進藤一生×香坂たまき
![]() 「…ん…?」 大きな腕の中でたまきは目を覚ました。 寝ちゃってたんだ…。 すぐ隣を見上げれば、安らかな寝息を立てる進藤の顔。 この無防備な顔を見られるようになってから、少し経つ。 そっと頬に触れ、微笑んだ。 が。 幸せに浸ってる場合ではない。 久しぶりに家に帰れたのだ、しなければいけないことがいっぱいある。 飛び起きて、脱ぎ落とされたバスローブを再び身につける。 いちばんにしなければいけないのはアレだ。 玄関へと急いだ。 いつも救命で履いているヒールのないサンダルを手に取ると、 薬品を含ませたぬ布で、丁寧に磨きだす。 夏は裸足で靴を履くから、汗を直接吸収してしまって傷みやすいし、何より臭いが付いてしまうのだ。 もちろん、よっぽど近くに来なければ臭うことはない、が。 よっぽど近くに来る者が出来たのだ。 進藤は、行為のとき、手の指や足の裏まで口で愛撫することが多い。 愛を感じて嬉しいのだが、同時にこんな苦労も生まれる。 ふぅ、と玄関を見渡して今夜のことを思い出した。 少しずらして病院を出、近くで落ち合った。 1週間ぶりに、進藤と夜を過ごせる。 少しでも長く一緒に居たくて、シャワーは浴びてこなかった。 たまきの家に着き玄関のドアを閉めたらいきなり抱き締められキスをされた。 1週間ぶりのその感触が嬉しくてそのキスに応えたら、それはどんどん激しくなった。 そのうち大きな掌がたまきの身体中を探り出し、下手したらこの場で行為に及ぼうという勢い。 必死に抵抗し、どうにか進藤を説き伏せて、シャワーを浴びた。 「女にはいろいろ準備があるの!」 精一杯怖い顔をして睨んだ。 進藤は聞き分けのない大きな子どものように剥れていた。 救命に来てから毎日家に帰れない。 一日一回は病院でシャワーを浴びるようにしているけれど、それも不規則で。 汗を流してから抱いて欲しいし、何よりムダ気の処理が…。 実は今、家庭用脱毛器が壊れてる。 あれってすぐ壊れるのよね! 買いに行かなきゃなーと思いながらも仕事が忙しすぎて、しばらく男も出来そうにないしいっかーと油断していた。 それで剃刀を使っているのだが…。 職場のシャワーでは、後で保湿が出来ないから、なるべく剃刀を使わないようにしていた。 (保湿しないと手触りがザラザラになるのよね!) それでなくても、救命に来てから2,3日徹夜は当たり前の不規則な生活で、肌がボロボロなのに。 それで家にあった脱色剤を使っていたのだが、それなら普段はいいが、行為のときは誤魔化せない。 大体男は、女にも手や足の指にまで毛が生えるということを知らなさ過ぎる。 あの部分は特にデリケートで、慎重にやらなければ皮膚を傷付けてしまう。 ただでさえ荒れた肌、せめて少しでも綺麗に見せたいじゃない。 それにあんなところ擦り剥いてたら理由がバレバレで女として恥だわ。 ふぅ、とまた溜息をついた。 こんなことなら学生時代にやっぱり脇だけじゃなく全身永久脱毛しておけば良かったなぁ…。 余りにも莫大な予算と期間がかかるので、辞めておいたのだ。 医学生時代も勉強とサークルとバイトとでかなり忙しかった。 でも医者になったらもっともっと忙しくなって、仕事も面白くなって、 お金は出来たけど時間がなくなったのだ。 たま〜にエステで脱毛コースしてたけれど、あれって3ヶ月とかかかるくせに永久ではないのよね…。 またエステに通いたいけれど、今の職場じゃ到底無理だろう。 そういえば、またピルも飲みだした。 進藤はちゃんと避妊をしてくれるけれど、やっぱり…ね。 …たまにはナマでさせてあげたいし。(ってゆーか、して欲しいし?) でもあれ、私の体質にあまり合わないから、最初のうちは身体がキツいのよね…。 慣れるまでの我慢だけど。 あー、そういえば、新しい下着も買いに行かなきゃ。 古くなってきたのもあるし、毎回同じじゃ嫌だものね。 前の男が気に入ってたヤツは穿きたくないし…。 時間ないなー。 はぁ。 いつもなら、新しい男が出来そうなときは、事前にいろいろ準備できるんだけど。 今回は、突然だったから。 そもそも、進藤の前からいなくなるつもりだったから。 だから今は幸せだけど、その分苦労も多いのよね…。 靴を磨き終わって、寝室に戻る。 のん気そうに眠っている進藤を見ると、なんだか腹が立ってきた。 誰のために、こんなに苦労してると思ってるのよ。 あ、あと冷蔵庫の中の整頓と、書斎の片付けと、植物に水をやらなきゃいけないんだった。 思い出してリビングに行こうとすると、うーんとくぐもった声が聞こえた。 隣にたまきがいないのに気付いて、身体を起こす。 「…何してるんだ?」 目をこすりながら言う。 「いろいろ。あ、ねぇ、手伝ってくれない?廊下の電球切れ掛かってるの」 たまきが笑顔でお願いする。 が。 寝ぼけ顔の進藤はまた布団を引っ被ってしまった。 「ちょっと、ねぇ?」 「………めんどくさい」 ぴきっ 別れてやろうかしら。 一瞬、本気で思った。 人の苦労も知らないで。 貴方との時間を作るために、いろんなことを犠牲にしてるのよ? それなのに、『めんどくさい』!? ヤるだけヤったら、とっとと寝ちゃうわけ!? どんどん腹立ちが募っていった。 はぁぁ。 書斎を片付けながら頭を冷やす。 大体、最初が盛り上がりすぎたのだ。 叶わないと思っていた想いだったから。 ガラにもなく切なさでいっぱいになっていた。 付き合ってみれば、こんなもんよ。 お互いの素顔が判っちゃうと、冷めることもあるわ。 そんなの当たり前。 楽しいときだけ楽しめばいいのよ、恋愛なんて。 …って、今まで思ってたけれど。 今回だけはいかんせん、想いが募りすぎていたから。 こう、いきなり嫌な面を見せ付けられると。 切り替えるのが難しい。 片想いが恋愛中でいちばん楽しい、とはよく言ったものだわ。 片想いってしたことなかったから、初めて知った。 このギャップに耐えられるかと不安に思いながら、寝室に戻った。 ベッドに入りかけて、あ、まだシャワー浴びてなかったと踵を返すと。 急にその手を掴まれ、ぎゅっと引っ張られた。 「きゃっ…」 あっという間に進藤の大きな身体に組み敷かれた。 進藤の顔は怒っている。 「な、何…?」 その顔と腕を掴む力の痛さに少し怯えてたまきが言った。 「…なんで、大人しく寝てないんだ」 「え、だって……靴磨きとか、冷蔵庫の整理とか、…書斎、の…」 泣きながら言い訳する子どものようにたまきは羅列した。 「…靴磨きが、俺と一緒に眠るより大事なのか」 「え…?何言ってるの…?」 たまきは涙目できょとんとする。 「…なんでそんな冷静なんだ。一週間振りだっていうのに」 「………」 やっとたまきは判ってきた。 進藤は、怒っているというより、拗ねている。 「俺はすぐに抱きたかったのに、お前はシャワー浴びるってきかないし…」 バツが悪そうに逸らした進藤の瞳が、可愛くて。 たまきの顔が少しずつ緩んでくる。 「しかも、中々出てこないし………」 瞳を逸らしたまま口を尖らせる進藤に、笑いそうになるのを必死に堪えながら。 「女には、女の事情があるのよ…」 そっと進藤の頬に手を遣った。 「…男の事情も少しは解ってくれ」 その手を握り、たまきの頬から耳に口唇を這わす。 起きたらもう一度、と思ってたんだ―― 耳元で甘く囁かれ、思わず身体が震える。 「電球、後で替えてやるから」 それだけ呟くのを聴くと、ふたりはまた情事に溺れていった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |