HYPNOTIC POISON
進藤一生×香坂たまき


ホットのカプチーノを頼む。エスプレッソをワンショット追加で。
コーヒーはブラックが好みだがアメリカンはあまり好きではない為、アメリカンコーヒーの店ではカプチーノを頼むことにしている。
アメリカンはどこか薄さを感じてしまうのだ。軽く思える。
きつすぎるくらいに店内に香りを充満させているにもかかわらず、口にすると思わず苦笑が漏れてしまう。香りと味がうまく一致しないのだ。
高層ビルの中で最上階まで吹き抜けになっている場所に位置するこの店舗で、ホテルに一度戻るという彼女を待っていた。

「ひとつ聞いていい?」

梅雨の晴れ間の空は、清々しすぎるものだった。海風から湿気を取りのぞくかのように。

「海に落ちたときのこと、覚えてないの私」

一呼吸おいて、どこか楽しげに言う。

「誰が、マウス・トゥ・マウスを?」

あの時の質問の意図を考えてみるが、しっかり馴染むような答えはなかなか出てこない。
彼女は明後日には日本を発ってしまう。もう、思うように会えなくなってしまうのだ。
最後に、もう少しだけ時間を共有したかった。
何かが変わるわけでもない、変える理由もない。
数ヵ月間の空白を思い返した結果だった。

生前の医局長にすすめられた“医者の厄日”というどこか恐ろしいタイトルの本を取り出す。
なかなか共感できて笑っちゃうよ、と明るく言っていた。
しかし大桟橋からこの近辺まで隣を歩いていた彼女にこのほんの話をしたとき、なにそれ、と顔をしかめられたのを思い出し、再びしまいこんだ。
海面からの反射もあってか、船の上ではやけに明るく感じた太陽も今ではもう沈んでいる。
大桟橋でみた空は、深い青で、星の見えない黒と入れ替わる前だった。
昔から好きな瞬間だった。
大きなガラス窓から見える暗い空には、雲がかかりはじめてきていた。

待っていた姿を見つけ、席を立つ。
アップだった髪はいつものレイヤーの入ったストレートヘアーに、服も黒のタイトなワンピースにジャケットという、普段好んでいるスタイルにもどっていた。
この時期にジャケットを着ていてもどこか涼しげに見える彼女に、自分の平熱との差を感じる。

「ごめんなさい、少し時間かかっちゃって」

ただ、違う箇所がある。
彼女が動くたびに、嗅ぎ慣れないシャンプーの香りと、それから、いつもは感じない、ヒメウイキョウを包み込む少し甘味の強いジャスミンとアーモンドの香りが微かに漂っていた。

入ったのは、桜木町駅から程近い位置にあるホテルのバーだった。
窓からは海に反射する遊園地の明かり、街灯、ビルの明かりが見える。低い位置にあるにもかかわらず、景色のいい場所だった。
音楽も静かで、カジュアルすぎる客もいない。
どこのデザイナーの趣味だろうか、間接照明は明るすぎもせず暗すぎもせず、暖かさを演出していた。
バーテンダーの前の席ではなく窓際がいいと彼女は言った。次いつみれるかわからないから、景色をよく見ておきたいの、と。

「あなたは、人を助けるのが本当に好きね」

目の前のキール・ロワイヤルを一口含んだ後、彼女は笑った。

「まわりの人の為に生きているみたい」

苦笑する他なかった。
意識してそうしてきたつもりはなかったが、他人の目にはそう映るらしい。
何かの言葉を飲み込み、そういうところ嫌いじゃないわと笑った。

「私は、」

カシスが濃いわね、と言った赤い液体を見つめていた視線は、前方にうつる。真っすぐ。

「自分の為に生きたいの」

しっかりと言い切る彼女の横顔を、美しいと思った。

「だから、シカゴに行くのよ」

また視線を少し赤い液体に戻し、少し恐いけど、と笑いを含んだ声で付け足した。

会話は、とうに途切れてしまっている。
医局、屋上、今まで過ごしてきた場所でなら心地よいくらいの沈黙も、どこか居心地が悪い。かといって、紡ぐ言葉も見当たらない。
彼女を直視することはできずに、窓の外に映るみなとみらいの明かりを眺めていた。
いつ頃から雨が降り始めたのだろうか。滲んでいる明かりはどこか寂しげに見える。観覧車も、一度目のシカゴの前に二人で話した桟橋の近くにある独特の形をしたホテルも。
目線は変えずに、意識だけ近くに持ってくると、ぼんやりと窓に映る彼女の姿をとらえる。
手を伸ばせばすぐに触れられるような距離にいるのに、どこか遠くの人間に思えてしまう。
瞳には、雨に濡れた桜木町を移すようで何も映っていなかった。見ておきたいと言った景色なのに。
そんな彼女をただただ見つめていた。
手をいじるのは癖だろうか。
記憶に残る、よく見かけていたはずの仕草が、霞んでしまっている。
一瞬、彼女が髪をかきあげたときにふわりと漂った香りからジャスミンは消えかかっていた。ビターアーモンドが強くなり、神経を刺激する、さらに深く甘い、どこか官能的なものへと移り変わろうとしていた。
ガラスに映る彼女と目が合った瞬間、時間が止まったように感じる。
ボリュームを小さく絞り静かに店内に響くDiana Krallの歌声は大きく響き、微かにしか漂わないはずの香りはまとわりついて離れなくなる。
強めの酒だけではなく、すべてに酔い潰れてしまいそうになる。
どこか憂いを含んだ瞳から感情を読み取ろうとすると、困惑が交じりはじめた。
ガラスに映る彼女ではなく、隣にいる本物の彼女を見つめる。

「香坂」

名前を呼ばれ、びくりと身体を震わせる。全身に力が入ったことを、彼女が待とう空気が知らせる。
船を降りてから、一度も目は合っていなかった。
意識的にそうしていたのだ。彼女も。
目が合ってしまったら、隠していた感情が表に出てきてしまいそうだった。それは互いに恐怖以外のなにものでもない事を充分承知していた。

「ちゃんと俺を見ろ」

戸惑いがちに向けられた視線は、少し潤んでいる。
“香坂たまき”を作り上げる強さは消えていた。
しっかりと、現実と、自分の中にある恐怖心と向き合う。きっと彼女も。溢れそうな涙はその象徴なのかもしれない。
自分のなかに迷いはなかった。

「シカゴには行くな」

一番奥底に隠していたことを言う。一番言ってはいけない言葉だったのかもしれない。
必死にそれとは逆の行動をとっていた。
彼女の人生を邪魔する権利は持っていないのだから。
自分を見つめる彼女の瞳から、涙が一粒零れた。

入ったホテルは、バーから見えた場所だった。
少し、早足だったかもしれない。
あの距離をあの速度で歩くには、細いヒールではきつかったはずだ。
しかし、抑えることなどできるはずもなく、ランドマークタワー、クイーンズスクエアを通り抜けた。
抱き寄せた彼女の肩は雨で濡れていた。ホテル内に店舗を構えるコンビニエンスストアで買ったビニール傘は、二人で使うにはやはり小さすぎたようだった。
激しく喉が渇いていたが、ミネラルウォーターを取りにいく時間さえ無駄だと思えるほどに欲情している。
ベッドにはどちらから倒れこんだかは定かではない。
もしかしたら自分が乱暴に倒してしまったのかもしれない。
唇が離れるたび、彼女が大きく息を吸い込むのが分かる。
その隙すら与えたくなくて、すぐに塞ぐ。
歯を押し開き、舌を挿入する。
ジャケットはどこに放り投げたかわからない。
シャツを握るのを背中に感じる。
貪る、という表現が合うかもしれない。
さらに深く舌を押し込むと、んっ…とくぐもった声が聞こえた。
自分でも息苦しくなりシャツのボタンを2つ外したとき、彼女の力が強くなるのを感じた。
ゆっくりと離すと、その名残が細く光った。
自分も彼女も、完全に息が上がっている。全力で走ったかのように。
耳元に移動すると、濃厚なバニラとムスク、それから薄くなっていくビターアーモンドの香りが強くなる。
鼻腔を擽る香りから、体温が上昇したことは明らかだった。
先程の口付けで酸欠ぎみの脳内に、その香りがじわりと広がっていく。
耳たぶを唇で挟むと、甘い吐息が漏れる。
軽く歯をあてると、腕の中で震えるのが分かる。
微かに触れるように、次第にねっとりと舐めあげる。わざと吐息がかかるようにすると、身体を捩る。
腕の中で時々小さくごく甘い声を発する彼女に、自分の中で興奮が渦巻いていくのを感じた。
邪魔になったワンピースを、背部のファスナーを下ろし一気に引き剥がすと、彼女の身体が硬直する。
それをほぐすように、細い首筋に唇を移動させる。
躊躇うことなく歯をたてた。
くっきりと浮かぶ鎖骨の下、形のいい弾力のある胸元、薄く浮き出た肋骨の上、あらゆる場所に跡を残していく。
いずれ薄くなり消えてなくなるものだとわかっていても、そうする外なかった。
せめてこれが残っている間だけでも、自分が彼女の中から消えないように。

そしてもう一度唇を重ねる。
同時に、ホックを外し、手が胸を弄りはじめる。
その手を抑えられると、逆にベッドに押しつける。
反抗したくなるのは人間の性かもしれない。
逃げられると追いたくなる。抵抗されると攻めたくなる。
先端に軽く口付けると、息を吸い込む音が聞こえた。
舌で弾いたり歯をたてたり、その度に身体がびくつく。
その反応を楽しみながら、内腿に手を滑らせる。
布の上から軽く触れると、甘い声が上がった。
その声が神経を刺激する。
焦らす余裕もなく、一気に引き剥がすと、そこはすでにかなりの湿り気を帯びていて、素直に指を飲み込んでいく。
反応を見ながら、ゆっくりと中を探る。

「…やっ、あぁ…っ…、」

甘い声が脳内を犯していく。

「いやっ…やめ…て…っ…」

言葉とは裏腹に、あふれだすのがわかる。
こんな声を聞かせておいて、こんな反応を見せておいて、やめろだなんて無理な要求だと思う。
ある場所に触れたとき、より一層高い声があがり、指が締め付けられた。
もう、こちらがもたないかもしれない。ギリギリだった。
脚を開かせ、一気に体重を掛けると、容易に飲み込まれた。
ゆっくり、と自分に言い聞かせ、出来るかぎりゆっくりと腰を動かす。

「…やぁ…っ…、しん…、…あっ、ど…せん、…せ…っ…」

幾筋も涙を流し必死に自分の名前を呼ぶ彼女を見て、完全に理性は飛んでしまった。
ただただ夢中に腰を動かした。
空調の冷たい風など感じないくらいに。

「あっ、あっ…、やっ」

呼吸が浅く短くなっていくのがよくわかる。
彼女を突くたびに、自分の呼吸も同様の経過をたどる。
声帯が震えそうになるのをぐっと堪えると、呼吸のタイミングがずれて息苦しくなる。
だんだんと自身を締め付けられ、大きくびくついたとき、最初の絶頂をむかえた。

抱き込んで寝たはずの体温が感じられず、慌てて目を覚ます。
真っ白な背中が見える。
自らも起き上がり、後ろから抱き締めると小さく悲鳴が上がった。
空調からの風に冷まされた彼女の身体は、ひやりと心地よかった。

「ジャケット、そこに落ちてたわ」

いつのまに持ってきたのだろうか、ミネラルウォーターを飲みながら、おかしそうに笑う。
幾分幼く見えるのは、マスカラと、ルージュと、その上に控えめにのせられていたグロスがわずかに溶けて消えているからだろうか。

「もう掛けといたから大丈夫」

差し出された飲みかけのボトルを受け取ると、一気に半分飲み干す。
冷たく喉を流れる水に、身体が火照っていたことを思い知らされる。
相当喉が渇いていたらしい。
ベッドサイドにあるデジタル時計を見ると、日付が変わった直後だった。
時間の経過は恐ろしいと思った。
彼女から“明日”という言葉は聞きたくなくて、左腕の力を強めた。
少しだけ含み、彼女の顎に手を添え、その口に流し込む。
抵抗しつつも、飲み込んでくれた口の端から流れた水の跡に、そっと唇を寄せる。

「ちょっと、」

少しの苛立ちに艶がまざったような声を上げる。

「これ以上、」

急いで唇を塞ぐ。
何も、聞きたくなかった。
そのまま舌を絡め、胸に手を添える。
頬を伝う涙を、ボトルを置いた手で拭う。ボトルの表面に着いた水滴とは対象的に、生温かかった。
そのまま脚に移動しゆるく撫でていると、抵抗は徐々に無くなっていった。
その代わりに、彼女が掴んだシーツの皺が深いものになっていった。
そのまま唇を首筋に移動させ、自分で付けた跡にまた、歯を立てる。

「…ねえ、…やめて、お願い…っ…だからっ」

吐息とともに吐き出すその言葉を無視し、身体の位置を変え、押し倒した。
行けなくなるじゃない、と聞こえた。
形のいい瞳は、涙に歪んでいた。
どうしていいかわからずに、顔に掛かる髪を払ってやると、髪に指を差し込まれ、彼女から唇を求められる。
そのまま、深く深く口付けていった。
離れた後、きつく抱き締める。
残されたわずかな時間中、彼女を感じていたかった。

「そんな顔しないで」

冷たい手が頬に触れる。
細い指が背中をたどると、ぞくりとした。
顔を首に埋め、小さくキスを落とすと、バニラとムスクの香りを吸い込んだ。
そこにはもうビターアーモンドはなかった。

赤い後を付けた細い首筋、くっきりとした折れそうな鎖骨、どこかたよりない細い肩、薄い皮膚に浮き上がる肋骨、普段は隠された骨の突起した細い腰、長時間に及ぶこともあるオペに耐えられることが不思議な細長い脚。
今度は自分が忘れないために、形を確認するように身体中、やさしく口付けていった。
脚の間に顔を埋めると、そこだけ特別に温度が高いような気がした。
最初は他の箇所と同じように優しく。
弱い力で頭を掴まれ持ち上げられそうになるがそのまま続ける。

「やっ、」

グロスとは違う、つやつやとした液体が口にまとわりつく。

「やめ…っ、まって、」

頭への重み少し強くなるが、うまく力が入っていないようだった。
だんだんと深く、唇と同じように貪っていく。わざと水音を響かせる。
それに比例して彼女の声は高くなっていく。
頭が軽くなったとき、それまで触れていなかった場所に、最後にキスを落とす。
かすかに舌で触れると、彼女の身体は震え、脚が緩く立った。
唇ではさみ、様々な角度から舌で触れると、何度も腰が浮く。
呼吸が荒くなり高みに行きそうになる度に、その動きを止め、内腿への緩やかな刺激に移行し、引き戻す。

「ね…え…っ」

荒い呼吸のせいで、うまく言葉を発することが出来ないようだった。

「おねが…っ、い…」

上にもどると、口は半開きに、瞳には涙を浮かべ、全身で息をするように肩を上下させ浅い呼吸を繰り返していた。
首に腕をまわされ、深く深く舌を挿入される。
再び香るバニラとムスクに、脳内は支配されていった。
一度知れば後は簡単だった。
神経が集中しているところを的確につくたびに、ベッドはきしみ、彼女は身体を捩り声をあげる。
その度に内部の壁は熱を帯び、さらに奥へと誘い込む。
彼女の甘い叫びに、官能的な香りに、引きずられる感覚に完全に溺れている。

この姿を、今まで何人の男にさらけだしてきたのだろうか。
そしてこれから何人の男を魅了していくのだろうか。
くだらない、嫉妬だと思う。
普段なら苦笑でごまかせるこの感情も、今はただひたすらぶつけることしかできなくなっていた。

空調の冷たい風が心地よい。
腕の中の彼女は、先程の姿など想像できないくらいに穏やかに目を閉じていた。
白い肌にはくっきりと自分の付けた跡が残っている。
自分は彼女を送り出すことが出来るのだろうか。
いつの間にか依存していたらしい。
第一外科にいくことがあればあの無機質な自動ドアの奥にいるであろう彼女を探してしまったこともあるし、屋上に行くたびにどこか待っていたこともあった。
まいったな、と思う。
これから過ごす長い時間は、彼女に触れることはおろか見つめることさえも出来ないのだ。
知ってしまった後では遅い。
しかし、後悔はしていなかった。

時間を確認すると、夜明け少し前だった。
どうかギリギリまで、このままで。
穏やかな寝息を立てている彼女の首元に顔を埋めると、甘い香りを大きく吸い込み、目を閉じた。

5月はまだ春だと言えるのだろうが、屋上にしばらくいるとじんわりと汗が滲む。
日差しは徐々に強くなり、夏へと移り変わっていくようだった。
くしゃくしゃによれた紙のケースから、煙草を一本取り出す。
少し風が強くてなかなか火が点かない。
日陰の風があたらない壁ぎわに行って火を点け元の場所に戻ると、目がおかしくなる。

11ヶ月前。
出発の日、携帯にメールが届いていた。
いってきます。の7文字に、シカゴでの住所だった。

彼女は今ごろどうしているだろうか。
時差は考える気にはなれない。不思議な感じがするのだ。確かな現実なのに幻想ではないかと考えてしまう。

催眠作用のある毒という名の香水。
あなたを抱き締めるのが、私の両腕があなたを抱き締めるのが、待ちきれない、とゆったりとした英語で歌い上げる擦れた深い声。
そして、彼女。
これらが混ざって、自分の中にいつまでも居座って離れない。

これが灰になったら、神林先生に相談してみようと思う。もちろん、人がいないところで。
来月まとまった休みはとれないか。
却下承知で。
しかし結構本気だ。
いざとなれば代理を頼めばいい。あてはある。

自分の為に生きるといった彼女を思い出す。
あの時から、自分の為に尽くすのは案外悪くないと思い始めた。

眩しすぎる空に眉をしかめ、最後の煙を吐きだした。






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