進藤一生×香坂たまき
![]() 医者の不養生とはよく言ったものだと、進藤は働かない頭でぼんやり考えながら横になっていた。 季節の変わり目に風邪をこじらせてしまった。香坂をはじめとする周囲の心配を余所に、大したことではないという判断をしたのが不味かった。 自分がしたいだけの無理ができる歳でもないが、何分気持ちが素直に付いていかないのだ。 香坂に兎に角大人しくしていなさいとベッドに寝かされてから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。寝返りを打つことさえ辛く、すぐそこにあるはずの時計を見やる気力もない。熱はまだ高いようだった。 部屋に人の気配はない。香坂はどこに行ったのだろうか。 彼女には悪いことをした。今日は二人で小さな予定を立てていたのに、無いことにしてしまった。 また、彼女であればセルフマネジメントの出来ない自分をなじりたかったろうに、 その言葉を飲み込んで甲斐甲斐しく看病してくれている。 何か埋め合わせが必要だ― 進藤はとりとめもなくそんなことを考えながら、再び眠りについた。 身体は依然として苦しく、汗が肌に纏わりつき不快だったが、 しかし心持ちは久しく持ち合わせていなかった安らかなものだった。 香坂は自身に厳しい。仕事もプライベートも、無論進藤との交際も、完璧にこなしている。 しかし進藤は、それは彼女の弱さなのだと感じていた。 自信がないから、襤褸が出せないのだろう。 完璧でなければ、愛されないと思っているのだろう。 精神的にも肉体的にも無理をしている香坂を垣間見るほど、香坂が鉄壁で自身を固めるほど、 進藤は香坂が愛おしく、また自分にだけは心を許してほしいと思うのだった。 当の香坂も進藤に頼りたい気持ちは山々なのだが、慣れていないので遣り方が分からないのだ。恥ずかしさと照れも相まって、小さな一歩を踏み出せないでいた。 「目が覚めた?どう気分は」 進藤が目を開けると香坂が顔をのぞき込んでいた。 「熱はまだあるようね。でも大分下がったみたい」 香坂はベッドに腰を掛け、進藤の額に手を当てながら静かに呟いた。進藤は喉の渇きが酷く、すぐに声が出せなかった。 不快そうに顔を歪ませている進藤に、香坂が察してミネラルウォーターのペットボトルを渡す。 半身を起こしながら進藤は差し出されたものを受け取り口にした。 冷たすぎず、かつ温くもない、とても飲みやすい水だった。こういう気遣いさえ完璧なのだ。だから彼女は駄目なのだ、と進藤は思った。 「すまない」 香坂の完璧さに思わず言葉が出たが、香坂にはしおらしくなっている進藤が可笑しかった。 「ふふ。何か食べられそう?お粥作ったけど―」 「いや・・・」 申し訳ないが、何も食べられそうになかった。 「そう」 「すまない」 「謝ってばかり。あなたのような人でも病人になると弱気になるのね」 コロコロと鈴の鳴るような声で香坂が笑う。 「どういう意味だ」 進藤の表情も自然柔らかくなる。 「ゆっくり休んで」 香坂が進藤を見つめながらその顔に手をやった。その眼差しは温かい。 「うつるから」 と進藤は香坂の手を振り払おうとする。酷く緩慢な動きになった。 「はいはい、横になって」「埋め合わせ、必ずする」 横になりながら進藤は強く言った。 「本当かしら」 「ああ、約束する」 「・・・行きたいところがあるんだけど―」 「ああ、どこだ」 進藤が問いかけると、香坂は少し躊躇したようだった。 「・・・bunkamuraのミレイ展。駅で見たポスターの作品がすごく綺麗で・・・美術館なんてまともに行ったことないんだけど」 「――そうか。いいじゃないか」 進藤は内心驚きながら返事をした。香坂が新しいことをしたいと言い出したのは初めてだったし、それを自分と共有したいと思ってくれたことが嬉しかった。 「俺もその絵が見てみたい」彼女が美しいと感じたものを。 香坂の顔が高揚し、明るくなったことが見て取れる。その表情はいつもの完璧な笑顔ではなく、少女のような鮮やかなものだった。 「おやすみなさい」 香坂の穏やかな声で、進藤はもう一度眠ろうとしていた。 少しずつでいい、彼女が俺の前では完璧さを纏わないように、できるだけ甘えさせてやろう、と思いながら。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |