口移し
葵×わぴこ


「わぴこ」
「あ、――――葵ちゃん」

葵に背中をポンと叩かれてわぴこが振り返る。わぴこが葵を認識して名前を呼ぶまで二拍。
いつもならありえない微妙な間に葵は内心で首を捻った。

「ガッコ終わったんだろ。一緒に帰ろーぜ」
「…………」

今度は葵を見上げてこくこくと頷くだけ。わぴこが自分の誘いを受け入れたのは分かるが、
なんで声に出して返事をしないのか。さっきの間はいったい何なのか。
葵が訝しく思いながら様子を伺うと、わぴこがもごもごと口を動かした。
口の中でコロリと硬い物が当たる音がする。

「おまえ、何食ってんだ?」

葵が聞くと、わぴこは左手で口元を隠し「ちょっと待って」と言いたげにもう一方の右手を上げた。
先程の妙な間は、話し出す前に口の中にある何かを端に寄せていたためのようだった。

「……コンペイトウ」
「コンペートー? 珍しいもん食ってんな。買ったのか?」
「んーん。秀ちゃんが『ぽてちの代わりに』ってくれたの」
「ふーん」

連れ立って歩きながらわぴこが葵に示したのはノートで作った紙袋。飴らしき物体が数個透けて見える。
端がきっちりと折られて形が崩れにくくしてあるあたりが秀一の性格らしい。
葵の目の前で袋を開けたわぴこがまた金平糖を口に放り込んだ。

葵は秀一が甘い物が苦手なのを知っているだけに、その秀一が飴を持参していた事を不思議に思ったが、
そういえば昨日の帰り際に変な咳をしていたな、とおぼろげに思い出した。

「まだ残ってんならオレにも1つくれよ」

そう言って葵が手を出すと、わぴこは困ったように小首を傾げて「残ってた分、全部食べちゃった」と
袋をひっくり返して振ってみせた。

「……おいおい」
「ごめんね。今度は葵ちゃんの分も一緒に貰ってくるからね」

手を合わせて何度も頭を下げるわぴこを見て、葵は一つ溜息をつくと自分の髪を無造作に掻き回した。

「じゃ、しょーがない。直に貰うか。わぴこ、ちょっと上向いてみ」

葵に言われて反射的に顔を上げたわぴこの視界を影が覆った。
いきなり口を塞がれて、逃げようとした頭も後ろから捕まえられてしまう。
次にぬるりとした何かがわぴこの唇を割って潜り込んだ。
それは探るようにひとしきり動き回ると、口の中にあった金平糖をさらっていった。

「……甘」

顔をしかめる葵を余所に、わぴこは何が起きたか分からず呆然と立ち竦む。
目の前が真っ暗になって、息ができなくなって、それから――――?

「結局、砂糖の塊だもんなぁ」

ぽかんとしたままのわぴこの前で葵がぼやく。金平糖の甘さはわぴこにはおいしく感じられても、
葵には甘過ぎたようだった。

「さっさと食っちまうか」

始末するつもりで葵がガリガリと噛み砕き始めた音に、はたとわぴこが我に返った。

「……! 葵ちゃんが取ったぁ!」
「人聞きの悪い。最後の1コぐらいいーだろ」
「だって葵ちゃんてば、すぐに噛んで食べちゃうんだもん」
「最後の分だからもったいない」

と不満顔で抗議するわぴこを葵は両手を広げて制止した。

「待て待て。今、返してやるから」

小さな溜息と共に頭をぶつけそうな勢いで顔が近づいて、互いの呼吸が一瞬止まった。
熱くぬめるものがわぴこの口に容易く侵入した途端、空気の代わりに金平糖の欠片が押し込まれた。
最初に取られた時と違いすぐに開放されたものの、口内でシャリシャリと鳴る感触にわぴこが目を白黒させる。
その隣で葵が何事も無かったようにビニール袋から取り出した缶コーヒーを口に含んだ。

「ほれ、帰るぞ」

葵が肩を叩くまでわぴこは固まったまま身動き一つしなかった。
何事が自分の身に降りかかったのか、頭の中で整理しようにも混乱しすぎてできないらしい。
促されるまま歩き出したが、思案中のためかその足取りはとてもゆっくりとしたものだ。

「ねー、葵ちゃん」
「なんだ?」
「さっきのとか、今のなぁに?」
「ん、『口移し』ってんだ」

わぴこの問いに葵は事も無げに答える。

「あのやり方なら手も汚れないしな」
「……あ。そっか」

わぴこはパンと手を叩き「なるほどー」と感心したように腕を組んだ。
確かに一度口に入れた物を出すような真似は行儀が悪すぎるけれど、考えてみれば1つしか無い物を分け合うようなものだし、
直接口に入れれば手も洗わなくて良いし便利かもしれない。

「さっきみたいなの、ちーちゃんとかにしても良いかな?」
「んー……。止めといた方が良いんじゃねーか? ああやって1コ2コやるより、そのまんまでたくさんやる方が喜ぶだろ」
「そういえばそうだねぇ。わぴこもそっちが良いかも」
「だろ?」

道の向こうに家が見えてきて、葵は話しながらちびちびと飲んでいたコーヒーを一気に飲み干した。

「じゃあここまでな」
「うん。葵ちゃん、また明日ねー」

門の前で片手を上げた葵に合わせるように、わぴこが手を振って斜め向かいの家に帰っていく。
制服姿が扉の影に消えるのを確認してから葵もまた家に入り鍵をかけると、そのままドアにもたれかかった。

「どんな反応来るか分かっちゃいたけど、なんでそこで千歳が出て来んだよ……」

偶然の出来事を利用してとうとう強硬手段に出てみたが、やっぱり異性として意識してくれる段階には進めなかった。
『口移し』などともっともらしい言葉に逃げた自分がうらめしい。
それにショックだったのが、意味を理解してないとはいえ同じ事を千歳にしようとしていた事だ。

「……秀以外にまた壁ができたって事かぁ……」

わぴこ自身の心が一番のネックになっているのはこの際置いておいて。
葵の小さな頃から続く想いを成就させるには、まだまだ時間がかかりそうだった。






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