始まり
秋山深一×神崎直


今までこんなことがなかったこと自体がおかしなことだったのだ。

ゲームの会場に着いた途端目にした光景に、直は壁に背中を凭れさせため息を吐いた。
視線の先には、今回のゲームで同じチームになった女性と話す秋山の姿があり、直の胸の奥はズキズキと痛む。

―――そこにいるのはいつも私のはずなのに。

だからと言ってそんなことを口に出来るはずもない。
秋山は優しいからバカ正直ですぐに騙される自分の傍にいてくれているだけだ。
その優しさに甘えて彼の行動を制限するわけにはいかない。
そうわかってはいるのだけれど…。
いつの間にか直の胸に生まれた想いがそれを納得してくれない。
いつか離れてしまうかもしれない、もう二度と会えなくなるかもしれない、そう思うと怖くて仕方なかった。

「どうしたのよ」

聞きなれた声にふと顔を上げるとそこには福永がいた。

「こんな暗いところで暗い顔しちゃって、もうゲーム始まるわよ」
「あ、あの…っ!」

的確な指摘に思わず吃る。
チラリと秋山を見ると、未だその隣には女の人がいて、結局は何も言えず俯いた。
そんな目の動きに福永が気づかないわけがない。
直の視線をたどり、暗い表情の意味を悟ると、呆れたような苦笑を漏らした。

「あんたね、そんなにイヤならそう言えばいいでしょ。あいつはあんたには甘いから言えばちゃんと聞いてくれるわよ」
「…そんな…言えません。私は…たとえ私が傍にいれなくても、秋山さんが幸せならそれで……」

そう言いながら、直の大きな瞳から涙がポロポロとこぼれ落ちる。

「そんなこと言いながらメソメソしてるんじゃ何の説得力もないわよ。あんたの綺麗事は聞き飽きたわ」
「……ごめんなさい」

それでも直の涙は止まることはなく、福永は直をそのままにし、歩きだした。
向かうのは直の涙の根源だ。

確かに秋山は一人の女と一緒にいた。
だが、それは一緒にいるというより、女が勝手に秋山に話しかけているだけだった。
秋山の顔は明らかに不機嫌とでもいうように歪んでおり、いつも直に向けるそれとは雲泥の差だ。

「…ねぇ。秋山」

福永がそう声をかけると、うんざりという表情で振り向き、次の瞬間助かったという目をした。
チーム戦であるが故に仲間を蔑ろに扱うわけにはいかないが、どうでもいい女の無駄な話を聞くのは苦痛以外の何物でもなく、秋山は福永に近づきながらため息をつく。

「なんだ、福永」
「あの子さっきからずっと泣いてるみたいだけど、いいの?」
「は?」

そう言うと同時に秋山の目が見開く。
そして呆れるほど慌てて秋山は直の元へと走り出した。

指さされた方向にたどり着くと、直は泣いていた。
体を小さく縮こまらせ、声を必死に押し殺し、肩を震わせて。
彼女が泣くのを今まで何度か目にしたことがある。
バカ正直の名にふさわしく、素直にポロポロと涙をこぼしながら、声を上げて泣くのに。
それなのに今の彼女は泣くことが罪であるかのように、感情を押し殺しているのだ。

「…どうした?」

声をかけると、ビクリと肩を震わせる。

「…なんでも、ありません。ごめんなさい」

明らかに嘘とわかる嘘に、秋山はため息を吐いた。

「ほ、本当になんでもありませんから、気にしないでください」

目を赤く腫れさせたままの直の微笑み、心臓をえぐられたような痛みを感じる。
バカ正直の嘘を見抜くのはたやすい。
だが、バカ正直な彼女が嘘を吐いてでも隠したかった何かを知る術は秋山にはなく、涙の滲む直の瞳を見つめることしかできなかった。


曖昧なままゲームは始まり、ゲーム開始前にあった些細な一事はあっという間に忘れ去られ、いつものように勝ち上がりを決めた直と秋山は、忘れていたはずの気まずさを抱きながら帰路についた。
ゲームの後はいつも秋山でしばらくともに時間を過ごすのが暗黙の了解となっており、この日もいつもの通り秋山の家にたどり着くと、直は深いため息を吐く。
秋山はアイスコーヒーと、直のために予め用意していたアイスティーを持ってリビングに戻ると、それを手渡しながら直がいるソファの隣に座った。

「何かあったのか?ゲームが始まる前からおかしいぞ」

いつもなら無事にゲームを終えた安心感から嬉しそうに話をする彼女が、今日はソファに座ったまま黙りを決め込んでいる。

「…ごめんなさい」
「別に謝って欲しいわけじゃない」
「……ごめ…」

また謝ってしまいそうになり、直はとっさに口を手で押さえた。
その瞳にはまた涙が浮かんでおり、思わず手を伸ばしかけて寸でのところで止めた。

「福永には言えて俺には言えないのか?」

震える彼女をこれ以上怯えさせないようにと、必要以上に優しくなった声で言うと、とうとう直の目から涙が落ちていく。
じっと秋山を見つめながら、それでも口を開こうとしない直に苦笑が漏れる。

「…頑な過ぎるだろう」

宥めるようにいつもと同じく頭をなでると、直は怯えたように体を震わせ秋山から距離を取った。
いつもなら嬉しそうに体を預けてくると言うのに。
そこでようやく涙の原因が自分だということに思い至り、内心ズキリと痛みが走ったが、それでも目の前で泣き続けている直をこれ以上怖がらせるわけにはいかない。

「…わかった。ごめんな」

そう言うだけで精一杯だった。

ゆっくりと立ち上がり、もう一度キッチンへ向かおうとすると、背中越しに直の小さくつぶやく声が聞こえた。

「いや、です。…もうやだ」
「直?」

激しくなる嗚咽に振り返ると、真っ赤に染めあげ、潤みきった瞳は秋山をじっと見つめている。

「秋山さんは…どうして私を助けてくれるんですか?いつまで、こうして…一緒にいて…くれるんですか?」

途切れ途切れで、それでも必死に何かを伝えようとする直に返す言葉が見つからない。

「…秋山さんはすごく素敵な人だから、秋山さんの周りには素敵な人がいっぱいいるのに…」

泣きながら訴える直に胸が締め付けられる。
その訴えこそが彼女の想いそのものなのだと。
今回のゲームでは、確かに直以外の女のプレーヤーと関わることも多かった。それが直にどれだけの不安を植え付けることになるか気づかなかった自分の迂闊さに嫌気がさした。
以前彼女に「女性の気持ちには関心がない」と言われたことがあったが、まさかそのことで彼女を深く傷つけることになるとは。

「そうだな、君より綺麗な女はいくらでもいるんだろうな」

もう一度、彼女に向かって手を伸ばす。今度は頭ではなく涙に濡れた頬に。

「ただ、そんなことは俺には関係ないんだ。だって俺は君だけしか女に見えないから」
「…え?」

一瞬直の涙が止まった。

「まさか君がそんな風に思っているなんて知らなかった」

苦笑する男をじっと見つめる直の顔は明らかに混乱しており、何度も瞬きを繰り返す。

「そんな風に思ってるのは俺だけだと思っていたからね」
「あ、あの…」
「君は知らないだろうけど、君は誰にでも優しいから、君に惹かれる男は山ほどいるんだ」
「そんなこと…」

慌てて否定しようとする直の言葉を遮って秋山は続けた。

「現に俺はいろんな男から君との関係について聞かれたよ。でも、俺と君とは名前のある関係じゃないからね。そんな男にも何も言えなかった」
未だに何がどうなっているのかわからず、不安げに視線を揺らす直を、もう決して怖がらせることがないよう、泣かせることがないようにと、秋山は優しく直を抱きしめた。

「ずっとこの曖昧な関係をどうにかしたいと思ってた」
「秋山さんも?」

秋山のシャツをしっかり握りしめ、胸に顔を寄せてくる。
今までに何度か彼女が秋山の胸に泣きながらと飛び込んできたことがあったが、そのどのときよりも彼女が愛しかった。

「でも、君が俺に向けてくれる絶対的な信頼が嬉しくて、それを裏切るのが怖くて何も言えなかった」

八つも年上の男の弱音を秋山は心底情けなく思う。
それでも、直は秋山の腕の中で必死に首を横に振った。

「わ、私は秋山さんのことが好きなんです!」

まっすぐに告げられる直の気持ちが心地いい。
この誤魔化しようのない強い眼差しをずっと求めてきたのだ。今更嘘は吐くまいと、秋山は小さく息を吸いそれに応えた。

「うん。俺もずっと君のことが好きだった。ずっとこうして触れたかった」

そう言うと直の大きな瞳からまた涙が溢れだした。

「お、おい…」

もう二度と泣かせないように、と思った瞬間にまた泣かせてしまったことに珍しく秋山が動揺する。

「ずっと、ずっと好きだったんです」
「うん」
「でも私じゃ秋山さんにはつり合わないって…」
「君がいいんだ」

そう言って初めて触れた唇は涙の味がした。

「こんな風に触れられる日が来るなんてな」

唇を触れさせたまま囁くと、近すぎる距離にも関わらず逃げようともしない彼女もふわりと微笑みながら、

「秋山さん…すき、大好き…です。大好き」

そう言った。
今日初めて見る直の笑顔に秋山の体が震える。
怖がらせたくない。怯えさせたくない。もう泣かせたくない。
そう思うのに、抑えきれない想いが体をくすぶっているのも確かで。
キュッとしがみついてくる仕草で、一気にたがが外れた。

「…ごめん、もう無理」

そう言ったのと、彼女を抱き上げベッドに押し倒したのはほぼ同時だった。

一切抵抗することなくベッドに横たえられた彼女は、秋山が覆いかぶさってきても、まだ自分に何が起こっているのかわかっていないようだった。

「抵抗しなくていいの?」
「え?」

そう言われて初めて今どういう状況下を把握した彼女は、慌ててキョロキョロと周りを見回している。
そうしているうちに、直をじっと観察していた秋山と視線が交じる。

「あき、やまさん…」

甘い声が合図となり、秋山は直の唇に自分のそれを重ねた。
二度目のキスは一度目よりも深く、薄く開いた唇から舌を忍び込ませ、怯える直のそれを絡めさせる。

「ん…っ……」

漏れる吐息が秋山を煽った。

「……直」
「秋山さ……」

しがみついてくる細い腕が僅かに震えている。
それなのに彼女は抵抗も、逃げようともしないのだ。

「ごめん…待ってあげられなくて」

紅潮した頬を撫でると、直は心の底から嬉しいというように微笑み、ゆっくりと首を横に振った。

「…秋山さん、私…幸せです。秋山さんがこんなに近くにいてくれて。もう、幸せすぎて死んじゃいそうです」

直の髪に顔を埋めながら、秋山は強く強く直を抱きしめた。

「直、好きだ」

それ以上この想いを伝える言葉は見つからなかった。
それなのに、直は笑うのだ。この上なく幸せそうに。

丁寧にワンピースを脱がせ、自分もシャツを脱ぎ直の素肌に体を重ねると直接伝わる熱が熱く、もう二度と離れられないのではと危惧するほどに酔いそうになる。
深い口づけも少しは慣れたのか、舌を絡めると躊躇いがちにではあるがそれに応える。

「ん……あき…やま、さ…」

唇を塞いだまま、そっと直の胸の膨らみに触れると、初めての感覚に直の体が自然に跳ねた。
初々しい姿に愛しさが募る。
膨らみの中心に指を這わすと、無意識のうちに震えだす。

「ん…っ、んん…っ!!」
「直…」

唇を解放すると、必死に押し殺した直の声が漏れた。
耳を舐め、頬に口づけ、首筋を伝うと、おもしろいほど素直に反応を返してくる。

「あぁ…っ、やぁっ!!」

膨らみの一番敏感な部分を口に含み舌ではじくと、初めて直の口から吐息以外の甘い声が漏れた。
逃げようとする体を押さえつけ、さらに強く吸い上げると、直の瞳から涙がこぼれ出す。
一つ、二つと鎖骨あたりに所有の印をつけると、優しく口づけた。

「直、怖い?」

涙を拭ってやると、震えているにも関わらず首を横に振る。

「少し、怖いんですけど…でもやっぱり、嬉しいです。だって私、秋山さんのことが本当に大好きなんですから」

いつもそうだった。
彼女は自分のことを足手まといとか迷惑をかけていると言うが、いつも大事なところで秋山を救うのは他でもない、直の一言なのだ。
直の一言がこんなにも。

「直、ありがとう」

そう言いながら彼女を守る最後の一枚を取り除くと、秋山はさっき直の膨らみに触れたときとは比べものにならないほどの丁寧さで、直の中心へと手を伸ばした。
無意識に噛みしめている唇が直の緊張を伝える。
それでも止めることのできない自分が、とてつもなくひどい人間のようで苦笑が漏れた。

「あき…やまさん?」

突然の苦笑に驚いたんだろう。直は不安げに首を傾げている。

「いや、こんなにお前が怯えているのに、止める気にならない自分に呆れていただけだ」

情けない本音を暴露する。
虚勢を張るのは彼女の前では無意味なのだとイヤというほどわかっている。

「…今やめるなんて言わないでください。もう、私だって止められません」

意外な台詞に秋山は素直に驚いた。
そうか、と返すだけで精一杯だった。
そしてゆっくりと直の中心に指を這わせると、すでにそこは十分すぎるほどに潤んでいた。

「やぁっ……!!」

しがみつく腕がさらに強くなる。
くちゅり、と音をたてながら沈んでいく秋山の指に呼応して直の足がビクビクと動く。

「あっ、あぁっ!」

指を入れたまま体を下に移動させ、足の間に顔を埋めると、溢れるそこの先端にある一番敏感な突起を唇で覆う。

「やぁぁっ!!あっ、あっ!!だ、め…あきやまさ…!!」

突起を唇で刺激する度、直の中にいる秋山の指が容赦なく締め付けられる。
きつく閉じられた目から涙が溢れ出すが、それが痛みによってもたらされたものではないことを秋山は知っていた。

「直、なお…」

くちゅくちゅと溢れる音に秋山の喉が乾きを訴える。
水では癒されない独特のこの乾きは、直以外では癒されない。
そのことを秋山は熟知していた。
頬を撫で口づけ、そして最後に唇に軽くキスすると、秋山は自身を直の中心にあてがった。
閉じられていた直の目がゆっくりと開く。
潤んだ瞳は秋山を見つけると微笑み、直の腕が秋山の首にからみついた。
それに応えるように秋山が腰を進める。

「……っ!!」

声にならない悲鳴。
秋山は首に回された腕の強さでその痛みを知る。
それでも、途中でやめることなど到底できるわけもなく、せめて少しでも痛みが和らげばと、深い口づけを繰り返し、胸の膨らみに触れた。
最奥までたどり着く刹那、直の背中が一瞬反り返り、甘い声を上げた。

「……あぁっ!!」

初めての彼女にとってこの痛みはどれほどのものだろうか。
それでも彼女は一度も拒絶したりはしなかった。

「なお…大丈夫か?」

これ以上ないほどに優しい声音で問うと、コクリと頷いた。
「秋山さんが私の中にいてくれることが…こんなに気持ちいいだなんて知りませんでした…」

「……っ!」

照れくさそうに微笑む直があまりにも可愛くて、秋山の声が詰まる。

「君は…本当に……可愛すぎる」

そう言うのと秋山が動き出すのは同時だった。
もう抑えきれないとでもいうように激しく動く秋山に、直がついていけるはずもなく、ガクガクと揺り動かされ必死に耐える。
痛みはある。
あるのだがその奥にある、決して痛みではない未知の何かがジワジワと近づいていることも、直は感じていた。

「あきやまさ…あっ!あぁっ!んんっ!!!」
「なお、なお……」

いつも理性的な秋山が、こうして自分に興奮してくれることが嬉しかった。
無我夢中で求めてくれていることが、秋山の気持ちそのもののようで幸せで涙が溢れた。
そんな幸せもやがて終わりが訪れる。
激しい突き上げと、骨が折れるほどに抱きしめられ、ゆっくりと秋山が直に崩れ落ちた。
体内に感じる淡い熱にまた涙が溢れた。

「なお…愛してる」

決して離さないとでもいうように、腕に込められた力が甘く心地よく、初めて直から秋山へ口づけた。


腕の中で過ごす穏やかな時間の中、お互いが残した熱を唇を合わせることで反芻する。
あっという間に終わってしまったようにも、永遠にも似た長い時間だったようにも思う。

ただわかることは、これが終わりではないということと。
これからこそが始まりということだ。


こうして二人でずっと笑い合えていたならいい。
そして恐らくそれは叶うだろう。
たとえそれがどれほど困難なことであろうとも、叶えてみせる。
二人はもう一度重ね微笑み合うと、抱き合いながらゆっくりと目を閉じた。
そして明日は二人で、新しい朝を迎えるのだ。

それが始まりなのだから。






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