数ミリ
秋山深一×神崎直


何度目かの溜息のあと、耐え切れずにソファから起き上がった。
秋山が隣を向くと、ベッドの上では直が寝息を立てている。

二回戦前日。
チーム作りも無事に済み、各々が部屋へと戻ったあと、二人きりになって直がポツリと呟いた。

「今夜、ここにいちゃだめですか?」
「は・・・?」

予想外の言葉に、口にくわえかけたタバコが落ちた。

「お前、何言ってるかわかってんの?」
「だ、だって怖いじゃないですか! 一人でいたら、絶対眠れないだろうし!
 ・・・秋山さんのそばにいられれば、ちょっとは安心だし!」

思いのほか大きな声に、自分が驚いたのか、直は口を押さえた。
それに、それに、と次なる言い訳を、手のひらの中でモゴモゴと言っている。
秋山は溜息をついて、気だるそうに落ちたタバコを拾った。

「あのなぁ、君。普通男の部屋に泊めてくださいって言ったら、なんかされても合意の上でってことになるんだぞ。
 安心って何だよ。 俺は安眠枕か?」

できる限り冷静に、しかし心中は穏やかではなかった。
安心する、は信頼の証だろうが、引っ掛かりが大いにある。
そんな態度に、拒絶されたと思ったのか、直の華奢な方がびくりと震えた。

「そ、そうです・・・よね。 すみません、わがまま言って。
 でも、何かするんですか?」
「するか」

冷たい声と目。
それは取り繕うためのポーカーフェイスだったが、秋山相手に直が見破れるはずがない。
直の目頭がちくりと痛んだ。

「それじゃ、私これで・・・」

泣く寸前で部屋を出ようとしたとき、

「・・・待て」

ドアノブにかかった手を掴まれた。

「あ、きやまさん?」

手首を掴まれたまま、秋山を見上げる。

「え・・・」

徐々に近づいてくる男の顔に、直は目をつぶった。
息がかかるほど、秋山が近い。

ばちんっ!

「イタッ!」

額に受けた勢いのいい音に、反射的に瞳が開く。

「何するんですかぁ! 痛い!」

見ると、秋山がくっくと喉奥で笑っていた。
額をはじいた指を、恨めしげに睨む。

「何? キスでもされると思った?」
「そんなこと思ってません!
 もう! でこピンされたのなんか小学生以来ですよ!」
「へーぇ、じゃぁもっとしてやるよ」

べし、べし、と何度も直の額を打ち、その都度ぎゃあぎゃあとわめかれる。

「もういいです! 戻って寝ます!」

先ほどとは違う意味の泣きそうな顔で出て行こうとした直に、

「いいよ、別に」

秋山は言った。

「え?」
「ここにいれば?」

そんなことがあったのが数時間前。
今にして思えば、あのまま帰しておけばよかった。
ソファで寝ますという直に、半ば無理やりベッドの権利を譲り、今に至る。

緊張が解けたのか、直はぐっすりと眠り込んでいる。
その無防備すぎる顔に、秋山はもう一度盛大な溜息をついた。

「安心って何だよ」

直の言葉を反芻して、呟く。
ソファから立ち上がり、音を立てずにベッドに近づいた。
そっと手を伸ばし、直の髪を一筋すくい上げる。
直の声が小さくもれる。

「ん・・・」

起こしたか、と思ったが、どうやら大丈夫だったようだ。
目覚める気配のないことを確認して、今度は頬に触れてみた。
そのまま耳、鼻筋へと指がさまよい、唇へとたどり着く。

触れたい、と思った。
咲きかけの花のように香る直の唇を見て、秋山の心にその思いがわきあがった。

直の左右に手を突き、そのまま覆いかぶさるようにベッドに体を移していく。
あと数センチ。
求めた唇がそこにある。
しかし、

「・・・直」

触れる寸前、名前を呼んだ。
欲しい、と切に思うのに、あと数ミリが届かない。

こんなやりかたはフェアじゃない。
彼女をこんな形で奪いたくない。
ちりちりとくすぶる情愛と、体の欲望が混じりあう。

彼女は俺を、好きなわけじゃない・・・

秋山はベッドから離れ、再びソファへと戻った。
ああ、とうめき、髪をかきあげる。

欲しいと思うのに、壊してしまいそうで怖い。
天を仰ぎ、また溜息をつく。

彼女に触れた指先に、甘く痺れが残っていた。






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