届かない叫び 続き
横谷ノリヒコ×神崎直


「ねぇ、あの子知らない?」

同じチームのもう1人の女が話しかけてきた。

「…」
「まだ来てないみたいなんだけど。一緒に来なかった?」
「いや…」
「もうすぐ始まるのになにやってんのかしら…」

(あいつの性格上寝坊はないとは思うんだが…
いや、緊張しすぎで寝れなくて明け方寝てそのままって可能性はあるな。
そういえば…いつもはなんだかんだ言って押しかけてくるくせに
昨夜はこなかったな…。)

しょうがない、とだるそうに立ち上がると、部屋へ向かった。

コンコン

返事がない。

(…まさか本当に寝てるのか?)

ノブに手をかけるとロックされていなかったので薄く開けてみる。
扉の向こうに彼女はいた。
しかし、壁際にもたれて表情は見えない。

「おい」

ドアに寄りかかり声をかけるが返事はやはりない。
ふぅ、と多少苛立ちながら近づき目の前に立つ。

「時間だぞ」

それでも返事はなく、肩に手をかけようとした。

「…っ」

鈍い痛み。触れるか触れないかのところで払われ、
そこで初めてこちらに気づいたようだ。
そこには明らかに狼狽と怯えの色があった。
顔色がわるい。

「…どうした?」

目線の高さを合わせようとしゃがんだが、ほぼ同時に彼女は立ち上がり、

「すみません。…なんでもありません」

と背を向けた。

(おかしい…)

昨日までの彼女とは全く違うことはわかっていた。
しかし、原因がわからない。

「具合でも悪いのか」

努めて優しく問うてはみたものの、「…いえ」とだけ。

「遅くなって…すみませんでした。行きます」

自分の先を歩く彼女。

(何が…あった)

無理やり聞き出すつもりはないが…これだけはわかる。

彼女にとって喜ばしくないことが起きたということ。
そしてそれを他人には知られたくないということ。

悟られないように小さくため息を漏らすとゲーム会場に入った。


「何よ、寝坊?」
「すみません」

こうしてみていると、見た目はなんら変わっていない。
しかし…瞳の輝きがなくなっている。
笑ってはいるが、どこかうつろな瞳。
考えを巡らせても、これだ、というもっともな理由は浮かんでこない。

「検査ルームにお入りください」

ゲームが始まった。

「えーと、今日は直ちゃんからだったよね?」
「え…」
「頑張って!」
「あ、の…」

表情が浮かない。

「俺が行く」

「…え」

こんな状態の彼女をゲームに参加させるわけにはいかない。
それでも彼女は俯いたきりで、一度も目が合うことはなかった。

検査ルームに入り腰を下ろし、彼女の変貌の原因を再び模索し始めたところ
相手チームが入室した。

「おや、秋山くんでしたか」

(ヨコヤ…)

相変わらず嫌な顔だ。
ヨコヤは席につきニヤニヤと秋山を眺める。

「…確かそちらの順番ではカンザキナオさんでしたよねぇ」
「フフフ、逃げました?」

「…代わっただけだ」
「おや、ではゲームには参加しているんですね?…クク、そうですかぁ」
「何が言いたい」

「いえいえ、別になんでもありませんよ。さて…と、」


初めのゲームは移動なしに終わり、戻ると彼女をほかのメンバーから
少し離れたところに呼んだ。

「…何があった」
「…え?」

「ヨコヤ」

彼女の体がビクッと揺れた。

「っ何か…聞いたんですか!?」

「…いや」
「脅されでもしたのか」
「…」

「…俺じゃ力になれない?」

「…」

俯く彼女の顔にかかった髪をかきあげこちらを向かせたが、
そこには知らない女の顔があった。潤んだ瞳。上気した頬。…怯える表情。
不覚にも鼓動が早まったが、冷静であることに変わりはない。
とにかく…彼女が全身で助けを求めていることぐらいわかる。

しかし肝心の心が見えない。

「検査ルームにお入りください」

「私…行きます」

彼女は目をそらすと、秋山の更なる追及を逃れるように検査ルームへ向かった。

(私はいったい何をしているんだろう…)
(こんなことになって…それでもゲームには参加しなくちゃならなくて…)

(私は…汚い)


もう、涙は出てこない。
きっとあの時一生分の涙が出てしまったに違いない。

「いらっしゃい」

入室の瞬間、全身が震え、動けなくなった。
ゆったりと座っているヨコヤは、あの時の嘲笑で直を見上げている。
全身の血が冷たくなっていくような感覚…
脳が麻痺したように、彼女の思考は停止した。

「よく逃げ出さなかったですねぇ」
「どうぞ、お座りになってください」

かろうじて動く足を引きずるようにし、そっと腰を下ろす。

「待っていたんですよ?」
「…」

膝の上で両手を固く握り締め、俯いたまま時が過ぎるのを待つしかなかった。

「フフフ、昨日は楽しかったですねぇ」
「本当に貴女は私を飽きさせない」

(…やめて)

「そういえば、昨日は衣服をダメにしてしまい申し訳ありませんでした」

(…やめて)

視界がぼやける。

「替えがなくて出てこれないと思ったんですが…貴女にしては用意がいい」

寒かった場合の着替えとして長袖タートルを持ってきていて良かった。
(こんなことに使うとは思わなかったけれど…)

「でもそれじゃあ、私の楽しみも半減というものです。それでは何も見えない」
「…」


それから…しばらく続いた沈黙を破ったのは…黙ってはいられない言葉だった。

「カレ…秋山くんは知っているのかな?」

「っ!お願いしますっ!言わないでください!!」

立ち上がると必死で懇願した。

ヨコヤの顔に嬉々とした表情が宿る。

「フフフ、そうですよねぇ。言えるわけないですよねぇ…
他の男に抱かれた…なんて」

「いや!!やめて!!」

耳をふさぐ。

「くくく、これほどまでに楽しい気分にさせてもらえるとは
…貴女に感謝しなくては」

「…いや…もうぃや…」

枯れたはずの涙が頬を伝う。
ヨコヤは立ち上がり、音声が通じるようにボタンを押した。

「カンザキさん?もう一度聞きます。貴女はチームを、いや、
秋山くんを、裏切れますか?」

「!?何?」

フクナガたちが顔を見合わせる。
秋山は二人の様子を睨みつけたままだ。

「…」
「どういう状況か、わかってます?昨日の続きです。彼を、裏切れない?」

「あ…」

裏切ると言わなければいけない、頭のどこかで声がする。
秋山さんを裏切るなんてできるわけない、頭のどこかで声がする。

どちらにしても自分にとって良い結果にはならないということはなんとなくわかる。
でも…どうしたら良いかわからない。

「ホントに…貴女はバカですねぇ、ククク」

ヨコヤは彼女の後ろにまわると、細い肩を抱きすくめた。

「ヒッ」
「ククク、怖いですか?」

震えがガチガチと歯に伝わる。

「秋山くん、聞こえていますよね?」

抱いたものを離さずモニター越しに話し掛ける。

「彼女、カンザキナオさんは昨日私と取引しました」

「っ!!やめて!!!」

(取引…)

密着する二人をただ見ていることしかできないもどかしさに
怒りを覚えながらもモニターを凝視する。

「彼女、貴方をどうしても裏切れないようです」
「やめてください!もうやめて!!」

「ククク、ですから裏切れない代わりに
彼女の大切なものをいただくことができました」
「やめてぇぇ!!」

「彼女のカラダは非常に嗜虐心をそそる素晴らしいモノでしたよ、フフフ」

「!!!」
「いやぁぁぁ!!」

ヨコヤの腕の中で泣き叫ぶ直。
心拍数が上がる。

「ヨコヤァァァァァァァ!!!!!」

気づいた時には叫んでいた。
検査ルームに向かうが、ドアが開かない。

「開けろぉ!!」

渾身の力を込めて叩く。
モニターからはヨコヤの高笑いが聞こえる。
そして彼女の泣き叫ぶ声。

彼女を行かせるべきではなかった。
あらゆる可能性を模索していれば想像できなくもないことであったのに、
自身の中で消去していた。
何故、ありえない、などと思ってしまったのか。

それより、なにより、片時も離れるべきではなかったんだ。

離そうとしても自分を追ってきた彼女を当たり前のように思っていた。
昨夜、自分の部屋に来ない時点でどうして怪しまなかったんだ。
この異常な状況下で最悪の油断。
その結果…取り返しのつかない状況を招いてしまった。

また…大切な人を守れなかった。

拳をつぶしながら一向に開かないドアに向かって
崩れ落ちるしかできない自分を呪った。






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