進藤一生×香坂たまき
![]() 月日が経つのは早く あの事件から何度目かのクリスマスがやってくる。 救命センターは例年通りの慌しさをみせていた。 人の記憶はやがて消えていくもので あんなに恐怖を感じた暗闇も あの男の顔も、少しだけ薄れていた。 「うわ〜!!もう23日!?」 「あたし83時間も此処から出てない。」 「俺なんか105時間だぞ…。」 毎回のように繰り返されるこの会話に ため息を付いて自分の時間を静かに計算する。 計算してまた1つ、ため息をつく。 悲しくなる程の忙しさ。 いつの間にか隣りに立ってコーヒーを差し出す彼は あたしを見て微笑する。 何よ、と少し不機嫌さを露わにして言うと 何でもないと言って自分の席へと戻っていった。 夕方近くになって、今更に昼食も食べずにいたことを思い出した。 ずっと慌しくしていたせいで、逆に食欲は無くなっていて 彼の淹れてくれたコーヒーを一口飲んだ。 慌しくしているときには気づかないが落ち着いて一息つくと どっと怠惰の感覚がやってくる。 気のせいか頭痛も少しする。 疲れているんだ、と改めて自覚せざる得ない。 少し眠ろうかな・・・ 頬杖をついてうたた寝でもしようとするも 声がかかる。 「香坂先生、翔太君が先生を呼んでます。」 大丈夫ですか?と看護師に声を掛けられて、笑顔を見せて医局を出た。 大丈夫かと尋ねられると反射的に平気だと言ってしまうのは あたしの性分なのだろうか。 日が暮れるのは本当に早くて、七時にもならぬ内に外はもう真っ暗だった。 「どうしたの、翔太君。」 「たまき先生〜!!」 翔太とは喘息で運び込まれてきた小学生で 病弱だが普段は本当に元気な子である。 「あのね、あのね、あのね! パパが明日から“しゅっちょー”に行くから クリスマス会えないからって。 これね、プレゼントだよってくれたの!」 翔太は文頭にあのね、を繰り返す癖がある。 嬉しい事や楽しい事を話すときはその数は多くなるのだ。 今回は余程嬉しかったのだろう。 聞いているこちらまで嬉しくなった。 そう思いながら聞いていると隣の患者を診ていた矢部が顔を出した。 「それってギアレンジャーのだよね?」 「うん!!あのね、あのね、レッドと一緒だよ!」 矢部は翔太の持つおもちゃを知っているらしい。 話によると戦隊モノのヒーローが扱う武器の一種で 名前は英語を使っていて響きはやけにカッコいいが 日本語に訳したら到底強さを感じない可笑しなものだった。 いろんな武器の形に変形させることができて 大人にも興味を持たせるためにリアルなものになっている、と 矢部が力説してくれた。 が、自分には理解しづらいものだと苦笑して 一緒にはしゃぐ矢部を見て再び苦笑した。 「これね、すっごいんだよ!みんなやっつけちゃうんだよ!!」 「良かったわね、翔太君。」 「うん!!」 翔太は大事そうに抱きしめてニコニコ笑う。 夜になり眠っている翔太はおもちゃを抱きしめたまま 幸せそうな寝息をたてていた。 ―そして24日。 この日も昨日に引き続き忙しく 三次の患者が昨晩から朝にかけて二名も運ばれてきた。 治療を終えて医局に戻り時計に目をやり、ため息を吐く。 イヴだというのに今日も仕事で終わってしまうのだろうか。 今日の夜には帰ることになっているが帰れるか、疑わしいもので 彼はあたしより早く午後には帰れると言っていた。 クリスマスの約束をしたことを彼は覚えているのかと 彼の方に目をやるとタイミングよく目が合った。 「なんだ?」と言って怪訝な顔をする彼に再びため息を吐く。 昨日からの頭痛は痛みを増し、体調が優れないせいか なんだか余計に腹が立つ。 こめかみを押えて俯いていると進藤が近くに立っていた。 「どうした?顔色が良くないぞ。」 「これくらい平気よ。年末が忙しいのはいつものことでしょう? ちょっと休めば大丈夫よ。」 「無理するなよ。医者が倒れたら患者はどうする。」 「分かってるわよ。そういう貴方も、ね。」 お互いにそう言って笑うと彼は外来の時間だと言ってドアへと向かう。 彼の後ろ姿を見送っているとドアに差し掛かったところで彼が振り返った。 「今のうちに休んでろよ。今日約束してただろ、クリスマス。うちで待ってる。」 彼はそう微笑して出て行った。 やっぱり、彼には敵わない。 あたしの心はいつも見透かされているようだ。 夕方になって翔太の検査結果が出た。 特に異常は見られず、本人も元気な様子である。 退院のことを翔太に伝えようとICUへ向かった。 途中、廊下で頭痛が酷くなった。 しかしあと何時間かしたら帰るわけだし あと少し頑張ろうと自分に鞭打った。 「翔太君、今年中には退院できそうね。」 「ほんと!?」 「うん、ほんとよ。よく頑張ったわね。 でも、これからも気をつけなきゃダメよ。」 「うん、わかったぁ!」 翔太は嬉しそうに笑ってベッドの上で跳ねた。 ガチャガチャと何やらプレゼントされたおもちゃをいじりながら。 そういうことしちゃダメよ、と苦笑しながら 香坂はカルテに目を落とす。 こめかみを押えながらカルテに書き込みをする。 その時。 眩暈が襲った。 ふらりと身体が揺れて、慌てて翔太のベッドに手をついた。 危うく倒れるところだった。 彼の忠告はしっかり聞くべきだと心の中で思って きっと彼に知られたら「だから言ったんだ」と 笑われるに違いないと、そんな事を思った。 「たまき先生〜〜!」 呼ばれた声の方にまだ少し朦朧としながら顔をあげると その光景に息を呑んだ。 夕方の暗くなった外の景色を背景に。 眩暈で少し視野が狭く暗くなった瞳の中に写ったのは 銃口のようなぽっかりと空いた穴。 一瞬にしてフラッシュバックを起した身体にあるのは 蘇るあの日の恐怖だけで救命センターに響く慌しい人の声も 騒音も、眩しすぎる明かりも、彼女に届く事はなかった。 ”この穴の奥をよく見ろ。” 嫌な出来事というのは どうしてこんなにもリアルなままで残っているんだろう。 あの時のことが今、鮮明に蘇る。 混乱した乗客。撃たれた男性。 ライフルの乾いた銃声。 そして。 あの男の声。真っ暗な銃口。 ”この穴の奥をよく見ろ。” あの男がまるで本当にそこにいるような錯覚。 また墜ちていくのだろうか。 暗い底に、闇の中へ。 深いところへ堕ちていきそうになったとき たまきは進藤を思い出した。 その瞬間、現実に引き戻された。 救命センターに響く慌しい人の声。 眩しすぎるほどの明かり。 その全てが戻ってくる。 「…たの?せんせ…」 「どうしたの?たまき先生!!」 「え…?」 「ちょっとどうしたんですか香坂先生。汗、すごいですよ!?」 はっきりとした意識が戻り見てみると 心配そうに顔を覗き込む矢部と翔太の顔が入ってきた。 「大丈夫ですか?…翔太ぁ〜お前なんかしたのか?」 「してないよう! ぼくはせんせと遊びたくてこれ持ってただけだもん。」 翔太が手にしているのは父親にプレゼントされたおもちゃで。 エアガンのような形のものだった。 ”大人にも興味を持たせるためにリアルな造りになっている。” ”様々な武器の形に変形できる” そう説明した矢部の言葉を思い出し、まだ少し荒い息で返事をする。 「大丈夫よ。なんだか疲れてるみたいね。」 「ほんと大丈夫ですか?顔色も悪いですから…」 「大丈夫なの?たまきせんせー。」 「ええ、大丈夫。心配させちゃってごめんね。」 そう笑ってICUを離れた。 青ざめた顔はそのままに、手の震えが止まったのは 暫く経ってからだった。 たまきはなんとか時間まで働き、家に帰った。 しかし自宅に帰ってくるまでの間にも一度 フラッシュバックを起こし恐怖に苛まれた。 家に着いて疲れのせいもあり、ぐったりとベッドに横たわる。 しかし、目を閉じると暗い世界が広がり その恐怖からすぐに目を開けた。 真っ白な天井をぼんやり見つめその頬を涙が伝う。 この弱さを自分自身悔しく思い 流れる涙を拭おうともせず定まらない視線をさ迷わせた。 進藤は正午過ぎには仕事を終え 自宅に帰って彼女が来るのを待っていた。 遅くても10時には帰れると聞いていたが その時間を過ぎても彼女は来ない。 急患でも運ばれたのだろうかと思いもう少し待つことにした。 しかしそれでも何か言いようのない感覚に襲われ 携帯を手に取った。 長いコールが続いた後、留守電のメッセージが聞こえてきた。 そのまま電話を切り、車のキーを手に取ると、急いで家を出た。 進藤がたまきのマンションに着いたのは 電話から15分ほど経った頃で。 時刻は11時を回っていた。 進藤はエレベーターでその階まで来ると 部屋のインターフォンを押した。 しばらくしてドアがわずかに開いて、彼女が少しだけ顔を出した。 「あ、…どうしたの?」 「どうしたのじゃないだろ。うちに来るんじゃなかったのか?」 「ごめんなさい」 「何かあったのか?」 「なんでもないわ」 「なんでもないようには見えないぞ」 「…ほんとに、なんでも」 「じゃあ、ドア。開けてくれないか?」 チェーンで閉められたドアに進藤は手を掛ける。 俯いたままのたまきは黙ったまま。 「何でもないなら、いれてくれるだろ。このまま話す気か?」 苦笑してわずかに開いたドアからたまきの頬を撫でる。 すると黙っていたたまきが頬に添えられた進藤の手に自分の手を重ねた。 微かに震える彼女の手は一層白く、ただ震えて。 「…助けて」 そう絞り出された声に、進藤は力強く頷いた。 部屋にあがり、コーヒーを淹れた。 ソファで並ぶように座って強く彼女の肩を抱いた。 その横顔は普段纏っている鎧を剥いで ただその弱さだけが映っていた。 言葉を選びつつ、ゆっくりと問う。 「何があった?」 彼女は胸の前で強く手を握っていて それが自分を保っているようだった。 俯いていた彼女は暫くするとこちらに向き直り、声を漏らした。 「また…思い出して、怖かった」 「ああ」 「すごく怖くて・・・どうしたらいいのか、解らなくなって・・・」 「ああ」 「一度思い出したら…怖くて、何も考えられなくて・・・ あいつが…目の前に現れて…」 「あいつが…あ、あいつが…」 ”あいつ”と言った言葉に進藤はすべてを理解した。 彼女の顔を覗き込んで、優しく笑いかける。 彼女の目から零れ落ちる涙を拭って。 かつてと同じように抱きしめる。 「大丈夫だ。…俺がついてる」 涙はいっそう流れ出て、声を出して泣いていた。 進藤は強く抱きしめて背中を優しくさすった。 「傍にいる」 その声は強く。 たまきの中に響いた。 こうやって抱きしめられるだけで少し楽になった。 それでも。 それでも不安で仕方なかった。 断ち切れるのか。 あの出来事に縛られて、思い出すだけで吐き気がする。 だからただ、貴方に縋って 不安な想いを貴方にかき消して欲しくて。 その広い背中に腕をまわして。 しがみつくように、縋るように、力を込めた。 気がつくといつのまにか眠っていたようで。 ソファからベッドへと移っていた。 彼はずっと抱きしめたまま、背中をさすってくれていたようだ。 埋めていた顔をあげて彼を見やる。 するとちょうど目が合って。 「もう寝なくていいのか」 そうからかうように彼は言った。 あたしはそんな彼を直視できないで節目がちに答える。 「…ありがと。それと…ごめんなさい」 「何がだ?」 「イヴだったのに」 「もうクリスマスだな」 身体を離して、ベランダのほうに目をやる。 外は風が強いのだろう。 木々が左右に強く揺れていた。 「これから…」 「うん?」 「あたしは楽しむことができるのかしら、この日を」 自分を抱きしめるように腕に力を込めて。 じっと見つめている彼に気づき、すぐに笑みを作る。 「…なんて。なんだかか弱い女みたいね」 「前も同じようなこと言ってたな」 「そう?もう忘れたわよ」 「お前は自分の弱さと向き合うべきだ」 「何よ、それ」 「弱くてもいいんだ。それを受け入れれば」 「あたしはそんな弱い女じゃないわ」 「お前は弱い」 「違う」 「弱いよ」 「違うって言ってるじゃない!!」 「自分の弱さを直視して向き合えないほど、お前は弱い」 彼の目を見れば自然と涙が零れた。 彼の目は深くて なんだかすべてを見透かされていそうで 吸い込まれそうで 少し怖くもなる。 でも、暖かくて 目を逸らすことも出来ないくらい引き寄せられる。 泣いているあたしは引き寄せて再び抱きしめられて 落ち着くまでの間彼はずっと髪を優しく撫でてくれた。 「それだけ泣いたらしばらく泣けないんじゃないか?」 「そうかも。こんなに泣いたのは久しぶりだもの」 彼の体温を肌に感じ、彼の心音を子守唄のように聞きながら あたしは彼に包まれて、なんだか赤ん坊のようにそのまま眠った。 恐怖に感じた暗闇も彼がすべてを覆い尽くしてくれているようだ。 朝、目が覚めればなんだかすっきりとした気分だった。 あまりに疲れていて精神的にも弱っていただけなのか それとも彼言うように弱い自分を受け入れたからか いずれにせよ彼がいてくれたからということに変わりはない。 いつまた、この悪夢を思い出すのかは解らない 再び真っ暗な闇の中へと墜ちていきそうになるのかもしれない。 それでもきっと あたしを抱きしめる強くたくましいこの腕がきっと あたしを導いてくれる。 光の射す方へ、と ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |