自 嘲に近かった。 「『運命』だと?無神論者のお前が、そう言うのかエンポリオ。そして、 私の今のこの状況は、『想い』で負けた、そのせいだと?」 「思うのは僕の自由だよ。それを証明しようとも、押し付けようとも、そう は思っていない。ただ、『そう想っている』……それだけさ。 でも、そう言うのなら、試してみようか、神父」 言うと、ゆっくりと『朽ちた繭』の中は暗くなっていった。曲が変わる。 "Agnus Dei"(神の子羊)の曲調と同じく、繭の中は暗く、そうして、天から 光の緞帳が……オーロラが、降りた。 これは、と、少年は呟いた。 「『痛み分け』って言うのかな?少なくとも貴方の話を聴いて、僕は前ほ ど貴方を恨んではないんだ。変だね、貴方は僕のママの仇なのに……。 ウェザーが虹を出したことで、周りの人々をカタツムリに変えた。じゃあ、 オーロラは、どうなんだろうね?僕達はカタツムリになるのかな?それと も、別の何かに、なるのかな?」 やってどうする、と神父が言った。 「お前も、『何か』になるのかも知れないんだぞ……?」 「言ったでしょ?僕はもう、あなたをそれ程恨んではいないんだって。でも、 幕は引かなくちゃならないんだ。どんな形でも。 ウェザーの能力はウェザーのものだから、ひょっとしたら、僕には使いこな せないで何も起こらないかも知れない。ひょっとしたら、僕もあなたも何かに なるのかも知れない。あるいは、あなたの体力が回復して、僕のコトを殺すか もしれない。 でも、それで、良いんだ。お姉ちゃんは僕の望むように、して良いって言った。 だから、ぼく、そうするよ」 真っ暗な世界を、緑の、赤の、青の、光の緞帳が揺らめき、流れる。 オーロラは太陽のプラズマ粒子の流れが地球磁場と相互作用し、大気中の粒 子と衝突。最低エネルギーである基底状態から、励起状態となり、元に戻る際 に発光する存在だ。色は、電子の降り込む高度によって変わる。 それがゆらゆらと、波のように、寄せては、返していた。 ――波。妹が、引き上げられる、水、の。 ”あたし、お兄ちゃんのこと、好きだわ?それじゃあ、駄目なの?” ぎゅっと、妹の髪留めを握り締める。もしも、と、強く願った。 もしも、魂の量が一定で、妹の魂が何処かに行ったというのなら。ウェザー の魂が、何処かに行ったというのなら。天国でも、地獄でも良い。今度は、 今度こそ、告白しようと、そう思った。そうして今度こそ、大事なものを間違 えないように、本物だけを、掴み取れるようにと、そう、誓った。 ――神様……と、祈りの言葉が、自然に口から、ついて来た。 「ぼくは、あなたを、許すよ、神父――。 ……知ってる?オーロラって、霊の通り道なんだって。だから、あんなに 幻想的で、不思議な色をしているんだって。嘘か本当かは分からないけれど……。 でも、見ていると何だか、どこか別の世界に、吸い込まれそうな美しさをし ているよね。 ……神父?」 エンポリオは見上げていた顔を下げて、神父の方を見た。最終章を奏でてい た幽霊のピアノは、最後の一音を静かに響かせ、緞帳の光がゆっくりと消えて いくのと同時に、響いていた音も、静かに、空間のうちへと消えていった……。 ・ ・ ・ う、と、エンポリオは目に入ってきた砂埃に手を覆った。バスの発車音が響 く。慌てて駆けるが、間に合わず、バスは発車した。 しまったな、と思っていると。何やら停止したようだった。だから、さァ! と、声が響いた。 「だからさぁー、50ドル紙幣しか持ってないんだってばぁー。 なんで釣り銭がないのさ、このバスー。なにさ、客に対してどぉしてそぉい うこと言うかなーッ! わかった!わかったよッ!ちょっと待って!今、そこのガスステーシ ョンでくずして来るからッ!!」 慌てて駆ける。やった。と、バスに追いついたところで、言い争っていたら しい人物がひょいと顔を出した。 「あっ!キミっ!このバスに乗るの?良いところに来たね!お金ク ズれる?この50ドル札。 ね?良いでしょ?これ偽札じゃないよ。このバス、小さいお金じゃない と絶対にダメだって言うんだッ!!」 そう言ったところで、ドサァと音が響いた。見ると、男の荷がドアから放り 出されていた。突き落とされたらしい。少年も、あたたたた、と、地面に打っ た腰を擦っていた。次の瞬間、バスが発車した。 「ひッどぉいなーッ!!次のバスまで二時間じゃないかッ!!……うう、 こんな事なら招待客が多いからって遠慮しないで、承太郎さんのご好意に甘え て式場に近いホテルを取っておくんだった……」 呟きながら、少年はポンポン、とズボンに付いてしまった埃を払った。日本 人の、中学生か、高校生だろうか。あちらの人間は童顔だから良く分からない が、その位の歳に見える。 なぁ、とそこで、声が掛かった。 「なぁ!オレの車ガス欠なんだけれどもよ、ガソリン代とメシ代おごって くれねェ?そぉ〜したらよ、好きなトコまで乗っけてやっていいゼ?」 どちらともなく、少年とエンポリオは、目を見合わせた。そうして示し合わ したように、二人とも同時に首を横に振った。 「いや……いいです。僕、本持って来ているし。時間潰すの、苦じゃないし、 なんて……」 言いながら、少年はバックから漫画本を取り出した。それを見て、おッ!と、 男は目を輝かせた。 「俺知ってるぜッ!!それ、ロハン・キシベの漫画だろッ!?それ、ひ ょっとしてニホンでの最新刊!?」 目をキラキラさせての男の言葉に、少年はびくりと肩を震わせる。ええっと、 そうですけれど、日本語ですよ、と。 男はぱちりとした眼を見開いて、"Niente problema!(問題無ェッ!!)"と 喝采を上げた。男の言葉を聞き、ひょっとして、イタリア人?と、少年はす らすらとした綺麗なイタリア語で、男に返した。男の目が、丸くなる。 「すッげェな、長いことイタリアにでも居たのかよ?英語より上手くねェ?」 「まァ英語は自力ですから……じゃ、なくてッ!あの、その、結構ですから!」 「まァまァ、そう、遠慮すんなよッ!俺、ロハン・キシベのファンなんだよッ! 何も運転中に読ませろって言ってんじゃねェッ!ちょっとした休憩中に読ま せてくれりゃあ良いんだからさッ!……読ませろって言ってんだーッ!!」 「ちょっとミスタッ!!」 助手席が、キィと開いた。二十四、五、くらいだろうか。茶髪でくるくると パーマをかけた女性が車から降りた。きらり、と指に銀色の指輪をしているの が目に付く。よく見れば男の方も同じ指輪をしている。どうやら夫婦らしい。 もうッ!と、女は腰に手を当て、ぎろり、と男を睨んだ。 「脅さないのッ!!アンタ、ぱっと見ギャングなんだからッ!この子達 が怯えているでしょ!?ケチくさい事言わずに、乗せてやりゃ良いじゃない。 ほら、アンタたちも乗りなさいよ。大丈夫よ、この男はちょっとガラ悪いけ れど汗臭い以外は無害だから」 「オメー、トリッシュッ!初対面の人間の前でそれはねェだろッ!」 「うるさいわねッ!アンタの為に用意してやったスーツを、あっさりと荷 に入れ忘れた罰よッ!!お陰でワザワザ現地調達しなくちゃいけない羽目に 陥ったじゃないッ!!あたしが日数にゆとりを持ってこっちに来ようとした から良いものの、そうじゃなかったらどうなっていたと思うのよッ!!」 日数にゆとりをって、オメーが折角だし、ショッピングと観光を楽しみたい って強引に急かすから、俺の荷造りも大急ぎでやる羽目に……という男の呟き を、何のことかしら?と不敵に笑って女は封じた。何時もの事なのか、ふぅ、 と男は溜息を吐き、あの、とエンポリオは声を掛けた。 「ジョルノって……ジョルノ・ジョバァーナ?」 呟きを耳にして、さっと二人は表情を引き締めた。ざざ、と臨戦態勢を取る 二人に、マズい。とエンポリオは慌てて両手を振る。ジョルノがギャングで、 多くの敵が居ることも徐倫から聞かされていた。勘違いされないように、エン ポリオは言葉を急いで付け加える。 「ぼくッ!エンポリオです。ジョルノさんの花嫁である、徐倫お姉ちゃん の招待客ッ!招待状も、ありますッ!!」 言って、ポケットから取り出した招待状を二人に見せる。二人はぽかん、と した後、代わる代わる、招待状を見比べ、歓声を上げてエンポリオの肩を叩いた。 すッげェッ!こんな事って、あるんだなッ!そう興奮しているミスタに、 不思議な縁って、あるんですね……と、何故か少年が、呟いた。 振り返ると、少年も招待状を、見せ付けるように持っていた。差出人は「空 条承太郎」とある。ぽかん、と今度は三人が、呆気に取られた。そうして皆が 皆、笑いあい、車の中へと乗り込んだ。 ガソリン代は出しますよ。と言った少年に、漫画読ましてくれれば良いよ、 とミスタは笑って応えた。この人、大のロハンファンなの、と、トリッシュが 苦笑して言う。 「それにしても、不思議な縁だよな〜。いやー、しかし、暗くなる前で、良 かった良かった」 ミスタの言葉に、そうですね、と応えながらエンポリオは空を見た。空はゆっ くりと、茜色を帯びてきている。空が昼から夜へと、切り替わろうとする、 「境目」の時間だった。 そォ言えばよ、と、ミスタが言う。 「コーイチはともかく、エンポリオは何でこんなトコに居たんだ?どーみ てもお前、十歳かそこらだろ?」 「グリーン・ドルフィンに用事があったんです。その、帰りだったんです」 あら、と、トリッシュが声を上げた。やや、トーンを落として、訊ねてくる。 「ごめんなさい。ひょっとして、ご面会……?」 まぁ、そんなところです。と、曖昧な言葉でエンポリオは濁した。まさか、 自分が生まれた場所を訪ねておきたかったとは、言えない。 しかし、そんなエンポリオの濁し方を、ミスタたちは触れて欲しくない話題 だと察したらしい。それにしてもよォ〜と、声を上げる。 「ジョルノにもびっくりだぜ、暫く留守にしたと思ったら、女をつくって帰っ て来るんだもな。しかもその後、事務処理して直ぐに入籍。聞いたぜ、何でも 花嫁の徐倫ってモテてて、他にもアプローチかけてた男が居たんだろ?あと、 彼女の親父さんもカンカンだったとかッ!」 「まぁ……確かにアナスイはお姉ちゃんにアプローチかけていたけれど、 お姉ちゃんの天然さを砕けなかったって言うか、ジョルノお兄ちゃんを選んじ ゃったって言うか……」 あの、『繭』を調べてみようとした時点で、恐らく二人のその後は決まって しまっていたのだろう。アナスイは今、承太郎さんのスカウトでスピードワゴ ン財団の分析・解析部門に入っている。エンポリオ自身も、財団の援助を受け ているため、先日会った時に式について訊ねたところ、出席する。と頷いてい た。 (徐倫は俺の惚れた女だ。誰が何と言っても、俺のものにならなくっても、 俺はその事に誇りを持っている。祝福するさ。……上手く、笑えるかどうかは、 分からねぇけどな……) そう言って、にっと笑った。その笑顔を見て、アナスイ、ちょっと格好良い なぁとエンポリオは思った。多分、アナスイは数年後、すっごい名のある女性 を射止めるんじゃないかな、とも。 「承太郎さんは……複雑そうでしたけれど、賛同してくれているみたいですよ。 こうして招待状も送ってくれているみたいですし」 コーイチが、承太郎について話をする。 「そォかぁ……?なんか、この間ジョルノが零してたぜ?『一番の難敵』 だってなッ!!」 「あー、まぁ、うん。一人娘ですしねェ……承太郎さんとしては、嫁に出す よりも婿として入れたかったんじゃないですかね……」 婿ォ!?と、ミスタとトリッシュが声を上げた。そして二人で目を見合わ せた後、盛大に、笑った。 「あー、うんうん。そりゃ良いわ。あいつ似合う。すっげぇー似合う。そん で入り婿なのにすンげェーふてぶてしいのな。で、内側から自分色に家を染め て行くのな」 「段々自分がルールブックになって行くのよね。で、それを周りも疑問に思 わなくなって行くのよね。……ああ、でも、結局ジョリンちゃん?が、お嫁 に行くんだっけ?残念だけど、それが正解だわ。ジョウタロウさんって人を 見る目がある人ね。英断だわ」 二人の評を受け、コーイチは、ははは……と力無く笑った。どうやら彼も苦 労人のようだ。二人で笑みを浮かべると、エンポリオは再度、窓の光景に目を やった。エルメェスは一度帰省してから此処に来ると言っていた。きっと、承 太郎さんから式場のあるホテルに送って貰っていることだろう。 ウェザーは、と、エンポリオは、ぼうっと思った。 式に参列出来ないのは、ウェザーと、FF。この二人だ。もう、居ないのだか ら、仕方が無い。そういえば、と、エンポリオは思う。 神父は、あの後、どうなったのだろう。 ピアノの音が止んで、オーロラが消えた時、其処に神父の姿は無かった。 『朽ちた繭』の中を探したが、見つからなかった。それと同時に、『繭』が 崩壊し始め、気付くとエンポリオは、徐倫の腕の中に居た。神父は?と問う エルメェスに、首を振って、居なくなった。とだけ答えた。徐倫はそう、とだ け応え、ジョルノはまるで全てを理解しているように、もう、大丈夫です。よ くやって、くれましたね……と、少年の頭を、撫ぜた。 本当に、神父は、何処に行ったのだろう?あの後、エンポリオは「物の幽霊」 を整理してみたが、神父が手にした、髪留めらしきものは無かった。どうやら、 神父と共に姿を消したらしい。 不思議に思ったが、物の幽霊を現世に呼び戻す方法など、当然知らない。ただ、 もし、と、エンポリオは思った。 もしも、どこかの世界で、彼が居て。そうして、そこに、ウェザーと、ペル ラという妹が居るのなら……どうか次こそは、三人とも幸いになって欲しいと、 誰にともなく、エンポリオは祈った。 「それにしても、砂嵐がひでーな。ったく、砂漠を渡ってるわけでもねーっ て言うのに……」 ミスタがそうぼやきながら、ワイパーを動かしている。黄昏色に染まる空を 見ながら、そうですね、とエンポリオは相槌を打ち。窓から見えた風景に、凍り、 ついた。 馬だった。砂嵐の向こう側、車と擦れ違うように、何十頭とも言える馬達が、 夕日を背負って駆けていた。鬣を靡かせ、尾を、棚引かせ、駆けていた。 乗っている者たちはマントを付けていたり、一流のジョッキーのような者も 見えたり、とにかく多種多様だった。中には自力で、信じられないスピードで、 馬と共に駆けている者も居た。 ……エンポリオ?と、隣に居たコーイチが、窓辺に食いついている少年を 怪訝に思ったのか、気遣わしそうに声を掛けた。はっと、エンポリオは振り返 り、どうしたのかい?というコーイチの問い掛けに、何でもないですッ! と応えた。再度、窓を見つめると、そこにはただ、風で巻き上げられる砂が映 るだけだった。 「何か、面白いものでも見えたの?僕らの国では、黄昏のことを『逢魔が 時』って言うから、何か見えたのかと心配しちゃった」 「オイオイ、コェーこと言うなよ、コーイチィッ!!俺、ユーレイとかそ ういうの、苦手なんだよッ!!」 あはははは、と、コーイチはミスタの言葉を受けて、無邪気に笑った。 「でも、意外と良い幽霊も居るかも知れませんよ?町の人たちを守るため にこの世に残り続ける、正義感ある美少女の幽霊とか」 あーうん。美少女だったら、まぁ……というミスタが、次の瞬間悲鳴を上げ た。どうやらトリッシュが足を抓ったらしい。 今のは「幽霊」だったのかと、エンポリオは思った。ヒトの幽霊は、支配出 来ない。自分にはあれが幽霊なのか、それとも、ひょっとしたら、過去なのか、 全くの別の世界なのか、分からなかった。ただ、頭に閃いたのは、「魂の量は 一定」だという、その事実だった。 ”どうか、かみさま……彼らをお守り下さい。悲しみの道を、越えられるよ う、彼らに困難に打ち勝つ勇気と、あと、今度は本当に大事なものを選べるよ う、彼らの眼に光をお与え下さい……。” エンポリオはそっと、口の中で、祈りの言葉を唱えた。 そうして、姿を消した神父の姿を思い浮かべ、彼が救われることを、願った。 -----------『 Mebius 』---------FIN (上) SS一覧に戻る メインページに戻る |