第七部 スティール・ボール・ラン
![]() 胸の軋む痛みで目を覚ました。次いで、暗い天井と背中の硬い感触を知覚し、ホット・パンツは自 分が物のようにぞんざいに床の上にいるのだと気付く。痛みで動くことも儘ならず首だけで周囲を 確認すれば、戸も壁も破れ床板には血を引きずった跡、気絶していた間ここで起こったことをなん となく理解した。 だが、『床の上』?彼女の最後の記憶では、撃たれたのは屋外であったはずだった。 「ここは・・・・・・」 「気付いたか。」 ごろり、と顔の横に何かが投げて寄越された。血を流してはいたが原形はとどめている左手と、手 にしたままのスプレーだった。回収しようと右手を伸ばした時初めて、服が体の上に被せられてい るだけで、裸身に纏っているのは包帯のみだと分かった。小屋の主であり、彼女を傷つけた当人で あるリンゴォが、今度は彼女を介抱している。 「どういうことだ。」 「動けるようになったのならさっさと消えろ・・・レースでも何でも戻るがいい。」 「答えになっていない。殺すんじゃなかったのか?」 「その喋り方も止せ。おまえ如き、殺す価値も無い。」 「ワザワザ手当てをしてまで?」 肉を噴きかけ傷を塞ぎ骨片を接ぎ、ようやく体を起こす。痛みはじきに消えるだろう。胸骨の下端 、圧迫しようにも乳房に邪魔をされる位置の傷は、苦心の末、背と腰を回り]字の中心になるよう 包帯が巻かれていた。 「女風情が男の真似事をして神聖な修行に首を突っ込むな。」 「・・・・・・今この場でアンタを狙ったとしてもか?」 滑稽だった。何も言わずにそうしない時点でその意思がないことは明白である。荒れ果てた部屋の 隅、辛うじて無事だった長椅子に掛けたリンゴォは侮蔑と嫌悪の目で女を見ていた。 男の深手は、起き上がって見れば益々悲惨なこの部屋の荒れ様に相応しかった。彼もまた上半身に は左肩を庇う包帯のみで、その先の腕はダラリと弛緩している。左脚はだらしなく傾き、左目蓋は 半ばまで降りていることが質素な灯りしか無くとも見て知れる。 ツカツカとホット・パンツが歩み寄り、垂れ落ちた左腕を持ち上げる。死体のように重く、手首に は例の腕時計が巻かれている。左手が使い物にならないことの証明である。 「無様だな・・・・・・これでもまだ修行とやらを続けるつもりなのか?」 「女のおまえが理解する必要はない。」 「そんなに女が嫌い?」 「堕落の根源だ。」 「随分な言われようだ。」 手当てをしたのは、成長の糧にすらならない女を修行に関わらせないためか、あるいは母と姉を殺 したあの外道と同類になることを忌避したからか、ともかく、情けをかけたつもりは彼には微塵も 無い。何が興味深いのか麻痺した手を弄んでいる女を、汚らわしいとすら感じていた。 その一方で―― 性格が悪いとの誹りを甘んじるとすれば、彼女の心境はまさに「いい気味」だった。理解不能の信 念で自分を殺傷し、またワザワザ傷の治療してまで罵倒する男が、その信念でもって取り返しのつ かない痛手を負っているのである。未だ銃を携えているとはいえ、既に自分に対する殺意など失っ たリンゴォに対してある種の加虐的な感情が沸いたのは、長く男のフリをしてきた結果なのか。 ホット・パンツは長椅子の前で跪き、男の動かぬ膝に凭せかかる。形だけ見れば愛おしげだったが 、口元には酷薄な色がさしていた。 「堕落させてやる。」 救いようの無い愚か者でも見るような視線がリンゴォから女に注がれていた。奇しくもそれは、先 程彼女が見下ろした様に似ていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |