千秋真一×野田恵
![]() 一ヶ月ぶりのシャルル・ド・ゴール空港。 南ヨーロッパでの演奏旅行を終え、続いて北米へと向かうツアーの合い間にパリへと帰ってきた。 滞在期間は二日間。 それほどゆっくりもできないが、それでも気持ち的にはほっとする。 ただ、やはりまだ飛行機には慣れない。 「もー、いいかげん慣れたらどうなんデスか」 「…すいません」 千秋は青ざめた顔で、師匠の後ろをよろよろと歩く。 「あのフライトアテンダント、とおーっても好みだったのに、千秋がずっと腕組んで離さないから、 変な勘違いされたじゃないデスか」 「…まさかそんな……勘弁してください……」 「勘弁して欲しいのはこっちデス!!」 ぶつくさ言われながら到着ゲートをくぐると、派手な日本語の文字が目に飛び込んできた。 「あ、センパーイ!!こっちこっちーー」 『千秋先輩おかえりなさい』と書かれた紙を手にして、のだめが大きくてを振っている。 「おー、のだめちゃーん。お出迎えご苦労サマー」 「おぅーミルヒー!ミルヒーも一緒だったんデスか。久しぶりですネ!元気でしたか?」 「なんだ、来てたのか…ていうか、何ソレ」 「午前中でガコ終わったから、迎えに来たんデス。来る事言ってなかったから、 のだめがいるのすぐわかるように書いてきました」 下手な字、色使いのセンス無し、とこき下ろしながらも、千秋は顔がうっすらと微笑んでしまうを隠せない。 のだめは頬を上気させ、嬉しさが溢れんばかりに笑っている。 「…のだめちゃん……ほう、へぇ……」 「何デスか、ミルヒー?」 シュトレーゼマンはのだめの全身を何度か上下に見やった後、これ以上ないくらいいやらしい顔つきで視線を千秋に向けた。 「へえ、そういうことでしたか、千秋。うぷぷ」 ニヤニヤと笑い、千秋の顔を覗き込む。 「なっ、なんですか?!」 そう言いながらもシュトレーゼマンの視線と言葉の意味する事はなんとなく理解でき、千秋は赤くなった顔をそむけた。 「のだめちゃん、大人になってしまったのですネ…何だかフクザツです」 「えー?のだめ、先生にまだベーベちゃんって言われますけど?」 「あはは、そういうところは相変わらずなんですネ…ちょっと安心デス」 「…のだめ、カート持ってこいよ。荷物多いから」 これ以上詮索されちゃたまらない。話をそらせるため、のだめにそう促す。 のだめははーい、と返事をしてロビー端の方へ駆けて行った。 「……ちゃんと二つの気持ちに決着つけたわけですか」 「…そのつもりです」 真顔にかえったシュトレーゼマンに問われ、千秋も真顔でそう返した。 シュトレーゼマンは大きくため息をつき、のだめの行った先を見、目を細めた。 「……やっぱり処女喪失すると、女性は変わるものですネ〜」 千秋は飲みかけていたエビアンにむせ、激しく咳き込んだ。直接的な言葉を言われ、羞恥に赤面する。 「な…何言って…何でわかっ……」 「言ったでショ。百戦錬磨の私をナメるんじゃないですヨ。それ位の事察知するのは朝飯前デース」 「くっ…このエロジジイ……」 「千秋だってエロイ事をのだめちゃんにしたんでショ」 千秋はもう何も言えず、項垂れるだけだった。 「しかし。しばらく会わない間にあんなになるなんてネ…」 「何の話です?」 「気づかないんデスか、千秋。のだめちゃんに漂い始めた色香に」 「はぁ〜?色香〜?!…あいつには縁遠いモノですよ。相変わらず、まんまですよ」 心底呆れた、という顔で、シュトレーゼマンはまたも大きくため息をついた。 「わかってないですネ、千秋は。追いかけられるのに安心してると、いつの間にか追い越されますよ」 「……?」 「…これからが大変だと言ってます。彼女は磨けば特等の女性になるでしょう……私の目に狂いはないデス。 ……千秋は色恋と女に関してはまだまだ勉強不足ですね!」 そう言って、シュトレーゼマンは得意げに、そして意地悪げに笑った。 人をかき分け、がらがらとカートを押しながらのだめが帰ってくる。 「持ってきましたよー」 「おー、のだめちゃーん、メルシィ〜」 のだめに、女の色香?まさか、そんな馬鹿な……あののだめだぞ。 そう打ち消しながら、しかし千秋はのだめの顔をはっきりと見る事が出来ない。 シュトレーゼマンにのだめと関係を持った事を気取られ、且つ、のだめの変化について指摘された途端、 何故かやけにのだめの笑顔がまぶしく見えて、気恥ずかしい。 「ミルヒー、おみやげの袋ばっかですね。誰かに配るんですか?」 「色男はね、大変なんですよ〜」 「キャバクラでばらまくつもりなんだろ、どうせ。どこ行ってもこれなんだからな。 やるだけ無駄だからやめればいいのに……」 「千秋!うるさい!!いいから運びなサイ!!!」 二日後のスケジュールを確認して、シュトレーゼマンと千秋たちは空港のタクシー乗り場で別れた。 タクシーは陽の落ち始めたパリ市街を抜けていく。 千秋は、別れ際にシュトレーゼマンの放った言葉が頭を離れないでいた。 『捕まえておかないと、横から奪われますよ』 まさか、こんなヤツを好きになるやつがいるだろうか? パリの街をタクシーの窓越しに見ているのだめの横顔をちらと見やる。 いや、黙ってればそれなりに可愛く見えない事もないか……? 黒木君の事もあったし……。 いやいや、だからこそ実態を知ったら幻滅だろ……ってちょっと待て、実態を知ってる俺は何なんだよ……。 「はああぁぁ……」 「どーかしましたか?