第六部 ストーンオーシャン
▼--- Chapter 8 ---▼ 深夜、他には誰一人として居ない己の書斎で、承太郎は電話を受けた。 スピーカーの音量は最大に。ブツ……ブツ……というノイズが入る。 受話器の向こうから、”Buonasera(こんばんは)”と、低い、声が響いた。 音はノイズがかかり、尋常とは異なる響きをもっていたが、声質だけは、 聞き覚えがあるものだった。 久しぶりだな、と、言葉を返す。 ”しばらく聞かないうちに、低さは相変わらずだが、 声が何だか優しくなったな、承太郎” 電話の向こうの相手が、くつ、くつと笑う。お前は随分と変わったなと返す と、何せこっちは亀だからな、と気にする様子なく返して来る。 ”ジョルノから話は聞いたよ。ついにお前も『おじいちゃん』だって? おめでとう、承太郎。そのうち『ジジイ』と孫から言われる日が来るよ” 「ぬかせ。カメよりましだ」 軽口を言い合う。電話の向こうの相手は、人でなくなった、 昔ながらの友人だった。 ”出産予定日はいつなんだい?その日は一日無事にお産が済むことを 祈っておいてやるよ。何と言っても、その日がお前が『ジジイ』になる日だからな」 「……ポルナレフ、オメーには絶対教えねえ……” 告げて、電話を切ろうとすると、わーッ!まてまて切るなッ!! と、まるでこちらの景色が見えているかのように、慌てた声が響いた。 渋々、手を放すと、フー、やれやれ。と、溜息がこぼれる。本当に、 こっちが見えているのでは無いだろうか。 ”ジョルノも徐倫も、ずっと子を得ることを望んでいたらからな、 冗談はさておき、本当に良かったよ” ポルナレフの言葉に、承太郎もああ、と頷く。ここ数年、望みに望んで、 ようやく二人の間に恵まれた生命だった。娘の報告は、妻から聞いた。 「おめでたですって!!」と、復縁した妻は年甲斐もなくまるで己の事のように、 喜んでいた。 承太郎自身としても、勿論、娘の幸いは嬉しく、孫が出来るのも嬉しい。 ただ、気掛かりなのが、一点あった。 ”――『DIOの血』が、気になっているのか?承太郎?” 「!」 友の言葉に、息を飲みこむ。図星を指され、そうだ、と小さく答えた。 言い繕うような仲でも、人格でも、相手はなかった。 確かに、と、ポルナレフは言った。 ”ジョルノはDIOの子だ。俺でも、あいつがヤツの血を引いていることは 感じられる。だが、それ以上にあいつは『ジョースター』だよ。承太郎。 ジョルノは、お前と同じ誇りと、瞳の輝きを持っている男だ。あいつが『矢』 を手に入れてから、ずっとあいつの側に居たんだ。 それは、誇りをもって保障するぜ” 俺は、と、承太郎は言った。 「今でもジョルノのことを怪しんでいるわけではない。徐倫が認めた男だ。 ただ、ジョルノ自身は良くても、ジョルノの身に流れているDIOの血……。 それが、怖いんだ。徐倫の子に、何か影響が出ないのかが、怖い。 ……俺は、また、『何か』が起こるのが、とてつもなく、怖いんだ……」 電話口の向こうで、フゥ、と溜息が響いた。そうして、声が掛かった。 ”臆病になったな” という言葉に、そうだな、我ながらそう思うぜ、 と承太郎は言葉を返した。 「不思議なモンだな、高校の頃は、怖いものなんて全く無かった。 ――いや、お袋やら、何やら、失いたくないものは沢山あったが、 『怖い』とは思わなかった。歳が経つにつれ、どんどん臆病になって行ったんだ……」 ”幸せなんだろうよ”と、声が響いた。 ”承太郎。お前は幸せなんだよ。お前自身はピンと来ていないが、 お前が恐れるのは、今が『幸せ』だからだ。 ……ああ、だからって、昔のお前が不幸って言ってんじゃあないぞ? ただ、お前は幸せだから、それだから、変わることが怖いんだろうって、 そう言っているんだ” 沈黙が降りた。しばらく間が空いて、「そうだな」と、承太郎は答えた。 「……確かに、俺は、幸せ者……なんだろう……」 不可能とも思える旅を終え、DIOを倒し、母を救った。妻と出逢い、結ばれ、 子を得た。仗助たちと出逢い、ジョルノを知り、己のエゴから、 妻と娘に辛く当たり、一方的に離縁した。 そうして、また、一方的に娘に逢いに行き、娘を救えたかと思ったら、 逆に娘から救われた。娘は成長し、困難を乗り越え、ともに、 プッチ神父と闘い、ジョルノと娘は結ばれ、ついには孫さえも出来た。 それは決して、順風満帆とは言えなかったが、間違いなく、『幸い』だった。 ”あのな、承太郎”と、スピーカーから、声がした。 ”俺は、ジョルノが嫁さんを貰ってくれて、本当に良かったと思ってんだ。 あいつはさ、俺からDIOのことを知って、自分の親が どうしようもない外道って事に、心底嫌悪を示していた。一時期は、 自分自身さえも嫌う程のもので、見ていて酷く危うかったんだ。 分かるか?承太郎。そんなあいつが、親になるんだ。親になるって、 『DIOの息子』から、『人の子の親』になることだ。あいつは、 DIOのプレッシャーから、漸く開放されるんだよ……” 承太郎、と、友は、言った。 ”俺は、DIOは、大嫌いだ。今でも嫌いだ。妹や、アヴドゥル、イギー、 花京院を亡くした時の悲しみは、今でもある。だが、あいつとDIOとは別人だ。 別の魂を持っている、別の奴なんだ。 これから生まれる奴だって、そうじゃないか。喩えもし、DIOの魂で あったとしても、俺らがきちんと見守って、今度こそ、 まっとうな道を歩ませてやれば良い……違うか?” 沈黙があった。やれやれ、と、溜息交じりに、承太郎は言った。 「やれやれだ……。まさか、オメーから説教を受ける日が来るとはな。 歳は取りたくないもんだ……。 曾曾祖父の肉体を奪い、分かれていた血が、また戻るか……。 確かにそれで、良いのかも知れないな……」 そう語り、承太郎は僅かに眼を閉じ、顔も見たことも無い曾曾祖父に対し、 静かに祈った。 ▼--- Chapter 9 ---▼ あ、と。徐倫は呟いた。編み物の手を止め、己の腹部へ、手をやる。 「ジョルノ、今、この子、蹴ったわッ!」 そう告げて、己の手を愛おしそうに撫ぜ、微笑んだ。妻の言葉を受け、 その側で本を読んでいたジョルノは、顔を上げ、妊婦となった妻の腹部を見た。 「本当ですかッ!?……いや、徐倫が言うのだから、 本当だって言うのは分かるし、知っているんですが……」 顔を上げた瞬間に、思わず喜色と共に告げた言葉に、どことなく照れくさ そうに、ジョルノは言った。触ってみる?という言葉に、良いのですか? とたじろぐ。 「なに遠慮しているのよ、"Padre(おとうさん)"!ほら、息子に 挨拶をしてあげてッ!」 言い、徐倫はジョルノの手を取ると、そっと己の腹にあてさせた。とくん。 と脈打つ妻からの胎動に、びくりッ!とジョルノは慌てて手を離し、 じっと己の手の平を驚いた目で見つめた後、再度ゆっくり……妻の腹部に、 手をあてた。 「凄い……生きて……いるんですね」 ぽつり、と呟く。昂揚感があった。普段自分が生命を吹き込む時と似た。 だが、段違いの昂揚感だ。 「不思議だな……この中の命に、『魂』が、吹き込まれているんですね……」 感慨深く、そう呟く。ジョルノの作り出す「生命」には、いわゆる「魂」と いうのは入っていない。彼等は確かに命を持ち、生物の習性を持って行動するが、 それらはやはり元々あった生命とは異なり、「物質が細胞として再構成された」 という感覚に近い。だから余計に、こうした「元来あるべき生命の誕生」 に触れる際は、生命の神秘というものを、感じ入った。 「確か、男の子……でしたっけ、診察では」 そうよ。と、徐倫は言った。揺り椅子が、きぃ、と揺れた。 「名前は、もう、考えていますか?」 ジョルノの言葉に、あるわッ!と、徐倫は満面の笑みでもって、答えた。 「ニコラス!あたし、ニコラスが良いなって思うのッ!」 徐倫……と、ジョルノは呟いた。それは、サンタクロースの起源とも言われている、 有名な聖人の名前だった。……駄目かな?と、徐倫は上目遣いに、夫を見る。 「だって、この子が出来たのって、あの、黒鹿毛の仔に逢った時じゃない? あたしはあの仔が祝福してくれたんじゃないかなー、なんて、思うのよ。でも、 まさかイエス様の名を使うわけにはいかないし、あたしにとっては、 サンタさんからの贈り物みたいなものだから……ニコラス。 ……ダメ?」 こきゅ?と小首を傾げて言う妻に、やや、咳払いをした後に、 まぁ、良いんじゃないでしょうか。と、ジョルノは言った。 「世の中、"Diavolo(悪魔)"なんて付けるひとも、いますしね。 それに比べりゃ徐倫のは何億倍も可愛いから、きっと許されます」 やったぁ!と、諸手を挙げて徐倫は喝采を上げると、優しく、 己の腹を撫で、まだ見ぬ息子に、語りかけた。 「特別な才能を持っていなくても良い。……ただ、丈夫で、元気で…… どうか……幸せに、なってね……」 そう語る徐倫を優しく見つめながら、ジョルノは静かに眼を閉じ、まだ顔さ れ知れない己の息子の幸いを、ただ、祈った。 ▼--- Chapter 10 ---▼ キッチンからの明かりに、目を覚ました。ふと、隣のベッドを見るとジョニィ が居ない。欠伸をしながらベッドから起き上がり、扉を開けると、 ジョニィはひとり、小テーブルでホット・ミルクを飲んでいた。 明日も早いのに、何をやっているのだ。こいつはと思っていると、 視線に気付いたのか、ジョニィがこちらの方を向いた。 「何?ジャイロ。君も欲しいの?」 「あ?あー……うん。入れてくれる?」 説教しようかと思ったが、ごく自然に問われた言葉に、何となく文句を言う タイミングがずれ、大人しくジョニィからホット・ミルクを入れて貰う。 レース参加者の宿泊施設。飲食物は、言えば分けて貰えていた。 ゆっくりと、ミルクの柔らかい香りが広がり、マグカップに注がれる。はい、 とジャイロにそれが手渡され、ずず、と、ジャイロは啜った。 「オメェーよぉおおお。明日もレースは早いって言うのに、何起きてんだ?」 「それは君も同じじゃないか……ああ、ひょっとして、僕が起こしちゃった? ならゴメン。夢をね……見たんだ……」 夢?と、ジャイロは問う。そう。とジョニィは応える。 「僕には早世したんだけど、ニコラスっていう、五つ年上の兄さんが居たんだ。 乗馬の名人でね。200メートルを17秒でと合図を送ったら、その合図の通りに キチッと走る、素晴らしい『時計』を持ったひとだった。 僕なんかよりもずっと優秀で、賢くて、優しい兄だった……」 マグを手に、ジョニィはそう語った。マグの中のミルクが、丸い鏡となって ジョニィを映した。 「そのね、兄の夢を見たんだ。 ……ううん。アレは、本当は兄じゃ、ないのかな?僕の母さんと父さん じゃあなかったから……。 とにかく、夫婦がいて、妻らしき女性は妊婦だったんだ。揺り椅子に揺られ ていてね、自分のお腹の子を、ニコラスって呼んでいたんだ。 ふたりとも、とても幸せそうでね、その、ニコラスって子に、 幸せになってねって、呼びかけていたんだ……」 ジャイロ、人間のさ、と、ジョニィは言った。 「人間の魂って……死んだらどこに行くのかな?」 「あぁ?」 「ああ……何となくそう思っただけだよ。興味ないなら、別に良いさ」 そう告げて、ミルクを飲む。沈黙が落ちた。概念に、という、 ジャイロの声が掛かった。 「……概念による。俺らの国では、死んじまった魂は、審判の時を待ち、 暫しの休息を得るが、東洋の国じゃ、生まれ変わって、別の生き物や、 別の人間として生きたりする。 死んだ後、『審判を受ける』っていうのは、ドコの国でもある。 行く場所は天国だったり、地獄だったり、現世だったり、まぁ、色々だ。 俺は、昔の中国人が言ったみたいに、『生きる』って事をまだ知ったわけ じゃねーのに、『死ぬ』ってことをどうこうは言えねえ……そう思う」 そッか……と、ジャイロの言葉に、ジョニィは呟いた。 ありがとうと告げると、いや、と、ジャイロが応じた。 僕は、と、ジョニィが、言った。 「僕は、良かったと思ったんだ。ひょっとしたらそれは、 兄さんじゃないかもしれないけれど、兄さんかも、知れない。 ……凄く、ね。嬉しかったんだ……」 ぽそり、と、呟く。そうだな……と、ジャイロが、言った。 「じゃあ、祈ってやれよ。お前の兄だか、兄じゃねえかは分からねえが、 そのガキのために祈るのはタダだ。祈ったら、さっさと寝ろよ、このブラコン」 「うるさいよ、このファザコン。言われなくとも、明日はキチッ! と走ってみせるさ!」 ニョホホホホ、言うじゃねぇの、と、空になったマグカップをキッチンに持 って行く。そこでジャイロは窓から見えた景色に、見ろよッ!ジョニィッ!! と、呼んだ。 車椅子に乗り換えて、窓を眺めると、そこには見事なまでの ミルキー・ウェイ(天の川)が広がっていた。目映く瞬く星達に、 ジョニィは息を飲みながら、静かに眼を閉じ、この、星々の向こうに居る兄の幸いを、 ただ、祈った。 △---------『 Mebius 』---------▼ (上)(下) FIN SS一覧に戻る メインページに戻る |