進藤一生×香坂たまき
東京湾添いの公園から遊園地の横を通過する橋にかけて、カップルの溜り場になっていた。もちろん、いつか来たこの桟橋も。 見つめ会い、抱き合い、キスをする。こんなに人がいるのに、なぜそのような行為ができるのだろう。 日付上仕方の無いことなのかもしれない。この場所を指定した自分を恨む。 時刻を確認すると約束の時間を少しすぎたところだった。自分も一時は身を置いていた部署だ。理解はしている。 しかしこの状況だ。あまりにも惨めすぎる。 しかも待ち合わせをしている男は恋人ではないのだ。私はまわりからどう見えているのだろう。 この場所にいるのは耐えられない。しかしどのベンチにもすでにカップルがいる。 寒い、早く来て、寒い。まったく、なぜこの場所に集まるのだろう。 目の前は暗い海で、遠くに小さくベイブリッジが見える以外は海保の建物と工場の煙突の点滅灯くらいしか見えないじゃない。近くにある高いビルの展望台のほうがよっぽどロマンチックなのに。 すぐそこにホテルだってあるじゃない、いくつも。 私はこの場所に多少なりとも思い入れがあるし、だからここを選んだのに…。 そこで思った。もしかしたらここにいるみんながここに思い入れがあるのかもしれない、いや、でも…。 「待たせたな。」 ずっと待っていた声をやっと聞くことができた。 断りの連絡が来るかもしれないと思っていたから、会えただけでも嬉しいのに、 「男の人に待たされたの、初めてだわ。」 こんな言葉しか言えないなんて、なんて素直じゃないんだろうって自分でも思ってしまう。 「悪い、寒かったな。」 そして、普通にこちらを不快にさせることなくかわしてしまうこの男も、少し恨めしい。 「…移動するか。」 カップルだらけの海沿いの道を抜け大きな橋の脇の階段を昇るとき、大丈夫か、と気遣われただけで緊張してしまう。 どうかしてる。こんなに意識してしまうなんて。 全ては日付とバッグの中の小さなお菓子のせいにする。 遊園地に沿って、日本一高いビルへと向かう。 「夕飯は?」 「ま、まだだけど、」 まだ、と答えるだけで吃ってしまうなんて。 入った店はイタリアンだった。流れているのはバド・パウエル。悪くはない、と思う。 このビルにあるにもかかわらず、客層は比較的大人だった。へたにシャンソンを流されるよりもいい。 席に案内されると手際よく料理を選んでいく。 本来なら私が全て用意すべきなのにさっきから何もしていない。ただ後ろをついていっているだけだ。 「…香坂?」 「あ、ごめんなさい、もう一度言って。」 その上話まで聞いていない。口数の少ない彼に話させておいて。 食事の時間はひどく短く感じた。 もうそろそろ帰らないと行けない。私は休日だが、彼は仕事があるかもしれない。 しかし、まだ渡していないのだ。このために呼び出したのに。 しかも、羽田まで買いに行ってしまったものだ。自分で食べる気にはなれない。 「あの、」 少し顔をこちらに向けて、歩く速度を落としてくれた。 いつもは見て歩くのが好きな夜の観覧車も、まわりを通り過ぎていくカップルたちも、目に入らない。 「いつも、仕事で疲れてるでしょ、ほら、救命忙しいじゃない、」 どう渡していいかわからない。 海沿いにいた人たちは、きっと素直に渡したはずだ。もっと素敵な言葉を添えて。ロマンチックに。 「だから、甘いものもいるかと思って、」 彼が足を止める。きっと、ほかの相手ならもっと楽に渡せたのだろう。 こんなに緊張するのは本当に久しぶりだ。彼がどんな顔をしているのか見る勇気なんてなくて、足元しか見れない。 「だから、よかったら、食べて。」 少しの間があった。 職場でたくさん貰ってるに違いないのに、もしかしたら迷惑かもしれないし、甘いものだらけで嫌になって拒否されるかもしれない。 さっきから、心臓がひどく音をたてている。 「サンキュ」 小包みとともに差し出した手が軽くなった。 戸惑いながらも見上げると、優しい目をした彼と目が合った。 何を言っていいのか、どうしたらいいのか、分からなくなってしまう。今回に限って。年甲斐もなく。 「もう少し、話さないか。」 タクシーに乗り、着いた場所は海からは少し遠い、国道近くの坂の上にあるマンションの角部屋だった。 高い位置にあるからか、夕食をとったビルの高層部分が見える。 通されたリビングは、広かった。 ファミリー向けなのだろう。玄関も広めに、段差は低く作られていた。 部屋の大きさによく合った白い皮張りのソファーは硬めだった。 今の職場に移ってから借りたという。なんとなく、罪悪感を持つ。 目の前のガラステーブルに置かれたコーヒーは濃いめで、深い薫りをもったものだった。 今日一番近い位置に彼は座る。それだけでどうしていいのかわからなくなる。 「食べていいか?」 頷く動作はひどく固くなっていただろう。 どうしてついてきてしまったのだろう。 どうしてこんなに近くにいるのだろう。 何も考えなすぎたのかもしれない。 長く過ごせば過ごすほど緊張する。そして、離れたくなくなるのに。 「甘いな。」 「ごめんなさい、甘いの、苦手だった?」 「嫌いじゃない。しばらく食べてなかったからな。」 今3つ入ったうちの、2つ目を食べている。 彼のコーヒーはもうなくなっている。 やはり甘すぎたのか。 「他に、誰に渡したんだ?」 この質問がくるとは思わなかった。 あなただけよ、とか、他にあげたい人なんていないわ、とか、範解答は色々あるのかもしれない。 しかし、なんて答えていいのか分からず首を小さく横に振るしかできなかった。 ふっ、と笑ったのがわかった。頭の少し上の、近すぎる距離で。 3つ目のチョコを食べたところで、 「香坂。」 優しい、声だった。 「ありがとな。」 髪に指を差し込まれる。男の人に髪を撫でられるなんてどれくらいぶりだろうか。 北村とはそこそこ長く続いていたが、髪は絶対に触らせなかった。下に見られているようで、許せなかったのだ。 見上げると、思ったよりも近くに彼の顔があった。 それまで髪に触れていた手が頬に移動したとき、私の唇は彼の唇に触れた。 それを合図に、短いキスから、だんだんと長くなっていく。 首に腕を回すと、口腔内だけでなく喉までをも味わうかのようにさらに深くなっていく。 キスはしたくてするものではなく、そうせざるをえないからするなだ、と何かの小説で読んだことがある。 しかし私は、したくてしたのだ。彼もそうであることを願ってならない。 ソファーとは対照的に、ベッドは身体が沈み込むものだった。 息もできないほどに、唇を塞がれる。チョコの甘さと、濃いめのコーヒーの苦さを舌で感じる。 心臓と肺がうまく機能しない。空気を吸い込んでも、肺がしっかり膨らまない。心臓は狂ったように音をたてている。 額、耳、頬、唇、首筋、音をたてて、だんだんと下へ降りていく。ときどき甘く噛みながら。 触れられたところから徐々に熱をもっていく。 鎖骨、肩、二の腕、手首、指にたどり着いたところで、一本一本丹念に舐めあげられる。 触れるか触れないか、微妙な舌使いに脳が麻痺していく。 外側から内側へ、敏感なところは避けて舐められると、再び首筋に戻ってきたときには完全に身体は熱くなっていた。 片腕は背中に回し、空いている手で彼の髪に触れ、深いキスを求める。 彼の息遣いを耳元でリアルに感じる。とても熱い。 そして、だんだんと敏感な箇所に触れていく。指で、舌で。上から舌へ。 触れられるたびに声が上がる。自分から出てるとは信じがたいような声が。 そこから墜ちていくのは早かった。 私はひたすら彼を求めた。もしかしたら普段なら絶対に言わないようなことを言ってしまっていたのかもしれない。 中に入ってくると、それだけで満たされた気持ちになる。 探られるようにゆっくりと動き始める。 ある場所にあたったとき、あっ、と今までで一番高い声があがる。 それからはそこを集中的に攻めてきた。 「あっ…やぁっ…、しんど…っ…せんせっ…」 うわごとのように彼を何度も読んだ。 彼の動きに合わせて自分も動くと、喉の奥のほうから低い声が上がった。 彼の息遣いがさらに激しくなり、擦れた声で香坂、と呼ばれる。ひどく苦しそうに。 規則的だった動きから、だんだんと不規則に。緩いものから激しいものまで。 どう動けばいいのか、だんだんとコツをつかんできたところで、快感は増していく。 このままずっと繋がっていたいな、と思った。初めての経験だったかもしれない。 限界がくるまで、ひたすら声をあげ、彼を求めていた。 頬がくすぐったい。 しかし身体はものすごく怠くて、ようやく、なんとか目を開くと、彼が頬を撫でていた。 きわめて近い距離で、目が合う。 「まだ、暗いぞ。」 また、優しい目。さきほどの目とは違う。 どこか気恥ずかしくて、頭まで毛布をかぶったが、剥がされてしまう。 「あの、」 優しく髪を撫でられると、泣きそうになる。 何を言っていいのか分からない。 女の場合、こういうときに謝られると傷つくものだが、男の場合はどうなんだろう。 「チョコ、甘かったな。」 「チョコは甘いわよ。」 「お前も味わっただろ。」 顔が火照るのが分かる。何度も味わったのだ。彼の口で。 「来年も、よろしくな。」 「他の人からももらったんでしょ。」 だんだんと自分の調子にもどっていくのがわかる。 「14日に食べたのはお前のだけだ。」 きつく抱きしめられると、涙が溢れそうになる。 「来月、予定あけとけ。」 額にキスを落とすと、そのまま目を閉じた。すぐに寝息が聞こえてくる。 それだけで告白の言葉には充分なのかもしれない。お互い様だ。 でも、 「私のことどう思ってるかきかせてくれてもいいじゃない。」 不貞腐れたようにつぶやくと、抱きしめる力が増した気がした。 SS一覧に戻る メインページに戻る |