先輩」 「え……いや、なんでもない……」 「飛行機慣れたみたいですねー。よかったデスね!」 「……慣れねーよ、まだ」 「うきゅ……まだデスか」 いつも通りの会話を交わす。 ……初めて抱き合った日から、もう3ヶ月もたつ。 幾度となく体を重ねてきたものの、甘い時間を過ごすのは二人きりでどちらかの部屋にいるときだけ。 外で、誰かの目のあるときは今まで通りの状態を保っている。 『恋人同士です』と言わんばかりの恋におぼれたバカップルの真似のような事を、のだめは したがった事もあったが、今更そんな事も出来もしなかったし、なにより千秋の性質がそれを許さなかった。 恋に溺れるなんて、愚かな事。 そういう考えが、どこかにあった。 「……なんだ、お前。口紅塗ってんのか」 のだめの唇がきらりと光るのを見て取ると、窓の外を見ていたのだめの顎を掴んでこちらを向かせた。 「グロスですヨー。この間買ったんです。キスキスグロスって言うんです」 似合いますかー、と唇を突き出してみせる。 千秋の良く知る、ぷっくりとマシュマロのような感触の唇が、ピンク色に色づいて艶々と光っている。 それは誘うように艶やかで…… 「ふん!……のだめのくせに色気づきやがって!!」 千秋はすぐにでもその唇を堪能したかったがその衝動を抑え、代わりにのだめのおでこをぺしっと叩いた。 「ぎゃぼーーひどいデスー!」 シュトレーゼマンがああ言ったのは、きっとグロスを付けているせいだったのだろう、と千秋は心の中で結論づけた。 「先輩のためにつけたんですヨー。熱烈にキスしてくれるかな、と思って……先輩、グロスは嫌いデスか?」 拗ねたように頬を膨らませて、またのだめは窓の外へ目を向けた。 「大好きな先輩に一ヶ月ぶりに会えるから、おしゃれして来たのに……」 ちくりと胸が痛んで、千秋は悪かった、と謝った。 のだめに出会って、あのピアノの連弾を終えたときだったか。 あれからのだめには事あるごとに、思いをぶつけられてきた。 うっとうしいだけだったものが、今では快く優越感を刺激して、甘く心を満たす。 そうなのだ。 のだめは、誰よりも自分を愛しているはず。 この、俺様を。 そういう慢心が少なからずとも千秋の中にはあった。 「のだめ、お腹ペコペコですー。何か食べに行きましょ、先輩」 「そうだな。俺も飛行機に乗るために朝から何も食べてないんだ。一段楽したらカフェに行こう」 「ぎゃはぁ、賛成!」 「…ところでお前、俺の部屋汚してないだろうな?」 「もちろんデス!!のだめ、がんばりました!!」 自室のドアを開けると、一ヶ月前自分が出かけて行った時の状態が保たれていた。 「へえ。綺麗じゃん…」 えっへん、とのだめは誇らしげに胸を張る。 「まさかこういうところに全部突っ込んでないよな?」 黒のロングコートを脱ぎながら、千秋はクローゼットを空けた。 中はきちんと整理整頓されたままだ。 「ぎゃぼ…!ひどいですネ。よく見てくださいヨ、ほらほら!」 続きの部屋へとのだめに引っ張られ、千秋は驚いた。 保たれているどころか、ダイニングテーブルには色鮮やかな切花が、窓辺には可憐な花を咲かせた鉢植えが置かれている。 「どーしたんだ、これ?」 「綺麗ですよねー。通りの花屋さんのお兄さんが、いつものだめに、ってくれるんですヨ」 「はあ〜?なんで……」 「さあ、どうしてでしょうね?……それより、先輩……」 のだめは千秋の腕に、自分の腕をそっと絡ませた。 「一ヶ月ぶりなのに、まだキスしてくれないんですか?もう、誰も見てませんよ……」 いたずらっぽく千秋の顔を覗き込み、ふっくらとバラ色に染まった頬で囁いた。 その囁きに誘われるように、千秋はのだめに顔を近づけていく。 キス。 さっきからずっと待っていた、柔らかな唇。 甘い甘い、ヴァニラの香り。 腰に腕を回して軽く抱きしめると、そのうれしさにのだめは鼻を鳴らし、腕を千秋の首に優しく絡めていく。 ちゅっと音を立てて、唇を離した。 「……おかえりなさい」 「……ただいま」 片方の手でのだめの柔らかな頬を愛しげに撫でる。 もう一度深く…… 「RRRRRR……RRRRRR……」 ……不意な電話のベルに中断される。 あからさまな不機嫌顔で、千秋はのだめから離れて受話器を手に取った。 コンクール事務局からの電話に、千秋はバッグからシステム手帳を取り出し、スケジュールの確認をし始めた。 コンクール優勝者に与えられる一年間のプロモーション期間。 昨年のパリデビューの公演で成功を収めてから、ありがたいことにいくつかの楽団からオファーが来ている、という。 どうやら、この電話は長引きそうだ……。 千秋は荷物を解き始めたのだめを手招きし、手帳の端にペンを走らせた。 "長引きそうだから先に行ってて" のだめは頷いて千秋の手からペンを取り、その下にこう書いた。 "早く着てくださいネ" 語尾に、かわいらしくハートが踊る。 そうしてペンを千秋の手に戻すと、のだめは千秋の肩に手をかけて精一杯背伸びをし、頬にキスをした。 千秋は受話器の向こうの人間と話を続けながら、口の端を緩めて頷いた。 ようやく受話器を置いた頃には、既に30分が経っていた。 千秋はとりあえず荷物の中からランドリー袋を取り出し、中身を洗濯機に入れスイッチを入れた。 ジャケットを脱いでVネックのセーターを着ると、クローゼットからピーコートを取り出し、羽織りながら部屋を出た。 外はもうとっぷりと日が暮れて、冷たい風が頬を刺すようだ。 のだめのことだから、腹をくうくうと鳴らせて待っている事だろう。 その姿が目に見えるようで、千秋は苦笑した。 自然と足早になる。 交差点で足を止められ、向かいの角のカフェに目をやると、窓際にのだめを見つけた。 頬杖をついて、カフェオレをスプーンでかき混ぜている。 その時、千秋の心臓はどきっ、と一瞬大きく波打った。 唇に薄く微笑みを湛えて目を伏せたその横顔は、はっとするほど綺麗で、千秋の知らない別人のようだったから。 ……いつの間に、あんな表情をするようになったんだろう。 自分の知らない間に、のだめが綺麗になっていってしまうようで、焦りにもにた感情が胸を占める。 ぼんやりと見つめていると、見知らぬ男がのだめに声を掛けているようだった。 ずうずうしくも隣の席に腰掛け、必要以上に顔を近づけて、何かを話し掛けている。 ……ナンパされているようだ。 のだめは首を横に振りながら、必死に断っている様子だったが、いつのまにか手を握られている。 「あのヤロー……」 千秋はイライラしながら交差点を足早に渡った。 「俺の連れに何か用か?」 のだめの髪に触れようとしていた無骨な手を払いのける。 見知らぬのその男を見下ろし、にらみつけて威嚇する。 「あっ、先輩!遅いですよーー」 「おい、出るぞ」 カフェオレの代金をテーブルにたたきつけるように置き、千秋はのだめの腕を取った。 「えっ、あっ……ちょっと、先輩……?」 半ば強引に引っ張るようにして店を出る。 千秋は何も言わず、自分の歩幅で歩いていってしまうので、のだめは腕を取られたまま小走りで後をついていく。 「……先輩……先輩ってば……」 背中が、怒りに満ちている。のだめにはそれがわかった。が、のだめには理由がわからない。 「何、怒ってるんですかーもーー……ぎゃぶっ!」 千秋が急に立ち止まるので、のだめは勢い余って背中に突っ込んでしまう。 「なんなんですか、もーー!!痛いデスよ!!」 「おまえ、なんなんだよ」 「なんなんだよ、って何の事デスか?」 「見ず知らずの男に手なんか握られて……隙がありすぎるのもいい加減にしろよ!」 「……あの人、花屋のお兄さんですよ?……カフェで会ったから話してただけじゃないですか!」 「……ちょっと知ってるからって、手も髪も触らせるのか、お前は」 俺以外の、別の男に。 「指が長いね、って言われてただけだし、今度お店に来てくれたらまたお花いっぱいあげるヨ、って……」 「下心見え見えじゃねーか、そいつ」 心がざわついて、頭が整理できない。 「ピエールはそんな人じゃありません!!」 胃のあたりで何かが渦巻いていて、むかむかして仕方がない。 「ふぅん……ピエールね……お前の貞操観念がどんなもんかわかったよ。モノくれるやつなら誰でもいいんだな」 違う、こんな事を言いたいんじゃない。 「峰にもあっさりなついてたし。俺のいない間に、別の男と何してたかわかったもんじゃな……」 びしゃり、と乾いた音が千秋の左頬に響いた。 「いってぇ……何すんだよ!」 「……ヒドイ……ヒドイです、先輩……」 瞳からは大粒の涙がいくつもいくつも溢れ、頬をいっぱいに濡らしてのだめはしゃくり上げる。 「いつもいつも、のだめ……ヒック、先輩の事、大好きで……ヒック、先輩の事だけ、いっぱい……」 「お、おい……そんなに泣くなよ……」 人目を気にして、千秋は泣きじゃくるのだめを宥めようと、腕を伸ばして抱きしめかけた。 「イヤ……!!」 伸ばした腕を払いのけ、のだめは強く千秋を拒否した。 「……嫌いデス、そんな先輩、ヒック、……大嫌いデス…………!」 その言い残して、のだめは背を向けて走っていってしまう。 千秋は引き留める事も追いかける事も出来ずに、しばらくただ呆然と立ちつくしていた。 ずいぶんと遠回りをして、千秋はアパートへ帰ってきた。 途中で買ったウイスキーの小瓶は、すでに飲み干してしまった。 どれだけ飲んでも酔えそうにない。 だから、それ以上飲むのはやめた。 涙いっぱいののだめの顔、カフェの窓越しに見たのだめの顔、キスをせがんだのだめの顔。 そんなのだめの顔が交互に浮かんでは、千秋を苦しめた。 ……あんなに泣かせてしまった。 ……あんな事、言うつもりじゃなかった。 ただ、どうにも苦々しい気持ちが溢れて、自分でも我を忘れるほど、むかついて…… そう、嫉妬したんだ。 自分が離れている間に自分の知らない顔が出来るようになって、そんな風に綺麗になっていくのだめを、 どこかで見つめているやつがいる。 そう考えると、どうにも我慢が出来なかった。 のだめに触れるのは、自分だけでありたい。他の誰かになんか、指一本だって触れさせたくない。 髪の先から、爪の先まで、自分だけのものにしておきたい。 …これほどまでの独占欲が自分の中にあった事実をわからされ、千秋は愕然とする。 『追いかけられるのに安心してると、いつの間にか追い越されますよ』 『捕まえておかないと、横から奪われますよ』 ……今なら、シュトレーゼマンの言っていた事が良く理解できる。 のだめがいつでもストレートにぶつけていてくれた自分への気持ちに、安寧と胡座をかき続けてきた罰だ。 捕まえたようで、捕まっていたのは……自分の方だ。 部屋に入ると、冷えた指先でのだめの部屋の電話番号を押した。 「……はい」 5コール待って、のだめが電話に出た。 「のだめ……」 呼びかけてものだめは無言のままでいる。 「切らないでくれ。……そのまま聞いて欲しい」 千秋は言葉を続けた。 「さっきは悪かった。ゴメン……。勢いであんなヒドイ事言ったけど……本心じゃない。 お前の事を信用してない訳じゃない。……それだけは、わかって欲しい」 言葉を選びながら、慎重に、千秋は自分の気持ちを吐露していった。 「……パリを離れる時、いつも不安に感じてるよ。俺が知らない間にお前が変わっていくのを、 そばで見られないのを歯がゆく思ってる。本当は気づいてた。……お前、綺麗になった。 だからなおさら……。あんなの見て、動揺したよ。誰にも触れさせたくない。嫉妬したんだ………」 心の中で、のだめの名前を狂おしく呼び続ける自分がいる。 「お前を失いたくない……」 こんなにも、恋に溺れきって……今は愚かな、ただの男だ。 「……お前を、愛してる」 受話器の向こうはずっと静かなままだった。 喧嘩する為に、パリへ戻ってきたわけじゃないのに……。 「…じゃあ、おやすみ」 のだめが何か言ってくれるのを待っていたが、受話器の向こうは無音だった。 名残惜しく受話器を耳から離した時、玄関のドアの開く音がした。 勢いよく部屋に入ってきたのだめは、一直線に千秋へ駆け寄り、抱きつき、涙でぐちゃぐちゃの顔をその広い胸にうずめた。 「のだめ……?!」 ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、といいながら、まるで子供のようにしゃくりあげる。 「何でお前が謝るんだよ…悪いのは俺だぞ」 「…ぶったりして、ゴメンナサイ……」 「そうされてもしょうがないくらいひどいことを言ったよ」 のだめはぶんぶんと頭を横に振った。 「……嫌いなんて嘘デス…大好きです……」 嗚咽に震える肩を、千秋は優しく抱きしめた。 「うん…ごめんな……」 シャンプーの香りのする洗い立ての髪に、千秋は何度も口付けた。 愛しくて、ただ愛しくて。 「大好きなのは、先輩だけです。…ほんとデス……」 溢れてとまらないのだめの涙を、千秋は唇でぬぐっていく。そうして、柔らかな唇へとたどり着く。 優しく触れた後で、口全体で吸い込むようにのだめの唇を包み込み、自分の唇でのだめの唇のやわらかさを堪能する。 「…愛してる」 その言葉はまるで魔法のようで、先ほどの苦々しく渦巻いた感情は嘘のように消し去り、 千秋の心の中をひたひたと暖かなもので満たしていく。 「頼むから、俺の知らないところで綺麗になっていかないでくれ…。 こんなに自分が嫉妬深いとは思わなかったよ……格好わりーな、俺。余裕無くて……」 「もし、…もしものだめに変わったところがあったとしたら…それは全部先輩のせいですヨ……。 だって、のだめはもう、この先ずっと先輩だけのものなんですから…」 のだめは千秋の腰に腕を回し、子猫が甘えるように身体を擦り寄せる。 「それに……どんな先輩でも、わたしは先輩のことが大好きデス……。 ヤキモチ焼きの先輩も、ちょっとカコ悪い先輩も。ずっとずっと前から、愛してマス……」 千秋を見上げるのだめ顔は、睫に涙が滲んではいるものの、もう既に泣き顔ではなかった。 優しく、だけど強く、千秋はのだめを抱きしめた。 もう、この女を二度と手放せない。 「のだめ……」 「…ぐーきゅるるる……」 「えっ?」 「…先輩、先輩のお腹が鳴ってマス……」 「げっ…あー、もう……。ほんとに格好わりーー」 恥ずかしさに顔が赤くなっていく千秋を、のだめはくすくすと笑った。 「おにぎりありますヨ。食べますか?部屋から取ってきますネ」 「…後で食うよ。今は」 部屋に帰ろうとするのだめの腕を引き寄せ、耳元で囁いた。 「今は、お前を食べたい」 舌を絡ませながら、千秋は右手でワンピースのジッパーを下ろしていく。 と同時に、器用にも同じ指でブラのホックをはずした。 左手は既にスカートの裾から差し入れられ、丸いのだめのヒップを撫でまわしている。 時々割れ目を伝ってはもっと奥へと指が動いていくのに、肝心な部分には触れず、内股へそれていく。 合わさった唾液は飲み込みきれず溢れてのだめの首筋へこぼれていくが、その度千秋の舌が追いかけてはすべて舐め取った。 唇が離れても舌を絡めたまま、千秋はワンピースをブラごと肩から抜いた。 ワンピースが床に落ち、のだめのたわわな白い乳房がまろび出ると、下から救い上げるように揉み上げた。 柔らかなその胸は千秋の掌の中で自在に形を変える。肌はなめらかなのに吸い付くようで、次第に指先に力がこもっていく。 裾野から円を描きながら胸の頂へ向けて指をたどらせる。ゆっくりと、焦らしながら。 そして、とうとうたどり着く。 「んんぅ……」 指先で尖りきった乳首をはじくと、のだめは甘く鼻を鳴らした。 千秋はのだめを抱き上げ、ベッドへ降ろすと手早く自分の服を脱ぎはじめる。 のだめはしばらくそれをぼんやりと見ていたが、手を伸ばしてボクサーパンツの上から千秋自身に触れた。 硬さを持ち始めたその形を、たどたどしく指でなぞっていく。 そしてパンツに指をかけ、下ろした。 千秋がのだめの頬にかかる髪を耳にかけてやると、それで合図であるかのように、のだめはその柔らかな唇で千秋を銜えた。 一旦すべてを含み、唾液を絡ませながら唇で刺激を与えていく。 すべてを含みきれなくなると、尖らせた舌先で筋をちろちろと舐めあげ、たっぷりと唾液を乗せて亀頭に舌を絡めた。 添えられた右手は、舌の動きと連動するように屹立した幹をこすりたてる。 数を重ねたセックスの中で、のだめはそんなテクニックを身につけていた。 「……はぁ……ぁ……」 目をつぶったのだめの顔は上気して、腰をくねらせながら時々くぐもった声を上げている。 「のだめ……」 千秋は愛しげに栗色の髪を梳いた。 「俺にもさせろよ」 ベッドに体を横たえると、千秋はのだめのヒップを引き寄せた。 促されるまま、のだめは下半身を千秋の顔に向けてまたがる格好になる。 「またこんなカッコ……恥ずかしいんデスよ、このカッコ……」 今更、とつぶやいて、千秋は目の前の柔らかな内股にきつく吸い付いた。 「あっ、イヤン……」 可憐なショーツの中央部分は既にぐっしょりと濡れ、ぴったりと張り付いた布越しでも形がはっきりとわかってしまう程だった。 その襞をゆっくりと、布越しに舐めあげる。 「んっ、んふん……」 千秋を口に含みながら、のだめは声を漏らした。 くびれに口腔内で舌を這わせ、添えた指でゆるゆると屹立した幹を刺激していく。 千秋は舐めあげるごとに跳ねるのだめの腰をがっしりとつかみ、さらに足を開かせた。 ショーツの両サイドの蝶々結びをほどき、濡れたショーツを取り払うと、粘性を持った雫が滴り落ちそうになる。 千秋はそこにむしゃぶりついた。 溢れて止まらない蜜を舐め啜り、舌を泉に差し入れては掻き出し、なおも啜った。 千秋自身に舌を這わせていたのだめだったが、今はそれどころではなく嬌声をあげては体をくねらせた。 暖かな舌に敏感な膣口をぐるりと舐めまわされ、次第に体が快楽に支配されていく。 千秋はのだめ自身を左右に大きく開き、快感を主張しはじめた突起に舌を這わせた。 「ひゃあぁん……」 舌先で優しくくすぐり、唇をつけて軽く吸い上げる。 のだめは、殊更ここを責められるのが好きなようだった。 初めの頃は敏感すぎて痛がった事もあったけれど、今ではちょっと乱暴にされるくらいでも身をよじって悦ぶ。 自分が、そのように体に覚えさせてきたのだ。 剥き出しになったその突起を歯の間に軽く挟み、尖らせた舌先で左右にはじいた。 「あっ、イヤ……ああっ……ァ……ァ……」 のだめは髪を振り乱していやいや、と顔を横に振り、腰を震わせながら艶のある声を上げる。 ぴちゃぴちゃと水音をたて、今度は8の字を描くように突起を愛撫していく。 「だめっ、だめっ、……いやぁーー」 腰をびくびくと震わせ、胸を千秋の下腹に強く押しつけながら、のだめは登りつめた。 「いっちゃった……?」 仰向けに返したのだめの横に添い、千秋がそう問いかけると、のだめは無言で首を縦に二度振った。 悩ましげに眉根が寄り、薔薇色の頬には汗で髪が張り付いている。 はあはあと荒く息をし、ピンク色に染まった胸元が上下する。 「……センパ…イ……私……もう…」 「もう、何?」 千秋は太股をなで回していた手を、のだめの足の付け根に差し入れていく。 「……入れて欲しい…デス」 消え入りそうな声で、恥ずかしそうにのだめはそういった。 千秋は答えず、のだめの絹糸のような恥毛をかき分けて指を進入させていく。 「あぅん……」 すっかりほころびきったのだめのそこは、何の抵抗もなく二本の指を飲み込んでしまう。 「入れたよ」 「そうじゃなくて……あっ、ああん」 差し入れた指をのだめの中で開いたり、閉じたりする。その度にくちゅり、と卑猥な音が響いた。 のだめは抵抗できず、とぎれのない愛撫を受け入れる。 されるがままに、足を大きく開いてしまう。全部、見られているという羞恥。 でもそれさえも今は快楽だった。 長く美しい千秋の指が、自分のそこに入っていると考えるだけで、それだけで登りつめてしまいそうだった。 「はぁ……あぅん、センパイ、意地悪……」 千秋は中で指を折り曲げ、のだめの中のざらざらとした部分を強めになでた。 「あっ、イヤ……ッ……!」 背筋を抜けるような快楽に、のだめは体をびくりと揺らした。 痛がらないのを確認して、千秋は突起の裏あたりのその部分を激しく責め立てた。 「あっ、あっ、だめ、そこ……」 小刻みにピストンさせながら、その部分に指を強く押しつけては震わせる。 泡立つほどにかき混ぜられた蜜が溢れては、シーツへと落ちていく。 粘性を帯びた水音は部屋中に響き渡っていた。 のだめはやめて、やめてと喘ぎながら懇願したが千秋は動きを緩めなかった。 「だめっ……あっ、漏れ……ちゃう……」 悲鳴にも似た喘ぎを途切れることなくあげながら、腰を浮かせてシーツをぎゅっと握りしめた。 「━━━━━━━━っっ!!」 声が途切れ、喉元まで体をのけぞらせた瞬間、のだめは潮を吹きながら登りつめた。 一回、二回。 その暖かな飛沫は千秋の手・腕をぐっしょりと濡らし、腹にも降りかかった。 「……あっ、すげー…のだめ、すごい……」 「イヤ……イヤ……見ないで、見ないでくだサイ……あっ、ああん」 のだめは体を起こして手を伸ばし、千秋の動きを止めようと腕を押さえる。 が、千秋は指をきつく締め付けられながらも動きを止めない。すると、やがて三回目のしぶきがあがった。 「やだ……やだぁ……ううっ、うーー……」 それを目のあたりにして、びっくりしたようにのだめは泣き出した。 「ふぎ…ゴメンナサイ…っ……き、嫌いに、ならないで…くだサイ…ひっく」 「どうして?」 「だって、だって…のだめ……おもらし…おもらししちゃいまシタ……」 「バカ。違うんだよ、これは……」 嫌いになんか、なるわけが無い。 千秋が指をゆっくり引き抜くと、その動きにのだめはまた体をくねらせた。 自分の与える愛撫を受け止め、体いっぱいに感じ、そしてそれを惜しげもなく自分の前でさらけ出してくれる。 幼ささえ見せていた小さな蕾は、今や自分を求めて開花し、誘うように淫らに濡れていた。 充血しきった花びらの間で、小さな膣穴が腰の痙攣に合わせて開いては閉じ、開いては閉じ、その度雫が溢れ出している。 もう、爆発しそうだ。 じんじんと脈打ち始めた自分自身に目をやると、鈴口から先走りが恥ずかしいほどに滴っていた。 千秋はベッドサイドの引出しからゴムを取り出すと、手早く自分にかぶせていく。 そしてのだめの顔にいくつものキスをし、抱きしめた。 「お前の中に入りたい……」 「…センパイ……来て…くだサイ……」 その甘い囁きに、千秋はもう我慢できなかった。 弛緩したのだめの片足を肩にかけ、千秋は腰をのだめにあてがった。 濡れそぼる秘裂を亀頭でなぞりながら少しずつ押し込んでいく。 「んぁあ…はぁん……」 のだめの膣内はとろとろに溶けて熱く、油断したら一瞬ではじけてしまいそうだった。 入口の強い締りを抜けると、ひくひくとした締め付けがまとわりつき、まるで吸い込まれるように奥へ導かれる。 その気持ちよさに、荒い息に声が混じってしまう。 「はぁ…はぁ……はっ…ぅ……」 「先輩…あぁっ、…気持ち、いいデスか……」 官能を秘めた表情で千秋を見上げ、息も絶え絶えに千秋に問いかける。 「…いいよ…のだめの中、すごく気持ちいい……」 「……よかった…ぁん、うれ、しい…」 そう言ってうれしそうに微笑むと、千秋はたまらず突き上げた。膝を胸に押し付け、腰を激しく前後にゆする。 扇情的にたぷたぷと揺れる胸に指を這わせ、音を立てて乳首を舐め、吸った。 ピンク色に上気した滑らかな胸元に、いくつもの薔薇の花びらのような印を散らしていく。 のだめの喉から出る息はすべて艶を持った声に変わっていた。 最愛の人の手によって、自分が変えられていく、幸福感。 その幸福感が、つながった中心からじわじわと体に染みてくるのをのだめは感じていた。 それはくすぐったくて、うれしくて、けれど泣き出してしまいそうな、甘美に満ちた感覚だった。 「あっ…あぁん、…ああっ」 千秋は先端に周りとは違う固い感触を感じると、そこへ向けてえぐるように突き立てた。 「ひあっ……?!」 途端、のだめの体は跳ね上がる。得体の知れない快楽から逃れようとするのだめの肩を抑え、更に奥へと腰を打ちつけた。 「やっ…イヤぁ……せんぱ…あっあっ、千秋先輩…!」 長い睫が小刻みに震えている。 千秋はのだめの足を下ろし、深くつながったまま、より体を密着させてのだめを抱きしめた。 「大丈夫だから…もっと……もっと、俺を感じて…」 こくこくと頷くと、力一杯掴んでいたシーツを離し、千秋の背中へ腕を回した。 その手は優しく、時に強く爪を立て千秋の背中を這い回る。 「いくときは、いく、って言えよ…」 「…ふぁ…ふぁい……!」 先端近くまで引き抜いては一気に突き立て、何度も律動を送り込む。 その圧倒的な摩擦感に、のだめは切なそうに声をあげ、そして自ら腰を揺すった。 それは、千秋をよりもっと深く導き、飲み込もうとする動きだった。 のだめの体の示す、最も感じるらしい部分・最奥を先端でノックしていると、やがてのだめの体が緩やかに痙攣し始める。 「いく…!いきます、あっあ、先輩…、いくぅ━━━!」 体をびくんびくんと揺らしてのだめは絶頂を迎えた。が、千秋は動きを緩めない。 肌のぶつかりあう音。 溢れる、粘性を伴った水音 ベッドの軋み。 のだめの切なく甘い声。 それらが快楽への音楽となり、千秋を次第に官能の淵へとおいやっていく。 「やあっ、ダメ…ダメです、先輩…ぁぁあ…また、また…いっちゃう━━━」 白い喉をいっぱいにのけぞらし、のだめはすぐさま二度目の絶頂を迎えた。 急速に収縮し、食いちぎらんばかりののだめの締め付けに自分の終わりが近いのを感じ取ると、 千秋は体重を掛けて最奥のこりこりとした部分に先端を押し付け、腰を回した。 せりあがってくる射精感。 いくつもの汗が、顎を伝わっては落ちる。 「のだめ……」 半開きの唇に舌を差し入れ、ねっとりと絡ませる。 そして、吐息に言葉を載せ、のだめの口腔に吹き込んだ。 「愛してる……」 きっと、のだめは知らない。 自分がどれだけ思っているか。どれだけ、求めているのか。 その思いをのだめの中に封じ込めるように、唇を押し付けた。 のだめの膣内が千秋の亀頭をひときわきつく締め付けると、怒張しきった自分自身を大きく痙攣させながら千秋は己を解き放った。 「うっ……あぁっ…っく……」 「あんっ、はああぁぁぁ……」 勢いよく吐き出されたほとばしりは、薄皮越しにのだめの敏感になりきった頸部を刺激し、何度目かの絶頂へと押し上げた。 「…千秋…センパ…イ……」 肩で息をし、力無くのしかかる愛しい重みを、のだめはぎゅっと抱き締めた。 ……荒く乱れた息を少しだけ整え、千秋は気だるい眩暈を感じながら腕を伸ばしてティッシュを手にした。 自分の吐き出した物が漏れ出ないように、慎重に自分自身を引き抜いていく。 ずるり、とした感触は敏感な互いのその部分を緩やかに摩擦して、事の終わりに余韻をもたらす。 どちらからともなく甘い吐息が漏れ、そしてその吐息を漏らすまいと唇を重ね合わせた。 重なり合った体を横たえ、千秋は汗ばんだのだめの頭を抱きしめるように腕枕の形をとった。 端正な顔を上気させ、これ以上ない優しい眼差しで千秋に見つめられている。 もう片方の手はゆっくりと優しく髪を梳き、時折耳朶をくすぐるように触れていく。 のだめは快楽とは違う、うっとりとした温かみが胸に湧き出すのを感じていた。 シアワセ。……なんてシアワセ。 未だ官能に揺らめく体を摺り寄せながら、のだめはゆっくりとつぶやく。 「…先輩。……あんまり、のだめの体変えていっちゃわないでくだサイ……」 「……何?」 「段々、自分がエッチになっていってる気がして……のだめ、恥ずかしいですヨ…」 「……いいじゃん、別に。…どんなにエッチでも、乱れてよがっても、俺は嬉しいけど」 "乱れてよがっても"に心当たりを感じて、のだめは赤くなっていく。 「気持ちよかったんだろ?」 耳元でそう囁かれて、のだめは素直に頷いた。 「……何回、いった?」 「…ぎゃ、ぎゃぼっ……そっ、そんな事、知りまセン…!!」 のだめは火を噴出しそうなほど赤くなった顔を手で覆い隠して、千秋に背を向けた。 「そんな事言う先輩、イヤ…!」 くっくっく、と笑いながら、千秋はその小さな背中を胸の中にすっぽりと包み込む。 「いっぱいに濡らして、何回もいっちゃって、お前の体、エッチだな〜」 「だって、だって、先輩がそゆこといっぱいするからですヨ!のだめのせいじゃ、ありまセン!!」 「…エッチな事する俺は、嫌いか?」 一瞬間を置いて、のだめはぶんぶんと首を横に振る。 「さっき言ったじゃないデスか……。どんな先輩だって好きですヨ……」 「……俺だってそうだよ。お前がどんなでも、のだめがいいんだ」 首筋に頬を寄せると、肌から微かに立ち上る甘い香りが鼻腔を擽る。 千秋はうなじに吸い付き、所有の証を刻んだ。 「シャワー浴びよう。……体がべとべとだ。シーツも替えなきゃな……」 「ぁ……ゴメンナサイ…のだめ、粗相しちゃったから…」 「違うって。あれ、おしっこじゃないし……」 「そうなんデスか?……私、先輩の目の前で漏らしちゃったのかと思って……」 恥ずかしくて泣き出しそうな顔で、のだめは体を向き直った。 「いっぱい感じた証拠だろ。……うれしかったよ」 ほっとした顔ののだめをもう一度抱きしめてから、名残惜しく千秋はベッドを抜け出た。 「先にシャワー使えよ。俺、シーツ替えるから」 「ふぁーい。……あ、あれ?……はううぅー」 新しいシーツを取り出しベッドへ戻ると、のだめがベッドの脇にへたり込んでいる。 「……何やってんだ、おまえ」 「…力入んなくて……立てまセン……あへー」 「しょーがねーな、ほら」 「はぎゃっ」 背中と膝の裏に腕をまわし、いとも簡単にのだめを抱き上げてしまう。 「じゃ、一緒に入るか。久しぶりに、頭洗ってやるよ」 「おねがいしマス……」 のだめは千秋の首にしがみつき、鎖骨に首を預けた。 空腹を満たしたら、二人は再び肌を合わせた。 疲れてはブランケットにくるまってまどろみ、目覚めては求めるままに抱き合った。 快楽に身を寄せ、その波間に二人たゆたい、何度でも深く落ちていった。 ……そうして、二度目の朝を迎えた。 千秋は軽やかなピアノの音色で目が覚めた。 半分だけ開いた続きの部屋の扉の向こうで、のだめがピアノを弾いているのが見える。 のだめのピアノを、久しぶりにきいた気がする。 相変わらず、跳ねて、飛んで……けれど、楽しげなのだめのピアノ。 いつものように口を尖らせたかと思うと、満足そうに微笑んだりして、表情がくるくると変わる。 揺れる体に合わせて、さらさらとこぼれる栗色の髪に、窓からさした朝日が光って、まぶしい。 その愛しさに、千秋は目を細めた。 表情と同じように色彩豊かなその音色を楽しみながら、千秋は再び眠りへ誘われていった。 再び目が覚めると既にのだめの姿はなかった。 ベッドから抜け出し、近くに脱ぎ捨ててあったパジャマを着ると、散らかった部屋を片付けていく。 ワインボトル、グラス、食器、シーツ、ブランケット、枕…そして、自分とのだめの下着。 「………………」 ……いくつかの丸められたティッシュ。 拾い上げるたびに、この散らかり具合からわかる二日間の情事を思い出して赤面してしまう。 初めてのだめを抱いた時、既に多少の片鱗を見せていたものの、まさかあれほどまで乱れる体だったのかと、正直驚いている。 一つ一つのピースがぴったりとはまっていくように、数を重ねるごとにセックスが良くなっていく。 それに、今までになかった一体感を、のだめは自分に与えてくれた。 つながり、密着して抱きしめたとき、自分とのだめとの境目が無くなり、まさに一つのモノになる瞬間がある。 その度、千秋はもうのだめから離れられない、と自覚するのだ。 千秋は部屋に篭る濃密な空気を逃がすため窓を開けた。 「寒っ…」 強い風が入り込んで、その冷たさに千秋は体をちぢこませる。 『風強い=飛行機大揺れ』 そんな図式が頭をよぎって、紅潮していた顔は途端に青ざめた。 乱れたベッドをなおしていると、キャビネットの上にのだめの置手紙を見つけた。 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃先輩、おはようございます ┃今日は学校があるので行って来マス。 ┃午前中だけなので、出発の飛行機にはまにあいそうです。 ┃待っててくださいネ ┃ジュテーム★ ┃ のだめより ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「なにが"ジュテーム★"だ……。きたねー字!」 のだめの書き置きを読みながら、千秋はクスリと笑った。 便せんの端には、わざわざ口紅を塗って付けたのか、ご丁寧にピンク色のキスマークが記されている。 そのかわいらしさに千秋はまたも笑った。 手馴れた手順で一週間分の荷物をそろえ、再び旅支度をし始める。 これが終われば、しばらくはパリに留まれるはずだ。……エリーゼが予定外のバカンスを取らなければ。 あんな事務所と契約した事を、千秋は甚だ後悔していた。 ……黒のロングコートを羽織り、皮の手袋をはめる。 そして、千秋はのだめの置き手紙を丁寧に畳むと、ジャケットの胸ポケットにしまい込んだ。 「さて、行くか」 「……フーン」 空港でシュトレーゼマンに会うなり、二日前のだめに向けたそのいやらしい視線が、今度は千秋へ向けられた。 「何ですか……?」 また、何か見透かされてるのか? 「すっきりした顔しちゃって……随分とお楽しみだったわけデスカ。ぷぷ」 「なっ……!」 「若いですねー、ほーんと、のだめちゃんも、千秋も」 「……からかわないでくださいよ。結構、いっぱいいっぱいなんですから」 千秋は真っ赤になって答えた。 「ま、いっぱい悩む事ですネ。……音楽も、恋も。……おー、のだめちゃん来ましたヨー」 振り返ると、のだめがちょうどロビーに入ってくるところだった。 サーモンピンクのニットワンピースが、のだめの白い肌に似合っている。 フィット感のあるニットは体のラインを強調して、幾分かのだめをセクシーに見せていた。 「…………」 千秋はぼんやりとそれを見つめていた。 「ほーらね。私の言ったとおり……」 ほんとに、出会った頃に比べると信じられないくらいに綺麗になった。 「センパーイ!!ミルヒー!」 こちらに気づくと、のだめは手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。 迎えに来たときと同じように、ピンク色のグロスが唇を彩っている。 「はー、良かった、間に合いましたー」 「のだめちゃん、その服とっても素敵デスよー」 「そーデスかー?少しは大人っぽく見えますかね?」 「とってもセクシーです。……千秋もね、今うっとり見とれてましたヨ」 「えー?ほんとですカー?」 「…!!何言って……-ほら、もう行きますよ!!」 千秋はろくにのだめを見ずに、シュトレーゼマンの荷物を取ってスタスタと歩き出してしまう。 「……まったく、素直じゃないネー」 「のだめちゃん、またね。今度、私のうちに遊びにいらっしゃい」 「はい、ゼヒ!……おいしい物ごちそうしてくだサイねー」 欧米式に頬を合わせて、のだめとシュトレーゼマンは別れの挨拶をする。 「部屋、汚すなよ」 「わかってマス!……ピアノも、がんばりまス!」 敬礼をして、のだめはそう答える。その口元がちょっとだけ寂しそうで、千秋は胸が痛んだ。 「じゃ、行って来る」 いつもそうするように、千秋はのだめの頬をはじいた。 「行ってらっしゃーい」 そう見送るのだめの顔は、笑いながら、だけど泣き出しそうな顔だった。 ……二人はのだめと別れ、搭乗者ゲートを向かう。 たったの一週間。たった、それだけ。そう自分に納得させる。 が、裏腹に足が動いていた。 「…ちょっと、千秋?!」 「そこで待っててください!!」 振り返りながらそう言うと、千秋は駆け出した。 のだめを追いかけ、その背中を見つける。 「のだめ!!」 「えっ?!センパ……」 振り返ったその手を取り、抱きしめながら口づけた。 バニラの香りが広がる、その一瞬の甘い口づけに酔いそうになる。 出来る事なら、このままつれて、そばに置いておきたい。自分だけの物に、誰の目にもさらすことなく。 「センパイ……」 でも、それは出来ない願いだと言う事を、千秋は重々わかっている。 「一週間で帰ってきたら、後はしばらくこっちにいられるから……」 いつからか、気づいていた。 一人の女として、のだめをつなぎ止めたい自分と、ピアニストとしてのだめに羽ばたいて欲しい自分とがいる。 ……いつか、羽ばたいてしまっても、自分の所に帰って欲しいと願うのは、エゴだろうか。 「……ハイ。待ってマス……」 もう一度、キスをした。今度は、少しだけ深く、長く。 「飛行機、頑張ってくださいネ」 名残惜しく搭乗者ゲートへ向かう二人の手は、しっかりと絡められていた。 「うん。……お前がお守りくれたから、多分大丈夫」 そう言うと、優しく微笑んで千秋は胸元に手を添えた。 「お守り?……そんなのあげましたっけ?」 「……じゃあな」 「行ってらっしゃーい」 今度は、いつもの笑顔が千秋を見送った。 搭乗ゲートの向こうでは、やっぱりシュトレーゼマンがニヤニヤしていたが、そんな事はもうどうでも良かった。 「あらー、千秋。口紅がついてますヨ〜」 「フン!もう何とでも言えばいいですよ……」 唇を舐めると、再びバニラの香りが口の中に広がった。 それは、のだめの唇の余韻を感じさせ、千秋の心を甘い思いでいっぱいに満たしていく。 ……羽ばたいてしまったら、また捕まえに行けばいい。 どんなに逃げていっても、絶対に捕まえてやる。 「じゃ、また一週間頑張りましょう。楽しい音楽の時間ですヨ」 「……よろしくお願いします!」 千秋は再び、機上の人となった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |