進藤一生×香坂たまき
![]() ガチャ。 扉が開く音がして、たまきは重い瞼を持ち上げようとした。 それなのに瞼は一向に持ちあがらず、多分さっきICUに行った馬場か矢部だろうとそのまま無駄な努力をやめて、 小さく吐息を吐きだした。足音が静かに自分に近づいてくる気配がして、何だろうと?疑問に思いはしたもののやはり、 目を開ける気にはなれず、小さく「矢部君?」と呟いた瞬間、額がひんやりとしたもので覆われた。それが手だと気が ついて、ようやく重い瞼を開いた。そこに居たのは、たまきの記憶の奥に居座り続けた人物だった。 「進藤・・・・先生」 随分と熱が高いのかしら。いるはずのない人物を見るなんて。それとも夢なのか?それでも手の感覚はリアルで、相変 わらず表情のない顔で自分を見つめている人物は5年前と何も変わってはいなかった。 「熱が高いな」 たまきは皮肉気に笑みをうかべた。 「何でここに?」 「ああ。昨日帰国した。近くまで来たから挨拶に。」 進藤が何か言いたげにこちらを見ているので、なぜ救命のソファーに寝ているのか?その ような疑問だろうと、小さくため息をついて簡潔に説明した。研究が追い込みで4日間徹夜 したら、風邪をいて倒れて救命に運ばれたが、ICUがいっぱいなので取り敢えずソファー に寝かされた、そのような内容を簡潔に。進藤は小さく鼻で笑って「おまえらしいな」と呟 いた。大いに反論したいその言葉にも、今はとても言い返す気になれず、「うるさい」とだけ 呟いた。頭に置かれた冷たく大きな手があまりにも気持ちがよくて、そのままいつのまにか 深い眠りに落ちた。 目が覚めたのは朦朧とした頭に鳴り響く銃声が聞こえたからだ。咄嗟に起き上がった耳に怒声が鳴り響く。 神林と進藤が椅子から立ち上がるのが見えた。 「おまえはここに居ろ」 進藤が厳しい顔で告げて神林と共に医局を出て行く。 ひどく嫌な予感が胸を締め付ける。いつのまにか腕についていた点滴の針を引き抜いた。 自分の吐く息で熱がまだ下がっていない事がわかった。立ちあがろうとするが眩暈を起こしてすぐにソファー に座りこんだ。ICUからの怒鳴り声がまた響き始めた。人の足音がこちらに向かっている事がわかる。 身をすくめて固まっていると、扉が勢いよく開いた。進藤の顔が見えたので、ホッと溜息をついた瞬間、 進藤の頭に銃が当てられているのが見えた。進藤と共に入ってきた男は、低い声で「はやくしろ!」と 怒鳴った。 馬場や矢部、神林、看護婦も続々医局に入ってくる。その後から銃を持った男が二人続いた。 「座れ!」 男が低い声で告げた。全員椅子や床に座りこむ。 「ここから少しでも動いたら、あそこに居る患者を一人一人撃つからな」 その言葉に全員の顔が強張る。 「何が目的だ?」 進藤の低い声が聞こえた。 「これからわかるさ。安心しろ。抵抗しなきゃ誰も殺さない」 リーダー格の男は冷たく薄い微笑みを浮かべた。残りの二人に命令して一人をICU、一人を医局の扉の前 に立たせた。男はそのまま電話を取り上げた。 「学長に報告しろ。救命を占領した。条件は一つ。特別室にいる大臣の神谷を連れてこい。2時間だけ時間をやる。 その間に神谷だけを連れてこい。人質はここにいる全員。2時間過ぎたら、患者から撃ち殺す。以上」 特別室に重要な患者が入院する事は、たまきも噂で知っていた。 神谷だったのか。電話を置くと男は静かに椅子を引きよせて座った。 「二時間よろしく。それにしても二時間は暇だな」 男は微笑を浮かべて再び立ち上がった。 座り込んでいる看護婦の方へ向かった。銃をブラブラ持ったまま一人一人を見渡した。 「黒木、やめとけよ」 扉に立っていた男が眉間に皺をよせて怒鳴った。 「うるさい済木。黙れ」 済木と言われた男は何かを再び言おうとしたが、諦めたかのように溜息をついて再び 元の態勢に戻った。黒木と呼ばれた男は再び看護婦を見渡して、自分も座り込み、一人一人、顎を持ち上げて 確認をしている。何をしているのか。たまきはソファーからその行為をみつめた。うーんと唸って立ち上がった 黒木が不意にたまきのいる方向を見つめた。少し驚いたようにこちらを見ている。 「へェー!こんな所に、こんないい女が居るなんてな。」 そう呟きながらこちらに近づいてくる。正面に立った 黒木はたまきを眺めてニヤニヤしながら手を伸ばし、たまきのワンピースの襟元を乱暴に掴んだ。ボタンが弾けとび ワンピースの下のスリップドレスが露になる。 「思った通り、美しいな」 短く悲鳴を上げた、たまきの剥き出しになった白い肩を黒木はゆっくり撫でた。 「おい!」 立ち上がった進藤の頭に済木が銃を突きつけて 「動くなよ!患者も撃たれるぞ」 と告げた。 進藤の顔が怒りで強張る。たまきのワンピースは引き裂かれ身体から離される。弱った身体はどんなに抵抗したくとも 思うように動かない。顎に下りてきた手は強引に顔を持ち上げて、すぐに強引に唇を奪われた。 「やめろ!!」 進藤の怒声が聞こえる。激しい嫌悪感で顔を振る。十分に口内を探った黒木は顔を離した。 「続きは向こうでな」 耳元でざらついた声が聞こえた。 腕を掴まれ無理やり立たされ、熱が下がらないたまきの身体は黒木の方へ倒れ込んだ。 「やめろ!そいつは具合が悪い!」 進藤の低く通る鋭い声が聞こえた。 「抵抗されなくて都合がいい」 黒木のその言葉で身体に悪寒が走る。逃れようと必死に手で押し返す。 弱った細い腕は瞬く間に掴まれて引きずられる。そのまま仮眠室の方角へ歩いて行く。 「やめて、離して」 屈辱と恐怖で悲鳴とともに涙が零れた。涙で濡れた瞳を上げると、進藤がこちらに向かってくるのが見えた。 「動くな」 と言う済木の言葉を無視するように、こちらに向かってくる。 大きな手が伸びてきて、たまきの腕を強く掴むと強引に引き寄せる。 「おい、こっちに渡せ!」 黒木が怒鳴った。 「駄目だ」 進藤はきっぱり言い放った。 「撃つぞ」 おもちゃを取られた子供の様に、黒木の顔が怒りで赤くなった。 「撃てばいい。ただし今撃ったら、おまえらの要求はのまれない。二時間たつ前に誰かを撃ったら信用されない」 黒木は一瞬、銃を構えたが、済木の「黒木!!」の声で静かに銃をおろし、また椅子に座りこんだ。 外からはパトカーの音が鳴り響いている。進藤はたまきを抱き寄せたままソファーに座り込んだ。 「大丈夫か?」 そう囁かれたが、先ほどの恐怖で声が出ない。寒気がして身体が小刻みに震え始めた。熱がさらにあがった事がわかる。 進藤の腕に抱かれたまま毛布で包まれ、静かな静寂が生まれた。聞こえるのは彼の心臓の音だけ。 不意に進藤がたまきの首筋に手をあてた。 「熱がひどいぞ」 進藤の顔が強張る。震える身体を大きい手が優しく擦りだした。 それだけで、痛みが和らぐ気がした。 それを黙って見ていた医者や看護婦は、その様子に驚きを隠せなかった。確かに進藤は患者や仲間を大事にする。 けれど、ある一定のライン以上には決して踏み込まない。助言や手助けはもちろんするし、それはどんな人にだ ってそうだろう。でも今までの一連の行動はそれとは異なる気がする。他の人間にだって同じ様に助けたかもし れないが、やり方が違う気がする。黒木がたまきに手を伸ばした時の、進藤の顔は、一瞬だけ激しい怒りで強張 った。今さっきの進藤の行動は冷静さに欠けていた。あの瞬間にすぐに進藤が撃たれてもおかしくはなかった。 今の進藤は大事な人を、一人の男として守ろうとしている様にしか見えなかった。そして桜井は5年前の事件の事 を思い出していた。あのクリスマスの日の事を。 「もうすぐ約束の二時間だな」 黒木がニヤニヤ笑いながら全員を見渡す。誰もが神谷がここには一人で来ない事はわかっていた。政治家なんてそん なものだ。全員の顔に絶望と恐怖が刻まれる。 進藤はたまきを抱く腕に力を込めた。たまきも進藤のシャツを掴んだ。最後に逢えてよかったと思った。何年たって もこの人を忘れないのだと、今になって気がついた。 黒木が静かに立ち上がった。馬場がおもむろに叫んだ。 「女は逃がしてやってくれ!どうせお前らも逃げられないぞ。外には警察がいる。逃げ道なんてないぞ」 「最初から逃げる気なんてないさ!この業務を遂行する為なら命はおしくないからな。女だって関係ない。神谷がここ に来なければ全員撃ち殺す。そうすれば神谷はどちらにしろ破滅だ。」 黒木が笑いだした。同時に携帯のアラームが鳴り響き、黒木の笑いがスッと消えた。 「全員まとめて終わらすからな、せめてもの情けだ」 そう言うと銃を構えた。さらに強く自分を抱きしめた進藤にたまきは囁いた。 それはとても小さな声だったが、進藤はたまきを強く見つめ返した。 急に窓ガラスが割れる音がして電気が消えた。辺りが煙で覆われ、凄まじい騒音と銃声が鳴り響く。たまきは必死に 進藤に縋りついた。ようやく辺りが静まり返った時、電気がついた。黒木と済木は特殊部隊に取り抑えられ気絶している。 全員が安堵の溜息をついた。ICUにいた男も取り押さえられ、患者も全員無事が確認された。 ホッとすると同時にたまきの意識は遠のいた。 次に目を覚ますとそこはまだ医局のソファーの上だった。随分眠ったのか、楽になっている。時計を見ると すでに夜の12時をまわっていた。上体を少し持ち上げる。先ほどまでの寒気はなく熱がさがった事がわかった。 「起きたか?」 不意に声を掛けられ、視線を持ち上げると優しい顔をした彼が立っていた。 「ええ。熱も下がったし、家に帰るわ。もうここのソファーはこりごりよ」 その言葉に軽く笑いながら 「送って行く。待っていろ」 否定も肯定も許さないかの様に彼は、たまきの返事を待たずに医局から出て行く。 「そっちこそ相変わらずね」 誰もいない方角へ呟いて、そのままだるい身体をまたソファーに横たえた。 進藤に連れられてタクシーに乗りこんだものの、疲れのせいもあるのか、やはり頭は朦朧として行く先を告げて すぐ窓によりかかった。自宅前に着いたタクシーを何とか降りようとするものの、足取りがおぼつかない。 見かねて進藤もタクシーから降りた。 部屋まで支えられて連れてこられ、玄関前で離される。 「もう大丈夫だな?」 と顔を覗きこまれた。頷いたものの、彼が背を向けた瞬間、もしここで別れたら二度と逢えないのでは?と言う確信にも近い現実を思い出し、 「あの」 と声を出していた。 振り返った進藤に怪訝な顔をされ 「何だ?」 と問いかけられたものの、35歳にもなって適当な言葉が見つからず、しどろもどろになって出た言葉は 「帰らないで」 の一言だけだった。 そんな言葉を吐き出せば、どれだけ進藤を困惑させるかわかっているし、おもいっきり拒絶されるだろう。 もっと拒絶も困惑もさせない適当な言葉はなかったのか?と自分自身に問いかけてみるものの、後悔しても、 もう遅いだろう。怖々、俯いていた顔を上げると優しい顔をした彼が立っていた。 「わかった」 とだけ告げて、たまきの背中を軽く押して 「さっさと入れ。近所迷惑になる」 と笑った。 二人でソファーに座るが、何だか居た堪れない。 「コーヒー入れるわ」 立ち上がろうとした、たまきの腕を進藤が掴んだ。 「いいから、少し休んでいろ。コーヒーはいらない」 たまきは笑って 「私が飲みたいの」 と答えた。 「じゃあ俺がやる」 と告げた進藤に 「ありがとう」 と告げて、あいつに触られた所が気持ち悪いからシャワーを浴びてもいいか?と尋ねた。 彼は少々微妙な顔をしたが頷いた。 熱いシャワーを頭から浴びると、朦朧とした意識が覚醒して、ようやく自分がとんでもない行動をしているのでは? と気が付いた。顔が熱くなる。どうかしている。本当に。自虐的に笑いはしたものの、彼も相当疲れているだろうと、 申し訳なさでいっぱいになった。 バスルームから出ると部屋はコーヒーの匂いで満ちていた。窓の外を静かに眺めていた進藤は 「コーヒーを飲んだら寝ろ」 と告げた。 「あなたは?」 と問いかけながら、迷惑でなければお風呂に浸かって、多分ひどく疲れているであろう身体を休めてほしいと思った。 でもうまい言葉が見つからない。言葉を探しているたまき に彼は、俺はソファーで休むと笑った。長身の彼がこのソファーではあんまりだ。 「お客様用の布団があるから。あとバスルームも自由に使って」 と早口で言い放った。 シカゴから戻ってから太田川や友人などがたまに泊まりに来ていた。その時の為に大きめのベッドの下にはお客様用 のマットレスと布団が常備してあった。進藤もそれ以上何も言わず、ああとだけ頷いた。 ベッドの下には進藤が寝ている。それだけで心臓は脈打ち息切れをしそうになる。バカバカしい事だ。下に寝て いるこの男にはほんの微塵の下心もありはしないだろう。彼は、具合の悪い元同僚に帰らないでと縋られ、布団 があるからと用意されたその場所に、只大人しく寝ているだけの事だ。むしろ下心があるのは自分の方だと言っ ても過言ではない。それでも男を襲うなどと大それた事が出来る訳ではないし、ただこの距離で一緒にいられる だけでも幸せだと思えた。それにしても劇的な一日であった。好きでもない男に無理やりキスをされるのなんて、 本当に久々の事だった。こんな年になって、たかがキスで傷つくなんてね、と一人で苦笑いしてから、違うと思った。 他の男とキスをしている所を、よりにもよって進藤に見られた事が傷ついたのだ。 彼はもう寝ただろうか。時間がどれぐらい過ぎたのか見当もつかない。半身を起して下を見やると寝返りをうった進藤 と目が合った。外すことのできず絡まり入り組んだ結晶のような視線。 「どうした?」 問われた言葉で我に返る。 「ごめんなさい。起こした?眠れなくて」 泣き出しそうな弱い視線を返した、 たまきに進藤は静かに首を振った。 「思いだすのか?今日の事を?」 問われた言葉に微妙に視線を宙に漂わせて 「大丈夫よ」 とほほ笑んだ。疑う様な視線を向けた進藤に、たまきは俯いて呟いた。 「お願いがあるの」 「何だ?」 少しの沈黙の後、たまきは泣き出しそうな顔で視線を向けた。 「少しの間抱きしめて。少しだけで構わないから」 沈黙が流れる。拒絶されここを出て行ってしまう事が、今は何より怖かった。 「冗談よ。ごめんなさい」泣き出しそうに言葉を紡いだ。 不意に手首を掴まれ引き寄せられた。あっと思った時にはすでに温かく広い胸の中で、 「ありがとう」と呟いて彼のシャツを掴んだ。 そのお節介な優しさは、いつも必要な分だけをきちっとくれる。もっと奥に無遠慮に入り込んでほしいと願った日があった。 でも今は与えられる優しさだけで満足しようと思った。 例えば明日になったら、彼はもう日本には居ないかもしれない。そして今日は彼を見る最後の日かも知れない。 この腕に抱きしめられる事は二度とない。それでも忘れない。自分をいつも救ってくれたこの腕も。ぬくもりも。 優しいその瞳も。最後にすべてを刻みこんで、自分を抱きしめてくれている彼の背中を強く抱きしめた。 昼間の事件が嘘のように、幸せだった。一息つくと腕を緩めて、彼の胸に埋めていた顔を離した。 俯いたまま無理に笑顔を作り言葉を紡ぎだす 「もう平気よ。ごめんなさい」 進藤は何も言わなかった。強く抱き締めた手を離したりもしなかった。その沈黙は無理に作った笑顔を奪い去り、 小刻みに手が震えだした。不安が募った時耳元で進藤の囁きが聞こえた。 「俺が平気じゃない」 たまきの身体がビクッと震えた。ゆっくりと進藤の顔を見上げる。見上げた瞬間に頬の涙を大きな指で拭われる。 優しい顔をした彼がそこに居た。頬の涙を拭った手は顎に降りてきて、戸惑う間に唇が塞がれた。 こんなに甘い唇を、たまきは知らなかった。もっと欲しくてたまらない。これが夢でも幻でもかまわなかった。 たまきの手首は柔らかくベッドに押し付けられ、徐々にキスが激しくなる。甘いキスは激しさを増して、互いを 探る事に夢中になる。顔を見つめられながら、ゆっくり胸のボタンを外されていく。開いた服の隙間から長い指 が入り込み、柔らかな膨らみを巡っていく。たまきの吐息は徐々に荒くなり、声を我慢する様に唇に押し付けた指に、 進藤の指が絡まり再びベッドに押し付けられた。 掌は脹脛を包み込み、ゆっくり下から撫でられて、身体があからさまにビクッと震えた。 「待って」 呟いた、声を無視する様に、手は徐々に上に持ち上げられていく。 「悪いな、もう止められない」 見上げた彼はいつものポーカーフェイスだけど、いつもより目が艶っぽくて、なんだか感動や幸せを感じてしまい 素直に彼に身を任せた。 彼と繋がった後の事は殆ど明確な記憶がない。覚えているのは進藤の重みと、身体の奥深くに感じた熱いもの。 繋がった瞬間には涙が溢れた。この男をこんなにも愛していると気がつき、ひたすらその腕を幸せと感じた事。 その記憶さえあれば、これから先ずっと一人でも構わないと思えた。 背中から身体に絡まった彼の腕をやんわり解いてから、彼の方へ向き直った。 安らかに寝息をたてる愛しい顔を撫でる。その顔を刻みこみ、胸に顔を埋めて、今は平和と幸せの中で眠りにつきたい。 願う事は、今が永遠に・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |